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カテゴリー: 日本史(戦前・戦中)

暁の宇品

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 堀川 惠子 、 出版 講談社
日本軍が兵站を無視して精神論ばかりで戦争をすすめていたのは有名ですが、それは兵員・物資の輸送の面でも顕著だったことを本書で知りました。
アメリカは原爆を日本に投下するにあたって、「目標検討委員会」を設置して、議論した。そこであがったのは17都市、それを4つにしぼった。京都・広島・横浜・小倉。
京都(古都)を破壊すると、日本人の反発が強まり、占領後の統治が難しくなるとの懸念から京都は外された。広島は一貫して目標の筆頭にあがり続けた。それは、広島の沖に日本軍最大の輸送基地・宇品があったことによる。
宇品は広島の軍港の名。宇品地区の中心にあったのは、陸軍船舶司令部。暁部隊として知られる。
太平洋戦争中に撃沈された輸送船は、小型船まで含めると7200隻以上。出征した船員の2人に1人が戦死している。
なぜ、広島の宇品が戦争の玄関口となったのか…。理由の一つは、鉄道。日清戦争(1894年)のころ、東京を起点とした鉄道は広島まで開通したばかりだった。全国から集めた兵隊や物資を戦場に運ぶには、出航する港に鉄道がつながっているのが好都合。
宇品港は岸壁の際まで最大10メートルの深さがあり、港のすぐ近くまで大型船をつけることができた。周辺の島々が風をさえぎってくれるため、波も穏やかで、使用できる海面も広い。港の周辺に最大200隻もの船舶を碇泊させて作業することができた。
陸軍は、宇品地区に陸軍糧秣支厰を置き、精米工場や缶詰工場、糧秣倉庫を建設した。
海上輸送なのに、陸軍が船を動かすことになったのは、海軍が陸軍の部隊を船で外地へ運ぶ輸送任務を拒絶したから。陸軍船舶司令部は、船と船員をもたない海運会社のようなもの。
陸軍は戦争が起きるたび民間から船と労働者を必死にかき集め、日清戦争のとき24万人、日露戦争では109万人の将兵を宇品から朝鮮半島や大陸へ運んだ。陸軍部隊の輸送業務、乗船、搭乗、陸上への携陸は、すべて陸軍が計画・遂行し、海軍はその護衛のみを担当することが法令上、明記された。
最初は工兵の一分科にすぎなかった船舶工兵は、次第に増大し、独立した工兵連隊となったあと、船舶兵という兵種として18万人を擁した。
宇品港(広島港)に陸軍船舶輸送司令部が置かれ、田尻昌次・陸軍中将が司令官となった。配下の軍人・軍属は10万人、年間予算は2億円。
ところが、圧倒的に船舶が足りなかった。遊覧観光に使われていた古いプロペラ船までひっぱってきた。このため船舶不足によって国内物流が停滞しはじめた。その結果の石炭不足から、非鉄金属の生産にまで影響が出はじめた。船が足りないので新造しようとしても、世界的に鋼材が値上がりしていたため、造船業に鋼材がまわされてこなかった。
島国から軍隊を運ぶのは船しかない。軍隊が外征すれば、そこへ軍需品や糧秣を届けるのも船。資源を入手するために南方に進出するために兵を送るにも船がいるし、資源を運んでくるのもまた船。一にも二にも船が必要。日本は、その船が圧倒的に不足した。
田尻中将は、57歳で司令官の座を追われた。諭旨免職だった。それは船舶不足の現実をふまえて中央に意見集中したことへの報復措置だった。残った司令部では、表面上の強気が支配した。弱音を吐いたら、最前線に飛ばされ、命の保障がなくなってしまう…。
陸海軍部も政府も、船舶の重要性は十分に知っていた。しかし、その脆弱性に真剣に向きあう誠意をもたなかった。圧倒的な船舶不足を証明する科学的データは排除され、脚色され、ねじ曲げられた。あらゆる疑問は保身のための沈黙のなかで、「ナントカナル」と封じ込められた。
いやはや、今はやりの忖度の世界ですよね、これって…。
よくぞ、ここまで調べあげたものだと驚嘆しながら、息を呑みつつ最後まで一気に読み通しました。
(2021年7月刊。税込2090円)

