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カテゴリー: 社会

星新一

カテゴリー:社会

著者:最相葉月、出版社:新潮社
 星新一のショート・ショートは私の愛読書のひとつでした。子どもたちが学校で学ぶ国語の教科書にもたくさん引用されているそうですが、とてもいいことだと思います。
 その斬新な発想に、いつもハッと居ずまいをただされる思いがしていました。この本は、その星新一の生涯をたどったノンフィクションです。
 星新一は本名を星親一といいます。昭和20年4月、東京帝大農学部に入学しました。専攻は農芸化学、研究テーマはペニシリンでした。星新一の父親は星一といい、星製薬の社長でした。昭和26年、アメリカのロサンゼルスで急逝し、星新一が星製薬を引き継ぐのですが、結局、すべてがうまくいきませんでした。
 星新一の小説はユーモアというか、ブラックユーモアにみちみちています。しかし、家庭内では、子どもたちに冗談を言って笑っている姿を一度も見せたことがないといいます。
 星一と星新一との空の星をめぐる対話が次のように紹介されています。面白いですね。
 「空の星は、どんなに遠くにあっても、そっちに目を向ければ、すぐに実物を見ることができる」
 「それは違うよ。光の速さは1秒に30万キロメートル。だから、今みている星も、10年前、100年前の姿なんだ」
 「なるほど、見る場合はそうかもしれん。しかし、考える場合はどうだ。いま地球のことを考えている。次に遠い星のことを考える。これには何の時間も要しない。だから、人間の思考は光より速いということになるぞ」
 根底から発想を転換することによって固定観念を覆し、新たな地平に目を向ける。目を白黒させた星新一は、このときの父親の言葉を生涯忘れることはなかった。
 私は高校生のとき、『SFマガジン』を愛読していました。といっても、たいていは買って読んだというより、本屋で立ち読みしていました。そのスケールの雄大さ、発想の奇抜さに毎号、胸をワクワクさせていました。
 星新一は、ショートショートを書くにあたって、次の三つの禁じ手を自らに課していました。一つは、性行為と殺人シーンの描写をしない。第二に時事風俗を扱わない。第三に、前衛的な手法をつかわない。
 なーるほど、そう言われたら、そうなんですよね。
 星新一が、SF仲間内での気のおけない会合での放談を聞くと、この人は、親から、そんなことは言ってはいけません、と叱られたことなどなく、自由奔放に育てられたと思う。そして、それは当を得ていて、実際、星新一の放言は母親譲りだった。
 星新一は強烈な毒舌を吐くけれど、相手を不快にさせない。大ボラを吹くけれど、相手を怒らせたり、からまれたりすることはない。同じホラでも洗練されている。うっかり失言してしまった、というものではなく、高度に自覚的な放言であった。
 星新一の筆記用具は、Bの鉛筆。手の力がそれほどもなく書ける濃くて柔らかい。書き損じた原稿用紙の裏面に、タテは原稿用紙サイズいっぱい、横は5センチ幅の細長い長方形、ここに、書き出しから結末まで、起承転結がひと目で見渡せるのが星新一の最初の下書き。小さな文字にぎっしり詰まった長方形を眺め、練り、確信を得たところで、原稿用紙に2度目の下書きをする。このときはボールペンや万年筆をつかい、ミミズのはうような字でマス目を数えながら書きすすめる。壁には当用漢字表を貼り、そこにない漢字は使わない。こうした推敲を経て、編集者に渡すための清書に移る。万年筆で、一文字たりとも書き損じのない完全原稿である。
 私の場合も、出だしだけは同じです。要するに、不要になったコピーの裏(白紙)に手で原稿を書きはじめるのです。ただし、私はエンピツ派ではなく、水性ペン派です。
 星新一の文庫本は、10万部を達成したものがいくつもあります。私は、かなり読んだつもりでいましたが、たちまち自信を喪ってしまいました。
 星新一が祖父のことを書いた『祖父・小金井良精の記』は私も読みましたが、祖父を悪人として描いた松本清張を「許せない」と怒っていたことを、この本を読んで知りました。
 また、星製薬のことを書いた『人民は弱し、官吏は強し』も読みましたが、星製薬が麻薬を扱っていたことにあまりふれていないという批判があることも知りました。
 それにしても、星新一の『ボッコちゃん』が200万部超、新潮文庫全体では累計  3000万部をこえ、今もなお増刷が続いていること、海外20言語以上、のべ650点をこえる翻訳があるというのはすごいことです。
 星新一、偉大なり、と言っていいでしょうね。

