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カテゴリー: 社会

ホモセクシャルの世界史

カテゴリー:社会

著者:海野 弘、出版社:文藝春秋
 ヒンズー教は同性愛を一般的に受け入れている。イスラム教徒キリスト教には同性愛の項目がない。ユダヤ教は、ゲイは一般に認めないが、このごろは認めようとする派もある。
 アメリカに渡った宣教師は、ネイティブアメリカンの部族の中に、女装して女の仕事をしている男がいるのを見て驚いた。女装した男たちは、部族の最高会議で助言者の役をつとめ、重大な決定は彼の意見を聞く。占い師、預言者、語り部、ヒーラーでもある。
 ギリシアのスパルタが軍隊組織を発達させたといっても、必ずしも男性社会だったわけではない。アテネよりも、むしろスパルタの方が女性の社会的地位は高かった。
 18世紀、ヨーロッパではホモセクシャル(ソドミー)を処罰する法律が次々に廃止された。とくに啓蒙君主のいた国で早かった。フリードリヒ大王のプロシア、レオポルト2世のオーストリア、エカテリーナ2世のロシアである。先進国のはずのフランスとイギリスは遅れた。フランスでは1791年に犯罪でなくなり、1810年のナポレオン法典で、それが確認された。しかし、ソドミーは犯罪ではなくなったが、差別意識は残り、警察はひそかに監視を続けた。
 イギリスでは男色による死刑は1861年まで残った。この年、それは無期懲役となった。エリザベス女王がつくった男色処罰法は、1967年まで残った。
 アメリカでは、2003年、ホモセクシャルを罰するテキサス州法を連邦最高裁が違憲とし、州刑法が廃止された。
 イギリスのオスカー・ワイルド(1854〜1900)は世界一有名なホモセクシャルであり、その典型だ。
 フランスのランボーとヴェルレーヌもホモセクシャルの関係にあった。ヴェルレーヌのそれは少年時代からだった。ヴェルレーヌもランボーも、圧倒的な母の庇護下にあったことが共通している。2人は、しばしばそこから逃れたが、また引き戻された。母から、女から逃れるため、2人はひかれあった。ヴェルレーヌは言葉を取り戻し、詩を書けるようになった。
 アンドレ・ジッド、プルースト、コクトーはいずれもホモセクシャルの作家である。ジッドは、そのことをもっとも明確に告白した。プルーストとコクトーは、内部では公然の秘密だったが、告白はせず、あいまいにし、言い訳もしなかった。
 ジャン・コクトーは隠れなきホモ・セクシャルであるが、多くの女性を愛し、一緒に暮らしたりもした。だが、結婚はせず、子どもはつくらなかった。人を愛することにおいて、男とか女とかの区別はしなかった。しかし、芸術的な美しさの点で男にひかれた。
 うむむ、なんということでしょう。私には、よく分かりません。
 アメリカ。ハリウッドでは、ホモセクシャルの人々をトワイライト・メン(薄明の人々)、ラヴェンダー・バディ(紫の兄弟)などと呼んだ。彼らは目立たないように暮らしていた。
 サマーセット・モームもキューカーもホモだった。ロック・ハドソンは、1959年から1964年まで、アメリカの人気ナンバーワンの男優だった。多くの女性は、結婚するなら、彼のような男と思った。しかし、ハドソンはホモセクシャルだった。
 YMCA!という歌は、アメリカのゲイ賛歌である。
 ニューヨークのゲイの領土はハーレムである。黒人街ハーレムが、白人たちのもっとも自由にふるまえる場所だった。
 FBI長官のフーヴァー、副長官のクライド・トルソンの2人とも独身であり、ホモセクシャルだと疑われていた。そのウワサを振り払うため、この2人はホモへの厳しい態度を示した。アカ狩りで名高いマッカーシーも、ホモセクシャル問題には深入りしなかった。というのも、彼自身、その疑いがあったから。
 この本を読むと、いかにホモセクシャルに生きる人々(ゲイの人々)に文化人が多いか、驚くべきほどです。いったい、これはどういうことなんでしょうか・・・。
(2005年4月刊。3200円+税)

