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カテゴリー: 社会

仕事師たちの平成裏起業

カテゴリー:社会

著者:溝口 敦、出版社:小学館文庫
 この本を読むと、日本って、いったい何という国なのか、底知れぬ不安にかられます。日本のヤミ世界のだましの手口を、これでもかこれでもかと明らかにした本なのです。
 初めて会う人間には5つを表現せよ。1つは相手に力を示す。自分のうしろには若い者を3人ほど控えさせる。力の表現だ。2つ目は経済力を保持する。3つ目は知識、4つ目は人間性。5つ目はユーモア。この5つを全部表現すること。なぜかなれば、人は出会いで何かを求めているから。だから、ヤクザの親分のうしろに若い者が必ずいるんですね。
 インターネットが出てきた当時、ドッグイヤーと言われた。その後がキャットイヤーで、今はマウスイヤーだ。昔の13年が、1年で流れてしまう。たしかに、世の中の移り変わりの早さについていくのが大変です。法律もどんどん変わっていき、困っています。
 覚せい剤は、北朝鮮が主につくっていたけれど、アメリカと日本と韓国の取り締まりが厳しくなり、今は、中国、フィリピン、台湾あたりを経由する。もちこみはハンド。手で、女の身について運ぶ。1キロ単位なので、品薄、値上がりしている。
 韓国でバイアグラを偽造しているけど、ちゃんと効き目がある。
 ヤミ世界の金利は月に1割。これは東も西も定番だ。
 ふりこめ詐欺は経費が月に100万円で、売上げの9割は利益になる。ふりこめ詐欺屋にとって、名簿は命だ。ネタとしていいのは、ケータイのアダルトサイト利用者の名簿だ。
 ケータイの出会い系サイトで客に来るメールの半分以上はサクラの作文だ。サクラの時給は1200円〜1500円。4〜6交代制で、24時間対応する。サクラを引き受ける会社やサクラを派遣する会社まである。
 サクラは男に会わないし、会わせない。話題をそらすのもテクニックのうち。アドレスを集めるため、女の子を装って、よその出会い系サイトに入り、1日1000個も集める。
 ネットキャバ(ネッキャバ)は、男たちが安全な自室にこもって、女性とのきわどい会話を楽しみ、女性の裸を見たがり、注文をつける。1日で700万円の売上げと豪語するサイトもある。女性も自室にいて、在宅で稼げる。ひゃあ、そんな商売があるんですか。
 裏ビデオの店は、繁華街のコンビニの横か前、あまりにぎやかでなく、かといって裏通りでもないところで、店員は50〜60代の男性がよく、店は平均20坪で1階がいい。
 ほかにもいろいろありますが、人間不信がひどくなりますので、ここらでやめておきます。なんとも嫌な商売がこんなにも多くあるのですね。こういう商売をしている人って、いったい子どもには何と説明してごまかすのでしょうか・・・。
(2007年1月刊。552円+税)

