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2005年6月 の投稿

「子どもたちのアフリカ」

カテゴリー:未分類

著者:石 弘之、出版社:岩波書店
 表紙にアフリカの子どもの素敵な笑顔の写真が載っています。でも、頁をめくると、とても笑顔で読める内容ではありません。心が凍りつくような情景描写が次から次に続きます。私は福岡までの電車のなかで読みはじめたのですが、それまでの眠気が嘘のようにさめて、背筋をピンと伸ばして厳粛な気持ちで読みすすめました。
 次世代を担う子どもたちの今から、アフリカの未来を考える。オビにはこう書かれています。この内容ははるか遠いアフリカの国の話しであって、日本とは関係ないと考えてはいけないと思います。エイズ、少年兵、奴隷、いずれも日本にも決して無関係ではありません。
 アフリカのエイズ患者は2500万人。2003年だけで300万人が新しく感染し、220万人が死亡した。アフリカの成人の7.5%はエイズであり、なかには成人の4割ほどがエイズ感染者という国まである。これによって、アフリカの平均寿命は1975年に47歳だったのが、今では40歳になった。
 栄養不足人口は33%、就学率は42%でしかない。親をエイズで失った孤児が増えている。スワジランドでは、妊婦の4割がエイズ感染者。エイズの母親から生まれた子どものうち、20%は母体内で、15%は母乳を通じて感染する。
 アフリカのエイズ感染の9割近くは無防備な異性間交渉が原因。アメリカや日本のような先進国では抗エイズ薬のおかげでエイズと共存して生活できる。アメリカではエイズによる死亡者は70%も減少した。しかし、アフリカでは、抗エイズ薬の投与を受けているのは70万人にすぎず、残る330万人は放置されている。
 アフリカには処女とセックスするとエイズが治るという迷信が広くある。また、病気は身体の汚れた状態で、清浄な処女とセックスすれば浄化されるという間違った観念があり、迷信をはびこらせる原因にもなっている。
 アフリカの少女は、生後1週間から初潮までに女性性器を切除されている。毎年200万人が切除され、アフリカ大陸の女性の3人に1人くらいの割合になる。女性に被害者意識はあまりなく、むしろ女性の方が熱心な支持者になっている。
 アフリカには少年兵が多い。イラン・イラク戦争のとき、2000人のイラン少年兵が手をつないでホメイニ師を讃える歌をうたいながらイラク国境の地雷原に突きすすんでいった。あちこちで地雷が爆発して子どもたちが死んでいったあとを正規軍が進んでいった。生き残った少年兵は1割しかいなかった。子どもは頭が空っぽで、つねに命令に従うから司令官が好んでつかう。戦闘の前にはハッシッシやアヘンなどを与えるし、万一つかまったときのために青酸カリのカプセルも与えてある。
 子どもは奴隷としてもつかわれている。たとえばチョコレート。子ども奴隷のおかげで人件費が安上がりになっている。
 世界には、考えなければいけないことがこんなに多いのか、思わず襟をただしてしまう厳粛な内容です。いかにも厳しい現実ですが、決して目を逸らしてはいけないと思い、最後まで読みとおしました。

僕の叔父さん、網野善彦

カテゴリー:未分類

著者:中沢新一、集英社新書
 網野善彦は私の好きな歴史学者です。ともかく視点が目新しくて、問題提起が刺激的なのです。いつもハッと眼を見開かされます。
 『無縁・公界・楽』(平凡社)や『異形の王権』など、いくつも読みました。日本の歴史を底辺に生きる人々の生活からとらえすことを学ばされた気がします。百姓を農民ではなく、海辺で働く漁民や、船乗りをふくめるものという提起もあったと思います。
 ただ、私は、宗教学者としての中沢新一をなんとなくうさん臭い人物と思ってきました。中沢新一の本を読んだのは、これが初めてです。「コミュニストの息子」として育ったことの悲哀も語られていて、案外、まじめな人物だったんだなと見直しました。

