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カテゴリー: 日本史(戦国)

金剛の塔

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 木下 昌輝 、 出版  徳間書店
日本には、創業1400年の金剛組という会社があります。寺社建築の会社です。
各地の五重塔は戦災にあって消失したものの、その多くは再建されています。そして、大地震にも見事に耐え抜いてきました。
なぜ五重塔が倒れないかは、今もって完全に解明されてはいないそうです。知りませんでした。そして、寺社建築を手がける宮大工さんは独特の技術継承があります。そんなことを小説にして分かりやすく解き明かした歴史小説です。
宮大工に必要なことは、手先や才能よりも大切なのは、木を扱うことが好きだということ。それがなければ、どんなに手先が器用でも、つとまらない。
木を選ぶ。北の斜面に育った木は、ほとんど陽が差さない。おかげで、陽当たりが均等で、芯が中心にくる傾向が強い。陽当たりのいいところに育った木は中心が大きくずれている。木は太陽のあたる側が大きく成長するから。柱につかうと、当然に年月がたつにつれてゆがみが生まれる。
五重塔は、梃子(てこ)の原理で重い屋根を支えている。各層がスネークダンスと呼ばれる奇妙な動きで互いちがいに揺れ、それで地震の揺れを殺している。
しかし、どんなに研究がすすんでも分からないのは、心柱(しんばしら)だ。飛鳥時代に建築された法隆寺の五重塔は、震度5以上の地震に6回、震度6以上だと3回、あっているけれど、倒れなかった。なぜ心柱は存在するのか、それはどんな働きをしているのか、まだ仮説段階でしかなく、その仕組みは科学的に究明されていない。
すごいですね。そのことを歴史小説の形にして私たちに理解を迫ってくるのです・・・。
(2019年5月刊。1700円+税)

明智光秀・秀満

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 小和田 哲男 、 出版  ミネルヴァ書房
私はテレビをみませんので、2020年のNHK大河ドラマの主人公に明智光秀が登場すると知っても何ということもありません。明智光秀が世間に復権したということですよね・・・。
でも、なぜ光秀が信長に反逆したのか、なぜ信長の遺体が見つからなかったのか、歴史上の謎は大きいと考えられています。
この本では、光秀が本能寺の変を起こすに至る経過を丹念にたどっていて、そして、学説もいろいろ紹介していますので、問題の所在と最新の到達点がよく理解できました。
ときハ今あめが下しる五月哉
有名な連歌です。この「とき」は、「時」と「土岐」を重ねたもので、「今こそ、土岐の人間である私が天下を治めるときである」として、信長に対する謀反の心のうちを吐露したものというのが通説だ。
そうではなく、横暴な平氏を源氏が討つということ、美濃源氏である土岐氏の分かれという明智光秀の意識のなかに平氏である織田信長を討つということを意味している。
信長は征夷大将軍への任官を希望していて、武士で平氏の人間が将軍になった前例はない、平姓将軍の誕生を阻止するというのも光秀の動機だったのではないか・・・。
私は安土城には2回のぼっていますが、信長が日常的に起居していた天主より下に天皇が行幸したときの宿泊所を予定していた本丸御殿がある。つまり、信長は天皇より上位に自分を位置づけていた。
ルイス・フロイス書簡によると、イエズス会の巡察師であるヴァリヤーノに対して、信長は、「予がいるところでは、なんじらは、他人の寵を得る必要がない。なぜなら予が国王であり、大内裏である」と言い放ったとのこと。
そして、馬揃えのとき、信長は中国の皇帝しか着ることのできない「きんしゃ」を着て登場した。このように信長が天皇より上に立つ、朝廷をいくらかないがしろにする気持ちをもっていることを光秀が察して、信長の態度に危惧を抱きはじめていたのではないか・・・。
信長は公家の近衛前久(さきひさ)が現職の太政大臣であるのに、馬上から徒歩の前久に対して見下ろした言葉づかいをした。これを光秀は見ていて、信長の暴走と思ったのではないか・・・。
本能寺にいて光秀の謀反を知った信長が「是非に及ばず」と言ったという言葉について、「しかたがない」というあきらめの言葉ではなく、言語道断、けしからんと光秀に怒りをぶつけた言葉だという説に著者は賛成しています。
光秀は文化人であり、領民には慕われていて、光秀を神として祀っている神社もある。
ふひゃ、これは驚きました・・・。
光秀は、その前半生は今に至るも謎だらけで、生年も確定していない。本能寺の変のとき、55歳だったというのが通説だけど、そのひとまわり上とか下の年齢だったという説もある。
ただ、美濃守護土岐氏の一族である明智の人間であったことはたしからしい。
そして、朝前の朝倉義景のもとにころがりこみ、そこで、足利義昭・藤孝主従と出会ったことから、信長の有力武将に出世していくことになる。
明智光秀という人物はなかなか複雑・不思議な人物だったようです。
著者は『武功夜話』を偽書としていないなど、疑問に感じるところもありましたが、全体として大変詳しく、さすがに勉強になりました。
(2019年6月刊。2500円+税)

