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カテゴリー: 社会

私たちはいかに『蟹工船』を読んだか

カテゴリー:社会

著者:エッセーコンテスト入賞作品集、 発行:白樺文学館
 小林多喜二の『蟹工船』を今の若者がどう読んでいるのか。この本を読んで、私も大いに目を開かされました。私の中学・高校生のころよりよほど自覚的だと感心してしまいました。
 『蟹工船』の世界は昔のことではなく、いま起こっていることである。「団結」の意味を認識した、しかし現状では「団結」することが困難であること、それでも、その困難を打開しようとする意思を表明したものが目立った。このように評されています。
 精神科医の香山リカ氏は、「いまの若者にはプロレタリア文学の代表作である『蟹工船』の世界を理解するのは難しいにちがいないと思い込んでいたが、まったくの間違いだったことに気づき、そして恥じた」と評しています。
 大賞をとった山口さなえ氏(25歳)は次のように書きました。
 『蟹工船』の第一印象は、現実世界への虚無感と絶望だった。私たちは、もう立ち上がれないと思った。この行き場のない感覚をどうしたらよいのだろうか。労働者としての何らかの意識、闘争のための古典的な連帯はほとんど存在しない。私の多くの友人知人はまるで人間性を喪失した世界を浮遊する。
 『蟹工船』で描かれた暴力と支配は、いまも見えない形で続いている。バブル時代の熱狂を知らず、競争教育に導かれた青春時代を過ごし、団結とか連帯なんていう言葉すら知らない、いや、その言葉に不信さえ感じている。
 敵が誰なのか見えない。しかし、どこからともなく攻撃し、労働者の心と体を撃ち抜き、知らぬ間に休職させられる。敵がどこにいるのか、誰に憤りを感じればいいのか分からない。いつでも誰にでもそれが起こりうる、どこかの戦場の最前線にいるような感覚がある。焦り、虚無感、絶望――。
 高校生の神田ユウ氏は次のように書いた。
 心の中に、まるで稲妻がピカっと光ったかのような感覚がしばらく続いた。この『蟹工船』は、私があったこともない曾祖父や曾祖母の時代の話だ。だが、ふと考えたとき、根本的には、今でも何も変わっていないのではないか。
 かつて、日本でも、政治的・社会的問題や学問的問題に対して「学生運動」が盛大に行われたことがあったと聞いている。しかし、それも50年くらい前のことである。本来なら、他の国の人たちにも誇るべき日本人の温厚さが近年のいろいろな問題を引き起こしてきた一つの要因になっているとしたら、とても嘆かわしい。
 『蟹工船』は、悲惨な出来事をただ述べたものではなく、言論がまだ自由でなかった時代に、命を懸けてでも「世の中の矛盾を一人一人がもう一度考えて行動してほしい」というメッセージを送ったのではないだろうか。そうであれば、もっと学校でも積極的に取り上げて、大勢の人の心に問うべきだと思う。正しい心を失いつつある一部の大人たちにも、この作品に出会える機会をぜひ与えてほしい。
 うむむ、これは鋭い指摘です。「今どきの若者」にではなく、むしろ、私たち大人こそが「正しい心」を取り戻すために読むべきだというのです。これには参りました。
 同じことを、34歳の狗又ユミカ氏も訴えています。
 業務請負型派遣で働く人なら、すべてが他人事(ひとごと)ではない、と思うだろう。いま、まさに『蟹工船』に乗って働いているようなものなのだから。間違いなく、『蟹工船』は、すべての人間である人が、生涯に一度は人間の心を取り戻すために読むべき一冊だ。
 20歳の竹中聡宏氏もまったく同じことを訴えています。
 『蟹工船』は、現代の世の中に監督たちがかけたモザイクを取り払った姿だ。モザイクがかかっていること自体に気づいていない人は、ぜひ『蟹工船』を読むべきだ。ああ、こんな大変な時代があったのだなあと感嘆して、この本を閉じてしまうのなら、多喜二の死は報われない。私たちは立ち止まり、現代の日本社会をじっくり俯瞰してみる必要がある。はたして国家は真に国民の味方たり得ているのか。資本家による搾取は過去の遺物なのか、と。
 『マンガ蟹工船』は、私はまだ読んでいません。現代若者のイメージをかきたてる本として、とてもいいマンガのようですので、私も読んでみようと思っています。それにしても、派遣労働の若者を人間扱いせず、金儲けの道具として簡単に切って捨てていく現代日本社会の異常さは、正さなければいけない。つくづく私もそう思いました。それを許したのは、まだ20年にもならない、自民党政権なのですからね。働く者を人間らしく扱うのは、国家の基本を守ることだと私は確信しています。とてもいい本です。150頁足らずの薄い本ですので、皆さんに強く一読をおすすめします。
(2008年2月刊。467円+税)

