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カテゴリー: 社会

手塚治虫

カテゴリー:社会

著者:竹内 オサム、 発行:ミネルヴァ書房
 手塚治虫は、代々、医者の家系である。手塚治虫の曾祖父にあたる手塚良仙は、江戸末期から明治にかけての開業医で、高名な蘭学医であった緒方洪庵のもとで学び、天然痘から多くの人を救うのに功があった。
 祖父にあたる手塚太郎は、医者にならずに法律家の道に進む。大阪控訴院、大阪始審判事としてつとめたあと、大津と函館・大阪地裁の検事正、仙台地裁所長、名古屋控訴院検事長、長崎控訴院院長を歴任した。ということは、当時の福岡の弁護士もお世話になっていたわけですね。そのころ福岡の弁護士が長崎控訴院に行く時は当然泊まりです。丸山でドンチャン騒ぎしていたという大先輩弁護士の話が記録として残っています。
 手塚治虫は、母に対して限りない感謝と愛情を表明しているのに対して、父に対しては嫌悪感を抱いていた。いやあ、そうだったんですか。父と息子って難しい関係ですよね。
 治虫は、小学校では初め目立たない子どもだったが、次第にその才能が知られていった。家庭において、治虫は泣き虫でないどころか、ふだんはかなり強気で、頑固で、意地っ張りだった。目立ちたがり屋だった。人一倍自己顕示欲が強いが、そのくせ、心の底に鋭敏な感性に根差した弱さをかかえていた。
 手塚家は裕福であったうえに、父親がマンガ好きだった。ドストエフスキーの「罪と罰」は治虫にとって素晴らしい教科書になった。
 治虫は医学部を卒業して医師になったと思っていましたが、少し違うようです。治虫が入ったのは、医学部ではなく、医学専門部でした。卒業までは兵役が免除されるし、兵隊にとられても前線に出されることはないという理由からだった。医専は戦時下で急きょ戦地に赴く軍医を育成するため、にわかに作られた医者養成課程である。医学部と医専とでは、大きな開きがあった。医専は兵役逃れの駆け込み寺といえた。
 手塚は流行に敏感で、子どもの感性を重視する。こうした態度は終生、過敏なまでに手塚の心を支配していった。売れっ子になった手塚は、1日の平均睡眠時間は1〜2時間でしかなかった。眠りながら筆を動かした。
 ストレスと疲労が極限に達すると、手塚は無理難題を原稿取りにやってきた編集者にふっかける。それによって休息するためであった。いやあ、超人的ですね。
 手塚は、ほぼ2,3年ごとにアシスタントの交代を促した。もちろん独立するようにという親心からだが、もう一方には、手塚自身が若い人の感性を吸収するためでもあった。
 手塚は1961年1月に医学博士の学位を取得した。
 手塚は流行を取り入れ、劇画風の画風やテーマを取り入れた。これには大きな苦痛が伴った。体が覚えている、それまでの表現スタイルをスイッチしなければいけないからだ。
 手塚は少しでも自分の人気が下がると落ち込み、もうオレはダメではないかと頭を抱え込んだ。病気で何週間も休むと、読者から忘れ去られてしまうと本気で思い悩んだ。
 手塚治虫全集は、なんと、今400巻。これを総計1900万部売りつくした。手塚の歴史ものは、教科書に出てくるような偉人に焦点を合わせるのではなく、歴史に翻弄される名もなき人々に光を当てる点に特徴がある。
 手塚治虫には、私も大変お世話になりました。「鉄腕アトム」なんて、いま見ても、おそらく最高傑作ではないでしょうか。
(2008年9月刊。2400円+税)

人生は勉強より世渡り力だ!

