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カテゴリー: 日本史(江戸)

カムイ伝講義

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:田中 優子、 発行:小学館
 『カムイ伝』というと、私が大学1年生のころ、『ガロ』という雑誌に出会って、目を大きく開かされた思いがした思い出のある本です。寮で、いつも一心に読みふけり、その迫力あるマンガに圧倒されっぱなしでした。本(活字)だけでは分からない、江戸時代についてビジュアルなイメージを抱くことができたのです。
 でも、マンガ本が大学で学生向けの教材としていま使われているというのには驚きました。そして、カムイ伝に描かれた状況が、江戸時代の百姓と武士の日常生活をかなり正確に反映していることを改めて知ることができました。やっぱり、すごいマンガだったのですね。
 『カムイ伝』と『カムイ外伝』があります。読んだことのない人には一読をおすすめします。といっても、私自身は、大学生のころに読んだきりで、あれからもう40年たっています。いずれまた読んでみたいとは思いますが……。小学館から『カムイ伝全集』として刊行されているそうです。
 カムイ伝の時代背景は江戸時代の初期。
 江戸時代が戦国時代の価値観から完全に方向転換するのは1640年ごろ。徳川三代将軍家光の時代が終わったのは1651年のこと。武士は兵士ではなくなり、戦争のない時代の文治官僚となった。
 穢多と非人には違いがある。非人は足洗い、足抜きが認められている。非人に定められた職業から離脱することで非人ではなくなり、中心部への移住も可能だった。というのも、非人には犯罪や心中未遂によって非人となった者や、困窮のため乞食となった無宿非人などを含んでいたからである。これに対して、穢多には周辺部に居住地域が決められており、その身分から抜け出せなかった。
 非人には肘より長い着物を着ることが禁止され、着物の色も藍から渋染めに限定されていた。ところが、穢多の一部は絹織物を着ていた。
 非人は町中に暮らし、物乞い、大道芸、犯罪者の市中引き回し、処刑上での増益が主な仕事だった。これに対して、穢多は囲い地や穢多村に暮らし、皮革処理、皮細工、灯心売買の特権を持っていた。非人は田畑を持つことがなかったのに対して、穢多は農地領有高がふつうの百姓以上のこともあった。
穢多は脇差しや十手を持つことができたが、非人は持てなかった。
 穢多は非人の上に立っていた。職業を離れたら平民になれる非人が、身分を離れることのできない穢多より下に置かれ、その下人のように働いていた。
 乞胸頭(ごうむねがしら)・仁太夫は芸人たちを支配していたが、非人頭・車善七に冥加金(みょうがきん)を支払い、非人頭・車善七は浅草弾左衛門に冥加金を支払っていた。
 弾左衛門組織内は治外法権であり、弾左衛門支配の人間による犯罪が起こったとき、町役人や奉行はさばくことが出来ないし、犯罪人を小伝烏町の牢屋に入れることもできなかった。乞胸・仁太夫とその組織は武士が出自であった。
 明治維新のとき、浅草弾左衛門支配下の人は4373人で、非人頭支配は700人、乞胸頭支配は550人だった。
 『カムイ伝』には、江戸時代の百姓のさまざまな事業(たとえば綿作など)がことこまかく具体的に描写されています。しかし、なんといっても圧巻なのは一揆場面です。
『カムイ伝』の一揆の表現は迫力に満ちている。一期の手順に従って、具体的かつ詳細に描かれている。一揆は祭と同根で、古代からの日本の伝統だった。
 江戸時代(1590〜1877年)3710件の一揆が起きている。1年に平均13回。したがって、月1回は全国のどこかで一揆が起きている。一揆は、現代の組合や政治党派とかテロ組織とは異なり、組織体でなく、運動である。
 江戸時代は書類によって左右される法治国家であって、一揆の前には文書で訴えを起こしていた。訴状である。そうなんです。日本人は昔から読み書きできる人が指導者になっていたのです。それは百姓でも同じです。
結局のところ、武士とは一体どういう存在なのかを『カムイ伝』は問い続けている。このように著者は指摘しています。なるほど、と思いました。
 江戸時代の人々の生活などについて、大変勉強になる本です。
 (2008年10月刊。1500円+税)

