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カテゴリー: 生物

もの思う鳥たち

カテゴリー:生物

著者:セオドア・ゼノフォン・バーバー、出版社:日本教文社
 鳥はバカな生きものではない。そのことがよく分かる本です。
 人間に苦しめられている地域にすむカケスやカラスの群れには、ひとりひとりの人間を細かく観察する監視役ないし番兵がいる。監視役の鳥が、銃をもっている人間を見れば、群れはすぐにそのあたりから離れるし、同じ人物でも銃をもっていなければ、そのことをはっきり認識する。銃をもっている人間と棒をもっている人間とは、きちんと見分ける。
 ハンターに撃たれて傷ついた一群のカラスは、ハンターたちが自分たちを撲殺しようと迫ってきたとき、激しい鳴き声をあげた。それを聞きつけた仲間のカラスたちは、現場に急行すると、ハンターたちを撃退した。
 仲間が傷ついたとき、自分が撃たれる危険をかえりみることなく、哀しそうな鳴き声をあげながらそばに寄りそうという、自己保存本能とはあいいれない行動が目撃されている。
 ボタンインコのつがいは、引き離されると、互いに相手を恋い慕い、思いがけず再会すると非常に喜ぶ。まるで人間と同じですよね、これって。
 鳥類のオスもメスも、性格特徴や身体的特徴をみて相手を決める。基本的には人間と同じだ。いやあ、そういうことなんですね。
 つがいを形成している鳥は、二羽がまるで会話でもしているかのようだ。語りかけられた側は、語りかけている鳥に注意を集中しており、同時に発声することは一度もない。多種多様の柔らかい抑えた音を出すのは、内輪の、親しい間柄にある相手のための、とっておきの声である。ふむふむ、鳥にも恋の語らいがあるわけです。
 ひなのときに捨てられ、親切な家庭で育てられたコクマルガラスは非常に社交的だった。自分の気持ちや感情をはっきり伝えた。無礼な扱いをされると、カラスは相手の爪にかみついた。ただし、傷つけはしなかった。自分が尊重されるべき存在であることを相手に伝えようとした。な、なーるほど、です。
 このカラスはテレビを観たし、はっきりした番組の好みをもっていた。特定の番組はいつも観ていた。気に入った曲(ジャズの一種)が流れると、激しく踊り狂った。自分の歌をうたい、その録音テープを聴くことを喜んだ。
 ブルーバードと名づけられたセキセイインコの観察記録は、さらに驚くべきものがあります。
 オスのブルーバードと一緒に生活するようになったメスのブロンディーは、ひと目ぼれの関係だった。これは、人間と同じく、セキセイインコにおいても、実はまれなことだった。ブルーバードとブロンディとは、陽気で喜びにみちあふれ、満足そうにみえる自然な性的関係を速やかに発展させた。いつも一時間ほど、前戯が長々しく続く。ブルーバードはブロンディに歌をきかせ、2羽は、愛の語らいにふけった。いやあ、すごいです。うらやましいです。
 ブルーバードが死んだとき、ブロンディは落ち込んでしまった。何もせず、いつもよりたくさん食べて、眠ってばかりいた。ブルーバードの代わりにラヴァーという3歳のオス(セキセイインコ)を同居させてもブロンディは相手にしなかった。ラヴァーはブロンディに相手にされないので、鏡の前に行って自慰的行動をしていた。そして、ブロンディが死んだときには、なんと、「かわいそうなブロンディちゃん。かわいいブロンディちゃん」と、ブロンディを思いやる言葉をかけながら、ブロンディの遺体のそばを飛びまわったというのです。これは、想像で簡単につくりあげることのできない、本当の話だと私は思います。いかが、でしょうか・・・。
 この本は、鳥にも人間と同じような感情があり情緒があると主張しています。私は、それを頭から否定するのは正しくないと考えています。
 鳥たちには、人間とまったく同じように、美しいものに対する感覚、美的感覚というものがある。鳥は、自分で歌を作曲して歌うこともできれば、2重唱や5重唱で歌うこともできる。
 私は、ある晴れた日の昼下がり、公園のフェンスに2羽の鳩がとまっているのを見たことがあります。鳩たちは、はじめは少し離れて止まっていたのですが、次第に近寄り、くちばしを重ねあい、やがて、いかにも濃厚なラブシーンを始めました。10メートルと離れてはいない人間の私がいることなど、まったく気にせず、ラブシーンは延々と続いていきます。人間でいうと、濃厚なフレンチキスの段階に至ったあと、鳩の一方が他方におおいかぶさり、交尾しました。その時間は長くはなかったように思います。2羽の鳩は、やがて何事もなかったように2羽とも仲良くフェンスから飛んでいってしまいました。
 相思相愛の鳩の夫婦のむつみあい、そして交尾の瞬間を初めてじっくりと見せつけられたわけです。その間、少なくとも10分間以上はありました。
 私は公園のフェンスの他方で、じーっと動かずに眺めていました。幸いにも、他の人間は誰も来ることがありませんでした。ある晴れた春の日に起きた、本当の出来事です。
(2008年6月刊。1905円+税)