打ちのめされるようなすごい本

カテゴリー:社会

著者:米原万里、出版社:文藝春秋
 著者は食べるのと歩くのと読むのは、かなり早かったそうです。でも、前の二つは周囲から顰蹙を買ってしまいます。母親から、他人と歩いたり食べたりするときは、相手にペースをあわせ、時空間の共有を楽しむようにと、幼いころから口うるさく言われたとのこと。これって、なーるほど、ですよね。ところが読書は、いくら速くなっても、はたから文句を言われることがない。そこで、この20年ほど、一日平均7冊を維持してきた。うむむ、これはスゴーイ。速読派を自認する私でもこのところ年間500冊が精一杯です。東京往復するときは最低6冊が自分に課したノルマです。ただし、速読派が必ずしも知性派とは限らない例を知りました。スターリンです。
 スターリンは激務の合間に1日500頁を読破する読書家で、歴史、小説、哲学など幅広く大量の書物を熱心に読んでいた。本の余白に残したコメントや感想が並々ならぬ教養と知性、と同時に冷徹で酷薄な現実主義を感じさせる。『知られざるスターリン』(現代思潮社)の書評として、このように紹介されています。
 いずれにしても、著者の書評を集めたこの本を読んで、つい食指を動かしてしまった本がいくつもありました。早速、本屋に注文しました。私はインターネットで本を注文することはしない主義です。だって、町の本屋さんは大苦戦しているのですよ。町にある本屋さんを残してやらないと、本屋のご主人だけでなく、子どもたちが可哀想です。子どもたちの大好きな立ち読みができなくなってしまうでしょ。
 すぐれた書評家というものは、いま読みすすめている書物と自分の思想や知識をたえず混ぜあわせ爆発させて、その末にこれまでになかった知恵を産み出す勤勉な創作家なのだ。著者と評者とが衝突して放つ思索の火花、わたしたち読者は、この本によってその火花の美しさに酔う楽しみに恵まれた。
 書評は常に試されている。まず、その書物を書いた著者によって、その書評に誘惑されて書物を買った読者によって試されている。
 世の中に割に合わない仕事があるとすれば、書評はその筆頭株、よほどの本好きでないと続かない困難な作業である。
 以上は井上ひさしの文章です。なるほど、さすがは私が心から尊敬する井上ひさしです。言うことが違います。私もインターネットに書評をのせはじめて、もう6年目になりました。一日一冊となってからも4年目だと思います。たしかに、よほどの本好きだからこそ続く作業です。
 それにしても、本当に惜しい人を亡くしてしまいました・・・。著者にはもっと長生きして、大活躍を続けてほしかったですね。
 日曜日の午後、久しぶりに昼寝しました。わが家の庭のすぐ下は広々とした一枚の田圃になっています。稲の苗もずい分と大きくなりました。水面をわたって吹いてくる風に吹かれながらの昼寝です。我が家にはクーラーはありません。大学生のころ、司法試験の勉強のために、長野県戸狩市にある学生村に一週間ほど行ったことがあります。そのときも午後は毎日昼寝していました。気だるい真夏の昼さがりに昼寝しながら、大学生気分にも浸ったことでした。ところで、夏の学生村って、今でもあるのでしょうか・・・。

清冽の炎(第3巻)