出星前夜

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:飯嶋 和一、 発行:小学館
 島原の乱をテーマとする本は私もかなり読んだつもりですが、この本は出色の出来ばえです。 みなさんじっくり腰を落ち着けて読むことをおすすめします。540頁の大部な本ですし、中身がぎっしり詰まっていますので、速読を旨とする私もさすがに読了するのに3日かかっていまいました。次の展開がどうなるのか知りたくて、法廷のちょっとした待ち時間にもカバンから取り出して読んでいたほどです。
 島原の乱は宗教戦争という側面はたしかにあるけれど、その本質は苛政に対して民衆が決起した一揆であるという視点から、当時の農民の置かれた状況が生々しく語られています。
 ただ、最近の研究では、いわゆる百姓一揆は飢餓という極限状態にまで追いやられた農民たちが、死を賭して決起したというのは必ずしも正しくなく、自分たちの既得権益を守り、人間としての尊厳をかけて起ち上がったという側面も大きいと指摘されています。食うや食わずに陥った人には、もはや戦いに立ち上がる元気もないし、ましてや組織だって動くことは無理だ。一揆はかなり組織的で統制がよく取れていたというのです。
 百姓一揆の決起を促す文章には、飢餓状態について、かなりの誇張があるという指摘もあるのです。日本人の知的レベルの高さを忘れてはいけないという点は、私も大事な点だと思います。島原半島では、いったいどうだったのでしょうか。この本には、島原の乱の首謀者の中に、秀吉の朝鮮出兵で中国(明)軍と死闘を繰り広げた経験を持つ元武士もいたこと、熊本(肥後)の旧加藤家の武士などキリシタンでない者も多数含まれていたことが紹介されています。
 幕府側の討伐軍として出征した柳川・立花藩や久留米・有馬藩の兵士たちの不甲斐ない戦闘ぶりが描写されていますが、これって本当なのでしょうか。
 甘木には、島原の乱へ参戦するときの行列を描いた詳細な絵があると聞いていますが、私はまだ見ていません。ぜひ見たいものです。
 この著者の『神無き月十番目の夜』という本を読んだとき、私はしびれる思いでした。ええっ、ここまで臨場感あふれ、迫真の時代小説が書けるのか、と感嘆し、当時、周囲の誰彼となくすすめたものでした。同じ著者ですから、その思いが再びよみがえってきました。じっくり読むに値する本です。
 秋の夜長に満月が出ているのを見ると、つい南フランスの夏を思い出します。外のテラスで月を眺めながら、食事をゆっくり楽しみました。前にも書きましたが、なぜか蚊もおらず、虫も飛んでこないので、静かに食事ができるのです、目下、写真集を作っているところです。ブログでお見せできないのが残念です。カメラはアナログ(フィルム)とデジタルと両方持って出かけることにしています。
(2008年8月刊。2000円+税)

