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カテゴリー: 韓国

辺境から中心へ

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 文在寅 、 出版 実業之日本社

 文在寅回顧録、外交安保編というサブタイトルのついた面白く興味深い本です。一読して、文在寅元大統領を心から尊敬する気になりました。

ひたすら平和だけを願い、過去の政権の対北政策をグレードアップさせながら、引き継いできた私たちの意思が成し遂げた。アメリカと手をとりあって南北会議の突破口を切り開き、史上初の米朝首脳会議につなげた。

 昔から想像すらできなかったことを成しとげた。その過程は、現在、中断されているが、だからといって悲観し、希望を捨てるわけにはいかない。再び、対話へ局面を転換していかなければならない。再び対話を始めには勇気が必要。平和に対する意思のないところに、平和が訪れるはずはない。

 文在寅は、北朝鮮の体制崩壊と吸収統一を望まないと断言しています。それは、現実問題として韓国に何の利益をもたらさないからといいます。

 北朝鮮の体制が崩壊したら、中国の助けを求める。その結果、中国が北朝鮮の状況を主導することになれば、韓国にとっていいことは何ひとつないし、統一の道もさらに遠のいてしまう、そうみています。北朝鮮を簡単に吸収できると考えるのは、あまりに現実離れした、ナイーブなものにすぎないというのです。考えさせられます。

 文在寅は、日本について、きわめて冷静に、かつ批判的です。日本国民として、その批判があたっていると言わざるをえないのが、本当に残念です。

 日本は本当に度量のない国、これから上昇する国ではなく、下落する国だと強く感じた。非常に了見の狭い外交姿勢を見せる。

 日本の発言は終始一貫、徹底して自国中心的なもので、アジア-太平洋地域のリーダー国家として全体をまとめる観点がまったくなかった。東北アジアのリーダー国家らしく、東北アジア全体の平和と安定を考える観点もなかった。

 アメリカには、チキンホークという言葉があるそうです。臆病なタカ派という意味。実戦経験はもちろん、軍に服務すらしたこともないのに、発言はタカ派で、勇ましいことばかり言う連中のこと。日本にも高市のようにチキンホークそのものが我が物顔で威張っている人たちがいますよね。中国まで届くミサイルを備えたら、中国は屈服させられるなんて考える人たちです。

 ひどい言葉や悪態は、相手を傷つける前に自分自身を傷つける。レベルの低い対北チラシは、韓国民自身を辱(はずかし)める。

 北朝鮮の金正恩とアメリカのトランプはハノイで会談したわけですが、このとき北朝鮮にはベトナムまで飛ばせる専用の飛行機がなかったので、中国の飛行機を借りるしかなかった。これで北朝鮮は中国に借りをつくってしまった。

 金正恩は、会談場所としてモンゴルを提案し、それがダメなら、北朝鮮の海域に空母のようなアメリカの大型船を停泊させてそこで会議することも提案したとのこと。ところが、これはアメリカ側が受け入れなかった。

 2018年9月19日、文在寅大統領は15万人もの北朝鮮の人々の前で演説しました。実に泣かせる演説です。

「私、文在寅は金正恩委員長とともに核の脅威と戦争のない朝鮮半島をつくることにしました。私たちは5000年をともに暮らし、70年を別れて暮らしました……」

 平壌市民の困難を韓国民はよく知っていると激励したのです。同じ同胞としての気持ちを伝えようとしたわけです。金正恩からは、内容や時間について、何ら制限をつけられず、すべてが文在寅にまかせられたとのこと。金正恩には、それだけの包容力はあったわけです。側近が演説原稿を起案したとしても、最後は文在寅が自分の言葉で語ったのが、人々の胸をうちました。このときは、金正恩も文在寅に対して誠意をもって誠実に対応していたのです。それがなくなってしまったことが、読み手の私も本当に残念です。

 今の金正恩は、対話を失い、再び核にしがみつき、敵対視と対決を叫ぶ道に戻ってしまい、南北の敵対関係はさらに増幅している。今、金正恩が見せている姿は、非常に無謀で、危険だ。

 日本にも、このように平和外交を中心にすえて進めていく政治家が本当に必要だと思います。トランプ大統領のそばで、しかも、アメリカの航空母艦の上で飛んだりはねたりするような高市首相の存在は、日本に不幸をもたらすだけでしかありません。