現代の貧困

カテゴリー:社会

著者:岩田正美、出版社:ちくま新書
 このところ、格差論の延長線上で貧困への注目が集まっている。その大半は、格差の拡大によって、急に貧困が多くなったと解している。その前提として、つい最近までの「豊かな日本」には貧困なんてなかったという認識がある。
 日本の高度経済成長以降、貧困はもはや解決したということで、貧困という言葉(ビンボーという言葉はまったく聞かれませんよね)はつかわれなくなった。
 実は今から40年前、私がまだ大学生のころ、地域(川崎市幸区古市場)でセツルメント活動していたころ、現代の貧困を考えるというのが、私の考えるべきテーマ(研究テーマと言うと、言い過ぎになります)でした。いえ、スラム街で活動していたのではありません。普通の下町、工場で働く労働者の居住街での貧困問題を調査し、考えていたのです。3交代問題、住環境の問題、食生活の貧しさなど、いろんな角度から、それなりに考え、議論していたものでした。
 格差と貧困とは異なる。格差は、基本的には、そこに「ある」ことを示すだけですみ、ときには「格差があって何が悪い」と開き直ることも可能だ。「能力のある」経営者が何十億円もの年俸をとり、何兆円もの資産があっても、その企業で働く労働者の年収が数百万円程度であっても、何も問題はないとされてきた。
 ワーキングプアになぜ日本人の注目が集まったのか。まじめに働いているのに、なお貧しいという事実に世間が驚いた、ということ。つい最近まで、日本では、その気になれば働く場はどこにでもあると皆が信じてきた。だから、その気になっているのに働く場がなかったり、働いているのに貧しいと言うことは想像もできなかった。
 特別な熟練をもたない労働者は、失業しなくても人生で3回、貧困に陥る危険がある。1回目は自分が子どものとき、2回目は結婚して自分の子どもを育てているとき、3回目は子どもが独立して自分がリタイアした高齢期である。
 むふふ、なるほど、これは私にもあてはまりそうな構図です。もし私が弁護士としてやれなくなったときには・・・。考えただけでも、ゾクゾクッとします。
 マクドナルド・プロレタリアートという言葉があるそうです。初めて聞きました。プロレタリアートなんて、もちろん私は大学生のころには見慣れた言葉です。でも、このころは、とんと見聞きしません。それが、あの世界的ファースト・フードのマクドナルドと結びついた単語になっているなんて・・・。
 安い賃金と不安定な雇用で働くサービス労働者のことをさすようです。こうなると、私はすぐにキャノンの御手洗社長を連想します。そうです。今や日本経団連会長の御手洗です。
 御手洗という人物は、最近の言動によると、自分さえ良ければ一般大衆なんてどうなってもいいという典型的なアメリカ型の無責任経営者としか思えません。私はまったく彼を見損なっていました。もっと気骨のある人物のように思っていたのですが、単なる買いかぶりにすぎなかったようです。まあ、彼がこんなブログを読むはずもないでしょうから、これは、ごまめの歯ぎしりに過ぎませんが・・・。
 それにしても、日本の経営者は、もっと企業の社会的責任、つまり日本人全体の幸福のことを真剣に考えてもいいんじゃないでしょうか。ハゲタカ・ファンド対策かなにか知りませんが、巨大なマネーゲームにうつつを抜かしすぎて、普通の日本人の生活を忘れすぎています。貧困というのは、地方の弁護士の一人である私にとっては、ありふれた現象です。一ヶ月に何万円かで過ごしている人のなんと多いことでしょう・・・。
 格差は、それがあってどこが悪いという開き直りが可能だ。しかし、貧困は、社会にとって容認できない、あってはならないという価値判断をふくむ言葉なのである。
 うむむ、そうですね。なるほど、そうなんですよね・・・。
 近年の貧困の増加は、固定化の方向ですすんでいる。若年女性全体における貧困経験の増加、中年期における貧困常連層と安定層への二分化の進行がある。高齢女性の貧困は、とくに固定貧困として存在している。
 路上ホームレスは別に新しい問題ではなく、戦前そして敗戦直後には、貧困の主要なタイプの一つだった。ホームレスの存在は、以前から見えていたし、発見されていた。
 新宿区役所の相談件数は、1991年までは3000人台で推移していたが、1994年度は4万人、1995年度は9万人、1997年度は10万人をこした。
 全国主要都市のホームレスは1998年には1万6000人、1999年には2万人、2001年は2万4000人。2003年には2万5000人になった。日本のホームレスのもっとも大きな特徴は、中高年男性に集中している点にある。
 路上ホームレスの5割近くが50歳代に集中し、60歳代で3割前後となっている。6割近くが義務教育までの学歴程度で、未婚率も高い。
 むしろ現代日本の路上ホームレスは、低学歴で未婚の中高年の男性に多い。日本のホームレスが中高年の男性を中心とする単一集団のように見えて、実は多様である。
 フリーターや無業者が増えるなかで、結婚したくてもできない人が増えている。
 貧困が、さまざまな出会いを奪っている。
 若年女性の「うつ傾向」が中卒レベルの学歴と強い関係をもっている。うつ傾向は結婚している女性よりも離死別を経験した女性や未婚の女性に強く見られる。
 誰だって老人になります。老人になったときに安心して老後を過ごすことができない国なんて、貧しい政治ですよね。北欧万歳というわけではありませんが、寝たきり老人がいないとか聞くと、日本の政治と社会がいかに貧しいか、考えさせられます。お金があって、健康で、若い(年寄りでない)者だけがのさばる世の中、日本であってはいけない。今年、還暦を迎える私は痛切に思います。
(2007年5月刊。700円+税)