沖縄戦の子どもたち

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 川満 彰 、 出版 吉川弘文館
沖縄では、師範学校・中学校・高等女学校・専門学校の全21校に通っていた10代の少年少女たちが学徒隊として招集され、戦場に立たされた。その人数は教員も含めて2016人。うち戦死者は1017人で、半数以上。学徒隊とは別に、北部(やんばる)では青年学校に通っていた少年1000人が遊撃隊(護郷隊)として招集され、160人の隊員が犠牲になった。
沖縄に第32軍が創設されたのは1944年3月。この年に兵役法が次々に改正され、徴兵検査が20歳から19歳に繰り下がった。志願でしか招集できない17歳と18歳にも兵籍を与え、徴兵検査を義務づけた。
沖縄の第32軍は、南西諸島を守り抜く戦争ではなく、捨て石部隊となって、日本本土決戦に向けて時間を稼ぐための戦争だった。沖縄の9校の鉄血勤皇隊、通信隊、そして6校の女子看護隊は、第32軍の持久戦の作戦計画にもとづいて配属された。動員されたのは1493人。そのうち犠牲となったのは学徒隊792人、教員24人、計816人。戦死率は47%、半数近くが犠牲となった。
6月18日に解散命令が出されたことで、鉄血勤皇隊や女子看護隊は戦場をさまようことになり、犠牲者はさらに急増した。
軍による解散命令って、やっぱり無責任ですよね。投降してよいとか、自分たちの身の安全を図れる具体的指示が必要だったのではないでしょうか。
6月18日に、米軍の地上部隊を指揮していた米第10軍司令官のバックナー中将が日本軍の攻撃で戦死した。
日本軍の牛島満司令官は、最後まで、「捨て石」となる持久戦を意識していた。
宮古島では、3万人もの第28師団の兵士が入ってきたので食糧不足となり、住民もふくめて飢餓状態に陥った。宮古島の戦没者2569人のうちの90%近くが栄養失調とマラリアで亡くなっている。
沖縄での少年兵たちは、遊撃戦どころではなく、常に米軍との戦場で正面から対峙させられ、米軍の標的となっていた。
うひゃあ、こ、これはひどい、ひどすぎる…。
そして、日本の少年兵のなかにはスパイ容疑で日本兵から射殺された人もいるというのです。むごい話です。
九州に疎開した沖縄の子どもたちは、ヤーサン(お腹が空いた)、ヒーサン(寒い)、シカラーサン(寂しい)状況に置かれた。
沖縄の日本平は中国戦線帰りの兵士がいて、自らが中国で犯した残虐行為を「武勇伝」として語っていたことから、アメリカ軍に捕まったら、男は八つ裂きにされ、女は強姦されて殺されると、自分たちが中国でしたことを米軍もすると言って恐怖心をあおった。
そして、戦後まで生きのびた子どもたちのうちの戦争孤児が多く生まれた。しかし、それが何人いたか、当局はつかみきれていない。3千人から4千人はいただろうというだけ。
そんな悲しい実情を掘り起こした大変な労作です。戦争にならないようにするのは、私たち大人の責任です。どんなすごい最新兵器を開発したり、所持していてもダメなのです。
(2021年6月刊。税込1870円)