カテゴリー:社会

著者:岡野 雅行、 発行:青春新書
 痛くない注射針を作り上げた東京下町の町工場のオヤジさんなのですが、その言葉には重みがあり、なるほど、と思うところがいくつもあります。
 本業以外のプラスアルファを持つことが大切だ。
 勝負は、ふだんから人付き合いにどれくらいお金を使っているか、だ。誰が価値ある情報を持っているか、まずそれを見極めなければいけない。
 世渡り力というのは、こすっからく生きていく、安っぽい手練手管ではない。人間の機微を知り、義理人情をわきまえ、人さまに可愛がられて、引き上げてもらいながら、自分を最大限に活かしていく総合力である。仕事で頭をつかわない奴は伸びない。ただ真面目なだけではダメ。
 自分の仕事は安売りしてはいけない。ただし、そのためには、他人(ひと)にできないことをやる必要がある。
 変わり者と言われるような人間じゃないとダメ。変わっているから、他人(ひと)と違う発想ができるし、違うものが出来る。他人と同じようなことをするのが世渡りのコツだと思うのはとんだマチガイだ。何かしてもらったら、4回、お礼を言う。そうすると、言われた人は感動して、また誘ってやろうという気になる。
 いやあ、さすがに出来る人の言葉は違いますね。変わり者だと言われることも多い私は、この本を読んでひと安心もしました。
 アメリカ領事が日米安保条約の必要性を力説する講演会に出席しました。このとき領事は、北朝鮮がハワイに向けてミサイルを発射したとき、日本の自衛隊は自分の国を攻撃されるわけではないから何もできないことになるが、それではアメリカ国民は納得しないと強調していました。でも、北朝鮮がハワイを狙ってミサイル攻撃をするなんて考えられるのでしょうか。日本本土の上で北朝鮮のミサイルを迎撃してやっつけるというのですが、その真下に住む人は大惨事に巻きこまれてしまいます。ミサイルを確実に撃ち落とすことは不可能です。そもそも北朝鮮がミサイルを発射しないようにするのが政治の義務ではないでしょうか。軍事力は戦争の抑止力になると力説していましたが、本当でしょうか。軍備拡張競争になってしまうのではないでしょうか。アメリカ領事の話は、考えれば考えるほど、本当に日本人として納得できないことばかりでした。
(2008年9月刊。750円+税)

イマイと申します

カテゴリー:社会

著者:日本テレビ報道特捜プロジェクト、 発行:新潮文庫
 私も最近、振り込め詐欺の被害者から相談を受けました。例の葉書が送られてきたので、ケータイ料金を滞納したという督促内容に心当たりはなかったものの、つい心配して電話をかけてしまったところ、わずか二日間で200万円もの送金してしまったという事件でした。そのとき、東京の「弁護士」が二人登場してきます。そして、被害者は20代の独身女性でしたが、50代の母親も止め役にはならず、一緒になって定期預金を解約してまで娘のために送金してしまったというのです。
 この本は、振り込め詐欺や宝くじ詐欺の犯人団に迫り、海外まで飛んで行って、その実像を暴こうとしたものです。
ドイツ国営のロトサービスセンターから、宝くじ800万円に当選したという手紙が届いので、そのために30万円も振り込んでしまったという。日テレの取材班が代わって電話すると、コールセンターは実はドイツではなく、オーストラリアのシドニーにあることが判明した。海外にインターネットを利用したIP電話で転送されているらしい。
 そこで、日テレ取材班はシドニーに飛んだ。そこには、日本人女性を含んだテレコールセンターが確かに存在した。しかし、日本人女性たちは素顔をさらすことはなかった。
 昔、豊田商事というのがありました。金の延べ取引をしてもうけているという宣伝文句でしたが、実際には純金なんてまったく扱っていなかったというインチキ商法でした。このときもパートのおばちゃんたちによるテレコールセンターが「活躍」しました。時給1000円でひっかける役割を担ったのです。自分が話す儲け話のセールストークが本物なら、時給1000円なんてものではありません。 ところが、パートの女性たちは時給1000円をもらいながら、100万円を投資したら数ヶ月で何百万円にもなるというような夢のような話を売り込んでいたのです。シドニーにいた日本人女性も、同じようなことをしていた(させられていた)わけです。
 日本で海外宝くじの販売は違法である。このダイレクトメールは、一通当たり200〜300円のコストがかかっている。いったい日本、そして世界にどれだけ送られているのだろうか。ダイレクトメールはフランスから送られ、その返信先はすべてオランダ。オランダの私書箱が返信用封筒の宛先となっている。
 フランスから発送するのが最も安いから。ただ、大量に送ると日本の税関に捨てられてしまうので、小分けにして何回も送る。1年間に送るダイレクトメールは、日本だけで500〜600万通。世界全体では年に8000万通になる。宝くじにあたった人は一人もいない。まるでインチキなのである。いやあ、これってすごい数ですよね。それだけの経費をかけても十分採算があうのですね。
 ハガキに書かれている電話番号は、電話転送を請け負う業者のもの。そこに電話をかけると、自動的に転送されて、この振り込め詐欺グループの携帯電話にかかる。間に転送業者をはさむため、詐欺グループが電話を受けたときも、転送業者への支払いが発生する。
振り込め詐欺の舞台裏を暴くという点ではもうひとつ物足りなさを覚えましたが、その真相に迫るという点で、勉強になりました。
(2008年9月刊。740円+税)

