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2005年5月 の投稿

アレクサンドロス大王

カテゴリー:未分類

著者:森谷公俊、出版社:講談社選書メチエ
 映画「アレキサンダー」を見ましたので、もっと詳しく知りたいと思って読みましたが、私の期待に十分にこたえてくれた本でした。
 アレクサンドロス大王は紀元前336年、20歳でマケドニア王となり、2年後に東方遠征に出発し、ペルシア帝国をほろぼした。西のエジプト、リビアから東は中央アジアをこえてインダス川にまで及ぶ大帝国を築きあげた。しかし、前323年、バビロンで急死した。そのとき、まだ32歳。
 この本は、ポンペイで出土した有名なアレクサンドロス・モザイクの絵を中心にすえて解説しているという点にも特色があります。ダレイオス3世が戦車の上におびえた表情で乗っていて、アレクサンドロス大王は馬に乗り長槍を右手に水平にもってダレイオス3世を見つめています。いったい、どの戦場の場面を描いたものかという問いを自らに投げかけ、どの戦場のものでもない、想像上のものだというこたえを示しています。
 この本ではアレクサンドロス大王の軍隊の強さが図解されています。たとえば、重装歩兵密集部隊です。長さ5.5メートルの長槍を前4列の兵士が前に倒して前進します。後ろ4列は槍を立てて続きます。これで8列の方形をつくったり、16列の楔形(くさびがた)隊形をつくったりして前進するのです。徹底した集団訓練なしにはできない戦法です。
 そのうえで、3つの会戦について、戦闘開始前と途中の両軍の位置を図示しながら解説していますので、とても分かりやすくなっています。
 たとえば、アレクサンドロスの軍隊が川辺で待ち構えているペルシア軍を打ち破ったとき、まずは少数の先発部隊を送り出し、それ惨敗する。しかし、それによってペルシア軍の戦列を乱す効果を上げる。だから、そこを本隊が攻撃する。このようにして不利な条件をカバーしたというのです。
 アレクサンドロスは味方の少数の部隊をおとりにしてペルシア軍をおびき寄せたり、奇襲をかけたし、天才的な用兵を示しました。図入りですから、よく理解できます。
 ダレイオス3世との最後の決戦の様子も図入りで詳しく解説されています。ダレイオス3世が夜襲を恐れてペルシア軍兵士を前夜、武装して立ったまま待機を命じ、兵士が戦闘意欲を喪っていった様子も描かれています。そして、映画「ベンハー」にも出てくる鎌付き戦車については、威力を示させないように工夫したというのです。すごいものです。
 ただ、当時、やっと26歳になったアレクサンドロスにも弱点はあったとも指摘されています。たとえば、戦場から逃げるダレイオス3世を捕まえようとわずかな兵を率いて深追いしたことです。
 さらに、映画「アレキサンダー」にも後半で、現地ペルシア人高官を登用したり、兵士として採用したりして、一緒にたたかってきたマケドニア人将兵から反発を呼んだというのも事実でした。やはり異民族を支配するというのは昔も今も一大難事なのです。
 アレクサンドロス大王の実像そして虚像について素人なりによく理解できました。

夏目金之助、ロンドンに狂せり

カテゴリー:未分類

著者:末延芳晴、出版社:青土社
 下の娘が今春、大学生になりました。大学生への読書のすすめのなかで、夏目漱石をあげている学者が何人かいて、漱石って、今でも日本の若者にとって必読文献なんだなと、自覚させられました。もちろん、私も高校生のとき、また大学に入ってからも漱石はかなり読みましたよ・・・。
 この本は、漱石がロンドンに留学したころを取りあげています。漱石はロンドンでノイローゼに陥り、知人から「ついに狂った」と言われたほどでした。
 漱石がロンドンに着いたのは1900年(明治33年)10月28日。今から105年ほど前のことです。33歳でした。イギリスが南アフリカで戦い(ボーア戦争)、その義勇兵の帰還を歓迎する大パレードがくり広げられているさなかのことです。
 漱石は単身イギリスに渡りました。妻の鏡子24歳は日本に残しました。鏡子は早起きが大の苦手。朝、夫が出勤してもまだ目が覚めなかったそうです。その鏡子は熊本の白川に投身自殺を図ってもいます。
 漱石はイギリスに渡る前、人間は外見が大事だという考えから、東京・銀座の森村組で最高級のスーツを新調しました。
 漱石は、巧みな英会話を披露できるほどの能力はありました。決して英語が話せなかったというわけではありません。ただ、キリスト教には警戒し、入信はしませんでした。キリスト教に疑いをもっていたからです。
 漱石の顔には、あばたが残っていて、本人もかなり気にしていたようです。心のトラウマだったと指摘されています。あばたに起因する屈辱感があったというのです。
 ところで、漱石は、初期の漢文体から最後の完全言文一致まで、一番過激に文体を変えていった作家といってよい、とされています。こんなこと、はじめて知りました。
 当時、ロンドン在住の日本人は、駐英公使もふくめて30人ほどしかいませんでした。
 日本人は部屋代の支払いがよく、きれいに生活しているので、ロンドンの家主から歓迎される存在でした。漱石もロンドンでの留学生活をはじめて半年間ほどは、それなりに楽しんでいました。ところが、そのあとは下宿に引きこもりがちになりました。文部省給費留学生として、支給される学費があまりに少なかったため、外出や付きあいを控えざるをえなかったのです。下宿籠城主義だと自称しました。
 帝大英文学科卒業という肩書きをもっていた漱石は、ロンドンで、それがいかに空虚なものにすぎないか十分に自覚していました。ところが、その後、神経衰弱に陥って下宿から一歩も外に出れなくなったのです。
 漱石をもう一度読んで、ついでに青春の日々を自分のなかによみがえらせたい、そう思いました。

