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カテゴリー: 日本史(戦前・戦中)

移民たちの「満州」

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  二松啓紀 、 出版  平凡社新書
  アベ首相のいう「美しい国「」は戦前の満州をかかえた日本をさしているようです。
  では、その満州に夢を持って渡っていった日本人が、結局、どんな悲惨な目にあったのかを今の私たちが思い出すのも意味があることでしょう。
  京都府は長野県に後れをとったが、10ヶ年で20万人を満州へ移住させるという壮大な目標をかかげた。しかし、幸か不幸か(幸に決まっていますが・・・)ほとんど実現していない。
  1933年3月、第一次の武装移民425人が満州に入植した。大阪市の2倍、横浜市の広さの土地450平方キロが日本人の土地になった。しかし、武装集団から襲撃され、屯懇病(ホームシック)で、まもなく半数ほどが退団した。ここは満州開拓発祥の地と喧伝されたが、その実態は失敗の連続だった。
  1936年当時の日本の人口は7000万人。満州移民500万人という計画は、人口の7%を移すという、とんでもない計画だった。
  日中戦争がはじまり、移民消極論が再び台頭し、最終的に青少年義勇軍は3万人あまりで、6割の達成率だった。ほとんどの道府県で割り当てを下まわり、達成したのは、石川、佐賀、大分の三県のみ。九州から佐賀、大分の二県があるのは興味深いところです。
  同じ海外移民でも、南米ブラジルは遠いけれど、匪賊は出ない。満州は近いけれど匪賊が出る。
国策とか天皇を錦の御旗にかかげたとき、ごく普通の人々が想像力を失い、思考停止に陥り、良識なき選択を繰り返していった。
  満州開拓は、無人の地に入植したのではない。現地の中国人を追いだして日本人の土地にしたのである。
  大分県日田市から行った大鶴開拓団は、一人の残留者もなく引き上げることができた。すなわち在籍者220人の8割の176人が戦後の日本に生還した。その主たる理由は、現地の中国人と良好な関係を築いた点にあった。だから戦後に、避難するのに現地の人々に協力してもらったという。
  誰かのものを奪えば、あとで生命か何かを奪われることになるのです。海外植民地の悲劇を繰り返すのはゴメンですよね。
(2015年7月刊。840円+税)

ひいばあちゃんは中国にお墓をつくった

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  飯島 春光 、 出版  かもがわ出版
 「中国では日本人と言われ、日本では中国人と言われる」
「自分は、いったいどこの国の人間なのか、、、」
中国残留日本人が、日本に帰ってきてからの苦労をあらわす言葉です。誤った国策によって中国へ送り出され、心ならずも中国に残ってしまった人たちが少しずつ日本へ帰ってきました。しかし、日本政府は冷遇します。日本の社会だって決して温かく迎え入れたわけではありません。
いま、ヨーロッパではシリア難民の受け入れが大問題となっています。この大量のシリア難民を生み出したのは、果てしない内戦に原因があります。そして、そこには、軍事大国アメリカの政策が大きく影響しています。結局、「抑止力」とか言って、武力一辺倒では、何事も解決することは出来ず、むしろ社会を解体してしまい、国際的な問題を生み出すのです。日本の好戦的な「抑止力」論者は、この現実をしっかり受け止めるべきではないでしょうか、、、。
日本が無理矢理につくった「満州国」に、日本全国から27万人もの満州移民(満蒙開拓団)が送り込まれた。
 「開拓」といっても、それは、現地にいた中国人農民を追い出したあとに入植しただけのこと。つまり、典型的な植民地である。
「五族協和」とは、日本を中心として、漢・満州・蒙古・朝鮮の民族が融和した理想の国家。そこに「王道落土」を築くのだと日本の少年たちは教育されていた。「昭和の防人(さきもり)「昭和の白虎隊(全員、死んでしまいましたよね、、、」と大宣伝され、大きな希望と使命感をもって満蒙青少年義勇軍に志願した。 
 しかし、中国現地の人からすれば、一般の開拓団も青少年義勇軍も、先祖代々の土地を奪って居座る侵略者でしかない。そのことを義勇軍のメンバーである少年たちは、誰ひとり知らなかった。
 中国(満州)の富山県では、80%以上の土地が開拓団に取り上げられた。中国農民は、その地に居続け、中国人の地主のもとで働いていたのが、日本人のもとで働くようになった。日本では貧しかった農民も、満州では豊かになり、中国人をいじめたり、欺いたりした。
ここには、日本人の典型的な悪いところがあらわれていますね、、、。弱いものには、あくまで強く。強いものには、どこまでもへいこら服従して逆らわないという弱点です。
 それでも、安保法制法案反対に立ち上がったFYMやシールズなどの日本人の若者たちの行動を見ていると、日本にも、まだ救いがあるような、光明を持てる思いをしたような気がします。
(2015年8月刊。1600円+税)