カテゴリー:社会

著者:神水理一郎、出版社:花伝社
 第3巻が7月に刊行されました。さっぱり売れずに最終巻(1968年4月から1969年3月までを5巻、その20年後を6巻とする構想です)まで到達できるかどうか、著者も出版社も心配しています。ぜひ、みなさん応援してやってください。前回に引き続き、第2巻のあらすじを紹介します。
 駒場では代議員大会が無期限スト突入を決定した。
 民主派と敵対する三派連合の呼びかけで、安田講堂に3000人の学生が集まり東大全学共闘会議が結成された。東大全共闘は七項目要求を掲げつつ、東大生であることを否定せよ、全学バリケード封鎖で東大を解体せよと叫び、影響力を広げていった。
 佐助が一員となった若者サークルは、丹沢へ一日キャンプに出かけて交流を深めた。セツラーは、その取り組みを議論し、評価して総括文にまとめあげていく。そして青年部や子ども会といったパートに別れて活動している全セツラーが集まって徹底的に討論する。夏合宿は奥那須の三斗小屋温泉で四泊五日の日程だ。日頃の地域での実践を交流しあい、人生を語りあう。楽しいなかにも生き方への厳しい問いかけが不断にかわされる。さらに、北町セツルメント内にある路線の違いが表面化してきた。地域を革命の拠点をしようという過激な主張が登場してきたのだ。
 安河内総長は紛争収拾策として8月10日に告示を発表した。しかし、それは従来の延長線上でしかなく、学生を失望させた。
 子ども会は北町に泊まりこんで地域での集中実践合宿に取り組んだ。地域内にある矛盾がかなり見えてきて、北町に住みこんで活動しようというセツラーが少しずつ増えていく。何かをつかみたい。それを将来に生かしたいと考える学生たちだ。
 そんななかで中学生の子どもたちが家出する事件が起きた。しかも、そのあとセツラーが子どもに殴られる事態へと発展していった。セツラーの危機が迫った。
 駒場では要求解決の展望が見えないまま、多くの学生が登校せずネトライキ状態が続いている。なんとかしなくてはいけないという思いが、第三の潮流としてのクラス連合の結成につながった。しかし、代議員大会では相変わらず、民主派と全共闘の勢力が伯仲して、膠着状態が続いている。民主派は戦闘的民主的全学連をモットーとしてかかげ、全共闘に対して正当防衛権を行使する方針をうち出し、九月から実践しはじめた。
 佐助は夏合宿以来、ヒナコが気になっている。思い切ってデートを申し込んだ。しかし、進路については依然として定まらず、不安なままだ。
 第2巻は2006年11月刊、1,890円。第3巻は2007年7月刊、1890円。

清冽の炎(第3巻)

カテゴリー:社会

著者:神水理一郎、出版社:花伝社
 全国で激しい学園紛争が起きていた1968年。この1年間を5分冊にして刊行する、その第3巻が出ました。朝日新聞の一面下に広告も出ていましたが、実はちっとも売れていないのだそうです。私は、みなさんに応援をお願いしたいと思いまして、ここでは第1巻のあらすじを紹介します。
 1968年4月。猿渡洋介は一浪して東大に入学した。同じクラスには予備校仲間が3人もいる。駒場寮は6人部屋。二年生の沼尾とジョーのほかは一年生が4人だ。机とベッドがあるだけで、間仕切りもない大部屋での楽しい生活が始まった。単なるダベリングではなく、読書会をしよう。サークルノートを回覧しよう。寮生同士の交流が深まっていく。人生を語り、将来を模索する。
 猿渡が暇そうにしていると、ジョーが声をかけて若者サークルのダンスパーティーに参加することになった。生き生きした若者に魅かれ、猿渡は北町セツルメントに入ることになり、そこで佐助というセツラーネームがついた。若者サークルは毎週土曜日に例会を開く。労働現場の様子が語られ、佐助の目が社会に開かれていく。
 子ども会が活動しているのは、電車のガード下のスラム街だ。そこへ尚美は飛びこんでいき、セツラーネームをヒナコと名付けられた。
 ベトナム戦争反対のたたかいが盛り上がるなか、駒場の自治委員長選挙で民主派が破れた。医学部で孤立した学同派が起死回生の一打として安田講堂を占拠し、これに対して安河内東大総長は時計台官僚の突き上げもあって機動隊の導入を決断する。
 学生は猛反撥し、法学部を除く全学部が一日ストをうって安田講堂前広場に6000人が集まり、抗議の大集会を開いた。しかし、安河内総長は旧態依然とした対応に終始し、学生の不満が高まるばかり・・・。
 佐助は、若者サークルの女性に憧れたが、早くも失恋する。しかも、自分のすすむべき専門の経済学について勉強する気も起きない。若者サークルで労働者と話しをするにつれ、将来に対する漠然とした不安は強まるばかりだ。
 第1巻は2005年11月刊、1800円。第3巻は2007年7月刊、1800円。
 ようやく梅雨が明け、遅れを取り戻そうとするかのように、連日、セミの大合唱が奏でられています。日曜日の夕方、庭を少し掘って枯れ葉と生ゴミを埋めこみました。枯れ葉はコンポストに入れています。生ゴミは大きなポリバケツに入れ、EM菌と混ぜあわせておきます。悪臭なく、ウジもわきません。ダンボールに生ゴミを入れてヌカなどを混ぜあわせると、生ゴミが消えてなくなるそうですが、わが家では庭づくりのためには消えてなくなるのは困りますので、EMぼかしをつかっています。
 サボテンが子をたくさん産んでいますので、事務員さんたちに30個ほど引きとってもらいました。大きくなると白いきれいな花を咲かせます。

