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2005年4月 の投稿

いま弁護士は、そして明日は?

カテゴリー:未分類

著者:日弁連業務改革委員会、出版社:エディックス
 司法試験の合格者が3000人になるときが間近に迫っています。私のころは500人でしたから、6倍です。今2万人の弁護士が、やがて3万人となります。「目標」の5万人となるのも遠い将来のことではありません。いったい、そんな状況で弁護士はどうしたらいいのか、弁護士会の役割はどういうものになるのかを考えた本です。
 統計でみると、平均的な弁護士の売上(粗祖収入)は年3800万円ほど。中央値は年2800万円です。経費を差し引いた所得は平均1700万円、中央値1300万円です。なるほど、そんなものかもしれないなと私は思います。もちろん、億単位の収入の弁護士も東京や大阪あたりでは少なくないのでしょうが、1000万円以下の所得しかない弁護士がかなりいることも間違いありません。
 東京などでは弁護士の専門分化がすすんでいるのかもしれませんが、全国的には、まだまだ小さな百貨店で、なんでも扱いますという弁護士が多いと思います。企業や自治体そして官庁に弁護士の資格で働いている人も、いるにはいますが、両手で数えられるほどです。九州・福岡では片手ほどもいないのではないでしょうか。いえ、決してそれがいいと言っているのではありません。
 私自身は、「地域弁護士」として今後とも生きていくつもりです。自分のことはともかくとして、弁護士がもっともっと多方面の分野に進出したら、もう少し日本もましな国になるのではないかと期待しています。あまりにも「法の支配」というのがないと思うからです。その意味では、このところ政治家になる弁護士が少ないのも気になります。とくに革新の側で激減していますが、なぜでしょうか・・・。
 日本がいつもお手本としているアメリカでは、弁護士の商業主義に対して繰り返し警告がなされているそうです。日本も、いずれそういう時代が来るものと思います。ますます多くの若手弁護士が弱者の人権救済に生き甲斐を見出すより、大企業の法務顧問として丁々発止の交渉に魅力を感じる。そんなビジネスローヤーを目ざしているという実情があります。団塊の世代である私などは、企業や組織に絶対忠誠を誓ったところで、報われるものは少ないと冷ややかに思うのですが・・・。これも、長年の弁護士生活のなかで、何事も疑ってかかることが習い性になっているからかもしれません。
 法科大学院の授業が始まっています。司法試験と無縁の人権課題の講義のときには耳栓して、試験勉強の内職をしているという話も聞こえてきます。
 企業合併やマスコミなどの陽のあたる場所だけが弁護士を求めているわけではありません。名も知れぬ多くの国民が人権をふみにじられている現実があります。そこに弁護士として関わって、何らかの役割を果たせたら、なによりの生き甲斐になる。そういう感覚の弁護士が大量にうまれることを願っているのですが・・・。
 弁護士会については、どこでも会長になりたい人はたくさんいても、実働部隊である副会長のなり手がなくて困っているという話があります。若手(といっても弁護士10年以上のベテラン)が、雑巾がけの苦労をしたくないということのようです。困った現象です。
 弁護士の明日を考えるうえで、いろんなヒントを与えてくれる本でした。