遊廓のストライキ

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  山家 悠平   出版 共和国
 
戦前、女性を縛りつけていた遊廓でストライキが頻発していただなんて、驚きます。
第一の波(ピーク)は、1926年5月から10月までの半年間。このとき、広島、大阪、下関、品川などで娼妓たちの集団逃走と自由廃業要求が続いた。第二のピークは、1931年2月から2年間も続いた。全国9ケ所の遊廓でストライキが起こったが、うち半数が九州だった。佐賀武雄、小倉旭町、門司馬場、佐世保勝富、大牟田新地町。
1930年(昭和5年)、遊廓が全国に542、娼妓が5万2千人、芸妓8万人が働いていた。当時、日本には公娼制度があった。公娼制度とは、政府公認の管理売春制度である。
女性たちは、所轄の警察署に娼妓として登録し、鑑札を受けることで売春営業が許可された。鑑札料として、「賦金」と呼ばれる特別の税金を月々納める義務を負っていた。
遊廓の女性は、奉公契約をむすんだ奉公人であり、多額の前渡金に拘束されていた。奉公契約の形はとっていても、鞍替え(実質的な転売)の権利は抱主にあり、実際には人身売買だった。
娼妓たちは、貸座敷免許地内に居住しなくてはならず、警察署の許可がなければ、免許地の外に出ることも出来なかった。
女性たちには強制的な性病検査を義務づけられた。この目的は女性の保健・治療ではなく、兵士の保護にあった。
女性が前借金を返すためには、1日平均して3人の客をとる、年間1000人近い客をとらなければいけない。これが6年のあいだ続く。多いときには一晩で10人以上の客を相手にすることも珍しくはなかった。
6年で遊廓のなかの女性はだいたい入れ替わっていた。
娼妓の9割が10代後半から20代の女性で、30代後半になると遊廓を離れていた。
戦前、全国各地にあった遊廓の実情を調べた本です。大正期の労働運動の高揚期にあわせて遊廓でもストライキなどがあっていたとはまったく知らず、呆然としてしまいました。
(2015年5月刊)

満州難民

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  井上 卓弥 、 出版  幻冬舎
  いざというとき、国家は国民を助けず、冷酷に見捨ててしまう。
  そのことを証明しているのが、戦争末期の満州難民です。軍隊も国も、さっさと自分たちは列車に乗って日本に帰り、寄る辺なき大勢の日本人家族が満州の地に取り残されてしまいました。
  王道楽士をつくるという幻想にかられて満州へ移住していった日本人を、今の私たちが馬鹿な人々だと切り捨てるのは簡単ですが、それは日本の国策だったのです。その国策にしたがった人たちを日本の国家が見捨ててしまったのですから、国家指導者の責任は重いというべきです。
  いま、自民・公明の安倍政権は嘘八百を並べたてて戦争法案を強引に成立させようとしています。日本の自衛隊をアメリカと一緒になって地球の裏側まで派遣して海外での戦争に参加させようとする憲法違反の法案なのに、国民に対しては中国や北朝鮮の脅威をあおりたてて法案の必要性をことさら言いつのっています。マスコミでは桜井よし子が安倍政権の応援団です。こんなひどいウソを一国の首相が言い続けて、それをNHKなどのマスコミがそのまま垂れ流しているのです。許せません。
  主戦直後の8月9日、10日の2日間に、関東軍と軍属そしてその家族3万7000人が鉄道をフル稼働させて新京を発って南へ向かい、日本本土へ引き揚げていった。
  当時、満州在住の日本人は155万人いて、開拓移民は2割ほど。その3割近い8万人ほどが生命を失った。日本政府は、満州に住む日本人の一般住民(民間人)の日本本国への帰還について、きわめて冷淡だった。満州での日本人死者17万6000人のうち、開拓移民の犠牲者は8万人近かった。
  満州各都市における日本人死者は、終戦前に48万人の日本人人口をかかえた奉天が3万人で、一番多い。新京特別市は15万人の日本人人口が敗戦後は20万人にまでふくれあがり、うち2万7000人が亡くなった。
  ある子どもは亡くなる前に、「僕を穴のなかに埋めないでね」と言い残して息を引きとった。本当に可哀想です。何度読んでも涙が出てきます。
  終戦当時、朝鮮半島にいた日本人は、北緯38度線より北に30~40万人、南側に50~60万人。合計80~100万人。朝鮮北部にとめおかれた日本人は難民7万人をふくめて40万人。そして、1年間で3万4000人が亡くなった。その犠牲者の大半が子どもと女性。厳冬期のことだった。
  戦争の悲惨さを改めて実感させる本となっています。
  このような事態を引き起こした政府の責任は厳しく追及されるべきですし、いま再び安倍政権は同じ道に突きすすもうとしています。許せません。
(2015年5月刊。1900円+税)