清冽の炎(第5巻)

カテゴリー:社会

著者:神水理一郎、出版社:花伝社
 今から40年前、全国の大学で学生がストライキに突入し、毎日のようにデモ・集会があっていました。今のおとなしい大学生の姿からは想像を絶する事態です。東大でも日大と並んで、全国の学園闘争の天王山として激しい闘争が半年以上も続きました。今をときめく政府高官もその時代の人間です。町村前官房長官は右翼スト収集派の親玉として東大・本郷で策略を得意としていました。舛添要一厚労大臣は同じく駒場でスト解除派で動き、代表団(10人)に立候補したものの、見事に落選しました。鳩山邦夫国務大臣は日和見ネトライキ派だったのではないでしょうか。少し前に自殺した新井将敬自民党代議士は過激な全共闘の闘士でした。
 「清冽の炎」の第5巻が出て、1968年4月から翌1969年3月までの1年間の東大駒場を中心とする東大闘争の全体像を明らかにするシリーズが一応完結しました。1巻は闘争の始まるまでと勃発した直後(4,5,6月)、2巻は無期限ストへ突入してからの状況(7,8,9月)、3巻は全国学園闘争と結びついて高揚すると同時に、学内で要求実現のために団交を目ざす取り組み状況(10,11月)、4巻は、ついに全学団交を勝ちとる一方で、警察による安田講堂攻防戦がショー化していった状況(12,1月)が語られています。
 今回の5巻は、全学ストを解除し、授業再開に至る経緯という地味な場面となります(2,3月)。しかし、そこで問われていることは、今日なお通じる大切な提起です。つまり、キミは、これから知識人としていかに生きていくのか、という問いかけです。これは地域で地道にセツルメント活動をした学生にとっては、まさしく人生をかける重たい問いかけでした。また、組織に入るのかどうか、労働者階級を裏切らない生き方は可能か、そのためには何をしたらよいのか、などについても真剣に議論していました。
民主的な官僚はやはり必要ではないのか。官僚機構を内側から健全なものに変えていく努力が必要なのではないか。このように問いかけて官僚になっていった学生活動家がたくさんいました。それは全共闘にも民青にも共通しています。そして、彼らは今どうしているのでしょうか?
そんなことは幻想だ。そんなに簡単に決めつけてはいけません。私の知る限り、裁判官のなかにも学生時代のそんな思いを変えることなく持ち続けている人は少なくありません。
 では、企業に入ったらどうなのでしょうか。労務管理ばかりをさせられることになってしまいかねないんどえはないか・・・。私の友人にも早々と見切りをつけて、今は弁護士また教師になった人がいます。一人はノイローゼになりかけたと言っていました。
 第1巻が発刊されたのは2005年11月でしたから、1968年4月から1969年3月までの1年間が今回の5巻で完結したのは3年ぶりだということになります。
 著者は、自分の手元に残っていたメモやチラシ・総括文集だけでなく、当時のことについてふれた本の大半を探し求め、国会図書館にある当時のチラシ・パンフを合本した資料、そして関係者からの聞き取りなど取材収集に10年以上かけたということです。そんな膨大な資料をもとにして一つのストーリーにまとめた読みものにするのは至難のわざです。弁護士活動の合間にまとめたというのは、たいしたものと言ったら身びいき過ぎでしょうか。
 登場人物があまりに多いため、いささか読みにくいことは否めませんが、東大闘争そのものが主人公の本であると思って、そこを少々我慢して読み続けていくと、当時の学生の青春日記でもあることがきっと分かると思います。思いがなかなか通じないホロ苦い青春の日々が激しい闘争に明け暮れるなかで爽やかに描かれている本でもあります。
 相変わらずさっぱり売れていないようです。ぜひ、書店で注文して買って読んでやってください。東大闘争の全貌とその過程を語るときには絶対に欠かせない本であることは私が責任をもって保証します。
        (2008年11月刊。1800円+税)

