法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 社会

実録「取り立て屋」稼業

カテゴリー:社会

著者:杉本哲之、出版社:小学館文庫
 元大手サラ金会社の従業員が懺悔(ざんげ)の告白をした本です。サラ金は人の不幸を助長する存在であり、その汚さや醜さを多くの人に知ってほしいという思いから書かれています。
 著者が大手サラ金会社に勤めていたのは、2001年10月から2006年3月までのこと。一般企業を辞めて転職してサラ金会社に入社した。サラ金会社は、毎年100人以上を採用するが、ほとんどの人は1年以内に辞めてしまう。
 同じ事は商品先物取引会社についても言えます。やはり、まともな人はやっていけない「あこぎな商売」なのです。
 サラ金の店舗は1階にあるともうからない。1階にある店には、お客が入りたがらない。
 サラ金業界では横領事件がつきもの。そのほとんどが男性社員による。女性のほうが保証人になっている両親に迷惑はかけられないという心理が働くから。
 サラ金にとって、客は生かさず、殺さず、これが金科玉条である。社員は借金を完済しようとする客をなんとかくい止めなければならない。ほとんどの回収業務は電話によってなされている。
 多重債務者の家には、ある一定の共通した特徴がある。家の周りは散らかり放題で、庭には草が茫々と茂っている。日中なのに雨戸やカーテンの閉まっている家も多い。郵便ポストにはあふれんばかりの郵便物が詰まっている。居留守をつかう債務者もいる。電話に出ても、「留守番の者です」と答える。他人を装う。また、サラ金からの電話だと分かると、「ただいま留守にしています。御用のある方はピーッという発信音のあとに、お名前と電話番号、メッセージをお残しください。ピーッ」と自分の生声で繰り返す者もいる。
 架電回収業務は、債務者を上手に追い込みながら回収率というスコアを獲得していく楽しいゲームになった。ゲームだと思えば、相手の痛みなど、まったく伝わってこない。会社のマニュアルでは、ケータイへは1日3回、自宅へは2回、勤務先へは1回までと決められていたが、守らなかった。とくにプレッシャーとなる勤務先への架電は、1日に何度も繰り返した。家族のいる自宅に架電することも、プレッシャーをかけるための有効手段だった。
 ところが、次第に自分のしていることに嫌気がさすようになっていった。精神状態が少しずつ変調をきたし、ときどきひどい疑心暗鬼と人間不信に陥っている自分に気がついた。
 そうでしょうね。まともな人間のする仕事ではないと思います。人間の弱点を毎日毎日ついていくのですからね。
 ホタルが飛びはじめたというニュースを地元紙で読んで、近くにあるホタルの里へ歩いて出かけました。ホタルは暗くなってまもないころが一番よく飛びますので、夕食をすませたあと暗くなってから出かけました。ホタルの里は歩いて5分くらいのところにあります。途中にバイパス道路が工事中です。残念なことにホタルの出る小川が3面張りコンクリートに変わっていました。もちろん、そこにはホタルの姿は見えません。その先にあるホタルの里に着くと、ようやくホタルが何匹かチラホラ飛んでいました。ホタルの明滅するテンポは、あくまでゆっくりです。まあ、なんでそんなに人間はせわしいの。もう少しゆっくりやったらいいのよ。そんな感じです。ゆっくり、フワフワと漂うホタルを眺めていると、心が洗われ、せかせかした気分がうすらいできます。今年はじめてのホタルでした。梅雨の大雨までの1ヶ月間の楽しみです。
(2008年1月刊。476円+税)