 会話体の文章ですので、とても読みやすく、550頁もの大作ですが、一気に読了しました。ご一読を強くおすすめします。

(2025年12月刊。3630円)

韓国インスタントラーメンの世界

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 チ・ヨンジュン 、 出版 原書房

 インスタントラーメンが日本で生まれたことは有名です。安藤百福(ももふく)は47歳のとき世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明した。NHKの朝ドラ「まんぷく」でその人生が紹介された(私はみていません)。私が小学生のころは、袋入り棒ラーメンでした。そして、カップヌードルを開発した。

 そして、韓国の三養食品が日本に学んだうえで躍進した。そして、農心が「辛(しん)ラーメン」で売り出して逆転した。韓国は、今や世界一のインスタントラーメンの消費国であり、世界中に輸出している。

 現在のラーメンのルーツは、東京浅草の「来々軒」の「支那そば」(1910年)。戦後になって「支那」はまずいので、「中華そば」と呼ばれるようになり、インスタントラーメンの「チキンラーメン」のテレビCMを通じてラーメンというのが全国的に広まり定着した。昔からラーメンと呼んでいたのではなかったのですね……

 私が高校2年生のころ(1965年)、修学旅行で東京に行ったとき、渋谷駅の近くで東京ラーメンを初めて食べたのですが、出てきた黒っぽいスープのしょうゆラーメンを「えっ、何、これ。間違ってうどんが出てきたんじゃないか」と友達と騒いでしまったことを今でも覚えています。ラーメンといえば、白濁した豚骨スープとばかり思っていたのです。

 世界発のカップラーメンは1個100円という強気の値段で売り出した。その価格に納得できるような高級感のある具材として、大きなエビを入れた。なーるほど、ですね。インド洋でとれる「プーパラン」というエビがそんな具材としてぴったりだった。そして、手にもって食べやすく、熱さを感じない素材として発泡スチロールを選びました。

韓国のインスタントラーメンの元祖「三養ラーメン」をつくったのはチョン・ジュンユン。日本の安藤百福に匹敵する存在。日本に渡って、明星食品から企業秘密であるスープの配合レシピまで教えてもらった。そして、1963年9月、ついに売り出した。ところが、3年間は鳴かず飛ばずで、三養工業は赤字続きだった。

三養食品から2年遅れてスタートした農心は、今や韓国シェア1位、世界市場でも5位。「辛ラーメン」で有名。「男を泣かす辛さ。農心辛ラーメン」というコマーシャルで売り出した辛ラーメンは1日あたり300万個を売り上げる。いやあ、大変な数字ですね。韓国の「トシラク」(インスタントラーメン)はロシアで国民食となっている。

2023年、1202億個のインスタントラーメンが世界中で売られている。香港の「国民的なラーメン」は日清食品の「出前一丁」。しょう油味のスープにごま油を加えた味。

 大阪府池田市には「カップヌードルミュージアム」があるそうです。「安藤百福発明記念館」です。1個500円で、オリジナルのカップヌードルが作れるそうです。

何事も初めて開発した人は多大の苦労をし、成功したら、すぐにそれを模倣する人々が追いかけてきます。うかうかしていると、すぐに追い抜かれてしまうのです。

世界中のインスタントラーメン事情を手軽に知ることができる本です。

(2025年11月刊。2420円)

分断八〇年

カテゴリー:韓国

徐 台教(集英社)

韓国で非常戒厳令が突然宣布されたのには驚かされました。

2024年12月3日夜10時27分、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が発したものです。そして、その理由として、国会議員の多くが北朝鮮の意向を受けて動いているというのに呆気にとられました。北朝鮮の影響力が韓国の国会議員を牛耳るほど強いなんて、ありえません。尹大統領は、悪い夢でもみている、正気ではありえないと感じました。

幸い、この非常戒厳令は翌4日午前1時3分に、国会議員190人が解除要求を決議したことで解除されました。その解除に至るまでに、当時の与党の一部議員と野党議員が勇気をもって国会内に入りこみ、また、大勢の市民が国会を取り巻いて、それを支援しました。実にすばらしいことです。