雪解け道

カテゴリー:社会

著者:青木陽子、出版社:新日本出版社
 団塊世代の青春を描く大河小説。あの「大学紛争」とは何だったのか。「政治の季節」を駆け抜けた情熱が、今よみがえる。これは、オビに書かれている言葉です。
 団塊世代は、いま、私をふくめて還暦を迎えつつあります。私には、残念ながらまだ孫はいませんが、この本の主人公のように孫をもつ人もたくさんいます。
 多くの団塊世代が大学生のころに直面した「大学紛争」とは、いったい何だったのか。革命を議論していた、あの熱気、そして情熱は、いったいどこに消え去ったのか。不思議なほどにおとなしいのが、今の団塊世代の大きな特徴です。ええーっ、おいおい・・・。
ぼくら、20歳(はたち)前後のころは野放図に語り、行動して、世間の顰蹙を買うほどの存在だったんじゃないの?今、どうして、そんなに分別臭い顔をして、横丁の楽隠居みたいに引っこんでいるの・・・。たしかに、私はそう叫びかけたくなります。
 著者は私とまったく同年の生まれのようです。1967年に大学に入学し、私の入ったセツルメント・サークルに似た児文研に入部します。
 児文研は100人近い部員をかかえた大所帯のサークルで、戦前からのセツルメント活動に端を発しているという。
 私の所属していた川崎セツルメントは、20ほどの大学から学生が150人ほども参加していました。もちろん、いろんなパート(部)に分かれていました。子ども会、青年部(若者会)、定時制高校パート、労働文化部、法律相談部、栄養部、保健部といったパートです。子ども会は、いくつもの地域で、そして、青年部はいくつもの若者サークルに入って活動していました。
 実に多くの出会いがあり、発見がありました。私なんか、大学でよりも、このサークルで学んだことのほうが大きいと、今でも思っています。というか、2年生のときに無期限ストライキに突入して、まともな授業を受けていないことも原因のひとつです。でも、授業があっていたとしても、果たして、どれほど真面目に授業に出ていたかは疑問です。
 寮生活をしていましたが、昼と夜とが逆転したような学生は、いくらでもいました。まあ、それはそれでいいような気がします。
 「ぼくは大学に革命をやりに来ました。・・・いろいろ考えた結果、日本には革命が必要だと考えています。学生運動をやりながら、そこから革命の道筋を考えたいと思っています」
 この本に出てくる学生のセリフと同じような言葉を下級生(43年入学)から聞いて驚いたことを覚えています。彼は、寮内にあるセクト全部をまわって論争したというのでした。ええーっ、そんなことをする学生がいるのか・・・、と驚きました。
 デモの中にいて、機動隊とぶつかると、身体も気持ちも、くしゃくしゃになって、すごく昂揚してくる。自分自身がなくなるくらいに周囲に溶け込んでいく。それで、生きているという実感が強く湧いていくる。
 自分たちを今の状況に追いつめている元凶が国家権力なら、権力の暴力装置とじかにぶつかるというのは、すごく納得できる。でも、怖い。自分が自分でなくなるような、あの状況が・・・。あれだけのことで、あんなに充実感を感じてしまうなんて・・・。
 『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)とまったく同じ時期の大学内の様子が描かれています。団塊世代はもっともっと力を発揮すべきではありませんか。そのためにも、これらの本を読んで、若さを取り戻してほしいものです。
(2008年1月刊。2400円+税)