雲の都、第3部・城砦

カテゴリー:社会

著者:加賀乙彦、出版社:新潮社
 私は、毎朝、NHKのラジオ講座でフランス語を聴いています(弁護士になって以来ですから、もう35年になります)が、そのテキストに加賀乙彦が若かりしころのフランス留学記を3月まで連載していました。若さ故の無謀なイタリア単独自動車旅行記にはハラハラさせられたものです。なにしろ生きているのが不思議だと言われるほどの九死に一生を得たという大事故まで起こしていたのですから・・・。
 その著者による自伝的大河小説の第3部は、1968年に始まる東大闘争の渦中に巻きこまれたという展開です。著者は医学部助教授として、しかも反動的な精神科医師として全共闘(そのなかでも精神科の医師は「戦闘的」でした)から糾弾の対象とされ、その貴重な資料を持ち去られて焼かれてしまいます。著者は、当然のことながら、全共闘を厳しく糾弾します。
 全共闘運動のもっていた本質的な誤りの一つが、この本でも明らかになります。といっても、今の私は、全共闘の活動家だった個々のメンバーまで全否定するつもりはありません。今では私の仲のいい友人となった弁護士も実は少なくないからです。もちろん、昔も今も、全共闘がした目茶苦茶な暴力を肯定する気はまったくありません。
 この本には、セツルメント活動という言葉が何回となく登場します。それは著者自身が学生セツルメントにかかわっていたからです。私も1967年4月から4年近くセツルメント活動に打ち込んでいました。東大闘争の無期限ストライキのおかげで、大学2年生の6月から翌69年4月までは授業がまったくありませんでしたので、ますます没頭してしまいました。それこそ、人生に必要なことは川崎セツルメント実践活動ですべて学んだ、という感じです。いえ、ほんとうにたくさんのことを学びました。ただひとつ残念だったのは、そこで出会った素晴らしい女性にふられてしまったということです。
 菜々子は亀有の東大セツルメント診療所で看護婦として働いていたが、薄給のため、ほとんど明夫の助けにならなかった。アメリカより帰国したあと、セツルメント診療所の診療をときどき引き受けていた。こんなセリフも登場します。私のいた川崎にもセツルメント診療所というのがありました(今もあります)。竹内事務長、斉藤婦長(故人)以下、大庭さんなど、何人もの人に可愛がられました。ありがとうございます。おかげで、なんとか初心を忘れることなく、故郷の地でそれなりに真面目に弁護士としてやっています。
 1969年1月18日からの安田講堂攻防戦は、当時、空前の視聴率を誇りました。まさに世紀のスペクタクルショーでした。しかし、それは、警察と全共闘の共同演出にほかならないものです。著者は、次のように評しています。
 その姿は醜い。これは革命ではなく、新しい世を創り出す情熱でもなく、ただ国家権力に反抗してみせるだけの、戦争ごっこだ。大学当局も機動隊も、一人の死者も出さずに封鎖を解除せよと命じられているのを、つまりその暴力はテロでも革命でもなく、単なるお遊びとして嘲笑されていた。逮捕された学生は、楽しい戦争ごっこをした子どもたちのように平然としていた。
 全共闘に共鳴する精神科の医師は、次のように驚くべきことを言った。
 あらゆる精神病者は、体制に反対するゆえに革命家である。だから、あらゆる精神病者は即時解放して、自由を与えよ。体制に対して反対する者は狂人にならざるをえないのだ。精神病質、人格障害、変質者は、この世に存在しない。それを存在すると主張するのは、権力者におもねる犯罪学者という、政治的・権力迎合の人々である。
 いやあ、ひどいですね、信じられませんね。それこそ「狂って」います。
 医学生時代にセツルメント活動をしていたかつての貧民窟は、今では集合住宅とビルの新式の街に変わっている。著者がセツルメント活動をしていたのは、メーデー事件のあった1952年のころ、今から17年も前のこと。そのころ23歳だった青年は、今や40歳のおっちゃんだ。
 全共闘の学生は、個人主義を認めず、いじめの対象にする。まるで戦争中の特高みたいな連中だ。全共闘という学生たちが暴れ狂って学園紛争が全国におこり、大学が破壊されると思わせたのが、大学はかえって強固となり、紛争はウソのようにおさまった。いったい全共闘は何をしたのか?
 2.26の青年将校たちの叛乱と全共闘はよく似ている。全共闘の目ざした大学解体、産学協同反対、高度成長反対は、大学を強固にし、産学協同を促進し、高度成長を現実のものにしてしまった。革命家気取りで全共闘は暴れまわったが、実際には、彼らの敵を結束させて反革命の国家へと向かわせてしまった。
 この世の中の風潮という奴、流行という奴、悪魔のささやきは、一群の若者たちを狂わせるが、それは決して長続きしない。
 いやあ、こう言われると、そうだよねと言いつつ、怒れる若者すべてが全共闘だったかのように受けとられても困るんだよねと、つぶやかざるをえません。
 著者は、学生時代には、戦後の貧困を放置した政府を攻撃してセツルメント運動なんかに夢中になり、貧困者の犯罪に興味をもって犯罪学なんかの研究をし、もちろんベトナム戦争には反対し、今の政府の企業優先の政策にも批判的でした。ところが、全共闘の学生からは、政府と権力者寄りの反動学者とみなされるのです。
 全共闘の学生たちが全員まったく同じ思想をもっていて、それに反対する人間はすべて反動ときめつけるのは異様に思われる。これでは、まるで戦争中のファシズムそっくりで、自分たちの思想に反対な人間は撲滅しようとして暴力をふるう。
 安田講堂内に立て籠もっていた学生は、ほとんど毎日、惰性で過ごしていたのであり、討論、総括、相互批判、自己批判という言葉のイメージでは語れない。美化しすぎるのは単純すぎる誤りだ。
 1968年に起きた東大闘争の全貌を知りたいと思った人には、『清冽の炎』(第1〜4巻。花伝社)を強くおすすめします。
(2008年3月刊。2300円+税)