このとき、動員された軍の精鋭部隊も国会内への突入・占拠を命令されたのにもかかわらず実行しませんでした。たとえ、上からの命令であっても、理不尽な命令には無条件に従うことはないという、理性が発揮されたのです。

今、尹元大統領は裁判にかけられていますが、懲役10年の求刑がなされたと報道されました。ところが、今もなお、尹元大統領を支持する韓国人も少なくないとのこと。その人たちは、非常戒厳令の動きをことさら矮小(わいしょう)化する。一連の経過のなかで、死傷者が出なかったんだし、何もたいしたことではないと、軽く考えているそうです。

いやいや、非常戒厳令が本当に施行されていたら、国会機能が停止して、かつての朴大統領の軍部独裁政治が復活するのです。まさしく民主主義が一時的にせよ死滅します。

この非常戒厳令のときに動員された韓国軍は、陸軍の特殊戦司令部所属の第707特殊任務団280人。完全武装でヘリコプターに乗って、国会に乗りつけていた。国会を力ずくで掌握しろというのが尹大統領の命令だった。しかし、現場指揮官は従わなかった。

この本によると、陸軍特殊戦司令官(郭種根中将)は非常戒厳令の2日前に国防長官から行動指示を受けていた。まさしく計画的だったのです。偶発的なものではありません。

韓国軍は、これまで光州事件のときのように、何度も国民に対して銃を向け、発砲したという、怖い実情があります。

韓国と北朝鮮の体制競争は1980年に決着がついている。1945年8月の日本終戦後まもなくは、北朝鮮のほうが韓国より進んでいたことがありました。でも朝鮮戦争のあとは、韓国の躍進ぶりには目を見張るものがあり、今では北朝鮮では、腹一杯食べたい、飢餓したくないなんてことを真剣にまだ議論しているのですから、話になりません。それで、韓国進歩派の主流は北朝鮮に優越感を抱いているのです。

韓国ではキリスト教の信者が多く、教会の牧師たちが、反共を煽りたたせている。韓国は、見違えるほど、成長した。しかし、この80年間、「分断」だけは一貫

して続いている。

北緯38度線での分断をもちかけたのはアメリカであって、ソ連ではない。アメリカはソ連が朝鮮半島を全部とるのは許せなかったし、日本を丸ごとに手に入れたかったから。ソ連としても、満州を獲得できるのならと、アメリカの提案に同意した。

朝鮮戦争は北朝鮮の金日成がスターリンの了解を得て始めたことが明らかになっています。毛沢東はスターリンから押しつけられたようです。中国で国内線に従事した精強な3万7千人もの朝鮮人兵士が北朝鮮にいたこともあって自信満々で韓国に攻め込んだのでした。また、アメリカ軍も500人の軍事訪問国がいるだけで、撤退を完了していたのです。

それでも、国連軍を名乗るアメリカ軍が仁川上陸作戦を成功させてからは、一気に挽回され、北朝鮮軍の特色が濃厚となったとき、毛沢東が参戦を決意したのです。朝鮮戦争の軍人の戦死者は韓国軍14万人、朝鮮人民軍50万人。ところが民間人も莫大な死傷者を出していて、北朝鮮の人口の12%が亡くなったとのこと。大変な数字です。

肝心なことは、武力によっては朝鮮半島は統一できないことが分かった戦争だということです。これこそ日本人も学ぶべき教訓だと思います。いま、「中国脅威」論をあおりたてて大軍拡予算(なんと9兆円)が組まれていますが、あの強大な中国の軍事力に対して、日本が軍事で対抗しようなんて、そもそも発想が間違っています。韓国の「分断80年」から日本も大いに学ぶところがあると思わせる本です。

025年12月刊。2420円)

私たちに名刺がないだけで仕事してこなかったわけじゃない

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 京郷新聞ジェンダー企画班 、 出版 大和書房

 日本も依然として女性労働者の賃金格差は大きいわけですが、韓国もそれは同じです。

 2005年、韓国の憲法裁判所は戸主制は憲法違反だと認定した。それによって戸主を筆頭とする戸籍は廃止され、今では家族関係だけを記載する家族関係登記簿となっている。弁護士にとって、現在の戸籍は相続人を確定するうえでは大変便利なものです。でも、いろいろ知られたくないような個人情報が山盛りなのも事実です。世界中で日本の戸籍だけが突出しているようです。