色を奏でる

カテゴリー:社会

著者:志村 ふくみ、 発行:ちくま文庫
 10月のなかばに福島に行ったとき、県立美術館で志村ふくみ展があっていて出会った本です。展示されていた織物、そして糸の色合いの素晴らしさに感嘆して、この本を買い求めました。カラー写真で、たくさんの色が紹介されていますが、現物にはまったくかないません。でも、写真でおよそのイメージはつかめます。
緑と紫は決してパレットの上で混ぜるな。ドラクロアは、このように警告した。
 緑と紫は補色に近い色彩だ。この補色どうしの色を混ぜると、ねむい灰色調になってしまう。ところが、この2色を隣り合わせに並べると、美しい真珠母色の輝きが出る。これを視覚混合の作用という。
 また、赤と青の糸を交互に濃淡で入れていった着物を見て、ある人が美しい紫だと言った。しかし、そこには紫は一色も入ってない。これが補色の特徴であり、視覚混合の原理だ。いやあ、そうなんですか。ちっとも知りませんでした。
 ゲーテが、色彩は光の行為であり、愛苦である、と言った。光が現世界に入って、さまざまの状況に出会うときに示す多様な表情を、ゲーテは色彩としてとらえた。
 植物(木)を炊き出して色を得る。しかし、時期はいつでもいいというわけではない。植物にも周期があって、春を迎えるためにために桜が幹の中に、枝の先々まで花を咲かせる準備をしていた、その時期こそ、見事な色が出る。同じように、梅も刈安(かりやす)も、花の咲く前、穂の出る前の色に精気がある。
 植物が花を咲かせるために、樹幹にしっかり養分を蓄えて開花の時期を待っているとき、残酷なようだけど、そのつぼみの季節に炊き出して染めると、えもいわれぬ初々しい、その植物の精かと思えるような色が染まる。
 草木の染色から直接に緑色を染めることはできない。緑したたる植物群の中にあって、緑が染められないなんて、不思議なことだが事実だ。青と黄を掛け合わせて初めて緑が得られる。藍がめに刈安・くちなし・きはだなどの植物で染めた黄色の糸を浸けると、緑が生まれる。
 織物の色を作り出す仕事をしている著者が写真つきで、たくさんの色を解説してくれています。色は光の加減で生まれてきます。そもそも、色に実体があるのかないのか、私には良く分かりませんが、この本に出てくるさまざまな色調と、それを言い表す言葉の豊富さに、私は目を見開くばかりです。よく晴れた秋の日の昼下がりに美術館を訪れ、目と心を洗っていい気分でした。福島大学が移転した跡地が広々とした美術館になっています。
 10月末に別府に出かけました。駅前の横丁に有名なラーメン屋さんがありましたが、まったくの更地になっていました。地元の人の話によると、高層マンションを建てる計画があるそうです。別府駅前の商店街もシャッター通りにまではなっていませんでしたが、かなり寂れていました。
 夕食をとるためにステーキハウスに入りました。横丁の2階にある小さな店です。コース料理を頼むと、魚のほうは少し皮が焼きすぎて固くなっていましたが、豊後牛のほうは、久しぶりに肉を堪能することができました。ナイフを入れるとスーッと切れます。レアを注文したので、ほどよい赤さが目に快く、いかにも美味しそうで食欲をそそります。実際、口に入れると舌の上でとろけてしまう柔らかさです。そのうえ、さっきまで大自然のなかに放牧されていたと思わせる牛肉の香り高いうまみが口中にひろがり、幸せ感をもたらしてくれるのです。いつものようにテーブルワインを2杯飲みながら美味しくいただきました。そのあと、久しぶりのスギノイ・ホテルで温泉に入り、満ち足りて夜10時過ぎにシャンソンを聴きながら眠りに就きました。 
(1998年12月刊。1000円+税)

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