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2005年6月 の投稿

「ソニー本社 6階」

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著者:竹内慎司、出版社:アンドリュース・プレス
 かつて日本を代表する超優良企業であったソニーも、いまや莫大な借金をかかえて哀れな状態に転落しています。
 この本は、残念なことに読みやすくはありませんが、ワンマン社長のもとでゴマスリ、無能経営陣がいかにして会社をダメにしていったか、体験を通じて明らかにしています。
 サラリーマンの心得。上司と意見を異にしたときにはすぐに反論しない。どうしても納得いかないときは、時間をおいておもむろに切り出す。それでも上司が考えを変えないなら、引き下がる。自分が正しいと思うことを主張し続けるより、上司の心証を害さないことの方を重視すべき。上司から検討を指示されたら、3つの選択肢を提示する。
 著者はソニーの大失敗のひとつに、アメリカの映画会社(コロンビア・ピクチャーズ)を買収したことをあげています。これで、少なくとも1000億円の損失をソニーにもたらしました。ワンマン社長の弊害を象徴するビデオがある。社長が出席する会議のため1回きりしか上映しないビデオのために1000万円をかけてビデオがつくられた・・・。なんと、なんと、開いた口がふさがりません。ワンマン社長に対して意見する人は誰もいない。会議で社長が発言すると、皆ペコちゃん人形と化した。プチ・マスゲーム状態だった。うーん、ひどい・・・。
 ソニーがかかえた1兆5千億円もの借金、2900億円という赤字はまことに莫大なものがあります。しかし、ワンマン社長は、やめるときに16億円もの退職金を手にしたというのです。現場では1円以下のコストダウンに必死になっているというのに、雲の上のトップはケタはずれのムダづかい、そして私腹を肥やしているのです。こうしてみると、資本主義社会って、ホント狂っているとしか言いようがありませんよね・・・。

完全図解・大冒険術

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著者:かざまりんぺい、出版社:誠文堂新光社
 大人になった今、私はアウトドア生活は、とても耐えられそうもありません。でも、小学生のころはカエルを捕まえて、平気で両足をもいでザリガニ釣りのエサにしたり、お尻にストローをつっこんで空気を入れてパンパンにお腹をふくらませて池面に浮かべるなんてことをしていました。そうそう、近所に背の高い雑草の茂る広いヤブがあって、そこに秘密基地をつくり、チャンバラゴッコなどをしていました。子どもは、周囲にうじゃうじゃいましたから、いつも群れをつくって野外で遊んでいました。
 この本には、飲める水のつくり方、火の起こし方、鳥や魚の捕まえ方、その調理法が原始的材料をつかってできることが図解されています。眺めているだけで知識がつき、また、子ども心に戻れます。鍋や釜なしでも料理がつくれるというのです。竹筒を鍋の代用にしたり、ご飯を炊くこともできます。石を燃やして石焼き料理にしたり、焼き石料理というのもできます。なるほど、なるほど・・・。災害時のサバイバル術を身につけるのにも役に立ちそうです。