宮澤喜一回顧録

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著者:御厨 貴、出版社:岩波書店
 自民党の元首相が何を言うのか、あまり期待もせずに読みはじめましたが、意外や意外、戦前から戦後、そして現代政治について、かなり思い切って裏面も紹介しながら語っていますので、面白く読みとおしました。たとえば、宮澤元首相は憲法9条を変える必要はないと言うのです。これには私も、まったく同感です。
 現に自衛隊が50年いる。それは事実だ。でも、だからといって条文そのものを変える必要はないだろう。いま誰も自衛隊をやめろと言っているわけではないし、そうかと言って、わが国は外国で武力行使をしてはいけないということは多くの国民が承認していることなのだから、なにも憲法9条2項を変えなければならないことはないのではないか。9条を中心に改正することは入り用のないことだ。
 同じく、宮澤元首相はイラクへの自衛隊の派遣についても批判的です。
 イラク戦争は、かつてのアメリカではありえなかった先制攻撃をしかけたもの。ところが、大量破壊兵器はなかったし、9.11とイラクに直接の関係のなかったことが明確になった。そして国連の安保理事会で多数の賛成を得ることなく、ブッシュ政権が先制攻撃をかけた。このような問題のあるブッシュに対して、小泉首相は少し踏みこみすぎたのではないか。ブッシュはネオコンにひっぱられている。そこに、イギリスのブレアほどではないが、小泉首相がコミットしていることに少し不安をもつ。日米安保条約はたしかにある。しかし、だからといってここまでアメリカに踏みこみすぎることがいいのかどうか。
 幸い自衛隊はこれまで攻撃を受けずに仕事をしているからいいようなものの、実際には宿営地の外へ出て、思ったほど仕事ができているわけではないし、場合によってはいつゲリラの攻撃を受けるかも分からない状況におかれている。いま武力行使はしていないが、何者かに襲われたら正当防衛せざるをえない。そのとき死んだとか殺したとかいうことになりかねない。そいう立場に自衛隊を置くことを日本の憲法は果たして想定していただろうか。やや疑問を持っている。
 小泉首相についても危ないという不安感が拭えないようです。次のように語っています。
 小泉首相の政策を徹底していくと従来からの自民党の支持基盤そのものが崩されることになる。自民党は既存の現役候補者をかかえているので新人が出ない。民主党の方が出世の早道になっている。官僚出身も民主党に行く人が増えている。民主党は、私にいわせるとやや仮面をかぶったまま、政権交代が可能な政党としてのイメージを獲得していくのではないか。自民党は公明党にかなり寄っかかっているところがあるので、民主党はいいところまで伸びていくのではないかと予測している。とくに小泉改革が本当に成功していけば、自民党が立っている基盤そのものがかなり緩むので、これは思わぬ展開をしないとも限らないと感じている。
 宮澤元首相は、日本がこれだけ経済大国になって、安全を他国に依存しているだけでいいのか、今後もアメリカ頼りでいいのか、という点も問題提起しています。ただ、自主独立をとるべきだという強い主張でもないようですが・・・。
 内閣の閣議なんて、実は議論する場なんかじゃない。このように率直に紹介されているのも驚きでした。なるほど、言われてみればそうなんでしょう。前日に開かれる次官会議ですべて決まっていて、それを承認するだけのセレモニーなんですね。
 アメリカとの単独講和について、反対する人がいるけれど、当時はあれしかなかったんじゃないかと開き直っています。うーん、そうかなー・・・。私は動揺してしまいました。また、日米安保条約に反対する運動についても、あれは中味のない騒ぎだったと、一言のもとに片づけられています。そうはいっても、日米安保条約のもとでアメリカの横暴さはますますひどくなっていると思うのですが・・・。
 戦争を体験した70歳以上の自民党長老に戦争反対の声が強いのは頼もしいのですが、戦争を知らない30代、40代の政治家にいかにも「勇ましい」好戦派が多いのは困ったことです。いったい自分とその家族が率先して外国の戦場、たとえばイラクへ出かけるとでもいうのでしょうか。もちろん、私は戦場へ行きたくないし、子どもたちにも行かせたくなんかありません。