生きて帰ってきた男

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 小熊 英二   出版 岩波新書
 
著者の父親の伝記です。さすがに社会学者だけあって、裏付け調査がすごいのです。父親の語る話が細かいところまで具体的なのには驚かされます。この親にして、この子あり、という気がしました。よくぞ、ここまで調べ尽くしたものです。
実は、私も父の聞き書きをもとにして、同じような伝記を完成させたことがあります。父が病気(癌)のため入院しているときに、テープレコーダーを病室に持ち込み、その生い立ちを語ってもらい、あとでテープ起こしをし、また、私なりに歴史を調べ、父が語った事実を裏付けていったのです。
たとえば、私の父は「三井」の労務係の一員として、朝鮮半島に徴用に行っています。朝鮮人の強制連行は炭鉱でひどかったのですが、化学工場では無理でした。勤労意欲のない人を、精密な化学工場で無理に働かせても、まともな商品はつくれなかったというのです。なるほど、と私は思いました。強制労働は単純肉体労働でしか役に立たない、このことを父からの聞きとりで理解しました。
この本は新書版で390頁もある、大変な労作です。最後に紹介された言葉がいいです。さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったかを訊いた。
父親はシベリアに抑留され、また戦後の日本で結核療養所に入っていた。未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか?
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
この答えだけでも、本書はここに紹介する価値があると思いました。
著者は、最後に、こう書いています。
父はやがて死ぬ。それは避けえない必然である。しかし、父の経験を聞き、意味を与え、永らえさせることはできる。それは、今を生きている私たちにできることであり、また私たちにしかできないことである。
なるほど、そうなんですよね。団塊世代の私たちは、みな定年退職してしまっていて、自分を振り返っています。先日、私が母のことをまとめた本(こちらも新書版)をネットで知ったとして、私の見知らぬ人から手続をもらいました。なんと、私と同じ年に生まれ、同じ年に東大に入った人でした。母の異母姉の夫の孫にあたる人ですから、私とまんざら縁のない人ではありません。世の中は狭いものだと痛感しましたし、ネットの威力を改めて思い知らされました。
1937年12月、南京が陥落したとき、「提灯行列」があった。下のほうは冷めていた。戦争について、勝った話ばかりが伝わってきて、そのたびに日本軍が占領した場所に地国の上に旗を立てる。ところが、いくら旗を立てても、戦争が終わらない。
なるほど、こんな冷めた見方が当時もあったのですね。
旧制中学の国語教師は、乃木希典について、こう言った。
「乃木さんは、日本では偉いことになっていますが、外国では、軍人としては能力不足で、そのため多くの犠牲者が出たと言われている」
ホント、そうなんですよね、、、。
サイパンで日本軍が「玉砕」し、東京が空襲されるようになって、日本の敗北が論理的に考えると必至になった。このとき、人々は、それ以上のことは考えられなかった。考える能力もなければ、情報もなかった。考えたくなかったのかもしれない、、、。人間は悪いことは信じたくない。 いつでも希望的観測をもってしまう。
シベリア抑留で、日本人が次々に死んでいった。おそらくロシア人は、日本兵がこんなに寒さに弱くて、犠牲者が続出するとは思っていなかったのだろう。
栄養失調になると小便が近くなる。もう少しひどくなると、下痢になる。夜中に、みんな頻繁に起きて小便に行っていた。便所で尻を出しても、尻は丸いから凍傷にはならない。凍傷になるのは、鼻とか指だ。鼻が赤くなっていたら、気をつけてゆっくり暖めないと、鼻が落ちる。誰もが、他人の消息を気づかうような、人間的な感情が失せていた。
戦前、「生きて虜囚の集めを受けず」という戦陣訓を教え込まれていた将兵は、自決に失敗した東条英機を軽蔑したし、昭和天皇は終戦の責任をとって自決すると思っていた。
著者の父親は、日本に帰ってきた昭和26年から4年間、結核のために療養所生活を余儀なくされた。
淡々と、体験した事実を具体的かつ詳細に語っていくのには、言葉が出ないほど圧倒されてしまいます。でも、こうやってフツーの日本人の戦前・戦後の歩みが語られ、明らかにされるのは、とてもいいことだと思いました。そこには「自虐史観」というナンセンスな非難は存在する余地がありません。
(2015年6月刊。940円+税)

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