暴力はどこからきたか

カテゴリー:生物

著者:山極寿一、出版社:NHKブックス
 ゴリラは弱いもの、小さいものを決していじめない。けんかがあれば第三者が割って入り、先に攻撃したほうをいさめ、攻撃されたほうをかばう。そして、相手を攻撃しても、徹底的に追い詰めたりはしない。ましてや、相手を抹殺しようとするほど激しい敵意を見せることはない。敵意を示すのは自分が不当に扱われたときであり、自己主張をした結果、それが相手に伝われば、それですむ。ここには明らかに人間とは違う敵意の表現がある。
 うひゃあ、これでは、ゴリラのほうが人間よりずっとずっと賢いということですね。
 古代の狩猟民は攻撃的だったという考えが間違いだということは証拠によって明らかとなっている。アウストラロピテクスは、仲間によって殺されたのではなく、ヒョウに捕食されていた。狩猟民たちは、戦いを好まない平和な暮らしを営んでいた。
 ゴリラのオスが立ち上がって胸を勇壮に叩くのは、自己主張のための行動であって、戦いの宣言というよりは、むしろ戦いをせずに引き分けることを意図したものだった。
 霊長類は食虫類から分化した。最初の霊長類は樹上で昆虫を食していたと思われる。つまり、霊長類は、被子植物に群がってくる昆虫を主食としていた。人間の体がサルたちより大きいのは、もともと弱い消化能力を補うという、類人猿と同じ理由による。
 樹上での生活は立体的に世界をながめる視覚を発達させた。三次元空間で食物、仲間、外敵の位置を正確につかむためには立体視が欠かせない。この能力を高めるため、目の位置が顔の側面から前方へと移動し、鼻づらが後退して両目の視野が大幅に重複するようになった。すなわち、樹上生活は人間の視覚のもっとも基本的な能力を築き上げた。
 ニホンザルもゴリラも、メスには単独で暮らす時期はない。ニホンザルのメスは生まれ育った群れを離れることはないし、ゴリラのメスは元の群れを離脱すると、すぐに他の群れに移籍する。他の真猿類の社会でも、メスは単独では暮らさない。それは、メスが他の個体と群がろうという強い傾向をもつためだ。真猿類は昼行性であり、果実などの植物の部位を食物としたことに関係がある。メスは、長い妊娠と授乳の期間中、自分だけでなく、子どもの栄養条件も上げる実用があるから。
 ニホンザルでは、年齢の若い妹のほうが姉よりも順位が高いなる。それは、年の若い娘を母親が庇護するから。ところが、チンパンジーやゴリラでは、メスが生まれ育った群れを出て、他の群れに移ってしまうので、メス間に血縁にもとづく強い結束は生まれない。
 ヒトの男の睾丸はゴリラより大きく、チンパンジーより小さい。精子の密度もちょうど中間である。
 ヒヒもチンパンジーも、メスは毎周期に2週間ほど性皮を腫脹させる。これは、メスが一頭のオスと独占的な交尾関係を結ばず、多くのオスと交尾することによって子どもの父性をあいまいにしようという戦略だと考えられる。オス同士がはりあってメスと交尾する権利を独占しようとするのに対し、メスは性皮を腫脹させて多くのオスを誘い、長期間にわたって交尾することで、どのオスにも繁殖成功の可能性を示している。
 ゴリラのメス同士の関係は実にあっさりしていて、互いにあまり深く関わらないようにしているようだ。メスたちが血縁関係にこだわらずに付きあっているからこそ、ゴリラのメスは親元を離れて見知らぬ仲間のもとへ移籍してもうまくやっていくことができる。
 ゴリラの若いメスの移籍は、恋人選びの旅の始まりである。ゴリラのオスは離乳期から思春期に至るまで熱心に子育てする。
 ゴリラのメスは、発情を迎えたとき、父親以外に成熟したオスがいなければ、群れの外に交尾の相手を求めて群れを離れていく。つまり、オスの子育てによる娘との交尾回避は、娘の分散を促進する効果をもっている。
 ニホンザルのオスにとって、群れとは生涯、身を預けるほど魅力のあるものではない。居心地が悪くなれば群れを出ればよいし、群れ生活が苦手なら、単独で暮らせばよい。
 チンパンジーは、仲直りにとても積極的である。攻撃を仕掛けたほうも、攻撃されたほうも、どちらからともなく近寄ってキスをし、手を握り、抱きあい、毛づくろいする。生涯にわたって自分の生まれた群れで暮らすオスたちは、他のオスの協力をいかに得て、自分の地位をつくるかが最優先の課題となる。
 ゴリラの仲直りは、対面して、じっと顔をつき合わせる行動である。ゴリラは体の接触が起こらない。ただじっと顔を寄せてのぞき込むだけ。接して触れあわずというのがゴリラの付きあい方なのだ。また、ゴリラに特徴的なのは、けんかを第三者が仲裁すること。
 ヒトもチンパンジーもゴリラも、和解するとき、相手とじっと見つめあう。まるで相手の意図を推し量るように相手の顔を見つめ、それから親和的な行動を示す。ボノボも同じような見つめあいをする。
 ゴリラたちは、顔を向けあい、視線を交わしながら、食事する。
 ヒトもサルもチンパンジーもゴリラも、みんな同じで、少しずつ違っているということがよく分かります。ヒトって、やっぱりサルの一種なんですね。
(2007年12月刊。970円+税)