ノモンハン

カテゴリー:未分類

著者:アルヴィン・D・クックス、出版社:朝日文庫
 1939年5月から8月にかけて当時の満州国とソ連との国境付近で起きたノモンハン事件、ロシア側の呼び方ではハルヒンゴール(ハルハ河)紛争は、今や多くの日本人に忘れ去られています。日本に住んだこともあるアメリカ人の学者によるノモンハン事件戦の本格的な研究書です。のべ400人もの日本軍関係者にインタビューしたとあって、臨場感にあふれる戦史となっています。文庫本で4巻あります。
 できたばかりの第23師団の師団長となった小松原道太郎中将は、このとき53歳、ロシア駐在武官の経歴をもってロシア語に通じ、日本陸軍有数のロシア通とされていました。
 ノモンハンでは、日本とソ連の双方の戦車群が対戦しましたが、日本の戦車砲は射程においても、破壊力においても、装甲貫通力においても、ソ連軍のBT戦車とT26型戦車に比べて、格段に劣っていました。日本軍の戦車73両のうち、44両(6割)がたちまち行動不能にさせられました。日本軍の戦車は中戦車で時速25キロ、軽戦車で45キロだったのに対して、ソ連軍の戦車はキャタピラのとき時速50キロ、車輪だったら80キロ近くで走れた。しかも、日本軍の戦車は故障が多く、装甲板はほとんど効果がなかった。
 ソ連軍の狙撃兵は800メートルの距離から狙って優秀だったが、日本軍の方は照準鏡の倍率が3分の1しかないため300メートルに近づかなければ射てなかった。
 日本軍は射撃技量や訓練を自慢していたが、ソ連軍の方がはるかに大砲の数が多くはるかに優秀な重砲をもっていて、弾薬の補給もぜいたくだったし、効果的に機敏に移動する能力を備えていた。日本軍が1万発うてば、ソ連軍の砲兵は3万発をお返しした。標定技術もソ連軍の方がはるかに秀れていた。
 日本軍はノモンハンでの惨敗をひた隠しにして、そこから何の教訓も引き出そうとはしませんでした。敗戦の責任は現地の将兵に全部押しつけてしまったのです。ノモンハンの敗因のひとつに、当時、ソビエト赤軍の大物スパイであったゾルゲが東京で日本支配層の意向を探知し、現地の関東軍とは異なり、日本軍の上層部が不拡大方針をとっていたことをソ連に通報していたこともあげられています。
 日本軍の人的損害は5万人ほど、戦死者は2万5千人にものぼります。たとえば、小松原中将の指揮する第23師団は戦死30%をふくめて76%の損失を蒙っています。しかも、大隊長以上の幹部将校は82%の損失率となっています。最前線の将校の損耗率がきわめて高いのが特徴でした。
 将兵は生きて虜囚の身となるなかれという不文律にとらわれており、このため日本軍の犠牲が大きくなりました。また、軍旗を守れという意識からも犠牲者が続出しています。不幸にして捕虜となり、生きて送還された将校には自決用の拳銃が渡されました。ところが、軍の最上層部は責任を問われることはなかったのです。
 若手の将校は、俺は不死身だと言いつのって身をかがめることもなく壕の上に立っていることが多く、そこをソ連の狙撃兵に狙われて次々に倒されていったという話が紹介されています。いかに狂信的な将校が多かったことがよく分かります。
 日本軍は、ソ連軍を日露戦争のときのロシア軍と同じとみて馬鹿にしていたようです。簡単に蹴散らせるなどと軽く考えていて、ソ連軍が実際には人員も武器も増強されているのに、逆に戦線から早くも撤退・逃亡しているなどと根拠のない楽観論に支配されていました。精神論で戦争に勝てるものと思っていたわけです。
 日本軍は単なる国境紛争としてごまかしましたが、実際には関東軍とソ連軍ががっぷり四つに組んでたたかわれた近代戦であったことが、この本を読むとよく分かります。それにしても日本軍の指揮命令と兵站活動のお粗末さ加減には腹が立ってくるほどです。
 大勢の有為な日本青年が次々と戦死させられていく状況がことこまかく描かれていますので、さすがの私も、いつものように飛ばし読みすることはできませんでした。
 ノモンハンでソ連軍の実戦力の強さと敗因をきちんと分析していたら、あとの展開もずい分と変わっていたのでしょう。でも、戦争という異常事態のもとでは、声の大きい者が何の根拠もなくのさばるようです。嫌になってしまいます。戦争も軍人も、殺すのも殺されるのも、私は嫌いです。
 かつて日本軍が中国大陸で何をしていたのか、現代日本人は忘れていますが、被害者となった民衆が60年たったくらいで忘れるはずはありません。最近の中国での反日暴動を見るにつけ、日本政府は過去の誤りをきちんと正さなければいけないと痛感します。