江戸の武家名鑑

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:藤實 久美子、 発行:吉川弘文館
 江戸時代の人々がどんな生活をしていたのか、何に関心を持っていたのか、また、人々が裁判好きだったことがよく分かる本でした。実は、著者には失礼ながら、期待もせずに読んでいたのです。ところが、意外や意外、面白くて興味深くて、ついつい頁をどんどんめくっていたのでした。
 武鑑(ぶかん)はプロ野球選手名鑑のようなものだそうです。といっても、プロ野球にまったく関心のない私には、プロ野球名鑑といわれてもピンときませんし、手に取ったことも(手に取るつもりも)ありません。
 この武鑑は、江戸時代に生きていた大名家や旗本家の当主・その家族(隠居した父親・妻・嫡子)、その家臣、幕府の役人をほぼ一覧できる。しかも、文字ばかりではなく、陣幕や着物や駕籠(かご)などに付けられていた紋所や、江戸市中を行きかうときの行列道具などが分かりやすく絵入りで描かれている。
武鑑は、眺めていて楽しい。江戸の雰囲気、香りがする。
 武鑑は17世紀中ごろに出版されはじめ、大政奉還(1867年)まで200年以上出版され続けた。武鑑は実用書であり、ロングセラーブックであった。武鑑は社会の需要にこたえて、年を追うごとに厚くなり、その改訂の頻度は年に数回から月に数回にまで増えた。
 武鑑は、19世紀には総丁数は500丁、600丁となり、厚さも10センチを超えた。だから、簡略化した略武鑑も出版された。こちらは懐や袂に入れて携行できるような1.5センチ以下の厚さだった。
 武鑑出版の老舗は須原屋(すはらや)茂兵衛と出雲寺(いずもでら)万次郎だった。いずれも民間の本屋が情報を収集して編集し、武鑑を出版した。須原屋と出雲寺は、武鑑の出版をめぐって、100年以上の攻防戦を展開した。
 江戸時代に本を出版するには、仲間株のみでは不十分で、さらに板株(はんかぶ)を取得する必要があった。板株とは、書籍を出版する権利のこと。単独で所有する丸株と、数人でもちあう相合株とがあり、いずれも板木を所有することを基本条件とした。
 須原屋と出雲寺のあいだの民事裁判(出版差止を求める訴え)は、何回となくたたかわされた。
 江戸時代の人々が文章をよく書き、裁判も辞さず、うえからの押し付け和解を拒むこともあったこと、裁判は証拠(書証)のない方が不利になったことなども分かります。
 日本人は昔から裁判が嫌いだった、というのは、まったく根拠のない嘘なのです。
 私も一度は武鑑の現物を手にとって見てみたいと思います。といっても、崩し字や草書体では、さっぱり意味が分かりません。ここが素人のつらいところです。 
(2008年6月刊。1700円+税)

一朝の夢

カテゴリー:日本史(江戸)

