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カテゴリー: 朝鮮・韓国

忘却された支配

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 伊藤 智永 、 出版  岩波書店
中国人の強制連行は、日米開戦の1年後、産業界の要請を受け、日本政府が「内地移入」を閣議決定し、1944年2月から本格化した。3万8935人が拉致同然に連行され、鉱山、土木、建設、造船、港湾荷役など、35社の全国135事業場で、「牛馬にも劣る」労役を課せられ、6830人が死亡した。
敗戦後、日本政府は中国人強制連行について連合国側からの追及に備えて、専門調査員16人を全国に派遣して詳細な実態調査を行っていた。その調査結果は30部限定で極秘だったが、何者かが東京華僑総会にもち込んだりして世に出た。
ところが、韓国についての強制動員は、政策的に黙殺、封印した。
日本に侵略され交戦した戦勝国の中国、日本に支配され解放された植民地の朝鮮。実態は同じ戦時での強制連行労働でも、情報の整理と開示、補償と決着のつけ方が、これほど違っている。
紀州鉱山には英軍捕虜300人、朝鮮人労働者1350人が働かされていた。朝鮮人の半数は氏名すら分からない。国の施策にもとづき和歌山県が「朝鮮人労働者募集要綱」で毎年度の目標人数を承認し、会社が労務係を朝鮮に派遣していた。労務係は朝鮮に渡ると総督府そして割り当て地域の地元警察署に出向き、「手間賃」か「心付け」を100円ずつ渡し、警察署から朝鮮人の里長や区長に割り当て人数が伝えられた。日本へ行かされる人間は区長が選んだ。労務係は郡の警察署で待っていて、予定の人数だけ集められた徴用者を名簿と一緒に引き渡され、集団で紀州鉱山へ引率した。これは「強制連行」ではなかったが、同じようなものだ。
実は、戦前、私の父も同じ労務係として朝鮮から300人の労働者を三井化学に引率したことがあります。「喜んで日本に来る人もおったばい」と語り、悪いことをしたという罪悪感をもっていませんでした。それは、当時の朝鮮半島には、日本が激しく収奪していたことから、食うに困った人々が多かったことの反映です。
日本人は過去の負の遺産を忘却してはいけない。そのことを痛感させてくれる本です。歴史の掘り起こしは大切だと私はつくづく思います。
(2016年7月刊。2200円+税)