 年齢(とし)をとってから稼いだお金は、8割は自分のために使うもの。なーるほど、遠慮なく使いましょう。

朝起きて、行くところがあるのは、とても幸せなこと。これを「きょうようがある」と言います。「教養」があるのではなく、「今日、用がある」ということなんです。

 年齢をとってからも働いているのを知ると、「うらやましすぎるわ」と言われることがある。

 ヨーロッパの人々は定年が来るのを楽しみにして働いていると聞きます。定年が来たら年金をもらって、働かずに好きなことだけをして老後を過ごすことが理想なのです。ところが、日本では、定年後も何とかして働きたいという人が多いと思います。もらえる年金額が、あまりにも低いことも、その大きな根拠になっています。でも、それだけではありません。老後に趣味で生きるということがないときには外で働いたほうがマシだという人も少なくありません。

 1954年に生まれた女性は、10代で女工として工場労働をはじめ、20代で母親になり、家事労働を引き受けた。30台に再び工場に戻り、40代でIMF危機を経験して非正規雇用になった。50代からは、清掃や介護、看病などの低賃金の仕事に従事する。60歳すぎた今もなお、彼女たちは働き続けている。

 65歳以上の女性就業者は124万人で、25~29歳のそれの115万人より多い。

 結婚後、家事を担当する主婦は「家の人」と呼ばれる。韓国では、この言葉は差別用語とされているが、今でも多くの男性が妻を紹介するとき、「家の人」と呼ぶ。

 エッセンシャルワーカーの4人に1人は60歳以上の女性だ。清掃員や環境美化員の業界は高齢女性をまるでブラックホールのように吸い込んでいる。

女性だけが仕事と家庭の二者択一を迫られる状況は30年前も、今も、依然として続いている。

 日本の女性も、たくましく生きている人は少なくありませんが、韓国の女性は、たくましい人が日本よりはるかに多い気がします(気のせいでしょうか…)。

(2025年7月刊。2420円)

韓国の人権弁護士、軍事独裁に抗す

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 洪 性宇・韓 寅燮 、 出版 社会評論社

 あまりにも興味深い本なので、読みはじめたら止めることが出来ず、400頁もの大作ですが3日間、没頭して、ついに読了しました。私は読みながら、ここは大事だなと思うところは赤エンピツで傍線(アンダーライン)を引いていくのですが、今回はあまりに多くて、ほとんどの頁が赤くなってしまいました。

 この本は軍部独裁の暗黒期に人権弁護士として敢然と戦い抜いた洪性宇(ホンソンウ)弁護士をソウル大学校法学専門大学院の韓教授が100時間も対談インタビューしたものをまとめたものです。そして、日本文にしたのは、徐勝・立命館大学法学部元教授なので、とても読みやすい日本文になっています。

 苦難の時代を生き抜いた洪弁護士の活動状況をつぶさに聞き出すことによって、法律学は何で生きるのか、人間はどのように生きていくべきかを考えるとき大きな刺激剤になってくる本です。

 洪弁護士はソウル大学法学部を卒業して裁判官を6年つとめました。そしてソウルで刑事地方院の単独判事をしていたとき、司法波動に直面しました。「司法波動」とは、聞き慣れない用語ですが、日本でいう司法反動の嵐に直面したという意味に理解しました。

 部長判事が現場検証で地方に行ったとき、性的接待を受けたことを検察が暴露したことから司法波動が始まりました。韓国では、弁護士が裁判官を接待するのは当然のことで、それをしない弁護士は変な目で見られるのです。今日ではなくなっているとされています(根絶したのかどうかまでは分かりません)。

 裁判官たちは告発した検察に怒りました。検事たちの不正は、法院の不正より、はるかに規模が大きくて多かったのに、検事が判事に尾行をつけて不意打したことに判事たちが怒て、衆議一決、全員が辞表を提出することになったのです。新聞に「刑事法院の判事、集団辞表」というトップ記事になった。

 そのあと、洪判事は本当に法院を辞めて弁護士になった。司法波動のあと、法院に情報部(KCIA)の職員が常駐しはじめた。

 洪判事は、34歳のとき(1971年10月)、弁護士になった。それは、判事の給料が低くて、授業の教員よりも安かったから。家族を養うための辞職だった。弁護士になってからは、一生けん命に仕事して、お金もうけをした。おかげで少し余裕ができた。しかし、毎日酒盛りする生活に疑問を抱き、深刻な後悔心がフツフツと沸き上がってきた。

