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カテゴリー: 朝鮮・韓国

太王四神記(下)

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 安 秉道 、 出版  晩聲社
高句麗の広開土王の智謀あふれる勇猛果敢な戦いを眼前に見る思いのする歴史小説です。
広開土王の率いる高句麗軍は、精鋭の鉄騎を揃えた伽倻(カヤ)軍と、蛮勇で鳴らす倭(ウェ)軍を、ほとんど被害もこうむらずに壊滅させ、百済(ペクチュ)軍を撃退するという大勝利を収めた。この倭軍が、日本から朝鮮半島に進出していたと解されている軍隊です。この高句麗軍の大勝利を聞いて、後燕(フヨン)は撤退していった。
この小説の面白いところは、当時の戦争(戦闘)について、戦略を語ったうえで、個々の戦闘場面にまで実況中継のように詳細に語っているところです。
高句麗が後燕と戦っている間隙を縫い、帯方地域を急撃した百済と倭の連合軍は、悲惨な敗戦を迎えた。
広開土王碑は、次のように記録している。
「永楽14年、甲辰年に倭が法道に逆らい、帯方地域を侵略した。彼らは百残(済)軍と連合し、石見城を攻略した。王は自ら軍土を率いて、彼らを討伐するため平壌を出発した。揚花峰で敵に遭遇した。王は敵を防ぎながら、隊列を断ち、左右から攻撃した。倭冦壊滅し、死者甚大」
広開土王碑については偽碑とか改ざん説もありましたが、今では歴史的事実をかなり反映していると解されています(と思います)。
その広開土王碑の戦いを、こうやって小説として目の前で展開してもらえて、本当にありがたく、またワクワクしながら読みふけってしまいました。5世紀のころの話です。
(2008年6月刊。1500円+税)

朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 五味 洋治 、 出版  創元社
北朝鮮の最新のミサイル発射台は、タイヤのついた可動式なので、発射地点を衛星から特定するのは非常に困難。また、固形式燃料を使えば、発射準備から発射するまで30分しかかからない。北朝鮮から発射されたミサイルが日本に着弾するまで8分ほどでしかない。
ですから、イージスアショアに2000億円もかける意味なんてないのです。そして、日本には全国50ケ所以上に原発(原子力発電所)がありますので、戦争になったら、日本列島に住むところはありません。なので、朝鮮半島で戦争を起こさせないようにすることこそ最優先の課題だということは、はっきりしています。そのため、米朝協議は必要です。
1950年に始まった朝鮮戦争は、1953年に「休戦」になっただけで、法的には今なお戦争継続状態にある。そして、「国連軍司令部」はいまも韓国にあり、東京の横田基地には国連軍後方司令部が置かれ、日本国内の7つのアメリカ軍基地は後方基地として指定されている。
平時の作戦指揮権は韓国軍に返還されているが、戦時の作戦指揮権はアメリカ軍が依然としてもっている。
朝鮮戦争の直後に7万人いたアメリカ軍は、今は2万8000人まで減っている。2万人の陸軍と、8000人の空軍である。朝鮮の国連軍は、朝鮮半島で戦争が起きたときは、日本国内のアメリカ軍基地を自由に使う権利をもっている。
朝鮮国連軍の指揮権はアメリカ軍司令官が握っていて、国連の安保理の許可を得ることなく、自由に軍事行動できる。
アメリカは、北朝鮮と中国に対抗するため、アメリカ軍司令官の指揮のもとで機能する「日本韓の軍事協力体制」を強化したいのだ。
朝鮮戦争で大量の中国義勇軍が参戦してアメリカ軍が劣勢になったとき、それを押し直すためにマッカーサーは、原爆26発さらに追加して8発の使用をアメリカ政府に求めました。マッカーサーの考えはこうです。朝鮮戦争を10日で終らせるため、満州に30~50発の原爆を投下し、強烈な放射線を出す「コバルト60」のベルト(地帯)をつくる。それで60年間は中国から陸路で北朝鮮に侵入することはできなくなる。
 いやはや、マッカーサーって、とんでもないことを言い出す将軍でした。トルーマン大統領が怒って(心配して)マッカーサーを解任して、本当に良かったですね。
安倍首相のように、朝鮮半島の危機をあおるだけであってはいけません。
「米朝対話」が少しでも進展するように日本政府も努力すべきです。
(2017年12月刊。1500円+税)

太王四神記(上)