アゲハ蝶の白地図

カテゴリー:生物

著者:五十嵐 邁、出版社:世界文化社
 前に同じ著者の『蝶と鉄骨と』(東海大学出版会)を読みました。著者は私より20年も年長の虫屋(正確には、蝶屋)です。世界中、どこまでも蝶を追い求めていく勇気と元気には、ほとほと感心します。なにしろ、乗っていた飛行機が墜落しても、多くの乗客が亡くなるなかで無事だったり、砂漠の中やトラのすむ密林の中をさまよったりするのです。うひゃー、そこまでやるか、という感じです。
 蝶の生態を明らかにするには、オスとメスの違いを一目で見分け、食草を求め、卵を産ませて育てなければいけません。根気づよい作業が求められます。虫屋って、そこまでするんですね。感動すら覚えます。
 日本の蝶愛好家はプロ・アマふくめて2万人。間違いなく世界一。たしか、今をときめく高名な保守政治家もそうでしたよね。
 日本の土着の蝶は233種。ところが、中国の蝶は1300種もいる。日本の土着種すべてを採集した人はわずか1人だけ。中国となると、1300種を採集するのは、容易なことではない。
 日本に産する蝶のほとんどが中国に産する。というより、日本に産する蝶は、中国の蝶のほんの一部に過ぎず、日本は中国の出店でしかない。
 蝶は、見たら欲しくなる。コレクションとは所有欲の究極のもの。けっして癒えることのできない煩悩である。なーるほど、そういうことなんですね。実は、私もよその家にある見事な花や木を見ると、すぐに欲しくなります。かといって、ドロボーするつもりはありませんので、何とかして買い求めたいと思うのです。ところが、これが案に相違して、なかなか容易なことではありません。近くの花屋で売っているとは限りませんし、通販でも容易に手に入りません。
 著者は、1969年7月、イラクへ出張を命じられます。その2年間の出張中、ひまを見つけて蝶の採集にいそしむのですから、並の神経の持ち主ではありません。砂漠の国イラクにも蝶はいるのですね。もちろん、砂漠に蝶がすんでいるわけではありません。
 アゲハチョウは、特有のしっかりした方向性のある飛び方をする。モンシロチョウのような、チラチラと左右にゆれる飛び方はしない。
 蝶を探すときには、食草となるウマノスズクサ科の草を探せばいい。
 一般に、蝶は雌が羽化するころには雄が待っていて、すぐに交尾するもの。だから、自然の中を飛んでいる雌に未交尾雌はいない。ところが、現実には飛んできた雌が未交尾のことがあった。ふむふむ、そうなんですか・・・。
 普通のアゲハチョウは、飼育していると、1週間に1度くらいの割合で脱皮し、孵化後30〜40日で蛹になる。いやはや、じっくり飼育までして観察するのですね。
 すごい本です。世界のアゲハ蝶のいくつかがカラー写真つきで紹介されています。なるほど、なるほど、大のおとなを虜にしてしまう魅力があることがよく分かります。
(2008年2月刊。2800円+税)