驚異の古代オリンピック

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著者:トニー・ペロテット、出版社:河出書房新社
 古代オリンピックは紀元前776年から紀元後394年までの1200年のあいだ、4年に1度、1回も欠かさずギリシアのオリュンピアで開催されました。当時の人にとってオリンピックを見ないで死ぬなんて、大変な不幸でした。
 選手はみな全裸で出場します。肉体をさらけ出すのを恥ずかしがるのは野蛮人だけ。生まれたままの姿で戦うのは、社会階級を脱ぎ捨てることの象徴でもあります。
 ただし、協議への参加が認められるのはギリシア人の血を引く自由民の男性だけで、女性や奴隷、外国人の参加は認められていませんでした。
 映画「ベン・ハー」に出てくる戦車競技はかなり正確に再現されたものであり、これはオリンピックの2日目に開かれた。オリンピック3日目には、ゼウスの祭壇に雄牛100頭のいけにえを捧げる儀式がとり行われた。当時、肉はとても高価なものだったので、庶民の大半にとっては、いけにえの儀式は肉を味わう唯一のチャンスだった。
 私がオリンピックに関心をもったのは、1964年の東京オリンピックだけです。なにしろ、このとき私は高校1年生でした。日本の女子バレーボールの決勝戦などを興奮しながらテレビで見ていた記憶があります。それ以降、私はテレビは見ませんし、見るスポーツ全般に関心をなくしましたので、オリンピックなるものは大晦日の紅白歌合戦と同じで、世間でなんかやってるな、という感じで、まったく関心がありません。
 まあ、こんな変わり者がいてもいいんじゃないでしょうか・・・。おまえは一体何が楽しみなんだ。まさか私にそんなことは訊きませんよね。ほれ、いま、あなたが読んでいるこの文章こそが、私の楽しみなんですから・・・。本を読み、文章を書くこと。そして、昼間の明るいうちには花と生きものの世話をすること。これが私のなによりの生き甲斐なんです・・・。まあ、そうは言っても、オリンピックを見て楽しむのを否定しているわけではありません。人それぞれ、好き嫌いはあり、その多様性をお互いに認めあって、この世は成り立っている。このことを確認したいだけです。くれぐれも変わり者は抹殺せよ、なんて思わないでくださいね。今度はオリンピックは北京であるんでしたっけ・・・。交通渋滞が心配です。今でもすごいんですから、いったいどうなるんでしょうか・・・。

ラブホの経営学

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著者:亜美伊 新、出版社:経済界
 ラブホテル業界は低迷状態にあり、斜陽産業とまで言われていると聞いて驚きました。なぜなのでしょうか・・・。
 著者は、ラブホテルが利用者の満足する空間ではなくなったから、圧倒的にオシャレな空間となり、以前のようなセックスの匂いが消えたからと言います。そうなのでしょうか・・・。ラブホテルはシティホテル化しているがそれは、オシャレなだけで、まるで個性がなくなったと指摘しています。値引き競争が激しい割には利用者は増えていません。
 ラブホテルは日本固有の文化であり、世界中どこをみても、こんなものはないというのにも驚かされました。アメリカにもイタリアにも、そしてフランスにもラブホテルはありません。最近、やっと台湾や韓国にポツポツできているだけだというのです。
 著者はラブホテル専門の建築設計家として、30年間に1638のラブホテルをデザインしました。すごい数です。そのデザインしたラブホテルが写真で紹介されています。中世ヨーロッパ風あり、ホワイトハウスやエンパイヤステートビルあり、はたまたスペース・シャトルありの奇抜な外観。そして、内側を見ると白い2頭だての馬車あり、銀河鉄道「999」、ポップコーン屋台、ボクシングの部屋など、とんでもなく奇想天外の部屋があります。大人の遊園地のような、わくわくするような部屋が客に受けたといいます。ラブホテルの部屋は男女の愛のドラマを演じるための劇場。だから、部屋のデザインも思いっきり非日常空間であることが望ましいということです。なんと1泊30万円の部屋をつくったところ、利用者がひっきりなしにあったそうです。
 ラブホテルでいちばん大切な要素は淫靡さ。ふだんは味わえない淫靡でエロスの空間。どこか妖しげな雰囲気。これから味わうこと、体験することへの期待。行く前からドキドキする。抑えきれないドキドキ感。心の噴出するエロスを大切にする。なーるほど・・・。
 ラブホテルは入るときよりも、出るときの方を重視する。いかに出やすい環境をつくるかが重要になる。いかに出やすいかでお客のリピート率が上がる。さりげなく出れる。しかも堂々と出ることができて、なおかつ人目に触れない環境。これががポイントだそうです。ふむ、ふむ。
 かつて、ラブホテルの出口に焦点をあててずっとカメラを構え、車のナンバーで持ち主を調べあげ、「不倫の証拠をつかんだ。公表されたくなかったら、お金を支払え」という脅迫文を送っていた男の刑事弁護人になったことがあります。ところが、不倫カップルをふくめて、ほとんど脅迫は成功しなかったというのに驚きました。
 ラブホテルの従業員をしていたら、もとの会社の同僚が昼間から上司の男性と一緒に何度も入ってくるのを見た。窓口で顔をあわせるシステムでなくて良かった。そんな話を聞いたこともあります。
 この本によると、「言い訳テレフォン」というのがあるそうで、笑ってしまいました。家庭にばれないように電話をかけるとき、バックにマージャン店の雰囲気やパチンコ台の音、また新幹線の音がカセットテープから5分間だけ流れるような仕掛けがあるというのです。すごい知恵です。
 ラブホテルは10億の資金があれば安定的な経営ができるそうです。つぶれかかったラブホテルを2.5億円で買い、少し改装したとして5億円で経営できる。年の利回り23.5%の利益が確実に得られるおいしい商売だ。著者は強調しています。
 ラブホテルのことを少し知って、久しぶりに行ってみたくなりました。ご一緒にいかがですか。もちろん、現地調査にですよ・・・。

