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2005年5月 の投稿

野鳥を呼ぶ庭づくり

カテゴリー:未分類

著者:藤本和典、出版社:新潮選書
 わが家にやって来る野鳥は、キジバト、スズメ、ヒヨドリ。この連中が常連です。キジバトには毎朝エサを与えています。麻の実が大好物です。エサをやるのが遅いと、わざと近くにやってきて、私からよく見えるところでウロウロしています。番いのキジバトが毎日食べていますが、たまに3羽目がやって来ると、たちまちケンカが始まります。結局、3羽目は追っ払われてしまいます。丸々と太り、いかにも肥満気味のキジバトになっているのが申し訳ないという気分です。毎日エサを与えても、手乗りとまではいきません。お隣りの奥さんには肩にとまったりしていますが、私には1メートル以内の接近は絶対に許してくれません。
 スズメはわが家の軒下に巣をつくっていますが、ハトと違って警戒厳重で、私を見ただけですぐに逃げ出します。いつも20羽近くがやかましくチュンチュンさえずっています。ヒヨドリも甲高い声を出しながら飛びまわり、うるさいほどです。植物の実は食べませんので、キジバトのエサには近づきません。私がときどきミカンやリンゴを桜んぼの木の枝に差しておくと美味しそうに食べています。サクランボが色づくと、あっというまに食べ尽くしてしまいます。ちょっと前までは私と競争していました。サクランボの実は色はとてもいいのですが、甘さがもうひとつ、なのです。それで3年前から競争はやめてヒヨドリのエサにしています。甘く色づくまではヒヨドリも食べません。酸っぱい夏ミカンのようなものもヒヨドリは食べません。リンゴも切ったばかりのものは固いし、甘さが足りないようで、少しやわらかくなったところでヒヨドリはついばみ始めます。このときは、私が1メートルほど近くに寄っていっても逃げません。それほど美味しいのでしょう。
 リンゴやミカンを木の枝に差しておくとメジロもやってきます。目のまわりが白いので、まさにメジロです。梅の花が咲いたときにも蜜を吸いにやってきます。メジロは周囲をすごく気にしていかにも気ぜわしく蜜を吸います。キジバトほど大きくはありませんが、スズメをひとまわり大きくしたツグミもやって来ます。こちらは虫を食べています。庭をチョンチョンチョンと跳ぶようにしてかけまわって虫を食べています。
 庭仕事をしていると秋から冬にかけてはジョウビタキがやって来ます。ほんの1メートル先あたりに止まって、尻尾をチョンチョンと上下させ、ジッジッと挨拶してくれます。とっても可愛らしい鳥です。虫を追うというより、人間の顔を見て、「何してるの?」と覗きこむ感じなのです。
 白と黒のツートンカラーのカササギが、うるさい声を出しながらすぐ近くを飛びまわっています。朝鮮半島から日本に渡ってきたというのですが、ドイツでも見かけました。近くの電柱の上に大きな巣をつくっています。そのうち九電の職員にとり払われてしまうのかと心配しています。こちらは肉食です。先日は、ツグミみたいな鳥を2羽のカササギが路上で騒々しく食べている現場を目撃してしまいました。
 わが家の庭のすぐ下は田んぼです。スズメの大きさで黄色い小鳥たちの群れが一斉に飛びたつのを見かけました。カワラヒワです。太く白いくちばしをもっていて、雑草の種子を食べるそうです。
 春になると姿を見たことはありませんがウグイスがやってきます。春一番は、いかにも慣れず下手な歌です。でも、だんだん歌はうまくなっていきます。私はいつもトイレの窓からウグイスの鳴き声を楽しんでいます。
 この本によると、シジウカラは、1年間で12万5000匹の毛虫を食べるそうです。すごいものです。野鳥が来ると庭も生き生きしてきますし、何か人間まで楽しい気分になってくるのです。毎日のエサ代も、そう考えたら安いものです。野鳥が伸び伸びと遊ぶ庭づくりを私も目ざしています。そのつもりで、庭の木に巣箱を2つくくりつけてみたのですが、2年近くになるのに、どちらも利用してくれません。よく見えるのを嫌ったのでしょうか・・・。残念です。