臨床瑣談

カテゴリー:社会

著者:中井 久夫、 発行:みすず書房
 70代半ばの高名な精神科医による自由な随想なのですが、丸山ワクチンの効能を改めて紹介するなどして、いま世間の注目を集めている本です。
 私もこの本を読んで、これまで持っていた丸山ワクチンに対する誤解と偏見から脱け出ることができました。なるほど、ふむふむ、そういうことだったんですか……という具合です。
 がん細胞は、一日に何万個という単位で私たちの体内で発生している。しかし、その圧倒的部分は除去される。つまり、毎日できるガン細胞のごくごく一部だけが生き残っているわけだ。
 ガン細胞は、決して正常細胞より強いというわけではない。たとえば、ガン細胞は健康細胞より熱に弱い。闘うといって気負い立つと、交感神経系の活動性が高まりすぎる。ガンも身のうち、とおおらかに構えてみよう。
 胃の粘膜が青年のように若々しい人、肺活量が大きい人の中には、ガンを持ちながら何年も生存し、社会的活動の出来る人がいる。
健康の第一は、よく睡眠をとること。正常細胞は午前2時から3時までに細胞分裂過程のうちの一番きわどい時期を通過する。だから、この時間は眠っていた方がいい。睡眠中に昼間の活動の乱れが直されることは多い。
第二に、おいしいものを食べること。
第三に、笑う。無理にでも笑顔を作って、脳をだましてみるのだって良い。
なお、避けても良い手術、後に延ばせる手術は急がないほうがいい。
丸山ワクチンには、A液とB液とがある。1ccが一つのアンプルに入っている。1日間を置いて、AとBとを交互に皮下注射する。皮内でも筋内でもない。A、B、A、Bと半永久的に繰り返す。40日分で、郵送だと1万500円で入手できる。
 この本の著者は、この丸山ワクチンのおかげで前立腺がんになっても、6年間、無事に生きています。そして、こうやって本を書いたのです。丸山ワクチンは、ガン細胞を攻撃するのではなく、それを囲い込むものだから、ということのようです。
 読んで、決して損しない本があります。この本が、まさにそうだと思います。 
 稲刈りは終わったようです。庭には、いま縁がピンクのエンゼルストランペットの白い花が盛大に咲いています。リコリスに良く似たヒガンバナ科の花も咲いています。輝きに満ちた鮮やかな黄色です。目がぐいぐい魅かれます。
(2008年8月刊。1800円+税)