戦争のリアル

カテゴリー:社会

著者:押井 守、岡部いさく、出版社:エンターブレイン
 イギリス空軍の爆撃機兵団をボマーコマンドといい、1939年から1945年までの6年間に、爆撃機搭乗員だけで5万5000人が死亡した。イギリスの各軍種のなかで、いちばん死者が多かった。陸軍の歩兵より死ぬ確率が高かった。
 いやあ、そうだったんですか、そんな事実をちっとも知りませんでした。ドイツの高射砲弾が飛行機にあたってパイロットがやられたら、相当な確率で爆撃機が落ちて、搭乗員は全員死亡した。
 戦闘機乗りのエースというのは、何度でも不時着できたこと、生還できたからのこと。エースは例外なしに何度も何度も撃墜されている。一回も落とされなかったエースなんて存在しない。
 いやあ、そうだったんですか。道理で日本のゼロ戦などのエースがあまり知られていないのですね。だって、すぐに死んでしまうのですからね。
 この二人は、かなりの軍事オタクのようです。戦車もヘリコプターも、絶対に故障するものだと強調しています。本当なんでしょうか・・・?
 日本の90式戦車は、あらゆる意味で中途半端だ。市街戦を想定すると、明らかにオーバースペックだし、シャーマン戦車のように移動トーチカとして考えると、あの程度ではダメだし・・・。
 ヘリコプターはメンテナンスが多くて面倒だし、燃料をバカ食いして、すぐ落っこちる。そのうえ、運べる兵士もたいした人数ではない。ヘリコプターは、ものすごく脆弱なもの。
 日本の軍事技術で世界に売り物になるのは、護衛艦とヘリコプターと潜水艦だけ。ライフルも戦車も全然ダメ。
 陸上自衛隊の64式小銃は命中精度がよかった反面、よく装弾不良を起こした。
 世界の軍隊で自国の拳銃をつかわないところは、いくらでもある。まともな拳銃をつくれるのは、オーストリアとチェコ、イタリアそして北欧くらいのもの。それくらい拳銃というのは複雑な機械なのだ。
 猟銃もバカにならない。その信頼性は抜群である。クマを撃つような銃は、弾が出なかったら、即、命とりになるのだから。最初の一発が、すぐ撃てるのが絶対条件だ。
 北朝鮮のテポドン1発に対してPACー3を100発用意したって、そんなものはなんの役にも立たない。動いている目標にあてるってことは不可能。
 戦車で何かを得た国なんて、ひとつもない。
 日本の自衛隊は、携行糧食として200万食を用意している。賞味期限の切れたものは、一体どう始末しているのか? 私も、知りたいですね、これって・・・。
 軍事オタクの2人が勝手気まま気楽に放談した対談集です。軍事に疎い私の知らないことがたくさん登場してきました。
(2008年3月刊。1700円+税)

貸し込み(下)