 1974年、洪弁護士が37歳のとき、民青学連事件が起き、誘われて弁護士となった。民青学連で拘束され裁判を受けた数十人のほか、名前が出ただけで100人をこえた。彼らは1970年代の反維新闘争、民主回復運動の主人公だった。

 すごく恐ろしい事件だった。裁判は、軍事裁判で、民間の法院ではなかった。それは、国防部の建物のなかの法廷。傍聴者は制限された。一審判決は、死刑宣告が7人、無期懲役宣告が7人、ほかの人も懲役20年とか15年…。ひどいですよね。

 公判は週に3回もあった。裁判を終えて自宅に帰った洪弁護士の自宅に捜査官が3人やってきて、連行されて2泊3日で調査を受けた。洪弁護士の法廷での弁論が反共法違反という容疑だった。

 1973年10月、ソウル法科大学の崔鍾吉教授は南山情報部で疑問死した。この民青学連事件に関連して、支援していたカトリックの司教まで情報部が拘束したことからカトリックが立ち上がり、全国的支援運動となった。

1975年4月7日、人革党事件では、大法院で判決が確定した翌朝、8人を死刑執行した。まさか殺すとは思っていなかったのに…。朴正煕は、本当に恐ろしいヤツだと思った。

弁護士として、一般事件は激減し、借金暮しが始まった。

最近になって、民青学連の判決について、法院はお詫びをし、補償している。しかし、当時、弾圧を受けて人生が狂ってしまった人は多い。それでも、彼らの勇気と犠牲によって、韓国が民主化されるきっかけとなったので、彼らの苦労はムダにはならなかった。

 1975年の金芝河(キムジハ)詩人の事件の話もすさまじい内容です。金芝河の自宅にあった走り書きのメモが、「利敵表現物製作のための予備行為」だとして起訴された。ベトナムでアメリカが敗北したころで、「ソウルを死守しよう」という恐ろしい雰囲気の中での裁判だった。拘置所にいる金芝河に良心宣言を書いてもらい、それを外に持ち出すため、少年囚に頼んだ。そして、記者に発表したことで、金芝河は世界的に有名になった。

 このとき、田炳龍という看守が拘置所内で協力してくれたことが明らかにされています。これを読んで、私は戦前の浅草警察署の留置場で布施辰治弁護士の歓迎会が盛大にやられたというのを思い出しました。これも良心的な看守(警察官)が協力してくれたからです。

 金芝河についての最終弁論を弁護士たちは分担して、夜7時から10時まで3時間以上かけて読み上げた。そして、金芝河自身も原稿なして、数時間も弁論した。すごい俳優だと洪弁護士は感嘆した。

 その状況は、有名な「灼(や)けつく喉(のど)の渇(かわ)きで」という詩になっていますが、また歌になって、歌われてもいます。私は横井久美子の歌として聞きました。

 事件を担当する判事は、個人的には、良い人、優しい人間。でも、この種の事件では、いい人も悪い人も関係ない。全部有罪判決しないといけない。法院は、すべて外から言われたとおりの判決した。判決文の犯罪事実は、検事の控訴状の公訴事実と同じ。実は、検察のほうで判決文をタイプして、判事の名前までタイプしていた。いやあ、ちょっと、これは、いくらなんでもひどすぎでしょう…。

 1977年にソウル大学に入学した、本書の聞き手である韓教授は、当時、法の権威が失墜していたから、法曹志望だとか、法学部生であることすら恥ずかしかったとのこと。これまた、驚きます。

 大統領緊急措置では、法官の令状がなくても逮捕・拘禁ができるし、司法的審査の対象にもならなかった。これは、文字どおり白紙刑法。

 1970年代後半、労働運動に対する弾圧もひどかった。東一紡績労組事件では、会社側の男子工が人糞を労働の代議員会場に持ち込んで、女工に頭から浴びせかけた。そこで、女工(労働者)たちは、「私たちはうんちを食べて生きていけない」とスローガンを叫んでいたところ、捕まった。