おにぎりの本多さん

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 本多 利範 、 出版  プレジデント社
 韓国にセブン・イレブンを定着・展開させていく苦労話です。日本と韓国の食習慣の違いなどもよく分かり、面白い本です。
 ダイエット中の私は、ときにお昼をコンビニのおにぎり(ねり梅)1個ですますことがあります。パリパリした海苔と梅干がご飯によくあって美味しく食べられます。コンビニにとって、1個100円のおにぎりは主力商品なのですね・・。
現在、セブン・イレブンでは平均して1日1店舗が320個のおにぎりが売れている。店舗は1万8千店なので、セブン・イレブンだけで1日に576万個も売っている。コンビニ全体では1日に1228万個が生まれている。1年間にすると、44億8220万個という途方もないおにぎりが売られている。
 ところが、韓国人にとって、冷めた食べ物を食べる人は、お金のない人。だから、はじめのうち、韓国ではおにぎりが売れなかった。
 韓国海苔は、あえて繊維を残して厚さにムラを出し、硬い触感を楽しむタイプ。そして、塩と油で味付けされた味付け海苔が主流。海苔という食べ物は、すでに双方の国で、形も味も、ともに理想形が確立していて、国民的食べ物にまで昇華されている。そこで、妥協の産物として韓国のコンビニで売られているおにぎりは、シートに入った海苔は、ところどころ向こうが透けて見える韓国海苔風だが、食べると日本の絶妙なパリパリ感も味わえるものとなっている。
韓国ではキムチを具としたおにぎりは売れなかった。なぜか・・・。韓国の食堂では、キムチは無料。だからキムチおにぎりは、無料の具材を入れただけでお金を取ろうとしていると思われ、価値を見出してもらえなかった。なるほど、ですね。
 韓国でおにぎりがブームになったのは2001年から。そのころ、日本では年間28億個だった。この年、韓国は2000万個。翌2002年に、ようやく1億個になった。
ハンバーガーは年間17億個が売れているので、まだまだおにぎりも売れるはずと踏んだ。
著者は韓国のテレビに出演して「おにぎりの本多さん」として有名になったとのことです。
韓国では、天ぷらおにぎりもダメだった。韓国では天ぷらの地位が低すぎた。天ぷらは高級料理ではなく、屋台料理か刺身屋のおかずでしかない。うひゃあ、信じられません・・・。
この本を読んで、私はスーパーマーケットとコンビニの根本的な違いを認識しました。
スーパーマーケットは、生鮮三品(肉・魚・野菜)を核として売り場がつくられている。いつもと変わらない売場のほうが客にとって買い物もしやすいし、安心。変化は緩やかなほうが好まれる。
 コンビニは、季節はもちろん、その日その日の天候、店舗周辺のイベント、そして朝、昼、晩の時間帯と、消費者を取り巻くあらゆる微細な変化に対応していく必要がある。コンビニだからこそ出来る細やかな「変化対応」にこそお客は価値を見出す。そのための売り場づくりを日々考え抜いている。
コンビニの面積は、日本は30坪、韓国はもっと狭くて22坪。
韓国のコンビニの平均日販は20万円ほど。日本は50~70万円。
コンビニには、1日3回の商品搬入がある。コンビニでは、人は自宅にストックするための高い商品は買わない。その時々に必要になったものを買いに走る。商品の消費期間は短いものが多い。
韓国にはインスタントラーメンを食べさせる粉食店が街のいたるところにある。そして、町中が不動産屋だらけ。さらに、韓国の受験戦争は厳しく、子どもたちはコンビニのおにぎりを口にして塾を飛びまわる。
韓国人は、荷物を手に持って行動するのは貧乏くさいとして嫌う。周囲から軽く見られないためには、重い荷物を自分で持ってはいけない。
コンビニでコーヒーやフライドチキン・ドーナツを売るようになった。そのとき、「美味しすぎてはダメ」なのだ。美味しすぎるというのは、すぐ飽きられるということに直結する。ここが商品の開発の難しいところであり、肝でもある。
ふむふむ、そうなのか、そんなに日常生活習慣が違うものなのか・・・。驚くばかりでした。
著者は、私と同じ団塊世代ですが、今もファミリーマートの専務として、現役で頑張っています。
 
(2016年8月刊。1500円+税)

受難

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  帚木 蓬生 、 出版  角川書店
済州島に行くフェリーが沈没し、修学旅行のために乗船していた韓国の高校生が300人も亡くなった、世にも悲惨な事件は、私にも忘れることが出来ません。本当にひどい話でした。
この本は、その実話を取り込んだ小説です。事件の背景がよく分かる展開です。
沈没してしまった船は、もとは日本の船でした。それを韓国の船会社が買って大改造したのです。乗客を積め込めるだけ積め込む利潤本位でしたから、安全性は完全に無視。問題は、それを見逃した当局の監視体制の甘さです。
そして、事故が起きたときの対処にも問題がありました。なにしろ、船長たち幹部船員が真っ先に船から脱出し、高校生たち乗客には、じっとして動くなという船内放送を繰り返して、脱出のチャンスを奪ったのでした。こんなひどい話はありません。
ところが、船員は船長以下、ほとんど非正規社員だったというのです。愛船精神が生まれる余裕なんて、なかったようです。となると、オーナーと海運当局、そして救難体制の不備が問題となります。
それはともかく、300人もの前途有為な高校生をいちどに失った親族の悲しみはなんとも言えない深さです。国家的損失でもあります。本当に思い出すだけで悲しい、悔しい話です。
この本は、この事故で水死した少女が細胞再生技術によってよみがえる話を中心にして進行していきます。やや出来すぎという感を受けましたが、それも小説だから許せます。
日本だって、安全第一のはずの原発で大事故が起きたのに、今なお原発の安全神話にしがみつき、金もうけしか念頭にない電力会社と政治屋の一群がいます。それには、本当に許せない思いです。
それにしても、人間の再生技術って、簡単なことではないでしょうが、それは是非やめてほしいと思いました。人間が人間ではなくなりますから・・・。
(2016年6月刊。1800円+税)