統一協会信者の救出

カテゴリー:社会

著者:全国原理運動被害者父母の会、出版社:れんが書房新社
 勝共連合が大学内で活発に活動していたというのは昔の話だと思っていましたが、どうやら違うようです。教祖の文鮮明はソ連のゴルバチョフや北朝鮮の金日成とにこやかに握手したり、今や反共の闘士でもなく、アメリカで脱税して刑務所に入っていたような典型的な詐欺師だと思うのですが・・・。
 この本によると、なんと、原理運動にのめりこむ学生が九州で増えているというのです。オウム真理教と同じで、悩める学生に巧妙に近づいて欺しているようです。
 九州ブロックの統一協会の学生信者数は、ここ数年で何倍にもふくれあがっている。全国的に信者は大幅な増加傾向にある。ええっ、そうなんですか・・・。信じられません。
 統一協会は40年にわたってマインドコントロールを続けているので、とても巧妙だ。時代とともにマインドコントロールの方法も変えている。
 統一協会に入信しやすいタイプは、自分の将来があいまいで、選んだ学部が果たして自分にあっているかどうかよく分からない、4年間で自分の適正や夢を見きわめたいと思いつつ、大学に淡い期待を寄せて入ってくる学生である。果たして、自分はこのままでいいのだろうか、という漠然とした不安をもっている。
 自分がここで潰れたら、日本は、世界は、どうなるのかと思いこむ。もはや日本の大学は乱れきっている。一人でも多く救おうではないか。と信者たちを伝道にかりたて、信者が増えていく。一部の心ない人たちの身勝手な行動や性関係をあおる風潮が、統一協会の基盤となり、存続の後押しをしている。
 統一協会の「教義」の確信は堕落論にあります。
 アダムとエバのうち、エバがサタン天使(天使長ルーシェル)と性交して汚れ、その後、エバはアダムを誘惑して性交してアダムも汚れてしまい、2人とも罪人になった。以来、この罪が血統と遺伝を通じて全人類に連綿と伝わってきている。
 現代社会にエイズ、レイプ、売春、テレクラなどの性犯罪が起きる原因は、人類始祖が淫行による罪を犯したため、その子孫である人間に血統・遺伝として伝わった証明である。
 神とメシア(文鮮明)は責任を果たしているにもかかわらず、いまだに地上天国が実現しないのは、人間が責任を果たしていないのが原因だと、信者に責任転嫁することができる。人類の始祖であるアダムとエバの堕落によって、人間も物もサタンの支配下に入ってしまった。そして、人間はそれ以降、物より下の地位になってしまった。物以下の人間が物以上になるためには、サタンの支配下にあるすべての物(万物)を神側に取り戻さなくてはならない。
 この万物を神側(統一協会)に取り戻す行為を万物復帰という。万物復帰は、実際には資金獲得活動を指している。
 エバ国家日本はアダム国家韓国に貢ぐことを義務づけられている。韓国がアダム国家である理由は、神に選ばれた民族の国であり、世界に真理を発信したメシアの国であるから。日本がエバ国家である理由は、朝鮮を植民地にして多くの人民を苦しめてきた事実などによる。戦後、日本が経済大国になったのはメシア(文鮮明)が神に日本の罪をとりなし、エバ国家として神に認めさせたからだ。
 金と人物の両面で韓国と全世界の統一協会を支えることがエバ国家である日本の責任である。日本人に多く伝道して信者として、その信者を全世界に送り出していくこと、日本で莫大な資金を調達してそれを全世界に供給していくこと、それがエバ国家日本の使命だ。
 ええっ、こんなばかげた教義に洗脳されている日本人大学生が九州で増えているなんて、とんでもないことですよね。
 私も、かなり前のことですが、統一協会のビデオ・センターに乗りこんだことがあります。そのときは、統一協会のほうが「110番」して、パトカーとともに警察官5、6人がやってきました。こんな騒動のおかげで、私の依頼者が騙されて買わされていた多宝塔の代金300万円を取り戻すことができました。
 先日受験した仏検(準一級)の口頭試問の結果が送られてきました。なんと、不合格でした。ガッカリです。22点で合格のところ、わずか1点足りない、21点でした。とても残念でした。たしかに3分間のプレゼンはあまりうまくいかなかったのですが、そのあとの問答でカバーしたつもりでしたから、今後は合格できたと思っていたのですが・・・。これで準一級の受験成績は1勝4敗となります。私が選択した問題は、ラジオとテレビのあと、今後はインターネットによって活字媒体が脅威にさらされていることをどう考えるか、というものでした。インターネットは莫大な情報があって便利だけど、政府によるコントロールは十分に可能なものだということを述べたのです。
 まあ、めげずにフランス語を続けます。
 (2007年10月刊。1800円+税)