アメリカCEOの犯罪

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著者:D・クィン・ミルズ、出版社:シュプリンガー・フェアラーク東京
 ハーバード、ビジネス・スクールの教授がアメリカ企業の実態を暴き、皇帝CEOとそれを支える取締役会、会計士そして弁護士の犯罪性を厳しく糾弾した本です。日本の監督法人と企業内弁護士も胸に手をあてながらぜひ読んでほしいと思いました。
 まず、CEOたちが権力の乱用をはじめた。それに会計事務所や弁護士そして投資銀行が投資家の信頼を裏切って加担した。銀行家やアナリスト、ブローカーは組織的な詐欺をしなければ投資ビジネスで裕福な生活はできない。ところが、投資家が貪欲だったから騙されたなどと嘘をついて自己弁護している。 CEOにストック・オプションが与えられるようになってから、会社の株価が上がるとストック・オプションによってCEOに莫大な富をもたらすことから、CEOはどんな手段をつかってでも、株価を引き上げたいという強い誘惑にかられるようになった。それは、たとえ会社が破綻し、株主が貧乏になろうともだ。売り上げと利益を水増しし、株価を急速につり上げるためには詐欺も働く。取締役会も株主を裏切ってまでCEOのために行動する。そして、その裏切りは寛大な報酬ないし退職金で報われる。
 CEOの冷酷さが表面化したのは1990年代になってからのこと。1990年から2000年に、CEOに支払われた報酬は511%増加した。それに反して、一般労働者に支払われたのはわずか37%増だった。CEOの報酬と一般労働者の賃金との比率は1980年に55対1であり、1990年に130対1であったが。2000年にはなんと580対1にまでなった。
 かつて会計士は、公正な帳簿管理者たらんとした。しかし、1990年代には、ゲームのプレーヤーになった。会社が債務を投資家の目から隠すのを手伝ったり、CEOが大金を懐に入れる手伝いをするようになった。会計は相当厳格な規律にもとづくものと世間で思われているが、実は裁量の幅は大きい。しかも、会計事務所はコンサルティング業務でもうけようとして、監査をCEOに甘くした。大手企業は監査法人に対して、監査手数料の3倍をコンサルティング・サービスの手数料として支払っている。
 弁護士も、かつては自らを企業の良心の守護者だと思っていた。しかし、弁護士も、日常的に、法律違反が明らかになるような情報をいかに当局に隠すのかをアドバイスし、テクニカルに合法だと思われるように仕立て上げるようにアドバイスしている。法律をいかにしてねじまげるかに弁護士も頭をひねっている。だから、投資家や株主が会社の顧問弁護士によって守られることは期待できない。大変厳しい指摘がなされています。日本の企業内弁護士は大丈夫でしょうか・・・。
 メリルリンチのような投資会社やアナリストたちは、内輪では二束三文、くだらない最低のものと見ていた会社を投資家に「買い」だと推奨していた。今や投資家はアナリストを信頼すべきではない。そのうえ、CEOには失敗しても巨額の報酬が与えられる。会社の業績が悪くても、会社が倒産しても高額の退職金(ゴールデン・パラシュート)をもらえ、オプションの現金化が認められている。
 ビジネス・スクールは、大学を卒業して実社会で数年のあいだ経験を積んで入学するから、平均は26歳である。彼らは、20年間働いて大金持ちになり、ヨットで楽しむことを目ざしている。倫理講座なんて必要ない。金もうけして何が悪いのかという雰囲気がビジネス・スクールにはある。
 何だか心が寒々となってくる本です。こんな状況のアメリカを日本がお手本にしてよいとはとても思えません。いかがでしょうか・・・。

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