 1979年10月26日に、朴正熙大統領が暗殺された。1980年初め、「ソウルの春」があったが、1980年5月17日、軍部によるクーデタがあり、それから光州事件(光州虐殺)が起きた。人権弁護士たちのうち、逃げられる人は逃げた。洪弁護士はまたもやKCIAに連行され、2泊3日、調査された。休業届を書かないと釈放しないというので、休業届を書いて釈放された。ところが、弁護士会が休業届を握りつぶしてくれた。

 1980年代半ば以降は、人権弁護士がはるかに増えた。廬武鉉(ノムヒョン)弁護士も加わった。

弁護人の一番大きな役割は、被告たちに勇気を与え、慰めること。弁護士の役割は、拘束状態を免れるようにすることにある。

 「悲しみも怒りもなく生きていく者は、祖国を愛していない」

 一般刑事犯と政治囚・良心囚は違う。弁護士は良心囚の「良心」を保護するという大原則を立てなければいけない。人間として良心を守ると、一般社会人として復帰したときに、一生の誇りになる。節を曲げて出てきたら、一生堂々と出来ない。この違いは重要。弁護士の役割は政治犯たちの所信を守り、その主張を記録として残すことにある。

拷問場所として名高いのが3ヶ所あった。南営洞は警察の治安本部対共分室。西水庫(ソビンゴ)は保安司対共分室。南山(ナムサン)は中央情報部の地下室。南営洞には、取調室ごとにバスタブを設置している。

水拷問は、人を裸にして七星板にしっかり縛る。そして水を口から注ぎこむ。水を1時間も、飲ませると、腹の中のものを全部吐いてしまう。その次、おならが出て、次に便が出る。内臓を完全に水で洗い流すと失神する。この水責めを2回受けたら抵抗する意思を完全に失い、抵抗自体を忘れてしまう。拷問が終わって拘置所に戻ると、自分の喉から水の匂いがしてくるという。

 こんな拷問を受けて、捜査機関の要求するとおりの調書が出来て、検察はそのまま追認する。拷問されたと主張すると、聞かぬふりをするか、まだ拷問の味が分からないのかと脅す。

拷問者は平凡な人々。平凡な人々が恐ろしい拷問を平気でやる。法廷で拷問の事実を暴露しても、判事たちは、聞こえないふりをしてやり過ごす。

 1986年に正義実践法曹会(正法会)を結成した。しかし、非公式組織であり、公開はしなかった。1981年から司法試験の合格者が年300人になった(それまで160人)。1984年から、弁護士が年100人に増えた。そこから若い弁護士たちが大勢「正法会」に入ってきて、メンバーは60人近くになった。

 弁護士は、政治囚に対して、「きみは獄中にいるが、堂々と仕事をしたのだから、きみの所信を守れるように助けます」と言って励ます。信頼と勇気をもって法廷闘争する意思をもち続けるようにするのです。

 女子高校を首席で卒業してソウル大学に入った女子学生が、工場に入って働くことを決意して、別人の住民登録証を手に入れて働いていたのがバレて警察に捕まり、口にするのもおぞましい性拷問を受けた。若い女性を夜中に取調室に座らせて、脱がせたり触ったりしたなんて、想像も出来ない。

 この性拷問を本人が勇気をもって自分の名前を出して告発したので、弁護士9人で、それを支援し告発状を捉出した。ところが、検事は強姦は認められないと不起訴処分とした。もちろん、弁護士たちは不服申立をしたし、世間も沸騰した。この女性は1年1ヶ月の獄中生活のあと釈放され、今では韓国で大学教授となっている。洪弁護士は結婚式の媒酌人となった。

 いやあ、実にすさまじい裁判に関わる体験談です。でも、洪弁護士は本の表紙写真に見ると、好々爺(こうこうや)あるいは村夫子(そんぷうし)然としていて、いかにも安心して頼れる雰囲気です。

私は、この本を読んでいる3日間は、身体の芯から熱いものを感じていました。日本の弁護士でいうと誰にあたるのかな、戦前だと布施辰治だと思いますが、戦後では…、ちょっと思いつきませんでした。戦後の韓国の政治・司法に少しでも関心を持っているのなら強く一読をおすすめします。

(2025年3月刊。3850円)

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