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カテゴリー: 日本史(戦前・戦中)

ドクター・ハック

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

                               (霧山昴)
著者  中田 整一 、 出版  平凡社
 ドイツ人であるフリードリッヒ・ハックは、1887年10月にドイツのフライブルグで生まれた。大学で経済学博士になったことから、ドクター・ハックと呼ばれるようになった。
 まさしく波瀾万丈の生涯を送りました。第一次大戦では中国の青島にいて、27歳で日本軍の捕虜となります。すでに日本にいたことがあり、日本語を話す捕虜として貴重な存在でした。このとき、日本はドイツ将兵の捕虜を虐殺するどころか、高給優遇したのです。
それでも、将兵は脱走を試みるのです。ドクター・ハックは脱走の手伝いをしました。5人のうち1人は捕まりましたが、残る4人は無事にドイツに帰り着いたのでした。
 ドクター・ハックは、逃亡幇助の罪で懲役1年6ヶ月の有罪となりました。収容された習志野俘虐収容所の所長は、53歳で病死してしまいましたが、西郷隆盛の長男でした。
 ドクター・ハックは、1920年に釈放された。そして、33歳のドクター・ハックは、日本海軍や兵器産業のためにドイツの先進技術導入のエージェントになった。
 ドイツに日本を紹介する映画が企画されました。そのとき、日本をよく知るドクター・ハックが活躍したのです。はじめは田中絹代が日本の女優として考えられていました。しかし、ファンク監督が原節子を見て、そのトリコになってしまったのです。
 原節子は、日本を代表する大女優ナンバーワンだと思いますが、その引退後、今なおご存命にもかかわらず、一切その姿が報道されていません。立派ですね。個人情報の秘匿というのは、こうでなくてはいけないと私もつくづく思います。
 ドクター・ハックは、満州国の溥儀皇帝にも面会しています。そして、ナチス・ドイツのカナリス提督の下で、スパイ活動をしていました。これは、ヒットラー・ナチスに共鳴していたのではなく、むしろ逆なのです。カナリスはドイツ敗戦前の直前にヒトラーによって処刑されています。
 ドクター・ハックは、突然、ドイツの秘密警察「ゲシュタポ」に逮捕された。罪名は「同性愛」。まさしく、冤罪。ナチスの権力機構内の抗争によるもの。そして、ドクター・ハックを日本海軍が救った。
 ドクター・ハックは、日本の終戦工作にも関わったようです。
いま、日本では戦前に間違ったことなんかしていないなどと開き直った言説があり、それをもてはやす人々がいます。しかし、日本人の権力者が間違いを犯し、日本という国の内外であまりにも大きな被害を与えたことは消せない事実です。それを無視して、日本はアジアにとっていいことをしたのだと言い張っても、まったく説得力がありません。もう少し、勇気をもって事実をみてほしいものです。
(2015年1月刊。1700円+税)

星砂物語

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  ロジャー・パルバース 、 出版  講談社
 アメリカ人による戦争中の沖縄は、鳩間島で起きた戦争体験記と称する小説です。
 すごいです。登場人物になりきった思いで読みふけってしまいました。
 ハトマ島は、沖縄本島ではないので、直接の戦闘行為はありません。ところが、そこに、日本の脱走兵とアメリカの負傷兵が同じ小さな洞窟に隠れているのです。さすがに昼間からうろうろするわけにはいきません。そこに16歳の日本人少女が登場します。アメリカで暮らしていて日本へ戻ってきたので、英語が話せます。負傷したアメリカ兵はこう言います。
 人を殺すと、人間の性格は変わる。そのため兵隊がアメリカに帰って、母親や妻や姉たちとまた一緒に暮らすようになったとしても、彼自身が故郷へ実際に帰ることはできない。つまり、帰ったのはそれまでの彼ではないのだ・・・。
 井上ひさしも亡くなる前に読んで絶賛したとされていますが、たしかに戦争の悲惨さを読み手が実感できる形で再現した小説だと思いました。しかも、それを「敵国」アメリカ人が日本語で書いたというのですから、驚嘆するしかありません。
 自民党や公明党の幹部連中に読んでほしいと思いますが、恐らく彼らは見向きもしないのでしょうね。戦争の悲惨さなんて語ってほしくないでしょうから・・・。
 でも、戦争になったら、いつ殺されるのか分からないのですよ。そして、いま自民・公明の安倍政権がすすめているのは、まさしく戦前への「回帰」なのです。本当に恐ろしい、怖い世の中です。
(2015年3月刊。1400円+税)