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 安 秉道 、 出版  晩餐社
高句麗の広開大王の愛と戦いのドラマを描いた面白い本です。まだ、上巻のみですが、手に汗握る面白さなので、記録ファイルそっちのけで一日中よみふけってしまいました。
高句麗と百済が戦う時代です。のちの広開大王は、若き太王として談徳(タムドク)と呼ばれています。周辺国を連破して一大強国を打ち立てた英雄、征服王です。
日本にとって広開大王とは、その石碑で有名です。日本軍が朝鮮半島まで進出し、かなりの土地を支配していた証(あかし)とされていました。しかし、今では研究が進んで、日本(倭)が朝鮮半島(の一部)を支配していたのではなく、逆に朝鮮半島の勢力が九州の一部に上陸し、支配していたということのようです。「任那日本府」なるものも、日本の支配勢力の証明ではなかったとされています(私の理解です)。
ただし、朝鮮半島の南部と北部九州は相互に緊密な連携関係にあったことは事実で、そのため、太宰府には水城(みずき)があったりしたわけです。九州が朝鮮半島の勢力から攻めこまれたときののろし火の連携プレーなど、それなりの対策が確立していました。
この本では、朝鮮半島から中国の山東半島にかけての戦いが描かれています。
談徳(広開太王)は知恵と勇気ある若き太王として、雄々しく戦い、勝利をおさめていきます。城を立て籠って戦う将兵を攻城器が出動して攻めたてます。石や火炎球を投げ込むのです。守る側は石垣を補強して対抗します。
敗走するとみせかけて追いかけてきた敵軍を伏兵で取り囲んで全滅させるなど、知恵比べの戦いも展開します。
広開大王の人智を尽くした戦いをたっぷり堪能できる古代朝鮮史をめぐる小説です。下巻が楽しみです。
(2008年4月刊。1500円+税)

北朝鮮人民の生活

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 伊藤 亜人 、 出版  弘文堂
北朝鮮の民衆の実情を知ることのできる貴重な文献です。脱北者の99編の手記を紹介しながら、詳しく生活全般を解明しています。画期的な本だと思いました。
北朝鮮から脱北してきた人々(脱北者)が、自身の経験を丹念に書きつづった手記を著者が分類し、解説していますので多面的で分かりやすい本になっています。生々しく北朝鮮の社会の断面を伝えてくれます。
北朝鮮社会では、1970年代から農業をはじめとして生産停滞が認められ、1980年代に入ると社会主義の基本ともいえる食糧配給が滞りはじめた。1990年代に入ると、ソ連の体制崩壊をきっかけとして経済危機一挙に現実化し、その後半には「苦難の行軍」と呼ばれるはどの状況となり、国民の10%に達する大量の餓死者を出した。
北朝鮮経済は統計的資料が公表されていない。これだけでも東西ドイツの統合前の格差と比べものにならないほど深刻な経済格差があることは明らかである。
ただ、北朝鮮社会は、常に危機と隣りあわせにあり、人々は食糧不足や配給停止という危機的な状況のなかで生活してきた。危機とは北朝鮮社会に織り込まれた常態と言ってよく、国民に厳しい生活を強いて体制を維持するうえでも、危機感を高揚することは欠かせなかった。
脱北者は、すでに韓国内に3万人をこえ、日本に入国した人も200人はいる。脱北者のなかには韓国での生活への適応に苦労している人もいて、それが北朝鮮にも伝わっていて、どうせなら日本に行ったほうが楽だという考えも広まっているようだ。
北朝鮮には、三大階層という分類がある。核心階層は統治階層で全人口の30%を占める。次に動揺階層は50%を占め、三つ目の敵対階層は20%とされている。
大学に進学するにしても、幹部子女には無試験の特別入学が許可される。
金日成が平壌は国の顔だと強調したことから、障害者のいる家族は平壌には住めず、地方へ追放された。
北朝鮮では、人間にも機関(組織)にも、物品にまで等級をつける。
大学教授は、1級から6級まで。労働者は1級から8級まで。
朝鮮労働党の党員は1990年代で300万人以上、人口の15%を占める。
北朝鮮では、人民班長を冷遇しては無難に生活することができないほど、人民班長は人々の生活に密接な存在だ。人民班長に覚えが良くなければならない。そうでないと、多くの不利益を受けることになる。人民班長に難点があっても、何とか良い関係を維持しようと努力する。一挙一動、あることないことまで、報告され制裁されることになるので、人間関係は十分に気をつけ、うまく保っていく必要がある。
北朝鮮で生きようとすれば、他の人を押し倒してでも無条件に幹部にならなければならない。幹部をしてこそ、食べ物も先に食べて、勲章も先にもらう。
支配階級は、温水施設と水洗便所のある単独住宅や高級アパートに住む。ところが、もっとも条件のよい平壌でも、朝・昼・夕に各1~2時間ずつ、1日に3~6時間しか水道の水が出ない。地方では、日に1~2時間しか水が出ないので、食用水や手洗のために水ガメに貯めておく。大部分の家に浴室はないので、手拭いを水に浸して簡単に身体を拭く。
「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代後半には、市場が急速に膨脹した。このとき、女性は党の指導に耳を貸さず、生活の活路を市場に見いだした。
日本統治下のタノモシが、今も北朝鮮では通用している。韓国の「契」に相当するもので、日本の統治する前から風習としてあった。
北朝鮮では、学校に入ると、盗むことからまず学ぶ。盗みのなかでも、軍隊にするものは、もっとも組織的かつ強引。被害者は泣き寝入りするほかない。兵士だって、食料が優先的に供給されるとはいうものの、飢えているから、食料盗は頻発している。
450頁あまりのすごい本で、圧倒されてしまいました。
(2017年5月刊。5000円+税)

