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カテゴリー: 社会

ニセコ化するニッポン

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 谷頭 和希 、 出版 KADOKAWA
 私はスキーしませんので、ニセコのパウダースノーの良さが実感できません。ところが、ニセコの近くのペンションに泊まったことがありました。かなり前のことです。
今や人口2万人のニセコ町あたりに外国人観光客が160万人も来ていて、1泊が最低でも10万円とか15万円で、なんと1泊170万円というホテルもあるそうです。ニセコの公用語は英語で、富裕層の外国人観光客によってニセコは占められている。うひゃあ、そうなんですか…。そして、ニセコのコンビニ(北海道ローカルのセイコーマート)には、1万3千円の高級シャンパンが並んでいる。いやはや、こんな町にはとても近づけませんよね…。ニセコは、富裕層以外には敷居の高い観光地になってしまった。しかし、それでいいのだ。誰でも行けるニセコではない。それを求めたら、富裕層は逃げていく。
 今の世の中は「選択と集中」が求められているというのが著者の主張です。なるほどなるほど、そうなんでしょうね…。
 ニセコが成功した秘訣は、「選択と集中」によるテーマパーク化にある。「ニセコ化」に成功するとそこはにぎわう。そして、その陰で「静かな排除」が起きている。
東京の豊洲市場にある「千客万来」では「インバウン丼」(海鮮丼)は、なんと1万5千円もする。うに丼だと1万8千円。大阪の日本橋にある商店街「黒門市場」にも、神戸牛の串焼きは1本4千円、カニの足は4本で3万円という。目の玉が飛び出るほどの高さに呆れます。 
東京・渋谷は、インバウンド観光客の7割近くが訪問するところ。大々的な再開発が進行中で、高級ホテルがなかったのに、つくられつつある。かつて渋谷は学生を含む若者の町だったのですが…。渋谷は、もう若者の街ではない。ターゲットが変わったのだ。
東京の新大久保は、「韓国テーマパーク」化している。「韓流の街」なのだ。
 スタバとは、テーマパークである。私もスタバは利用しますが、他のコーヒーチェーン店よりカフェラテが出てくるのが遅くて、いつも少しだけイラっとしています。
 マック、すき家に次いでスタバの店は日本に多いそうです。かつて鳥取県にはスナバはあってもスタバはなかったのですが、今はあるようですね。
ブレンドコーヒーは、ドトール250円、タリーズ360円、スタバ380円。いやあ、こんなに違うのですね。私は、外に出て本を読むために入りますので、1時間すわれたら、250円であろうと380円であろうと気にしません。タバコをすわないのですから、1日にそれくらいの出費を気にする必要はありません。
 「びっくりドンキー」という日本人向けハンバーグに特化された飲食店チェーンが紹介されていますが、私は入ったことがありません。九州にもあるのでしょうか…。
 そして、丸亀製麺。ここは、「粉から手づくり」をモットーとし、それを客によく見えるようにしています。そして、トッピングをいろいろ選べますので、子どもは大いに喜びます。私も孫と一緒に入ったので、分かるのです。
 失敗したテーマパークとして、日光・鬼怒川にあった「ウェスタン村」、そして夕張市の観光施設が紹介されています。私の住む町にもちゃちなテーマパークがオープンし、わずか4年で倒産・閉園しました。その結果、30億円もの負債をかかえ、10年間、毎年3億円ずつ市は返済していきました。始める前にコンサルタント会社が一致して「赤字化必至」だと警告していたのに、それを市民に隠して市長たちは始めたのです。そして、たちまち赤字になって倒産しました。住民訴訟で市長の責任を追及しましたが、勇気のない裁判官たちは、市長の責任を弾劾しませんでした。今も思い出すたびに怒りがこみ上げてきます。
たまには、こんな本を読んで、世の中の動きを知らないといけないと思ったことでした。
(2025年1月刊。1650円)