「不器用な技術屋iモードを生む」

カテゴリー:未分類

著者:中野不二男、出版社:NTT出版
 いま携帯電話は耳にあてて聞いて話す道具というより、画面を見る道具になってしまいました。歩きながら画面に夢中になっている人の姿はどこにでも見かけます。
 iモードが誕生して6年がたちました。携帯電話は今や単なるケータイと言った方がピッタリきます。だって、電話というより持ち歩きのできる超小型のパソコンそのものなんですから・・・。ケータイとは違いますが、i−podにも驚きました。単なるウォークマンではないのですね。7000曲も入っていて、画面を見ながら選曲できますし、歌詞まで読めるのですから、すごいものです。
 iモードが誕生するについては、松永真理の「iモード事件」も面白く読みました。熊本で仕事をしていた彼女を、人脈で掘り起こしたんですね。
 この本は、技術屋サイドから見たiモードの開発物語です。私には技術的なことはさっぱり分からないのですが、とても興味深く読みました。技術屋の世界って、事務系とは一味も二味も異なる世界なんだなとつくづく思いました。
 携帯電話がまだ珍しかった時代に、私はそれを持ち歩いていたことがあります。ポケットに入るなんてものではありません。大きさは小城羊羹の1本分くらいです。手にとると、ずしりと重たいのです。バッテリーも同じくらいかさばっていました。ともかく貴重品ですから、大切に扱っていました。今ではケータイが普及しすぎて、公共の場所から公衆電話がなくなりつつあって困ります。要するに、自分のケータイをつかって相手方とダイレクトに交渉したくないときには公衆電話をつかいたいのです。そんなの非通知にすればいいじゃないかと言われるかもしれませんが、自分のケータイにいろいろ入ってくること自体がいやなのです。ケータイの送受信歴がまったく消えないというのも嫌ですよね。
 この本で圧迫面接という手法があるというのを初めて知りました。たたみこむように質問していって相手を追いこみます。質問に対して正確な答えをするかどうかは問題ではなく、圧迫をはねつけて、正面切って答えたり、うまくすり抜けたりする機転のはやさを見るための手法ということです。ほとんど嫌がらせのような手法です。私は体験がありませんが、面接のとき、相手の能力を知るひとつの手法なんだろうなと思いました。

私のかかげる小さな旗

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著者:澤地久枝、出版社:講談社
 著者は旧満州(中国東北部)から16歳の多感な少女のときに日本へ引き揚げてきた。それまで1年あまりの難民生活も体験している。だから、戦争を憎む気持ちが人一倍強い。そして、あくまで人間を大切にするヒューマニストである。
 1947年、東京に出てきた。空襲の焼け跡がそのまま残っていた。いま最高裁のある場所には、米軍のカマボコ住宅が整然とならび、白とグリーンの仮設住宅が鮮烈に日に映えていた。日本人メイドの胸に抱かれた白人の子どもたちは丸々とよく太っていた。
 アメリカによるベトナム侵略戦争がたたかわれていたとき小田実と一緒にベ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」)の活動をした。そして、いま「安保条約をやめて、日米平和友好条約を!」という市民運動をすすめている。
 著者は憲法9条2項の意義を訴えている。過去の戦争のほとんどが、自衛を大義名分としてたたかわれたものである。「自衛」という表現には、実は何の歯止めもない。すべての軍隊は、自国の平和、独立、安全を守り、自衛する建前で存在する。しかし、「自衛」は拡大解釈される。日米が第二次世界大戦を始めたときだって、だれも侵略戦争とは言わず、自存自衛のためのいくさと言っていた。
 戦後うまれの人には、憲法は空気のように感じられるかもしれない。しかし、戦争を放棄し、国の交戦権を否認した憲法によって日本はアメリカやロシアのような軍拡競争による国家財政破綻の危機をまぬがれ、一人の戦死者も出さず、他国のだれも殺傷しない戦後の半世紀を生きてきた。
 わたしは政治に絶望したり、グチを言うことはやめることにした。政治はわが手で、という考えに立っている。声をあげよう。 
 74歳の著者は今、「九条の会」の呼びかけ人の一人として、すべての日本人に呼びかけている。著者よりは二まわりほど若い私も、負けずに声をあげていくつもりだ。