言論抑圧

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(霧山昴)
著者  将基面 貴巳 、 出版  中公新書
 著者の名前は、「しょうぎめん」と読むそうです。珍しいですね。そして、貴巳は「たかし」です。アメリカの大学で准教授をしているとのことです。
 矢内原(やないはら)事件というのが、戦前の1937年(昭和12年)に起きました。矢内原東大教授が「筆禍事件」を起こしたとして、東大教授を辞職した事件です。
 私にとって、矢内原という名前は、矢内原門という小さな門に結びつきます。
 東大駒場寮で2年間ほど生活していましたが、夜遅く腹を満たすために寮を出て下方にある商店街へ繰り出すときに必ず、この小さな門を通るのでした。門といっても何もありません。ただ、ここが矢内原門と呼ばれていると、先輩の寮生から教えられただけです。九州にはないタンメンを食べたり、少しぜいたくするときには、レバニラ炒めを食べたものです。当時は、私も20歳前ですから、食欲旺盛で、夕方6時に寮食堂で夕食をとると、午後10時過ぎたらお腹が空いてくるのです。
 戦前・戦中の論壇を主として支えたのは、日刊新聞ではなく、総合雑誌だった。
 矢内原は、総合雑誌を舞台として、徹底した平和の主張を展開していった。
 キリスト教の信者である矢内原にとっての愛国心とは、あるがままの日本をアイすることではなく、日本が掲げるべき理想を愛することだった。したがって、現実の日本が、その掲げるべき理想とくい違うときには、現実を批判することこそが、愛国心の現れだと考えた。
 矢内原にとって、国家を国家たらしめる根本原理としての理想は正義にほかならないかった。その正義とは、国家のつくった原理ではなく、反対に正義が国家をして存在せしむる根本原理である。国家が正義の内容を決定するのではなく、正義が国家を指導すべきなのである。正義が国家の命令であるとしたら、国家の命令するところであれば、何でも正義であることになってしまう。したがって、正義は国家を超えるものでなければならない。
 政府にとって、その政策を遂行するうえで、もっとも望ましいのは、国民のなかに反対者がいないことである。したがって、批判を弾圧し、政府の施策を宣伝することに政府はつとめることになる。
 政府の決定が理想に反する場合には、これに異議申し立てすることこそが、真に愛国的なのである。
 矢内原は、聖書にもとづいて、このように主張した。
 矢内原論文で「国家の理想」を論じた時に、決して激しい政府攻撃を意図したのではなく、むしろ穏当なものだった。それだけに、矢内原の論文が筆禍事件のきっかけを作ることになろうとは本人は夢想だにしていなかった。
 キリストの教えによれば、キリスト者たるもの「血の塩」である。現実の不義を批判しない者は、味のない塩である。このように述べて、矢内原は、政治への態度決定を聴衆に迫った。
 「今や、キミが感じるよりはるかに険悪なる時代になった。きのうの講演も、会場できいたら当たり前のようなことが、文章で読んだら意外の感を受けるだろう」
 今の日本で、ひょっとして、同じようなことが進行中なのではないでしょうか・・・。ヘイトスピーチが横行し、安倍首相の「我が軍」発言が大問題にもならず、自衛隊が海外へ戦争しに出かけようとしています。とんでもない状況なのですが、マスコミは、その危険性を国民に強く訴えていません。あまりにも引け腰です。インチキな与党協議ばかりが大きく報道されています。本当に「戦前」に戻りそうで、怖いです。
 蓑田胸喜という戦前の狂信的な右翼イデオローグがいました。今でいうと、桜井○○子にでもあたるでしょうか・・・。
 矢内原は、この蓑田からの批判に対して、まったく応答しなかった、見事と言えるでしょう。しかし、やはり反論の事由があれば反論すべきだったと私は思います。
当時の東京帝大経済学部内では、教授陣に派閥があって、激しく抗争していたようです。
 それにしても、矢内原教授がまともな論文を書いて、それが攻撃されたとき、東大当局が矢内原をかばいきれなかったのは残念です。時流におもねってしまったのです。
 矢内原事件の教訓は、戦後70年の平和が安倍内閣によって「戦前」に変わりつつあるという昨今の状況のなかで生かされるべきだと思いました。
(2014年9月刊。840円+税)
 庭にビックリグミの木のてっぺんにカササギが巣をつくっています。初めてのことです。下で見上げていると、さすがに人間が見ている前では具合が悪いと思うようで、枝を口にくわえたまま別の木の方へ飛んでいきます。隠れて見ていると、二羽でせっせと巣作りに励んでいます。初めての小枝の組み合わせが難しいと思います。よく落ちないように、しかも強風で飛ばされないように見事につくるものですね。感心します。
 アスパラガスを毎日つんで、食べています。濃い紫色のクレマチスが咲きはじめました。