沸点

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  チェ・ギュソク、 出版  ころから
韓国の1987年6月の民主抗争の推移をマンガで紹介しています。
1979年10月26日、朴正熙大統領が側近のKCIA部長の銃弾に倒れた。それによって「ソウルの春」が訪れたが、それも束の間、全斗煥を中心として軍部がクーデターで権力を掌握した。
1980年5月、金大中が内乱罪で逮捕された。5月には、光州で民衆抗争が始まった。
1983年、全政権は融和措置をとり始めた。
1985年、金大中が帰国して、野党が躍進した。
1987年1月、ソウル大生の朴鐘哲が治安本部で拷問により死亡した。
朴鐘哲の死は、それまで民主化運動とは無縁だった母親たちの怒りを呼び起こした。民主大連合がつくられ、宗教界そして、マスコミも呼応していった。
1987年6月10日、全国一斉デモが起きた。全国のデモは2145回、参加者500万人。治安当局がつかった催涙弾は3万発にもかかわらず、6月民主抗争は成功した。
それでも、1987年末の大統領選挙では、民主陣営の分裂によって、盧泰愚が36%の得票で大統領に当選した。
韓国では、学校で「アカ」の恐ろしさを徹底してたたきこまれるようです。ところが、大学に入り、社会に入って現実を知るようになると、「アカ」と言われているものが、実はまっとうな権利を主張している人々であって、そのために当局から嫌われているだけだということが実感できるようになります。これは一定の確率で、それほど増えていくわけではありませんが、少なくとも一定の固い支持者層がいるようですね。
韓国現代史の一断面を知る有益なマンガ本です。一読をおすすめします。
(2016年6月刊。1700円+税)

金日成と亡命パイロット

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  ブレイン・ハーデン 、 出版  白水社
 朝鮮戦争が休戦となってまもなく、北朝鮮のパイロットがソ連製の新鋭ミグ15戦闘機に乗ったまま韓国に亡命した。本当にあった話なんですね、驚きました。
ミグ戦闘機といえば、函館空港に降り立ったソ連のパイロットがいたことを思い出しました。ベランコ中尉と言ったでしょうか・・・。函館でも、韓国の金浦空港でも、警戒されることもなく、無事に着陸できたのでした。
北朝鮮のパイロットの父親は、実は、日本の「日窒コンツェルン」の幹部社員でした。あのチッソの前身の企業です。このような父親の出身成分をうまく隠して、北朝鮮のエリートとも言うべきパイロットになったのでした。
1950年6月25日、北朝鮮は南侵を開始した。朝鮮戦争の始まりです。北朝鮮軍は怒涛の勢いで南下していった。しかし、北朝鮮には、戦闘の初日から克服しがたい弱点があった。空から攻撃されたら、壊滅しかねないということ。空軍は生まれたばかりで、訓練されたパイロットは、まったく足りない。当時の朝鮮人民軍にはパイロットが80人しかいないうえ、いくらか役に立つのは、そのうち2人だけだった・・・。
北朝鮮の空軍は、パイロットの飛行技術より、政治的忠誠を重視していた。政治将校はパイロット訓練生を注意深く観察し、単独飛行の機会をとらえて韓国に亡命しそうな者を特定して排除しようとしていた。亡命を考えていた盧は、それを隠すために愛国心の隠れ蓑を着る必要があった。そこで、親共産主義の新聞を創刊し、熱狂的共産主義者として、その編集長に就任した。
ソ連製のミグ15は、アメリカのどの飛行機より時速160キロも速かった。ソ連は、ミグ戦闘機を1万2000機も製造した。しかし、ミグ15は、速度は速くても、壊れやすく、乗り心地は悪く、操縦が難しかった。
1953年3月5日、スターリンが死んだ。
1953年9月21日、盧は北朝鮮を朝9時7分に飛び立ち、韓国の金浦空港に9時24分に着陸した。5年8か月かけて亡命計画を立てたが、実際の亡命飛行に要したのは17分間のみ。金浦空港にいたアメリカ軍は不意打ちを喰った。誰も敵のミグ戦闘だとは気がついていなかった。
北朝鮮はこの亡命を発表できずに「無視」した。そのため、ミグ15機は、今もアメリカの空軍博物館にあって展示されている。そんなこともあるんだねって、不思議な気がしました。
(2016年6月刊。2400円+税)

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