氷川下セツルメント

カテゴリー:社会

著者:氷川下セツルメント史編纂委員会、出版社:エイデル研究所
 徳川直の小説『太陽のない街』の舞台となった東京・本郷の氷川下地域にあった学生セツルメントの活動を元セツラーたちが語った記念誌です。私は同じ学生セツルメント活動をしていましたが、地域は違い、神奈川県川崎市でした。そこは貧困地域というより、労働者の多く住む古市場という町で、若者サークルの一員として活動していました。
 氷川下にも古市場にもセツルメント診療所(病院)がありました。古市場には今も存続していますが、氷川下のほうは2000年4月に閉鎖されたことをこの本で知り、大変ショックを受けました。ええーっ、なんでー・・・、と思いました。
 氷川下セツルメントは東京教育大学(今の筑波大学の前身)に隣りあわせだったようです。1953年4月に40人でつくられスタートしました。
 氷川下の町は貧しい町ではありませんでした。みるからに可哀相な人もいません。
 全セツ連は、全国30あまりのセツルメントから成り、セツラー3000人が所属していた。全セツ連書記局のを構成するセツルメントは、北から宮城の中江、千葉の寒川、東京の亀有と氷川下、神奈川の川崎、愛知のヤジエ、そして大阪の住吉だった。
 全セツ連大会には600人のセツラーが参加した。1965年の仙台での全セツ連大会では分裂していた川崎セツルメントの中島町と駒場のどちらに代表権を認めるかが議論になった。生産点論を主張したT君はその後、体制側の中枢の裁判官になった。地域を大切にする本間重紀(おやじ)の活動する中島町の方に軍配はあがった。
 多くの元セツラーたちは学生時代にセツルメント活動をして大変学ばされた、そして今もその経験が人生の多くの原点になっていると書いています。私もまったく同感です。
 当時、何を考えたのか、何を学んだのか、地域の人々の暮らしや子どもたちの本当の姿に接しながら、毎日を過ごし、自らの実感にしていたこと。社会に出る前に、エリートの大学生のなかだけで過ごすのではなく、地域の実態に接しながら、社会全体を構造的に見る視点をもつことができたことが大きい。
 実際に社会で出会うさまざまな場面で、自らの意思で選択していく視点と困難から逃げ出さない楽天性を、セツルメント活動を通じて大学時代に身につけることができました。
 40数年前のセツルメント活動を体験して人生観が変わりました。
 医師としての38年間を支えてきた原点は、学生時代の6年間のセツルメント活動にあったと言っても過言ではないくらいに、私の人生にとっては大切なセツルメントでした。
 みんな本当に真面目で、一生懸命で、世の中にこんな純粋な人たちがいるのかと思うようなサークルでした。
 弱い者いじめを連想させるようなゲームをして盛り上がったとき、「セツラーが、こんな資本主義的な遊びをするのか」と叫んだ人がいた。それを聞いて、ああ信頼を裏切ってしまった、やってはいけないことをした、大変なことをしてしまった、と悄然とした。
 弱者を蹴落とす、一生懸命やっている人を表で励まし、裏では笑う。そんなことをしてしまった。それを自覚して、もっとも純粋に誠実になれるよう、自己改造をはじめた。
 20歳まで誰にも言えないこと、一番こだわっていたことをセツルメントのなかで話すことができた。一人に話せると、そこから扉が開いて、外の世界に進んでいくことができる。人間(ひと)は信じてもいいのだと思えるようになった。自分だけで抱えこんでいた悲しみ、苦しさから、それに共感してくれる人たちと出会えたこと。それがセツルメント時代のもっとも大きなドラマだった。
 男女学生が一緒に活動していましたから、男女の共同・協力がすすむセツルメントでは、自然に愛が芽生えることも不思議なことではない。愛の問題がセツルの中心問題となって、屋根裏部屋の恋愛教授と目された学生もいた。結婚にこぎつけたカップルも少なくない。ただ、他人の相談にはよいけれど、自分のことはからきしダメで、愛を実らせることはできないセツラーもいました。なるほど、そういうセツラーがたしかにいましたよね。私も他人(ひと)のことは言えませんが・・・。