梶 よう子  文藝春秋
 時は風雲急を告げる幕末。しかし、下級武士の中には珍しい朝顔を咲かせるのだけが生き甲斐のような不埒な者もいる。そんな男が、いつのまにか幕末の大政変、桜田門外の変に巻き込まれていく。
 いやあ、見事なものです。こんな小説を私も一度は書いてみたいと思うのですが・・・。江戸時代末期、あの朝顔は多くの人の心をとらえて放しませんでした。今よりもっともっと多くの変種朝顔が世に現れ、人々がそれを愛でていたというのは歴史的な事実です。
 私も朝顔は大好きです。でも、意外に朝顔を育てるのは難しいのです。知っていましたか?
 私の庭には、今も朝顔が咲いています。去年の朝顔です。実は、何年も前からのものなんです。なぜか、色がいつも同じで、青紫なのです。これはわが家のフェンスにからまっている宿根性で、外来種の朝鮮朝顔と同じです。鮮やかな紅色の大輪の朝顔が私の好みなのですが、去年咲いていても今年は咲いてくれません。それじゃあ、と思ってタネを植えても、大きくならないし、ましてや花を咲かせてくれません。チューリップだと、植えたら何もせず放っておいても9分9厘ちゃんと花を咲かせてくれます。朝顔は、よほど気むずかしい花なのでしょう。
 主人公の興三郎は北町奉所勤めの「八丁堀の旦那」である。ただし、吟味方や定町(じょうまち)廻りや隠密廻りなどといった、奉行所でも花形のお役目ではなく、両組御姓名掛りという奉行所員の名簿作成役であった。所内でも閑職の筆頭としてあげられる役だ。
 江戸には南と北の奉行所がある。今月が南町で月番だとすると、北町は非番だ。非番だと言っても休みになるわけではない。月番の時に持ち込まれた山と積まれた訴状や吟味の未決分を処理している。月番奉行所は門を八文字に開き、訴訟や事件などの類を受けつける。非番の奉行所は門を閉ざし、潜り戸はあけているが、訴訟などは受けつけない。
  朝顔の種は、牽牛子といい、下剤や利尿などに用いられる。朝顔の種子は半月型である。弧の部分を背と言い、直線の部分を腹という。片側の端にある小さな窪みはへそと呼ばれている。
 へそを傷つけないように、背と腹の境界に傷を付ける。これを芽切りという。土に指の先端を刺し、つくった穴にへそを上にして種子を入れる。
 江戸時代、朝顔は何度ももてはやされた。朝顔の品評会を花合わせという。植木屋はもちろんのこと、商人・町人・武家といった朝顔愛好家から出品された朝顔の優劣を競う。その結果は番付にして発表される。
 朝顔にはいろんな色がある。しかし、黄色の朝顔だけはない。朝顔は、どんなに美しく咲いても、花は一日で萎れてしまう。つまり、槿花(きんか)、一朝の夢だ。これは一炊の夢と同じ例えである。
 朝顔は自家受粉、つまり自らが自らの花の中で受粉する。だからツボミが開かないようにしても種子はできる。
 江戸の変わり咲き朝顔を紹介する本もあります。江戸時代の人々は、現代の私たちが想像する以上に多種多様な生き様を認め合っていたように思います。ひえーっ、こ、これが朝顔なの・・・。こんな悲鳴ををつい上げたくなるほど、ものすごい変わり咲きの朝顔が毎年出品・展示されていたというのです。それには、人々の心の豊かさがなければ、とてもできないことだと思いますよ、私は。あなたもそう思いませんか・・・。
 すみません、この本のストーリー展開はあえて紹介しません。お許し下さい。 
 南フランスの町のあちこちで、大型犬を連れた若者たちを見かけました。いえ、大型犬を連れたおじさんやおばさんもよく見かけたのですが、若者たちは、なんだかホームレスっていう感じで気になったのです。しかも、一人で二匹も三匹もの大型犬を連れて歩いているのを見ると、犬たちの食糧費だけでもバカにならないだろうと心配しました。アルルでは、3匹の大型犬を連れた物乞い(おじさん)がいました。教会の階段に、犬たちは寝そべって、ヒマをもてあましているように思いました。
(2008年6月刊。1524円+税)

日無坂

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:安住洋子、出版社:新潮社
 いやあ、うまいですね。すごいですよ。ただただ感心しながら電車のなかで夢中になって読みふけりました。いつのまに終着駅に着いたのかと思うほど、あっという間でした。
 父と息子がお互いに理解するのはとても難しいことだというのが、この小説の大きなテーマです。それを女性作家が見事に描き出しています。
 父のようになりたくはなかった。いや、なれなかった。薬種問屋の主人におさまった父と、浅草寺裏の賭場を仕切る息子。
 親と子の、すれ違い。謎解きが感涙に変わる江戸市井小説の名品。親と子のわがかまりと情を描き尽くす市井小説の名品。
 あの日の父の背中が目に焼きついて離れなかった。
 跡継ぎになることを期待されながら父利兵衛に近づけず、反発し、離れていった。あの日から10年、長男の伊佐次は、すっかり変わり果てた父とすれ違う。父は万能薬という触れ込みの妙薬をめぐって、大店の暖簾を守ろうとしていたのか、それとも・・・。
 以上はオビにある、うたい文句です。この本の内容を的確に簡潔にまとめています。山本一力の江戸世話物の世界とは一味違います。時代小説界の次代を担う新鋭の傑作長編というキャッチフレーズに異論はありません。次作が楽しみです。タイトルは、ひなしざか、と読みます。
(2008年6月刊。1400円+税)

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