日本大空襲「実行犯」の告白

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 鈴木 冬悠人 、 出版 新潮新書
日本の敗戦に至る1年間に、46万人近くの日本人がアメリカ空軍による無差別空襲によって殺されました。そのほとんどすべてが軍人ではなく、一般市民です。老人、女性そして子どもたちでした。
日本政府は、その大空襲を指揮したアメリカ空軍トップに対して、戦後、勲一等旭日大綬章(今の旭日大綬章)を贈っています。よくぞたくさんの罪なき市民(日本人)を殺していただきました、ありがとうございますという感謝の勲章です。ええっ、これって、いったいどういうことなのでしょうか…。もらった人は、日本大空襲を指揮した当時38歳のカーチス・ルメイ少将です。
「私は、過激なことをするつもりだった。日本人を皆殺しにしなければならなかった」と語った録音がアメリカに残っているそうです。このカーチス・ルメイはベトナム戦争のときは、北ベトナムを絨毯爆撃して、「ベトナムを石器時代に戻す」と豪語したことでも有名です。ともかく、殺せ、殺せ、ジャップもベトコンも皆殺しだ、と叫んだ男に、日本政府は最高の勲章を贈ってその努力に報いたのです。まあ、なんという恐ろしい現実でしょうか…。人が良いにもほどがあります。
1945年3月9日の東京大空襲のときに出動したB29は325機。合計して1600トンをこえる焼夷弾を積み込んでいた。32万700発を深夜1時、東京都民130万人の上空からまき散らした。
日本本土への空爆は2000回、日本全国237ヶ所を狙って投下された焼夷弾は2040万発。被害者は少なくとも45万8314人(原爆による被害者を含む)。これは、市民を恐怖に陥れ、戦争への意欲を失わせることを目的とした。すなわち、女性や子どもであっても、軍需品や必要な物資の生産に関わっていて、国の産業・軍事力を支えている。なので、全員が戦闘員とみなされるべきだという考えによる。
そして、アメリカ軍は市民への無差別爆撃を始めたのは自分ではない、先に日本軍がやったと弁明した。
たしかに日本軍は、1938年から3年半にわたって、中国・重慶に対して200回以上も空爆を繰り返し、市民1万人以上が犠牲になった。この重慶爆撃の惨状はアメリカ国内に詳しく伝わっていて、日本への空爆は当然だという世論がアメリカ国内にあった。
日本大空襲のとき、アメリカ軍は、あまりに焼夷弾を投下したので、タマ切れとなって、10カ月ほど休んだ時期があるとのこと。この10ヵ月で助かった人もいるのでしょうか…。
B29による爆撃は、当初は精密爆撃というふれこみで、日本軍の戦闘機をつくる工場を狙うはずだった。ところが、高度1万メートルを飛ぶB29は、目視による対象工場をとらえることが難しく、しかも、そんな高々度には偏西風というジェット気流があって、B29による精密爆撃は難しかった。そのうえ、日本軍はドイツ空軍と違って戦闘機で迎撃する態勢にないうえ、高射砲陣地も恐れるに足らないことが判明したので、大空襲のときは高度2000メートルまでおりて飛行して市民への無差別爆撃を敢行していた。
この本によると、B29の開発は原爆の開発費20億ドルに対して、30億ドルもかけたというのです。そして、通常なら10年かかるのを4年で完成させたのでした。アメリカの技術力のすごさです。
また、この当時は、まだアメリカ空軍は存在していなかったのを、なんとかB29の運用をヘンリー・ハップ・アーノルド大将が握り、日本大空襲の成功によって、ついに空軍を創設できたという裏話が紹介されています。
B29は、完成された爆撃機というのではなかったようですが、ともかく、人類史上もっとも街を破壊した航空機であることは間違いない。
いやはや、恐るべきアメリカ空軍です。それにしても、日本政府って、いったいアメリカの奴隷に甘んじる人ばかりなんでしょうかね、おぞましい限りです。
(2021年8月刊。税込836円)