北海道警察の冷たい夏

カテゴリー:未分類

著者:曽我部 司、出版社:講談社文庫
 なるほど、題名のとおり背筋がゾクゾクしてくるほどの冷たさを感じます。今や北海道はロシア・マフィアに実質的に支配されているのも同然だとされているのです。ロシア・マフィアはパキスタン人を配下として日本から盗難車をロシアに密輸出し、また、大量の覚せい剤を密輸入しているというのです。北海道の暴力団はロシア・マフィアの非合法ビジネスに組み込まれ、密漁カニ、拳銃、売春・・・何でもありの世界になっている・・・。
 道警の稲葉警部の事件を、この本によって詳しく知ることができました。事実は小説より奇なりとは昔からよく言いますが、まさしく、そのとおりです。警察庁登録50号事件というのがある。南アフリカから、ブラジル製のロッシーという拳銃が800丁も日本に輸入されたことを警視庁が察知した。1996年のこと。公安委員会の許可を得て、警察庁を中心として千葉県警、警視庁、北海道警による合同捜査がすすめられた。そのとき、関東に面の割れていない道警の稲葉警部が抜てきされて、暴力団員になりすまして潜入捜査にあたった。元暴力団幹部と組んで囮捜査をすすめていった。ところが、稲葉警部の耳がフラワーになっているのに気づいた相手の暴力団員が怪しみ、稲葉警部の耳に拳銃をあてて引き金を指にかけた。その場は、元幹部が言い逃れを言ってなんとか切り抜けたが、小便をちびるほどの恐怖だったとあとで感想をもらした。
 結局、この捜査は失敗し、800丁のうちわずか8丁の拳銃を摘発しただけで終わってしまった。この失敗から、稲葉警部はスパイ(S)を大切に運用するしかないと確信し、また、警察という組織にも不信感を抱いたというのです。耳がフラワーになっているという言葉を初めて知りました。柔道で鍛えると耳の軟骨が慢性的に潰れてしまい、耳全体が分厚く膨れている状態をさすのだそうです。今度、警察官の耳をじっくり観察することにしましょう。
 稲葉警部は借りていたマンションが9部屋、所有物件が4ヶ所。ハーレーダビッドソンを3台も所有。ポルシェにも乗って、愛人は3人。そのうち1人は同僚の警官(24歳)。そんなお金がどこから出てくるの・・・。そんな生活を何年間もしていました。上司の覚えがよかったからできたことです。ところで、稲葉警部は今や刑務所生活ですが、彼を部下として利用してきた歴代の道警の銃器対策課長はみな出世して、現在も道警の幹部のままです。稲葉警部が7年間で100丁の拳銃を押収などした成果をチャッカリ我がものとし、邪魔になった稲葉警部を切り捨てて平然としている。なんと恐ろしいことでしょう・・・。すさまじい腐臭が遠く九州まで漂ってきました。
 これは北海道警だけの問題ではない。赤いオビにそう書かれています。まさしく言い得て妙です。なんとかしてくれよ。そう叫びたくなりました。熱いお茶でも飲んで気分をとりあえず安めることにしましょう・・・。だけど、これは決して忘れることはできない深刻な日本警察の現実です。日本って、こんな国だったんですね・・・。ああ、やだ、やだ。これは寅さん映画に出てきていたタコ社長のせりふです。でも、感嘆にあきらめるわけにはいきません。日本警察の民主化をすすめたいものです。