追跡・公安捜査

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 遠藤 浩二 、 出版 毎日新聞出版
 警視庁公安部のとんでもない大失態を二つ紹介した本です。一つは30年前の警察庁長官狙撃事件、もう一つは最近の大川原化工機事件。
 まずは、國松孝次(くにまつたかじ)警察庁長官が銃撃された事件です。高級マンションから出勤しようとしたところを銃撃され、瀕死の重態になったのでした。
 結局、犯人は逮捕されないまま、公訴時効が成立してしまいました。しかし、著者たちは、銃撃した犯人はオウム真理教とは関係のない、中村泰という人物(最近、病死)であることを突きとめ、さらには、犯行を手引・援助した人物まで追跡しています。
 ところが、警視庁公安部は最後まで「オウム犯人説」にしがみつき、時効成立後の記者会見でも、そのことを高言した。そのため、オウムに訴えられて敗訴したという醜態を見せた。奇怪千万としか言いようがありません。
この本で注目されるのは、公安部といつも張りあう関係にある刑事部が特命捜査班をつくって、中村泰を犯人として証拠を固めていたという事実です。
 警視庁公安部は定員1500人で、公安部なるものは東京にしかない。公安部長は多くの県警本部長よりも格上の存在。公安部は家のかたちから「ハム」という隠語がある。
犯行を自白し、その裏付もとれている中村泰は1930年に東京で生まれ、東大を中退している。現金輸送車襲撃事件を起こし、強盗殺人未遂罪で無期懲役となり、2024年5月に94歳で病死した。
 のべ48万人もの捜査員を投入し、警察の威信をかけたはずの捜査は成果をあげられず、失敗に終わった。ところが、2010年3月30日、公訴時効を迎えた日に、青木五郎公安部長は記者会見して、「やっぱりオウムの組織的テロ」と述べた。
 それなら誰かを逮捕できたはずでしょ。それが出来ないのに、こんなことを堂々と発表するなんて、信じられません。案の定、オウムから名誉棄損で訴えられて100万円の賠償を命じられました。とんだ笑い話です。これは米村敏朗という元警視総監の指示とみられています。とんでもない思い込みの警察トップです。
 二つ目の大川原化工機の事件もひどいものです。東京地検はいったん起訴しておきながら、初公判の4日前に起訴を取り消した。私の50年以上の弁護士生活で起訴の取消なるものは経験したことがありません。よほどのことです。
 これは、功をあせった警視庁公安部のとんでもない失態ですが、それをうのみにして起訴した塚部貴子検事のミスでもあります。
 そして、誤った起訴の責任を追及する国家賠償請求裁判において、警視庁公安部の警察官2人が、驚くべきことを証言したのです。
 「まあ、捏造(ねつぞう)ですね」
 「立件したのは捜査員の個人的な欲から」
 「捜査幹部がマイナス証拠をすべて取りあげなかった」
 ここまで法廷で堂々と証言したというのは、よほど、公安部では異論があり、不満が渦巻いていたのでしょう。
大企業だと必ず警察OBがいるのでやりにくい。会社が小さすぎると輸出もしていない、従業員100人ほどの中小企業をターゲットにする。これは公安警察幹部のコトバだそうです。とんでもない、罪つくりの思い込みです。自分の成績をあげ、立身出世に役立つのなら、中小企業の一つや二つなんて、つぶれても平気だというのです。
 それにしても、大川原化工機では、社長らが逮捕されても90人の社員がやめることなく、また取引も続いていて、会社が存続したというのも驚きです。よほど社内の約束が強かったのでしょう。もちろん、みんなが無実を確信していたのでしょう…。すごいことですよね。警察の取り調べのとき、ICレコーダーをひそかに持ち込んでいて、取調状況を社員が録音していたというのにも驚かされます。捜査状況の録音・録画の必要性を改めて実感しました。
(2025年3月刊。1870円+税)