御家騒動

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著者;福田千鶴、出版社:中公新書
 この本を読むと、日本人って、実に裁判が好きな民族なんだなとつくづく思います。殿様に能力がなかったら、ことをオーバーに言いたててまで幕府に書面で殿様を交代させる裁きを求めるのです。そんなことはちっとも珍しいことではありませんでした。幕府の方も、御家騒動があったら待ってましたとばかりにお家断絶(改易)ということではなく、なんとかお家を存続させようとあの手この手をつかいました。
 これって、なんだか、これまでの私たちの常識と違いますよね。この本によると、将軍家光の寛永末年(1644年)までの御家騒動80件のうち、そのため改易されたのは18件でしかありません。10万石以上だと、堀(越後福島)、最上(出羽山形)、生駒(讃岐高松)の三家のみだったのです。幕府が御家騒動を大名統制の口実として利用したという説は成り立たない。これが、この本の結論です。うーん、そうだったのか・・・。まいりました。
 いま福岡の裁判所は上ノ橋(かみのはし)門から入って左側のところにあります。そこに栗山大膳の屋敷がありました。そうです、黒田騒動の立て役者です。寛永9年(1632年)、筑前福岡藩の黒田家を揺るがす大騒動が勃発しました。主君黒田忠之はまだ30歳にもならぬ若さでした。藩主は側近を重用するばかりですから、当然のことながら家老の大膳たちは面白くありません。
 忠之は大膳を手討ちする手はずをととのえたものの、大膳が病気を理由として出仕せずに失敗します。ついに大膳の屋敷を兵力で取り囲みました。このとき大膳の屋敷に立て籠もった将兵は600人ほど。鉄砲200挺、大砲も6門ありました。一触即発の状態でしたが、幕府が調停に入り、大膳は退去に応じました。この退去の様子がすさまじいのです。火縄に点火した状態の鉄砲20挺、大膳は棒を突きたてた侍50人と、火縄に点火した鉄砲250挺、槍100本とともに退出しました。まさに武装集団そのものです。大膳は陸奥盛岡の南部家にお預けとなったものの、五里四方歩行自由の身でした。もちろん、黒田家は安泰です。黒田騒動のとき、あやうく市街戦が始まるほどの状況だったというのを、私ははじめて知りました。
 対馬宗家の重臣柳川調興との紛争も興味深いものがあります。宗家の主君(宗義成、30歳)は要するに凡愚だったようです。一つ年長の柳川調興はすこぶる怜悧(賢い)と朝鮮通信使からも評価されていました。しかし、国書書き替えが発覚してからも、結局のところ宗家は安泰で、柳川の方が津軽へお預けとなったのです。お家大事というか、幕府は秩序維持を重視したのです。
 承応4年(1655年)には、久留米の当主・有馬忠頼が参勤途上の船中で小姓に殺害されたそうです。幕府は病死の届けを認めて、3歳の子に遺領相続を認めました。
 肥後人吉の相良家でも寛永17年(1640年)にお下(した)の乱が起き、人吉城の三の丸が焼け落ちるほどの戦闘がありました。これは、なんと主君の相良頼寛が重臣の相良清兵衛が従わないとして、幕府老中に訴え出たというのです。まるであべこべですよね。何十人もの死傷者が出たというのに、清兵衛は弘前藩に配流されただけで命は助かっています。将軍お目見えを許された身だったからです。
 17世紀の前半までは、主家が滅亡しても、すぐに従臣の家が滅亡するという観念はなく、主家の代わりに従臣が立つことも認められていたというのです。
 江戸時代についての常識が、またひとつ化けの皮をはがされた思いがしました。

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