米軍からみた沖縄特攻作戦

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 ロビン・リエリー 、 出版 並木書房
1945年4月、アメリカ軍は大々的な沖縄侵攻を開始した。これに対して、日本軍はカミカゼ特攻隊で対抗。その無謀な特攻作戦を主としてアメリカ軍側の記録によって再現した本です。
日本軍の特攻機によるカミカゼ体当たりに効果がまったくなかったわけではありません。
でも、アメリカ軍は日本軍の暗号を全部解読していましたので、日本軍の奇襲作戦が成功するはずもありません。
そして、日本軍の飛行機は「ゼロ機」(零戦)もふくめて防御板は薄く、パイロットは未熟者ばかり(ベテランはすでに墜落されていて、熟練パイロットを養成する時間もなかった)。
アメリカ軍は沖縄侵攻にあたって、レーダー・ピケット艦艇(RP艦艇)を配置した。日本軍は、結局、このRP艦艇に特攻機を差し向けて、体当たりさせることになった。
その結果、アメリカのRP艦艇のうち沈没、損害を受けたのは29%に達した。
そしてアメリカ軍の戦闘機パイロットは、日本軍機との戦闘で勝っても、RP艦艇から誤射される危険があった。ベトナム戦争でも、アメリカ軍は友軍誤射で、相当の被害者を出していましたよね…。
アメリカ軍の誤射による被害というのは、アメリカの艦艇の兵士たちの過労と神経衰弱によるものが大きかった。なにしろ休養がとれず、眠れないので疲労困憊になっていたから。ストレスで、神経がすりきれてしまっていた。
日本の特攻機は、レーダー探知を避けるため、しばしば海面上を低高度で飛来した。
日本の特攻機のパイロットたちは、練度が低かった。最小限の飛行訓練しか受けていなかった。
アメリカ軍のグラマンF6Fヘルキャットは、ゼロ戦より速く、運動性が良かったので、「手強い相手」だった。ヘルキャットのパイロットは、ゼロ戦と遭遇したら、格闘戦を避けて、速度と火力を最大限に活用するように指示されていた。
アメリカ軍のパイロットたちは、日本軍パイロットの練度の低さもあって、次々に「面白い」ように撃墜していった。これを「七面鳥狩り」と称していた。
いやはや、特攻攻撃を命じられていった前途有為の日本の若者たちがあっけなく戦死させられていったのです。本当に残念ですし、本人たちも悔しかっただろうと思います。
レーダーのない日本軍機は、悪天候によって作戦開始ができなかった。なので、アメリカ軍兵士のほうは、悪天候になると喜んだ。
無謀な特攻・体当たり作戦を若いパイロットたちにおしつけた参謀以上の軍トップの責任は、とてつもなく大きく重いはずですが…。単純に特攻作戦を美化するなんて、許せません。
(2021年9月刊。税込2970円)

アンブレイカブル

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 柳 広司 、 出版 角川書店
もちろん小説だということは読みはじめる前に分かっていました。でも、てっきり現代社会のどこかを舞台としていると思っていたのです。ところが、実は舞台は戦前の北海道、しかも、蟹(かに)工船で働いていたことのある経験者が、なんと、あの小林多喜二に対して作業の実際を語るところから話は始まるのです。ええっ、この小説は小林多喜二がまだ銀行員だったとき、作家としての取材をどうやってしていたのか、から始まるのか…、驚きました。
語る体験者は2人。いずれもスネに傷をもつ身なので、目の前の大金が欲しいのです。そのため、小林多喜二に蟹工船での作業実態を語るのですが、それには実はウラがあって…。うむむ、この本は国家権力による思想統制の怖さに自然に読者の目が向くように仕組まれています。そして、それが自然な流れなのです。さすが、です。
次は戦前の反戦詩人としてそれなりに有名な鶴彬(つる・あきら)と憲兵大尉、そして特高との関わりあいの話です。展開が予想以上に速いので、ついていくのも大変です。
ときはゾルゲ事件が摘発された翌年です。
それにしても、戦前の特高警察って、怖いですよね。なにしろ何ら罪のない人々を捕まえては、ときによっては拷問を加えてでも罪を「自白」させ、刑務所に閉じ込め、また人間としての精神・身体のいずれもボロボロにしてしまうのですから…。
問題は、それが遠い過去のことであって、現代とは何の相互関連性はないとは言い切れないことです。これって、本当にゾクゾクするほどの怖さがあります。要するに、自分のやった本来なら正当な行為が、刑事処罰の対象であり、決して文句は言えない。いやはや、怖い、怖すぎます。
(2021年1月刊。税込1980円)

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