指の骨

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  高橋 弘希 、 出版  新潮社
 大岡昇平の『レイテ島戦記』を思い出しました。レイテ島の密林でアメリカ軍に追い込まれた日本軍の哀れな情景が描かれた本ですが、それは作者の実体験に裏付けされています。
 ところが、この本は、なんと30代の青年が戦場を見事に「再現」しているのです。
 まさしく見てきたような「嘘」の世界なのですが、真に迫っていて、体験記としか思えないのです。作家の想像力とはこれほどの力があるのかと思うと、モノカキ志向の私などは、おもわずウーンと唸ってしまい、次の声が出なくなります。
腹の上には、小さな鉄の固まりがあって、それを、両手で強く握りしめていた。あたかもそれが、自分の魂であるかのように。そして、背嚢のどこかにあるだろう、指の骨のことを思った。アルマイトの弁当箱に入った、人間の、指の骨。その指の骨と、指切りげんまんしたのだ。
 衛生兵は患者が死ぬたびに、指を切り取っていた。何本も切り落としているので、コツを摑んでいるようだった。骨の繋ぎ目に小刀の刃を当てて、小刀の背に自分の体重を乗せて、簡単に指を落としていく。
 死体から指を落としても、出血は殆どなかった.切断面から赤黒い血が、ベニヤ板へとろりと垂れるだけだった。
 いつか小銃も失った。南方とはいえ、山地の夜は寒い。衰弱した兵は、それだけでも簡単に死ぬ。常夏の南の島で凍死するのだ。
 その一帯の密林から毒草と電気芋しか採れなかった。電気芋を食べた兵は、全身を痙攣させて地べたを爪で掻き毟って死に、毒草を食べた兵は、口の周りを燗れさせ緑色の泡を吹いて死んだ。
果たしてこれは戦争だろうか。我々は、小銃も手榴弾も持たず、殆ど丸腰で、軍靴の底の抜けた者は裸足で、熱帯の黄色い道を、ただ歩いているだけだった。
 これは戦争なのだ。呟きながら歩いた。これも戦争なのだ。
 わずか122頁の戦争小説です。まるで、南国の密林に戦場に一人置かれた気分。戦争なんて、イヤだ、と叫びたくなる小説です。
 安倍首相は、こんな戦場のむごたらしさを描いた本は絶対に読まず、目をそむけてしまうだろうと思いました。だって、典型的な口先男だからです。
(2015年3月刊。1400円+税)

明と暗のノモンハン戦史

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  秦 郁彦 、 出版  PHP研究所
 戦前の939年に起きたノモンハン事件について、旧ソ連側の最新の資料をふまえた今日における到達点です。
 ノモンハン事件は、形のうえでは満州国とモンゴル間の国境紛争であり、満蒙両軍も出動したが、実質的には日本の関東軍と極東ソ連軍との4ヶ月にわたる激戦となり、双方とも2万人前後の人的損害を出して停戦した。規模からすると、小型の戦争並みであった。
 そして、人的損害の面では、ソ連軍が日本軍を上まわったことは確実なので、日本人の一部には、「日本軍の大勝利」と言ってよいとする。しかし、戦闘の勝敗は、人的損害だけでなく、目的達成度や政治的影響などもふまえて総合的に論じる必要がある。
関東軍には、「負けていない」「もう一押しで勝てた」と強弁する幹部も少なくなかったが、1万8千人以上の死傷者を出し、ハルハ河東岸の係争地域を失った事実から、陸軍中央部は敗戦感を持ったものが多かった。
 ノモンハン事件の師団長であり、後始末にあたった沢田茂中将は、「陸軍はじまって以来の大敗戦」「国軍未曾有の不祥事」だとした。大本営の作戦課長だった稲田正純大佐は、「莫大な死傷、肺尖の汚点」とし、畑俊六・陸軍大臣も、「大失態」と認識していた。
 事件の最終局面で、ソ連軍は680両の戦車を擁していたのに、日本軍の戦車は60両に過ぎなかった。わずか一割である。
 著者は、ノモンハン事件の総評として「関東軍の勇み足と火遊びのような冒険主義。それは奇妙で残酷な戦いだった。どちらも勝たなかったし、どちらも負けなかった」(半藤一利)というのがあたっているとしています。
 ノモンハン事件で、日本陸軍は戦車対戦車の対決を初めて経験した。
 ソ連軍の戦車は、火炎びんにやられたのは事実だが、それ以上に対戦車砲、そして75ミリ野砲によって撃破された。火炎瓶は武勇伝の類でしかない。
 日本軍(関東軍)は、手持ちの兵力と資材でたたかった。それに対してソ連軍は、中央の積極的支持を受けて、3ヶ月にわたって、兵力の集中と補給物資の蓄積を進めた。
 ノモンハン航空戦については、飛行機と人員の損失数では、日ソはほぼ均等だった。日ソともに、航空戦は、戦局の帰結に結びつくほどの影響は与えなかった。
 ノモンハン事件が、日本軍の一方的敗北でなかったことは確かのようです。しかし、それまで、ソ連軍なんてすぐにもやっつけられると思っていた関東軍の思いあがりが叩きのめされたのも事実なのです。それにもかかわらず、日本軍の責任者は辻政信参謀をはじめとして、のうのうと戦後まで日本軍を指揮していたのです。これまた許せない思いです。
 敵をバカにして、戦争に勝てるはずがありませんよね。軍事指導部の独走はひどいものがありました。
(2014年7月刊。2800円+税)

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