イソップ株式会社

カテゴリー:社会

著者:井上 ひさし、 発行:中央文庫
 いやあ、井上ひさしって本当にうまいですね。実に見事なストーリーテラーです。ほとほと感心しました。
 夏休みに一人の少女が海や山の避暑地へ出かけ、そこで出会った様々の出来事を通じて少しだけ大人になった、そんな話なのです。ところが、それに世界と日本の昔話をアレンジした小話(小咄)が添えられていて、それがまた見事なのです。
 参考資料に『世界児童文学百科』などがあげられていますので、原典はあるようですが、ピリリとしまったいい話になっているのは、やはり、井上ひさしの筆力だと思います。
 読売新聞の土曜日朝刊に連載されたもののようですが、子供だけでなく、大人が読んでも楽しい、心をフワーッとなごませてくれる読みものです。
 イラストを描いた和田誠の絵も雰囲気を盛り上げています。 
 福島の飯坂温泉の先にある穴原温泉に行ってきました。久しぶりに木になっているリンゴを見ました。学生時代以来のことです。毎朝食べている紅いリンゴをたわわに実らせているリンゴの木がたくさんありました。熊が山からリンゴを食べに降りてくるので、夜は出歩かないように注意されたのには驚きました。
 夜、同期の弁護士で話し込みました。なんと、二人も詩人がいるのです。一人は昔から仙台でがんばっているみちのく赤鬼人です。もう一人は、最近、急に詩に目ざめた守川うららです。金子みすず記念館に行って開眼したようです。自作の詩を朗読してもらい、みんなであれこれ批評しました。七五調は調子はいいけれど、俗っぽくなったり、作者の言いたいことがよく伝わらない難点があるという先輩詩人の指摘はそのとおりだと思いました。やはり、自分の言葉で気持ちを素直に語るべきだというのが、みんなの共通した批評でした。ありきたりでない自分の言葉というものは意外に難しいものです。陳腐な、手垢のついた言葉ではなく、新鮮な、ハっとさせられる言葉の組み合わせで文章をつづりたいものです。久しぶりに詩を味わうことができました。
(2008年5月刊。740円+税)

東京の俳優

カテゴリー:社会

著者:柄本 明、 発行:集英社
私と全く同世代の、今をときめく俳優さんです。二枚目俳優というより、いわゆる性格俳優と言ったらいいんでしょうか。西田敏行のような、どっしりした存在感があります。役者生活も30年以上なので、その語り口は大変ソフトですが、内容にはすごく重みがあります。
 母親は東京・中野で箱屋の娘だった。箱屋とは、芸者の身支度から送り迎え、玉代(ぎょくだい)の集金などをする、今風に言うとマネージャーみたいな仕事をする人のこと。母親の父は、見番(けんばん)を勤めていた。見番とは、花街の事務所のようなもの。
 家にテレビが入ったのは小学5年生のころ。ええーっ、これって私と同じじゃないのかしらん。工学高校を卒業して、会社に入り、営業マンとして社会人の生活を始めた。そして、会社勤めの2回目の冬、仕事の帰りに早稲田小劇場の芝居を見に行った。それがとてもおかしくて、笑った、笑った。そんな経験をしたら、会社勤めが厭になって、入社2年目、20歳のとき、つとめていた会社を辞めてしまった。
 そして、アルバイトをして生活するようになった。「紅白歌合戦」にも大道具係として関わった。昼間は映画なんかを見て、それでも月15万円の給料がもらえた。うーん、古き良き時代です。
 劇団員募集に応募したけれど、すごいコンプレックスを感じていた。自分だけが、みんなから、どうしようもなく遅れているって……。
 はっきり言って、観客は敵である。なぜなら、観客は必ず何かを舞台から見つける。そういう目で舞台を見ている。あっ、いま、間違った。こっちはいいけど、あっちは下手だな、とか…。
 俳優という名の「檻」に入ってしまったら最後、人に見られることを常に意識し、それを一生の仕事にすることになる。俳優は、人間が「檻」のなかにいて、いつも人目にさらされている。しかも、「檻」の中にいる以上は、生(ナマ)の人間であってはいけない。名優と呼ばれる人は、「檻」があるのを分かって、「檻」から出たり入ったり、自由なのだ。
偉い役者は、演技はしているが、演技なんてしていないように見える。その人物になりきっている。自然な行為の中の不自然、不自然ななかの自然である。
 俳優に向かない人は、いない。誰だって、俳優になろうとすれば、なれる。
 ただ、恥ずかしがる子には、俳優としての未来がある。
 中村勘三郎、藤山直美など、名優は観客と決して仲良くなってはいけない。
 勘九郎が落ち込んでいる著者に向かって、こう言った。
 柄本さん、毎日、いい芝居なんかできるもんじゃないですよ……。
 すごく味わい深い、演劇に関する分かりやすい本でした。 
 毎朝のようにたくさんの小鳥たちが近くでかまびすしく鳴き交わしています。ヒヨドリも騒々しいのですが、20羽ほどもいるのを見ましたので違うでしょう。ムクドリかと思いますが、よく分かりません。百舌鳥はキーッ、キーッと甲高い声で鳴きますし、カササギのつがいはカシャッカシャッと機械音みたいな独特の声で鳴き交わします。
 山のふとも近くに住んでいますので、朝早くから小鳥たちのうるさくもありますがにぎやかで楽しそうな声が聞けて幸せです。
(2008年6月刊。700円+税)