最後の「天朝」

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  沈 志華 、 出版  岩波書店
 毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮というサブタイトルのついた本格的な研究書です。まだ上巻しか読んでいませんが、上下2段組で280頁もあって、読みごたえ十分です。北朝鮮と中国との関係を知りたいなら、この本を読まなければいけない、そう思いました。
 私には1950年6月に始まった朝鮮戦争についての金日成とスターリン、毛沢東の三者三様の動きがとても興味深いものがありました。
 金日成は1949年3月のモスクワ訪問のときに初めて武力による半島統一を提起した。このときスターリンはあまり関心をもたなかった。
 1949年8月、金日成はソ連大使に対して、アメリカ軍が撤退すれば38度線はもはや障壁とならない。南の韓国は強固な防御ラインを構築しようとしているので、手をこまねいていると、反攻のチャンスが訪れないかもしれないと言った。
 10月の時点では、スターリンと毛沢東は南の韓国への侵攻をすべきでないという見解は完全に一致していた。ところが、ソ連の政策は1950年1月末から変化した。スターリンは中国と新しい中ソ友好同盟条約を締結しようとしていた。それによると、ソ連は2年以内に大連・旅順および中国の長春鉄道に対する支配権を失うことになる。スターリンは、朝鮮半島の不凍港か遼東半島の軍事基地をいつまでも継続的に使用できることにしたかった。
 4月、金日成は秘密のうちにモスクワを訪問した。帰国する4月25日までのあいだに、スターリンと二人で作戦計画を綿密に協議し決定した。このとき、毛沢東は蚊帳の外に置かれた。
 1950年春までには、韓国南部でのゲリラ活動は、ほぼ鎮圧されてしまった。スターリンが金日成の侵攻作戦に同意したのは、肝心なのは戦争の結果ではなく、戦争の発動そのものだった。スターリンにとっては、金日成が南朝鮮を攻略できるかどうかは重要ではなかった。ただ、北朝鮮をアメリカが占領・支配するとしたら大問題になる。
 1950年5月、ソ連軍顧問団は北朝鮮の金日成から具体的な作戦プランを設けとったが、すぐにこれを否定し、自ら練り直すことにした。ソ連軍顧問団は、軍事訓練の形で南侵の準備を覆い隠すという方針を提起した。金日成は5月13日、北京に行き、毛沢東と会った。ソ連と北朝鮮であらかじめ相談ずみの決定事項なので、毛沢東はモスクワへ賛成を返電した。
毛沢東は金日成に対して7月2日、仁川地域に強力な防御線を強いてソウルを守ることを提案した。8月、毛沢東は金日成の特使が北京に来たとき、戦略的撤退を検討するようすすめた。人民軍は補給路がアメリカ軍に切断される危険性があるという理由をあげた。
 9月15日、毛沢東が心配していたアメリカ軍の仁川上陸作戦が成功し、北朝鮮軍は大混乱となって撤退していった。人民軍部隊は、ほとんどの戦車と大半の大砲を失い、弾薬と燃料が底をつき、補給はなくなっていた。
 中国軍が参戦することについて中国軍内部では消極意見が支配的だった。それを毛沢東は彭徳懐の支持を得て参戦に踏み切った。
50年前、私がまだ大学生のころには朝鮮戦争は韓国軍が北へ侵攻して始まったという「北」の宣伝を素直に信じる雰囲気がありました。また、韓国とアメリカの謀略に北朝鮮が乗せられて始まったという見方もありました。いずれも今日では誤っていて、今日では金日成がスターリンの同意を取りつけて南へ侵攻して戦争が始まったことは明らかです。それにしても、同じ民族内で血と血を争う強烈な戦争が始まり、今も休戦中であって正式には終わっていないというのですから、恐ろしいことです。
毛沢東が参戦を決意して軍トップの同意を取りつけて参戦をすすめているのに、スターリンはソ連空軍の派遣を渋ったといいます。
さらに中国義勇軍と北朝鮮の人民軍とのあいだには指揮権をめぐる争いがあり、性格的には似たようなものですから、いろいろ軋轢もありました。
そして、朝鮮戦争後、金日成は自らの独裁政権を強化すべく対立派を次々に左遷し、処刑していくのでした。恐怖政治の始まりです。
(2016年10月刊。5800円+税)

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