カテゴリー:社会

著者:黒木 亮、出版社:角川書店
 日本の裁判がいかにあてにならないものか、いやというほどあからさまに見せつけられます。どうやら著者自身の実体験にもとづく小説のようです。少し前の新聞に著者インタビューがのっていて、それで知りました。
 ファックスの日付なんて、ファックス機の入力データを変えれば、いくらでも操作できるじゃないか。
 うひょー、そ、そうだったんですか。ちっとも知りませんでした。デジタル・カメラによる写真はあてにならないというのは聞いていました。フィルム・カメラによる写真だと、そう簡単に合成はできませんが、デジタル・カメラだと、パソコンをつかえば合成写真なんて簡単なのです。
 この本は銀行の貸し手責任があるのかないのかを厳しく追及しています。日本の銀行はコンプライアンス、つまり法令にしたがった貸付と回収をしていない。そんな銀行はまともじゃないという叫びです。
 ところが、それを国会で激しく追及した議員は女性スキャンダルで蹴落とされてしまうのです。いやあ、これもよくある話ですね。銀行からいいようにあしらわれた被害者は、銀行との裁判の過程で、自分の弁護士を何回も変えていきます。要するに、その弁護士に能力があるかどうかというより、自分の主張をどれだけ法廷で陳述・敷衍してくれるかどうかという基準で変えていくわけです。その結果、どうなるか?
 長い準備書面に書かれているのは、何の論理も、説得力もない、感情の赴くままの罵詈雑言(ばりぞうごん)の羅列であった。目を三角に吊り上げた依頼者の喚き(わめ)き散らしを、そのまま文章にしただけ。
 いやあ、たしかに、これと同じような弁護士がたしかにいます。依頼者の言うことを 100%、いや120%裁判所に伝えることが弁護士の役割だと思いこんでいるのです。私は、決してそうは思いません。社会正義というのは、依頼者の思いとは少し違ったところにある場合もあると思うのです。依頼者とは十分に話し込みますが、ときには辞任するしかないということもあります。
 脳梗塞患者に21億円も融資し、その大半が両建て、しかも、保証人の署名は偽造、借入申込書は銀行員が書いた。これは、明らかに犯罪行為だ。
 大銀行のなかに犯罪がまかりとおっているのですね。
 ところが、被害者が勝つべき事案なのに裁判所は敗訴判決を下します。大銀行を救済したのです。法廷で重要証人の尋問途中に居眠りをしていた裁判長による判決です。
 とにかく常人の理解を超える判決だ。こんなんだったら、最初から裁判なんかやっても意味はないよな。なんだか、日本はダメな国だね・・・。
 35年間、日本で弁護士をしている私も、この指摘にはかなり同感です。国、行政、大きいところには弱いのが日本の裁判所なんですね。まったくいやになってしまいます。
 ところが、勝ったはずの大銀行が昨今の企業買収により、別の大銀行の傘下に入ることになり、裁判担当は早急に和解して決着することを命じられます。悪は長続きしないものですが、いつもそうなるとは限らないのが残念ながら現実です。
(2007年9月刊。1400円+税)

我らが隣人の犯罪

カテゴリー:社会

著者:宮部みゆき、出版社:新潮社
 すごいですね、さすが宮部みゆきです。
 最初期の作品群だそうです。いやあ、まいりましたね、これが宮部みゆきの駆け出しのころの小説だなんて・・・。すごいのです。いえ、すご過ぎます。
 推理小説なので、その展開をここで紹介するわけにはいきません。なーるほど、なるほどと、ひたすら感心するばかりです。
 タウンハウスの隣人が愛人稼業の女性。ところがキャンキャンと、うるさく吠えるスピッツを飼っている。やがて、そのスピッツを黙って始末してしまおうということになり完全犯罪を企みます。そして、そこで起きたことは・・・。予期せぬ結末です。
 次の「この子誰の子」も、すごいです。特別養子という、誰が父親なのか分からないシステムを破る、そんな話です。その着想と展開がすごいですね。
 読み終わってみると、なーるほど、と思わせる顛末を不自然さを感じさせずに、次はどうなるのだろうかと、ぐいぐいひっぱっていく著者の筆力には感嘆するばかりです。
 ジャーマンアイリスの爽やかな青紫色の花が次々に咲いています。茎がすっくと伸びて華麗な花を次々に咲かせて目を大いに楽しませてくれます。隣に純白の花も可憐に咲いていて、お互い同士で引き立っています。福岡県弁護士会館の通用口のそばに咲いているジャーマンアイリスは私が持ち込んだものですので、一度みてやってください。
 黄色のアイリスが気品にみちみちて咲いています。その隣には小さな紫色のシラーの花がここぞとばかり美しさを誇っています。ただし、もうすぐしたら、エンゼルストランペットの日陰になってしまうのです。
(2008年1月刊。1400円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.