その後の慶喜

カテゴリー:未分類

著者:家近良樹、出版社:講談社選書メチエ
 徳川幕府15代将軍・徳川慶喜が死んだのは大正2年(1913年)11月のことでした。明治天皇が死んで1年以上たってのことです。77歳の天寿を畳の上でまっとうしたのです。明治維新になってからは、ずっと勝海舟の監督の下におかれていたそうです。それでも、大正までも生き延びていたことに驚きました。もちろん、政治的な活動は一切許されていません。ですから、ずっと趣味の世界に生きていました。
 徳川慶喜は、鳥羽・伏見の戦いに負けると、たちまち部下を捨てて敵前逃亡し、江戸へ逃げ帰りました。ですから、幕府の心ある将兵は、みな将軍慶喜のことを、賢明かもしれないが、果断とは無縁の、ただ自分自身と徳川家の保身をのみ図る臆病者と見限っていました。
 慶喜には「豚一」というあだ名があったそうです。これは、将軍になる前から洋食を好んで食する一橋という意味です。つまり、新しいもの好きで、タブーをもあまり恐れない人間であったということでもあります。慶喜は思いたったら、すぐに行動しないと気がすまない性格でもありました。
 慶喜の子は10男11女います。末子は明治21年に生まれた10男です。この子たちは、植木屋、米屋、石工など、普通の庶民に里子に出しました。庶民の子に子どもを預けた方がたくましく育つだろうという見込みのもとです。といっても、やはり、慶喜が身分格差を重視していなかったことの反映でもあります。
 慶喜の好奇心は並はずれたものがありました。人力車、自転車、電話、蓄音機、自動車などを、いち早くとりいれてつかっているのです。そして、政治的にも社会的にも活躍できなかったこともあって、多彩な趣味の世界にいりびたりました。銃猟、鷹狩、囲碁、投網、鵜飼い、謡い、能、小鼓、洋画、刺しゅう、将棋・・・などです。身体を動かすのを好み、読書(学習)は性にあわなかったそうです。
 慶喜を30年間も静岡に押し込めていた張本人は、勝海舟でした。ひゃあー、勝海舟って、将軍様よりも実権を握っていたのかと不思議な気持ちになりました。
 東京帝大法科を卒業した息子から社会主義についてのレクチャーを受けることもあったようです。大逆事件を報道する新聞を隅から隅まで読み、貴族階級の没落を予想したといいます。将軍の座を追われた慶喜が、平凡ではあるけれど、意外にも充実した人生を過ごしていたことがよく分かる本でした。

夏の椿

カテゴリー:未分類

著者:北 重人、出版社:文芸春秋
 江戸時代を舞台とした時代小説。神田川に舟が浮かび、川岸にはしだれ柳が風を受けて揺れている。そんな情景をふつふつと思い描くことができます。
 江戸時代にも地面師がいました。今でいう地上げ屋のことです。貧乏長屋の住人が邪魔なので、浪人をつかってなんとか追い出しを図ります。
 幕府経済を動かしていたのはお米。その米問屋の不審の筋が見えてきます。高利貸しまがいのことをしては、狙った地面を取りあげて利を図るというのです。
 江戸の町人と長屋に住む人々の生活を背景に、殺人事件の謎を周乃助が足を運んで解きほぐしていきます。そこに襲いかかる剣の達人。その素性は何か・・・。
 時代劇に大型新人登場とオビに書かれています。人情物というより、探偵の謎解きという感もありますが、なかなか読ませます。

インチキ科学の解読法

カテゴリー:未分類

著者:マーティン・ガードナー、出版社:光文社
 尿療法というのがあります。知っていますか? 朝、起きがけに自分のオシッコをコップ一杯飲むというものです。ええっ、と思いますが、私の知っている弁護士も一時期、その信奉者であり、実践していました(今も、かもしれません)。
 しかし、この本によると、治療に尿素がつかわれているからといって、ヒトの尿を飲んだり注射してもいいなんていう拡大解釈はもってのほか、だそうです。
 フロイト、あの精神分析で有名なフロイトは、重度のコカイン中毒患者だったそうです。そして、その夢理論は実証的な根拠を欠く主観的な推測でしかなかった。睡眠中にテープを聞くのに学習効果があるというのはまったくの嘘。レム睡眠の目的は、シナプスの偶発的な接続を減らすことによって、不要な記憶を消すことにある。そのランダムな処理過程が、必然的に奇怪でナンセンスな光景を捏造するだけなのだ。
 「エホバの証人」は、1914年にハルマゲドンが始まり、あらゆる国々が破壊されたあとに神の王国が建てられると唱えていた。その年が何事もなく過ぎると、その予言の日が1915年へ、さらに1918年に延ばされた。そして、その予言が失敗すると、1975年を再臨の年に選んだ。今では、「その日」を予言することはしていない。
 インチキ科学は日本でも依然として大流行しています。信じる者は救われるといいますが、その流す害毒の方は小さくありません。目を覚ますきっかけになりうる本だと思います。

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