恐竜はなぜ鳥に進化したのか

カテゴリー:生物

著者:ピーター・D・ウォード、出版社:文藝春秋
 鳥類は、哺乳類に比べてずっとわずかな酸素しか必要としない。鳥類は、哺乳類にとっては命取りになる高度に存在できるだけでなく、酸素の乏しい空気のなかで飛べる。動物界で知られている限りもっとも極端な身体活動ができるというのは、まったく不思議としか言いようがない。
 この本は、恐竜の生き残りが鳥であるということを立証しようとした本です。私は、この本を読んで、ますます、なるほど、と思いました。
 酸素をつかって代謝という化学反応をおこなう酸素呼吸は、多くの細菌がとっている無酸素呼吸の10倍ものエネルギーを生み出す。複雑な生命は膨大なエネルギーを必要とする。そのためには簡単に獲得できる大量のエネルギーがいい。酸素を用いる代謝だけが、動物の生きていくのに十分なエネルギーを与えてくれる。静止しているときの鳥類の呼吸システムは、いかなる哺乳類の肺よりも、少なくとも33%は効率がいい。
 小型の恒温動物の心拍数は、驚くほど速く、1分間に100をゆうに超える。これは血液が全身にすみやかに循環することを可能にし、酸素濃度が低いときには利点になる。鳥類が、同程度の大きさのトカゲより高い場所で生活できる理由の一つは、これである。
 内温性は、大気中の低酸素に対する適応として始まったという俗説を著者は提唱しています。現生のワニ類の大多数は、すべて変温動物である。鳥類は温血である。恐竜も初期の鳥類も、すべて変温動物であり、鳥類の内温性は、おそらく白亜紀の最後まで出現しなかった。
 2億5000万年前から2億4500万年前までの500万年のあいだの三畳紀前期、酸素濃度は10〜15%という最低レベルにまで落ちていた。すべての動物にとって大変苛酷な環境である。しかし、苦難のときは、進化と新しい工夫のエンジンを始動させる最良の起爆剤でもある。長引く酸素危機にうまく対処できる呼吸システムを誇る新しい種類の動物が出現した。哺乳類と恐竜である。
 恐竜は、三畳紀の低酸素期、つまり酸素濃度が5億年のうち最低であった時期か、その直後に進化したもの。つまり、その体制は、低酸素に対する適応の結果なのである。
 恐竜の数が増え始め、大きさが増大するのもジュラ紀から白亜紀にかけてのこと。酸素濃度は上昇していった。
 竜盤類恐竜は、競争するうえで優れた呼吸システム、最初の気のうシステムをもっていたため、他のどんな陸生脊椎動物よりも低い絶滅率を保った。
 大型の竜盤類と小型の竜盤類が別々の道を歩み、小型の竜盤類が後に、酸素レベルが急激に下落したジュラ紀に内温性を進化させた。それが鳥類につながった。
 恐竜は6500万年前に完全に絶滅してしまった。
 いかなる哺乳類も、標高4200メートル以上では繁殖できない。この酸素レベルは、ジュラ紀初期の酸素レベルに対応する。6500万年から2億年の歳月をかけて胎盤方式を精緻なものにしあげた動物が哺乳類なのである。
 いやあ、わが家の庭に毎日やって来る可愛い小鳥たちの祖先が何億年ものあいだ地球上を支配していた巨大な恐竜だったとは驚きです。まさしく事実は小説より奇なりですね。
 朝6時ころ目を覚ますと、外でウグイスがホーホケキョと、澄んだ声で歌っていました。心の洗われる思いがしました。早くも駅舎のツバメの仔どもたちがエサをねだっているのを見ました。
(2008年2月刊。2238円+税)

カカトアルキのなぞ

カテゴリー:生物

著者:東城幸治、出版社:新日本出版社
 2002年4月、昆虫類に新たな目(もく)が追加されました。
 昆虫類は、地球上の全生物種の半数を占めるほど種類が多いのですが、新目(もく)の発見となると、88年ぶりなので注目を集めました。
 昆虫類は、名前がつけられているものだけでも100万種ある。昆虫が誕生したのは4億年以上も昔のこと。
 新しい目であるカカトアルキを発見したのはドイツの大学院生ゾンプロ。4500万年前のバルト琥珀に閉じこめられている1体の昆虫化石を見て、知っているナナフシと違うことに気がついたのです。その次の問題は、生きた虫がいるのかどうか、です。
 アフリカに似たような昆虫がいるのを思い出し、探索の旅に出ます。そして、ついに南アフリカで発見しました。昆虫は、一般に足先の爪を地面につけて歩くのが基本だが、この昆虫は歩くときに全6脚とも、その足先をもち上げて歩く。つまり、人間でいうと、つま先をもちあげて、カカトだけで歩くようなもの。そこからカカトアルキと命名された。カカトアルキは肉食性の昆虫。たいへんな大食漢の昆虫だ。その姿・形は、バッタとカマキリに似ている。写真と図解で説明されています。
 カカトアルキの交尾時間は平均で3昼夜も続く。ペア状態を維持することで、メスにほかのオスと交尾させないというオス側の戦略と考えられている。ところが、長い時間の交尾が終わったあと、お腹をすかせたメスがカマキリのように一回り小さな体のオスを食べてしまうこともある。ひゃあ、まるでカマキリと同じです。オスって、哀れな存在なんですよね、トホホ・・・。
 カカトアルキは、獲物を素早く確実に捕らえるための俊敏な動きを保障するもの。足先は、キャッチャー・ミットのように大きくなっている。
 大自然の不思議です。種の多様性を保持することの必要性を実感させる本です。
(2007年11月刊。1400円+税)

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