戦神(いくさがみ)

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 赤神 諒 、 出版  角川春樹事務所
面白い。ぐいぐいと戦国時代の大分県あたりに引きずりこまれていきます。歴史小説ですが、どこまで史実を反映しているのか、あまりに面白い展開なので首をかしげながら読み終えると、最後になんと、その種明かしがしてありました。
著者が、本書の末尾に、本作は書き下ろし歴史エンターテインメント小説であり、史実とは異なります、と断っているのです。なるほど、そうか、やっぱりそうなのだね・・・、それにしてもよく出来ている。私は、そう思いました。読書の楽しみをしっかり堪能(たんのう)できましたので、史実と異なっていることを知っても不満はありません。だって、やはり小説は読んで面白いかどうか、ですから・・・。
歴史的事実を平板になぞられても、ちっとも面白くありません。そこはやっぱり、どんな運命なのか、男女の愛はむすばれるのか、どんな邪魔が入って、それをいかにして乗りこえていくか・・・。ぜひぜひ知りたいじゃないですか・・・。
著者は弁護士です。前回の『大友二階崩れ』より、本書のほうが、私にはしっくりきましたし、読ませました。
戦国時代の大分を支配していた大分義鑑そして大分義鎮を当主として、その配下で敗戦を知らない日本一(ひのもといち)の武士(もののふ)、戸次(べっき)鑑連(あきつら)が主人公です。あとでは立花道雪と呼ばれた武将です。かの有名な立花宗茂の父でしょうか・・・。
舞台となるのは、大友家の支配する豊後(ぶんご。大分)と日向そして豊前です。いえ、肥後や出雲にも出陣します。
戸次八幡丸(べっきはちまんまる)。14の歳(とし)に初陣で大功をあげる。その後、生涯にわたり数えきれないほどの軍功を立てる。その采配する戦で、一度たりとも敗北しない。戦で勝てる敵はついに現れない。戦神(いくさがみ)と言ってよい。
こんな予言がことごとく的中していく運命です。ところが、預言者は次のようにも言うのでした。
「戦に明け暮れる、お前の人生は苛烈で苛酷だ。世のあらゆる災厄が次々と振りかかってくるだろう。華々しく勝利する戦で、万(よろず)の人間が生命を落とす。おまえは鬼だ。その人生で、母を殺し、父を殺し、兄を殺し、弟を殺し、妹を殺し、妻を殺し、子を殺す。あまりに深き罪業(ざいごう)のゆえ、おまえの血は後世に残らない」
いやはや、この予言が具体化するストーリー展開です。
40歳の弁護士が本格的な作家デビューしたことを心から祝福します。
(2019年4月刊。1800円+税)