神様の愛したマジシャン

カテゴリー:社会

著者:小石 至誠、 発行:徳間書店
 著者はプロのマジシャンだそうです。有名なマジシャンのようですが、私はテレビを見ませんので、全然聞いたこともありませんでした。でも、この本はプロの小説家が書いたように、よくできていました。しっとり、じっくり味わうことのできる本でした。ついでに、マジックの種明かしもほんの少しだけなされています。だから、余計に面白いのです。だって、種明かしもしてほしいでしょ。
 マジシャンは、マジシャンを演じる役者でなければならない。つまり、テクニックを身に着けるだけではなく、マジシャンの醸し出す雰囲気を表現しなければならないということ。
 マジックの世界には、有名なサーストンの原則がある。種を明かさない。同じ現象を続けない。これから起きる現象を先に言わない。
 マジックには、不思議を感じさせる現象という表の部分と、決して見せてはならないネタという裏の部分がある。この、ネタという裏の部分と表の現象とが必ずしもイコールで結ばれてはいない。
 プロのマジシャンの場合、理解しにくいというか、決して見せてはいけない裏の技術部分より、より派手な現象を見せるということの方が重要であるに決まっている。
 実は、見ている観客には面白かったり楽しかったりするマジックこそ、演じているマジシャンにとっては大変厄介なものが多い。
 発表会のときのルール。もし演技中にマジックのタネがあからさまになったときには、照明をカットして暗転にする。
 チャイナ・リングはたった一本の指先に隠れるほど小さな切れ目がリングの一箇所にある。その切れ目はリングを持った指先に隠されていて、決して観客の目に触れることはない。
 「美女の胴切り」のタネ明かし。実は、箱の半分に全身を収めてしまう。周囲が黒く塗られていて、そんな大きな箱には見えないけれど、実際には、かなりのスペースが作られている。
 うむむ、私も、この3月にハウステンボスのマジック・ショーを見ました。そのときはあの図体のでかい、ゆっくりした動きしかしないはずのゾウが、たしかに一瞬のうちに消えてしまったのでした。
 大掛かりの箱物マジックショーには、百万円単位のお金が届いていた。出演料はわずか2000円だったころのことである。
 マジシャンは楽天的でないと務まらない。
 ハトを防止から飛び出させる芸を披露する人は、ハトを何十羽も自宅で飼育している。自宅に特別な部屋を作り、餌を入れたギールを置いておく。ずっとハトを訓練していると、舞台でも街灯を目指して飛んでいく。
 プロのマジシャンは、日本に300人以上はいる。
 自慢の技術を評価されてはいけないのが、マジシャンという職業である。
 マジックの特許なんて、まるでないのが実情だ。マジックの道具の値段とは、ほとんどトリックのアイデア料である。
東京でマジック・ショーを売り物にしているスナックというかクラブにいったことがあります。舞台でマジックが演じられるのではなくて、テーブルに回ってくるのです。いわゆる手品です。万札が次々に出てくるマジックには、みんな感嘆しました。お金を手に入れるのがこんなに簡単なら、誰だって、いつでもするよね、そんな感想が湧き上がってきました。 
(2008年6月刊。1300円+税)

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