 それはともかく、ほのぼの論と命名された雰囲気がセツルメントはあった。セツルメント集団の中には、自然のうちに誰も気づかないうちに醸成されていた。
 女性を真剣に好きになる経験も初めてしました。好きな人と話すときの心の弾みと、切なさを初めて知り、また、失恋の痛切な痛みも知りました。
 セツルメントこそ、私の大学だった。つくづくそう思う。いろんなヒトが、そのように語っています。OS会(オールド・セツラーの会。つまり、学生セツラーであった人々のこと)は、セツルメント大学同窓会である。
 元セツラーで、裁判官なり、いまは弁護士になっている人が次のように語っています。
 セツルメントの経験は、たとえば大学の中で相談をするというのではなく、地域で、生活している現場で相談していることに意義があった。セツルメント法律相談部は、いつか廃部になったそうであるが、今でも存在価値は十分にある。
 私が今年(2008年)受けとった年賀状に、元セツラー、元裁判官で、今は弁護士の人から、東京の亀有セツルメントの法律相談に通っていると書かれているのを読んで、うれしく思いました。学生セツルメントも全滅したのではないようです。
 セツルメント法相部の指導教授は、民法と法社会学の川島武宣、民法学の来栖三郎、加藤一郎の三氏であり、助教授クラスで学生セツラーの相談に乗っていたのは、OSでもある村上淳一、稲本洋之助の両氏だった。
 ところが、セツルメント時代を単に楽しい思い出だと言えない人が想像以上に多いことに気づきます。それは何より、書いた人の年齢で分かります。私と同世代、つまり団塊世代をふくめて、それ以降の人々がきわめて少ないのです。まだ、人生を総括するには早すぎるということでしょうか。過去を振り返りたくないと思っているのでしょうか・・・。
 セツルメントが自分をどう変えたかと回顧する気にはどうしてもならなかった。それを整理する時間と余裕も持ちあわせていない。
 ちゃんと向きあうことが怖いからなのかもしれないと思う。若さにまかせて思い切りいろんなことをした。思い出すだけで恥ずかしくなること、真剣に思い出したら今でも胸を締めつけるような思いに囚われてしまいそうなこと、ああすればよかった、こんな風にふるまえばよかったと後悔ばかりしそうなことがたくさんある。思い出すと胸が苦しくなるばかりだ。だから、それらに触れないようにしているのかもしれない。1966年入学以降の元セツラーからの寄稿が少ないのは、そのせいかもしれない。
 全体的な気分は物悲しさだ。
 私と大学同級生のセツラーであるボソは次のように語っています。身体で学んだ青春だった。民宿の夜は、男女が雑魚寝で話し続けた。いろんな人といっぱい話したかった。いっぱい聞いてほしかった。可能性を信じて、働きかける魅力は捨てがたいものがあった。人生の価値を考えたとき、転職は避けられなかった。少しでも自分の実践を展開するため、ささやかな努力を積み重ねてきた。
 法学部卒業のボソは、民間企業に入り、8年間そこでがんばったが、教職に転じ、今も私立高校の社会科教師としてがんばっている。ときどき実践記録を送ってくれますが、高校生の書いた文章のレベルの高さには毎回驚かされています。
 『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)を読むと、懐かしさとともに、少しこそばゆさもどこかに感じてしまう。自己変革という言葉に当時、大いに惹かれた・・・。
 2007年夏に出版された本ですが、1967年以降に入学した元セツラーの寄稿がとても少ないのです。年に2回の全セツ連大会には全国から1000人以上ものセツラーが参集して大変な熱気を毎回感じていました。あのころの熱気はどこへ行ったのでしょうか。私は、もっともっと大勢の人に、回顧趣味でもいいから、ともかく当時のセツルメント活動を気軽に振り返ってほしいと思っています。きっと、今の自分と過去の活動の接点が見えてきて、それは明日にプラスになることだと思うのです・・・。
(2007年8月刊。3333円+税)