「新しい外交」を切り拓く

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 猿田 佐世、巌谷 陽次郎 、 出版 かもがわ出版
 「手取りを増やす」と称して支持を急増させている政党は、自民党の大軍拡予算にはもろ手をあげて賛成しています。そして、消費税の税率引き下げも要求することはありません。つまり、戦争に備えて軍備を拡張せよ、そのためには生活の切り下げは我慢せよと言っているのです。
 「手取りを増やす」どころではありません。ところが、マスコミ操作がうまいので、若者の支持を集めています。いずれは化けの皮がはがれるでしょうが、怖いのは、こんな与党支持勢力もあって、どんどん戦争が間近に迫っていることです。
 「新しい外交」は外交・安保政策のシンクタンクである「新外交イニシアティブ(ND)」のかかげているものです。
平和と民主主義、そして人々の多様性、人権、人としての尊厳に何の関心も持たないトランプがアメリカ大統領として、我が物顔で振る舞っているなか、戦争には戦争、武力には武力ということではなく、いろんなパイプを通じての外交努力が今、本当に大切だと思います。
トランプ大統領のアメリカは、今、国際秩序を目茶苦茶に破壊しつつある。日本は、そのようなアメリカに対して、これまでのように、ひらすら追従するのではなく、積極的に対話を求め、助言し、説得していかなければならない。
 これが、この本の主張です。まことに、そのとおりです。アメリカの国益と日本の国益は違います。アメリカが日本を守ってくれるなどという幻想を日本人は一刻も早く捨て去るべきです。
「アメリカ・ファースト」にこり固まっているトランプが捨て身になって日本を助けてくれるなんて、そんなことを信じるほうがどうかしています。振り込み詐欺(特殊詐欺)にひっかかって泣いている人が、いやあの人はきっとお金を返してくれるはずだ、信じたいと言っているのと同じです。ありえないことは、ありえないのです。
日本は今や「平和国家」という看板をおろして、「世界3位の軍事大国」になりつつあります。軍事予算が単年度で8兆円をこすなんて、信じられません。少し前まで5兆円をこすかどうかで大騒ぎしていたのがウソのようです。そして、この軍事予算の増大はオスプレイなど、アメリカの軍需産業がうみ出した老朽品、欠陥機をひたすら買い支えるために費消されるのです。嫌になります。
 また、武器輸出を「防衛装備移転」と言い換え、国民の目をごまかしています。
フィリピンにも、かつては広大なアメリカ軍の基地がいくつもありました。しかし、1992年に、すべ手のアメリカ軍基地を撤退させ、そこは民生用の工場とショッピングセンターになって繁栄しています。日本だって、同じことが出来るはずです。
この本でNDは、制度化されたマルチトラック(重層的な)外交を強力に提言しています。
 外交の制度化とは、国と国との関係を継続的に、定例化された関係にするということ。制度化すると、各国が省庁横断的に担当者を置いて、相互にメールなどでの日常的なやりとりをして、顔の見える関係になる。それによって情報公開も進み、危機対応も容易になっていく。そうして深い相互協力が実践されていき、戦争への機会費用が高くなって、国同士の衝突を避けるようになっていく。
 重層的(マルチトラック)な外交は、国の政府に限らず、知識人、議員、地方自治体、市民社会、ビジネス経済界など、各層で定例化され、恒常的で密な関係を構築していくこと。
 なるほど、ですね。弁護士会のレベルでの定期的な交流だって必要というわけです。日本人が弱いところを大胆に課題として提起した本です。広く読まれてほしいと思いました。
(2025年1月刊。1980円)