梅の屋の若者たち

カテゴリー:社会

著者:加藤 長、出版社:同時代社
 タイトルになった「梅の屋の若者たち」というのは、最近、残業代の不払いを問題としてパート社員がファーストフードの「すき屋」を相手にたちあがったケースを小説にしたものです。フリーターを簡単に切り捨てる企業を許さない。そのために労働組合に加入する。個人加盟の労組、その名も首都圏青年ユニオン。ちょっと前には考えもしないネーミングです。
 実は、この本を読んだのは広島の廣島敦隆弁護士の紹介です。東大闘争を小説にしているので、読んでみたらということでした。
 この本のなかに小説「東大闘争」という150頁ほどの中編があります。東大文学部は、東大闘争のとき、革マル派に牛耳られていました。まさしく暴力的支配に等しい状況でした。それを民青の側で正常化していく過程が生々しく描かれています。
 東大闘争から40年たった現在、その記憶は多くの人の頭の中で風化しつつあり、時代も当時とはまったく様変わりしているが、誰かがこういうものを残さなければ、という義務感が執筆の動機となった。
 まあ、読んでみると単に義務感だけで書かれたとは言えないように思いました。
 早乙女勝元氏の推薦の言葉は、「旺盛な筆力に、青春のロマンが躍動している。東大闘争を扱った一篇が特に力作で、四昔も前のその日そのときの緊迫感に、胸がときめく」とあります。
 いろんな人との出会い、輝いている女性たちとの出会いが余韻深く語られているので、その顛末はどうなるのかなあ、と思ったことでした。
 そして、40年後の今日の状況も少しだけ語られています。やはり、そこがぜひ知りたいところですよね。40年前に最前線で活躍していた人たちが今、どこで何をしているのか・・・。
 『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)を読んだ人から、東大闘争は壮大なマイナスという印象が強く、あまり思い出したくないものだという感想を聞かされました。そして、学生時代に講義を受けることもなく、まったく勉強しなかったので、今、勉強しているが、けっこう楽しんでいるということでした。
 そうなんですよね。私がいまフランス語を毎朝勉強しているのも、学生時代に真面目にやっていなかったことを取り戻したいという気持ちもあるのです。
 青春を取り戻せ、とまでは私も言いませんけどね。
(2008年1月刊。2000円+税)

脳内汚染からの脱出

カテゴリー:社会

著者:岡田尊司、出版社:文春新書
 ゲームが依存しやすいものとなってしまうのは、際限のない繰り返しが容易にできて、しかも、刺激のレベルが徐々に上がっていくように、巧みにつくられているため。耐性ができにくいように、さまざまなノウハウの粋を集めてつくられている。
 強い刺激に慣れっこになることは、単に刺激に対して無感覚になるということではない。強い刺激なしでは、神経のバランスが保てない状態に陥ってしまうのだ。その刺激が途絶えると、激しい渇望状態にとらえられる。禁断症状である。
 韓国では、複数の人が一緒に集まってゲームを楽しむことが多い。日本では、一人で孤独に楽しむのを好む傾向がある。
 1980年代以降に噴出するようになった子どもの問題の特徴は、大都市部と地方の差が少ないこと。校内暴力は、地方の農村部でも同じように見られた。
 ゲーム依存は、インターネット依存の場合、アパシー状態が生じていることや原因について、自覚のないことが大半である。何かやる気がない、何も他に面白いことがない、仕事も人間関係もわずらわしい、もうどうでもいいやという考えに陥っている。
 ヴァーチャルなメディアに依存した子どもや若者に共通するのは、表情が乏しくなり、非言語的コミュニケーションの能力が低下していること。
 視線が重要だ。目は口ほどにものを言う。視線をほどよく合わせることは、コミュニケーションの基本である。しかし、ゲーム、インターネットを長時間する人は、アイ・コンタクトが乏しくなる傾向がある。
 子どもの偏食は、発達の問題の一つのサインである。偏食がある子は、食べ物だけでなく、他の生活習慣や興味においても、偏りやすい傾向がある。
 依存症の理論からいって、毎日つかうのは、もっとも依存を形成しやすい。切れ目をつくるのが、依存を予防するのに大切なこと。30分であれ、毎日、ゲームをすることは、毎日、少量の覚せい剤を打っていることに等しい。
 タイトルから想像するより、よほど真面目で健実な提言が書かれている本です。大変勉強になりました。
(2007年5月刊。950円+税)

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