住民が主人公を貫く町

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著者:山田兼三、出版社:あけび書房
 私は山田町長の古くからのファンです。くたびれている同世代の男たちが多いなかで、いまも元気モリモリでがんばっていますから、畏敬の念を禁じえません。といっても、一度も会ったことはありません。前の「南光町奮闘記」を読んで、その謙虚・誠実な人柄と小さな町を町民が住んでよかったと思える町づくりをすすめる実行力に感嘆して以来、尊敬しています。
 残念ながらまだ行ったことはありませんが、いまや南光町はヒマワリの町として全国的にも有名です。なにしろ40ヘクタール、200万本のヒマワリが7月から8月にかけて、ずっと咲き続けるというのです。いつか、ぜひ見に行きたいと思っています。
 山田町長が誕生したのは25年前。1980年10月のことです。当時32歳のよそ者の青年です。そんな人がいきなり立候補して当選できるはずがありません。もちろん、本人も当選するなんて夢にも思っていません。立候補しただけで使命は果たした。そんな思いから気楽に選挙戦をすすめていたそうです。ところが、案に相違して当選してしまいました。真っ青になったそうです。それほど同和問題で荒れた町だったのです。
 当選した山田町長に寄せられた町民の要望は、「暴力・暴言を許さない宣言の町・南光町」の看板をはずしてほしいということでした。いかにも暴力・暴言がはびこっている町と受けとられて恥ずかしいというのです。さっそく看板は塗りかえられ、「花と小鳥の町・南光町」そして今は「ひまわりの郷・南光町」になっています。
 ヒマワリの花は私の家の庭にも植えています。大輪の花だと、咲いているのは10日間ほどでしかありません。わが家のヒマワリは小ぶりの花を次々に咲かせるものです。でも、大輪の花の方が何万本と植えたときには見映えがよいのです。そこで南光町では、8ヘクタールのヒマワリ団地をいくつもつくり、種をまく時期を順次ずらし、見物人を7月上旬から8月中旬までずっと魅きつける工夫をしています。稲作をする田んぼを、集落が話し合ってヒマワリ栽培の団地として提供するわけです。オレんところは今年は稲をつくるなんて誰かが言い出したら、みっともありません。集落内の十分な話し合いが不可欠です。そのおかげで、多い日には観光バスが80台、600台収容の駐車場が満杯になるそうです。年間15万人の観光客が5千人足らずの町民人口の町に押し寄せるのですから、たいしたものです。
 南光町では子ども歌舞伎も復活させました。小学生があこがれて子ども歌舞伎クラブに次々に加入しているそうです。地域の伝統文化を守り育てているのに感心します。
 山田町長の偉いところは、何事も町長を先頭に取り組んでいるところです。たとえば、町が工事を発注するときには、入札の直前に町長室で関係職員を集めて入札金額を決め、その場で町長自身が金額を書きこみ、その足で入札会場にのぞむというのです。おかげで贈収賄事件は山田町長の24年間に一度も起きていません。
 山田町長は議会に対して事前の根まわしを一切しません。議会の審議は質問時間の制限が一切ありません。ボス議員を特別扱いすることもなく、すべて全議員を対象として話をすすめるのです。その結果、ときに議案が否決されることもあります。しかし、山田町長は、それはそれでよいことと割り切っています。町長と議会は一定の緊張関係が必要なのです。なかなかできることではありませんよね。私はつくづくその政治姿勢に感心します。
 山田町長は共産党の町長ですが、宮内庁から秋の園遊会に招待されて、紋付袴姿で奥さんとともに出席しました。モーニング姿の出席者が多いなかでとても目立ち、天皇や皇后をはじめ皇族から相次いで声をかけられたそうです。世の中、本当に変わりました。
 そんな山田町長も、この10月で南光町が消滅しますので、任期満了となります。町民のためのきめ細かな施策をやれる小さな町や村をつぶしてしまう平成の市町村大合併って本当に住民のために良いことなのか、私には大いに疑問です。

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