追及・北海道警「裏金」疑惑

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著者:北海道新聞取材班、出版社:講談社文庫
 日本の警察が「裏金」をつくっているというのは今や世間の公然たる事実だ。しかし、公金横領事件という犯罪事実のはずなのに、誰も立件しないし、刑事犯罪とはならない。それもそのはず、警察を指揮・監督する立場の検察庁も同じような「調査活動費」(調活費)疑惑をかかえているので、摘発するのに腰がひけている。マスコミは、いつも警察からネタを教えてもらうので弱い立場にある。権力にすり寄るのが昨今のマスコミの悲しい性(さが)なので、なおさらのこと。そこを敢然と「道新」(どうしん)は乗りこえてしまった。
 この本を読むと、高橋はるみ知事の不甲斐なさ、共産党のみが孤軍奮闘しても道議会が動かないというじれったさを、つくづく感じる。民主党って、自民党とまったく同じなんだね。そう言えば「野党」と呼んでほしくないって言ってたっけ・・・。
 でも、真面目な警察官は、きっと怒っていると思う。福岡県警はどうなっているのだろう・・・。『うたう警察官』(角川春樹事務所)は、この本を推理小説に仕立てあげたような本。どちらも面白いけれど、読んでいるとムラムラと腹が立ってくる本でもある。それが嫌になるけれど、目をそむけるわけにもいかない。あー、いやだ、いやだ。これは寅さん映画に出てくるタコ社長の口癖だったかな・・・。

死との対話

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著者:山田真美、出版社:スパイス
 とても信じられないような話のオンパレードです。何もかもびっくり驚天です。
 ヒンドゥー教のお葬式は、わずか5000円の費用しかかからない。5000円は何かというと、死体を焼くための薪の値段。棺桶も霊柩車もお墓も骨壺も不要。戒名なんて日本独特のもので、中国にもない風習。
 ゾロアスター教は鳥葬で有名だが、最近は、ハゲタカが激減して、成りたたなくなっている。チベットとの国境に近いインドの奥地では昔から薪が十分にないため、死体を細かく刻んで川に撒いて魚に食べさせている。
 男女ともに日本で自殺率が一番低いのは四国の徳島県。理由は5つある。自己中心的で信仰心が強く、遊びに寛容で大食漢。そして女性は内助の功が得意。つまり、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損、損という県民性は、リオのカーニバルで踊り狂うブラジル人に似ているということ。
 それにしても、ここに紹介しませんでしたが、インドのすさまじい状況は、ますます私に行く気を喪わせました。路上に死者がゴロゴロしていて、つまづいてころんだときに下を見たら死体だったなんて、私にはとてもとても耐えられそうにありません。

眞説・光クラブ事件

カテゴリー:未分類

著者:保阪正康、出版社:角川書店
 戦後まもなくの1949年11月25日、現役の東大法学部生が社長をしていた光クラブが行き詰まり、山崎晃嗣社長が服毒自殺した。このことは私も知識としては知っていましたが、この本を読んで、少し状況が分かりました。
 27歳で現役の法学部生というのはどういうことかなと不思議に思っていましたが、彼は戦争帰りなのです。北海道の旭川で陸軍主計少尉として終戦を迎えています。ところが、山崎は横領罪で逮捕され、刑務所に3ヶ月間勾留されています。判決は執行猶予でした。
 東大に復学してから山崎は猛勉強し、20科目のうち17科目で優、残る3科目は良をとりました。すごい成績です。ちっとも自慢になりませんが、私は大学時代に優をとったことがほとんどありません。せいぜい良、たいてい可ばかりでした。単位不足のため、あやうく卒業できないという寸前の状況でした。
 三島由紀夫が山崎と同じころに東大法学部にいて、山崎をモデルとして『青の時代』という小説を書いているそうです。どちらも11月25日に自殺しているという共通点がありますが、2人ともクラス内に友人がほとんどできなかったという点も似ていました。
 山崎は、今でいうヤミ金融のはしりです。派手に広告をうってお金を集め、お金を貸していました。ヤミ金融がいかに綱渡りの存在であるか、山崎は自殺ということで証明してしまいました。でも、今のヤミ金融の連中は簡単に自滅しそうもありません。

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