ジャパニーズ・マフィア

カテゴリー:社会

著者:ピーター・B・E・ヒル、出版社:三交社
 イギリス人の学者による日本ヤクザの研究書です。
 ヤクザが商店やバーから金銭を引き出す方法は「みかじめ料」に限らない。おしぼり、つまみをヤクザが提供する。また、貸し絵画や観葉植物という方法もある。
 神戸周辺のみかじめ料は平均してクラブだと月に10万円、パチンコ店で30〜50万円。東京・銀座の高級クラブだと月100万円。ソープランドで月500万〜700万円。これを必要経費として認めることを裁判で訴えた経営者がいたが、敗訴した。
 佐川急便はビジネス上のトラブルを避けるため、稲川会に年20億円も支払っていた。総額で1000億円が稲川会に流れたと推定されている。
 建設業界もヤクザへ支払っている。その標準額は麹総額の3%。20兆円の公共投資があるとして、少なくともその3分の1にヤクザが関与しているとすると、年間5000億円をヤクザは建設業界から得ている。
 そうなんですね。だから自民党は昔も今も、大型公共事業がやめられないのです。
 自民党の議員はほとんど右翼や暴力団と深いつながりをもっている。ところが、マイクの前に立つと、自民党議員は「暴力団、右翼はけしからん」と大声を上げる。
 現在のヤクザは、日本の政財界にとって不可欠な存在になっている。イトマン事件においては、ヤクザ組織と合法的な企業との関係は完全に略奪的なものだったかもしれないが、いつもそうとは限らない。むしろ、政財界のエリートたちは、ヤクザ組織からの保護サービスを自ら求める消費者にもなっている。さらには、野村證券の例にあるように、大企業がヤクザ組織の疑わしいビジネス慣行の自発的な共謀者ともなっている。
 皇民党の事件から見えてきたことは、自民党の大物政治家と日本の巨大犯罪シンジケートのトップとの深い関係だ。高級料亭で、ヤクザ相手にどちらが上座にすわるかを譲りあっているのが有力政治家の実像だとしたら、ヤクザの撲滅を口にする政治家の言葉をどれほど信用できるだろうか。
 住友銀行の名古屋支店長がピストルで射殺された事件について、次のような解説がなされています。
 住友銀行は犯罪シンジケートをつかって他の犯罪シンジケートに関連する債権回収をすすめた。住友銀行の債権回収の圧力によって会津小鉄の組長が自殺し、さらに東京で別のヤクザの組長も自殺した。そこで、自分が次のターゲットになるかもしれないと考えたヤクザが名古屋支店長を殺害した。この事件のあと、大蔵省は住友銀行に対して、税金対策としてヤクザ関連の5億円の不良債権の償却を認めた。
 ホントに腹の立つようなひどい話ばかりで、嫌になってしまいます。ヤクザが現代日本社会に深く根づいているのは、想像以上です。こればかりは、知らぬが仏、というわけにはいきません。

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