戦後日本学生セツルメント史の研究

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 岡本 周佳 、 出版 明石書店
 私は大学1年生の4月から3年生の秋まで学生セツルメントにどっぷり浸っていました。2年生のときに東大闘争が始まって1年近く授業がなかったので、なおさら地域(川崎市幸区古市場)をうろうろすることが多かったのです。
セツルメントで初めて社会の現実、そして日本社会の構造というものを認識するようになりました。あわせて自己変革が迫られたり、大変な思いもしました。でも、そこには温かい人間集団(セツラーの仲間たち)があり、とても居心地のいいところでした。
いったいセツルメントって何なの…、そう訊かれると、簡単には今なお言葉で表現できません。ボランティア活動なんでしょ、と言われると、いや、ちょっと違うんだけど…、そう思います。学生の慈善事業なんでしょ、そう言われると、もっと違う気がします。
 私は、地域の子どもたちを相手にする子ども会パートではなく、青年労働者と一緒のサークル(やまびこサークル)で活動する青年部パートで活動していましたが、サークルとは別にセツラー会議を開いて議論していましたから、「お前たちは俺たちをモルモットみたいに観察してるのか?」という疑問をぶつけられたこともありました。もちろん、そんなつもりはまったくありませんでした。
ただ、サークルに来ている若者たちの職場や家庭環境などを踏まえて、出てきたコトバや態度の意味をみんなで考えて深めていきました。これを総括と呼びます。この討論を文章化して合宿のなかで討議するのです。おかげで文章を書くのが苦にならなくなりました。それどころか、ますます好きになり、今もこうやって文章を書き、モノカキと称するようになったのです。
 セツルメントでは、実践記録を書くことが重視された。実践記録を通して「何を書くか」セツラーは鍛えられる。まさしく、そのとおりです。
 著者は、現在は静岡福祉大学社会福祉学部の准教授ですが、大阪府立大学でセツルメントのセツラーとして、児童養護施設に毎週通い、子どもたちと一緒に遊ぶという活動をしていました。
 この本は、学生セツルメントについて、通史として実証的に戦後の展開を明らかにしたものです。「学術書という性質上、全体を通してやや堅く、読みづらいと感じられるかもしれない」とありますが、たしかに、セツルメントに従事していたときの感動、そして、それを今、どのように仕事や生活に生かしているかという生々しい証言レポートがありません(実践記録の紹介はありますが…)ので、面白みにやや欠ける気はします。
 それでも、さすがに学生セツルメントの通史というだけあって、その歴史的変遷がよく分かりました。学生セツルメントは完全に消滅したと思っていましたが、実は今なお全国に10ヶ所ほど残っているということも知りました。でも、それは地域というより養護施設であったりするので、果たして学生セツルメント活動と言えるのかどうか、いささか疑問も感じられるところです。
 私が学生セツルメント活動に参加したのは1967(昭和42)年からのことですが、前年(1966年)に全国で活動しているセツラーは1万人を超えていました。そして、年1回の全セツ連大会は1000人ほども集まり、大盛況でした。大阪か名古屋で開かれた大会に参加するため東京駅から大垣どまりの夜行列車に乗って、みんなで行ったこともありました。東京駅のホームで「団結踊り」を踊ったり、まるで修学旅行気分の楽しさでした。
 私は若者パートでしたが、そこでは労働者教育というものはまったく感じられず(別に労働文化部があり、そこでは学習活動もすすめられていたようです)、むしろ私たち「学生が働く若者から学ぶ部分が非常に大きかった」というのは、まったくそのとおりです。セツラーは実践を通して学ぶということです。
 「労働の場に拠点を置いて労働者を変革するという考え方」を「生産点論」としていますが、私の実感にはあいません。それよりむしろ「学生自身が労働者との関わりを通して、何を学ぶかに力点が置かれている」という評価こそ私にはぴったりきます。「学びの内実は、観念的なものではなく、事実を通して現実を考える」ということです。
子ども会や栄養部の活動においては、「地域や住民らの要求を受けて住民とともにその生活課題の解決を図るという運動的性格」もありましたが、私にとっては、「セツラーの人間形成の場」としての意義が最大でした。
 1989年に全国学生セツルメント連合(全セツ連)は機能停止を宣言しました。しかし、これをもって全国一斉にすべてのセツルメントが解散し、機能を停止したというものではありません。すでに1983年には学生セツルメントの置かれた厳しさの指摘があります。これは1980年代に入って学生運動が衰退していったことと無関係ではありません。ところが、1980年代に入っても量的には拡大していったという事実もあるというのです。1983年時点でも全セツ連には全国67のセツルが加盟していて、新しく加盟しようとしているセツルもありました。
しかし、社会矛盾が以前ほどストレートに見えない状況にあり、セツルが財政難に直面し、運動に意義を見出せないセツラーが増加していくなかで、書記局体制が確立できなくなったのでした。全セツ連が1989年に機能停止をしたあとも、全国的なセツルの交流会は開かれました。1990年には第1回全国学生セツルメントフェスティバルが開かれ、2005年まで定期的に開催されたのでした。
 2019年の時点では、9つのセツルで確認されていますが、北海道、東北、関西であり、関東にはありません。ただし、名称からセツルをはずして子ども会としているのが、池袋や堀の内などにもあります。また、川崎セツルメント診療所やセツルメント菊坂診療所のようにセツルメントの名称をそのまま残しているところもあります。
 大阪府立大学セツルは、地域実践を離れて、児童養護施設で今も実践しています。
 最後に、終章の一文を紹介します。
 「戦後の学生セツルメントは、主体的かつ継続的な地域実践を通して地域の現実や要求に応じて新たな実践を創り出しており、結果ではなく、その過程を重視した。また、徹底的な討論や、地域住民とともに地域の現実に向きあって創り出された実践を通してなされたセツラー自身による主体的意味づけには一定の評価ができるのではないだろうか。また、人間形成・自己教育の側面もあった」
 350頁もの大作です。私も取材を受けましたし、私の本も紹介していただきました。本当にお疲れさまでした。学生セツルの通史を、こんなに立派にまとめていただいて、心よりお礼を申し上げます。著者より贈呈していただきました。重ねてお礼を申し上げます。
(2025年2月刊。5400円+税)