君命を受けざる所あり

カテゴリー:社会

著者:渡辺恒雄、出版社:日本経済新聞出版社
 あのナベツネの自伝です。自民党と民主党の大連立を画策した張本人です。いったい日本をどうしようっていうんでしょうか。自分たちの思うように、いま以上に金権政治がまかりとおる日本にしようというのでしょうね。とんでもない権謀術数を駆使する野謀にたけた政治屋であることが、この本にはしなくもあらわれています。
 私がこの本を読んで一番いやな話だと思ったことは、いま読売新聞社の社屋の建っている土地を取得するまでの経緯です。もとは国有地だったのです。そして読売新聞社は通常ならその取得する可能性はとても低かったのです。むしろサンケイ新聞の方が先順位にありました。それを政治力で見事に逆転していったのです。国有地を政治家と有力マスコミで私物化しているのですね、許せません。
 政界トップとマスコミ・トップの密着ぶりは読めば読むほど、嫌な気分にさせます。ええーっ、マスコミって、権力の行き過ぎを少しは牽制する機能を果たすべき役割があるのじゃないのかしらん・・・。そんな疑問を何回となく感じました。
 政治部記者として、ナベツネ記者はさすがに有能だったようです。日米の政界の重要人物と肝胆相照らす仲となって、機密事項の相談にまで乗っていたというのです。ただ単に記事の書ける記者というのではなく、政治家と一緒に政治を動かす記者だったのです。
 同じことは、読売新聞社内部の記者同士の派閥抗争についても言えます。著者は、まさに、その激しい派閥抗争の最終的勝者なのです。著者に負けて脱落していった人には、救いようのないレッテルが何回となく貼られていき、事情を知らない第三者である私などは可哀相に思えるほどです。だから、ひとしお真実を知りたいという気分になります。本当にそうなんでしょうか・・・?。
 自民党政治とマスコミ界の権謀術数の実際の一端を知ることのできる貴重な本だと思いました。
(2007年11月刊。1600円+税)

平成の自治体再編と住民自治

カテゴリー:社会

著者:宮下和裕、出版社:自治体研究社
 私と同世代(正確には1学年だけ年長)で、長く自治体問題を専門にしてきた著者による本です。地方自治はもっと大切にする必要があると思うのですが、年頭から日本経団連の御手洗会長は道州制を九州から始めようと提唱しています。とんでもない男です。財界の思うままに地方の生活をこれ以上、荒らしてほしくはありません。
 07年7月の参院選の分析について共感するところが大でしたので、思わず著者にエールを送ったことでした。というのも、日頃は、民主党なんて所詮は自民党と同根、同じ穴のムジナの類じゃないか、アメリカの共和党と民主党と同じで、名前が違うだけの保守政党内の政権バランスの変動に過ぎない。そんなさめた意見があります。それは共産党や社民党など、根っからの護憲政党が引き続き惨敗したことから来る敗北感にも支えられています。でも、本当にそうなのか。もっと、大局的に政局を眺めてほしい。著者は、そのように訴えています。
 民主党が大きく議席を伸ばすことによって実現した与野党逆転によって、憲法「改正」のための憲法審査会の設置は大きく遅れ、いつ発足するのか、今では見通しもありません。憲法「改正」を目ざす政府広報予算も10分の1以下にバッサリ削減されてしまいました。私は、大いなる拍手を送ります。パチパチパチ。
 8月6日の広島での被爆62年式典で、広島の秋葉忠利市長は、「世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、アメリカの時代遅れで誤った政策には、はっきり『ノー』と言うべきです」と、明確な平和宣言をしています。すごいですね。よくぞ言ってくれました。
 小泉元首相が成功したようなマスコミによる世論操作は、なるほど、それなりに成功している。しかし、安倍前首相は、それに失敗して、その意に反して早々に退陣を余儀なくされました。福田首相は前者の失敗を繰り返さないように心がけていますが、それでもC型肝炎被害者に対する当初のお粗末な対応にみられるように、マスコミ操作をうまくこなしているとは決して言えません。
 著者は次のように強調しています。どうせ、たいしたことはできない。お手並みを拝見しよう。そんな傍観者的な立場に立つことなく、いま国民によって有利な条件をいかに活用するのか、そのようにぜひ考えたいものだ。
 私も、まったく同感です。自民党も公明党も世論操作能力に自信をなくしつつあるのです。今こそ、世の中を良い方向へ変えていく絶好のチャンスなのです。そのように考えたいと、私は痛切に思います。
 自治体再編がすすみ、小さな市町村の合併がすすんでいます。おかげで、聞いたこともないような市がたくさん誕生しました。果たして、大きいことはいいことなのでしょうか。私は決してそうだとは思いません。やはり、地方自治体は住民に身近な存在であってほしいと思います。
 地方自治のあり方に少しでも関心のある方には、ぜひ読んでほしい本です。
(2007年12月刊。2000円+税)

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