斗星、北天にあり

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鳴神 響一 、 出版  徳間書店
秋田美人で有名な秋田市。
戦国時代、ルイズ・フロイスの書簡にも「秋田という大市あり」と書かれているそうです。蝦夷に近く、秋田人もときどき蝦夷に赴くと書かれています。
この小説のなかでは、蝦夷(アイヌ民族)だけでなく、ロシア大陸の民族・東韃(とうたつ)人との混血児まで登場してきます。恐らく古代から、そのような交流はあったことでしょう。
ブナ林で有名な白神山地を背後に控えた港町を安東(あんどう)氏は治めていた。
安東氏は、鎌倉時代後期から室町時代中期にわたって、日本海北部の海運を完全に掌握していた一族である。
天然の良港である津軽半島の十三湊(とさみなと)を根拠地に、蝦夷地のアイヌはもとより中国、朝鮮とも交易を続けていた。かつて安東氏の当主は、東海将軍、あるいは日之本(ひのもと)将軍との称号を用いていたこともある。
十三湊は、三戸(さんのへ)に根拠を置く甲斐源氏の南部家によって百年ほど前に奪われていた。安東氏から十三湊を奪った南部家は敵と呼ぶほかない。
載舟覆舟(さいしゅうふくしゅう)。海の水は安らかなるときは船を浮かべ載せる。海の水が荒れれば、直ちに船を覆す。民を海の水と考えるのだ。
枉尺直尋(おうせきちょくじん)。一尺分を折り曲げることで、一尋(ひろ。8尺)をまっすぐにできたらよい。危急に望んでは、小の虫を殺して大の虫を助けることが肝要。
安東愛季(ちかすえ)は15歳で家督を継いで檜山安東家の若き当主となった。長尾景虎と武田信玄が川中島で干戈(かんか)を交えようとしたころである。
豊臣政権下では、安東家は、出羽国内の5万石の安堵が認められたが、実高は15万石だった。そして、関ヶ原の戦いのあと、常陸国宍戸5万石に頼封されたことにともなう措置だった。
秋田における安東家の活躍を紹介する小説として、最後まで面白く読み通しました。
(2019年3月刊。1800円+税)

戦乱と民衆

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 磯田 道史・呉座 勇一ほか 、 出版  講談社現代新書
戦乱というから戦国時代のことを論じた本かと思うと、なんと古代の白村江の戦いから幕末の禁門の変まで広く対象にしています。
豊臣秀頼の死に至る大坂の陣について、イエズス会士が詳しい報告書を書いているとのこと。イエズス会士は大坂城に滞在していて、落城前に2人が脱出して助かったそうです。知りませんでした。そして、大坂城の近郊にはオランダ人が滞在していて、彼らは主として毛織物を販売していました。
当時の大坂の人口は20万人。そこへ牢人たちが10万人も集まってきた。家族を伴って来た牢人も少なくなかった。大坂に残っていた人の大半は、豊臣方の牢人とその家族だったと考えられる。
幕末の禁門の変によって、京都の町は焼けて大変な被害にあった。
会津藩と桑名藩が一橋慶喜の指示を受けて手当たり次第に放火した。そのため、公家や大名をふくめた京都の民衆から、「一会桑」と呼ばれる一橋家、会津藩、桑名藩は恨みを買った。
そして焼け跡で何が起きたか。戦死者の胴巻に多額の所持金があり、それを遺体を片付ける人夫が自分のものとし、その後、新京極あたりで商売を始める元手として成功した人がいた。ものすごい臭気のなかでの作業だ。民衆のたくましさを示している。民衆は、ただ「やられていた」という存在ではなく、むしろ自分たちが奪う側にまわったり、戦争を機にのし上がっていこうとする、たくましい存在でもあった。
京都は幕末の騒動のため、焼け野原で空地が多かった。金融システムまで破壊されたので、再建する資金の手当ができなかった。そのため、京都は深刻な住宅不足となった。明治10年ころまで、この状態が続いた。京都が首都になれなかった理由の一つがこれだった。
明治も後半になった37年に西郷隆盛の子、西郷菊次郎が2代目の京都市長に就任した。これは、京都への資金導入を願った京都財界人が薩長との人脈に注目して要請した人事。菊次郎市長は、発電、上下水道整備、市電設置という京都三大事業を成し遂げて京都の発展を導びいた。
うむむ、民衆視点で歴史を語る話は、とても興味深いものがありますね。
(2018年8月刊。780円+税)

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