バルセロナで豆腐屋になった

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 清水 建宇 、 出版 岩波新書
 ええっ、こんなタイトルで岩波新書になるの…、それが読む前の第一印象でした。
 読み終わってみると、違和感はきれいさっぱり消えていました。サブタイトルは「定年後の『一身二生』奮闘記」となっています。朝日新聞の記者が定年後、スペインのバルセロナで豆腐屋を開業して10年間がんばった体験記です。家業が豆腐屋というわけではありません。それなのに、なぜ豆腐屋を、それもスペインのバルセロナという地方都市なんかで…。
 著者は記者時代、ヨーロッパ絵画の特集記事のためスペインにも行っています。 そのとき、どこよりもバルセロナが気に入ったのでした。街が美しく、食べ物がおいしい。そして、アジアから来た異国の人という奇異の目で見られることがなかった。これが、バルセロナを気に入った理由です。
 では、なぜ豆腐屋なのか…。豆腐や油揚げ、納豆が大好きなので、それなしの生活は考えられない。ならば、自分でつくってやろう。いやはや、とんだ(飛んだ)思考法ですね。私にはとても真似できません。大学生の長男、中学生の長女、次女に計画を話すと、すんなり受け入れられた。その前に妻(カミさん)の了解は得ている。
 2010年4月、62歳のとき、バルセロナで豆腐屋を開業した。今から15年も前のことなのに、とても詳細かつ具体的に話が展開していくのに驚きます。当時のメールやら計画書、領収書などが全部保存されていたからのようです。さすがは元記者ですね。まずは豆腐づくりの修業です。もちろん日本でします。
 油揚げの生地は、豆腐よりはるかに薄い豆乳でつくる。凝固せず、無数の小片が浮かんでいる状態にしてから水を抜き、型箱で固める。それを短冊状に薄く切り、最初は低温で、次に高温で揚げると、ふくらんでキツネ色になる。油揚げの生地の固さは、親指と人差し指で押して確かめる。がんもの生地は練っている途中でヘラを突っ込み、その手ごたえで判断する。大豆の煮え具合いは湯気のにおいでつかむ。青臭いにおいがするうちは、まだ煮えていない。甘いにおいがするようになれば出来あがりだ。豆腐づくりは全身をセンサーにしてやる仕事。手ごたえやにおいは数字に出来ないから、書くことも出来ない。途中からメモ帳とペンの出番はなくなった。
 なーるほど、手指の感覚にモノを言わせるのですね。私には出来そうもありません。
 著者の妻は佐賀市出身、名門の佐賀西高卒です。バルセロナでは鍼灸師そしてヨガの師匠として活躍しました。
豆腐屋の朝は午前5時起床に始まる。そして、店に着くと豆腐づくりを開始。午前中の販売を終えて、午後3時に一日で最初の食事をとる。
 ええっ、大丈夫なの…と驚くと、なんと著者は体重92キロだったのが、豆腐屋を始めて75キロまで落ちたとのこと。つまり、肥満だったのです。1日2万歩も歩いたそうです。
 豆腐屋には一年中、完全な休日というものはない。丸一日オフとなるのは、年に数回ある連休の初日だけ。忙人不老。忙しい人は老(ふ)け込まない。
 「あなたは、なぜその仕事を辞めないのですか?」
 この質問に対する答えこそ、職業選択の参考になる。なるほど、そのとおりでしょう。五大ローファームに入って企業法務の大きな歯車の一つになって何十年もして、果たして人生に満足できる人がどれほどいるか、私には疑問でなりません。
 奥付の上に著者紹介があり、はたまた驚きました。なんと、私と同世代(正確には私より1年だけ上)、団塊世代なのです。『論座』の編集長、「ニューステーション」のコメンテーター、論説委員を経たあと、スペインで豆腐屋を開業したわけです。その勇気と行動力に対して、心より敬意を表します。
 面白い本でした。
 
(2025年1月刊。960円+税)

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