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カテゴリー: 宇宙

宇宙が始まる前には何があったのか?

カテゴリー:宇宙

著者  ローレンス・クラウス 、 出版  文芸春秋
 何もないところから何かが生じることはない。しかし、この常識は宇宙では通用しない。重力と量子力学のダイナミクスを考慮すると、常識はくつがえってしまう。それこそが科学の素晴らしいところ。私たちが目にするものすべてを、空っぽの空間から作り出すことが可能なのだ。
 この本で語られていることは、何年、何十年、何百年というものではなく、2兆年とか、まさしく気が遠くなりすぎるほどの次元の話です。もちろん、地球はおろか太陽だって50億年という寿命がとっくに尽きてしまっている先の話です。
 まあ、たまには、そんな雄大な宇宙の話に耳を傾け、目を見開いてもいいのではありませんか・・・。
私たちの身体を構成している原子のほとんどすべては、かつて爆発した星の内部に存在していたもの。私たちは、みな、文字どおり、星の子どもたちなのだ。私たちの身体は星屑(ほしくず)で出来ている。
光速より早く動くものはない。これが私たちの常識。しかし・・・。
 量子力学によれば、高い精度で粒子の運動速度を測定することができないほど短い時間ならば、その粒子は光よりも早い速度で動いてもかまわないということが示唆される。そして、もしも光より速い速度で動いているとしたら、アインシュタインによれば、その粒子は時間を逆行しているように振る舞うはずなのだ。
 なんということでしょうか。光速より早いと言うことは、時間を逆行することになるだなんて・・・。
アインシュタインが一般相対性理論を提唱したのは、わずか100年前のこと。そのころ、宇宙は永遠不変というのが世の中の常識だった。
 現代は、宇宙は膨張していることを知り、暗黒物質が宇宙にあることを知っている。空っぽのように見える空間エネルギーが含まれていて、それが宇宙の膨張を支配している。
 観測可能な宇宙は、これからどんどん光速より大きな速度で膨脹していく。つまり、未来になればなるほど、見えるものは減っていく。いま見えている銀河は、未来のある時点で、私たちからの後退速度が光速をこえ、それ以降は見えなくなる。その銀河は、地平線の彼方に消えてしまうのだ。
 これから、2兆年たつと、一部の銀河を除いて、すべての天体が文字どおり姿を消してしまう。つまり、今日、私たちの観測可能な宇宙にちりばめられている4000億の銀河は、すべて姿を消している。
 私たちの太陽は銀河系の辺境にある平凡な星の一つにすぎない。そして、銀河系は観測可能な宇宙にちりばめられている4000億個もの銀河の一つにすぎない。
 宇宙では、きわめて高い信頼度で、無から何かが生じることはありうる。
 空っぽの空間にもエネルギーが存在することが発見された。つまり、実は、空っぽの空間というのも複雑なものだった。適切な条件の下では、何もないところから何かが生じることは可能であるばかりか、必然だということ。
 高温・高密度のビッグバンの時期には、もともと物質と反物質とが同じだけ存在していたのだが、ある量子的なプロセスにより、物質の法が反物質よりもわずかに多くなるという小さな非対称性が生じた。そのおかげで、何もないところから、何かが生じた。それが、今日の宇宙にみられる星や銀河になっていた。
この本を読んで理解できたなんて思っていませんが、宇宙の始まる前には何があったのか、宇宙に終わりがあるのかという問いかけに対する答えの一つだと思い、最後まで興味深く読みとおしました。
(2014年2月刊。1600円+税)

宇宙になぜ我々が存在するのか

カテゴリー:宇宙

著者  村山 斉 、 出版  講談社ブルーバックス新書
この世のはじまり、広大・無限の宇宙が実は原始よりもはるかに小さかったというのです。信じられません・・・。
誕生した直後の宇宙は原子よりも17桁も小さかった。それをインフレーションで大きく引き伸ばして30桁以上も大きさになり、やっと3ミリの大きさになった。そこでビッグバンが起こり、宇宙のもっていたエネルギーが熱や光に変化し、宇宙は一気にあつくなり、ゆっくり大きくなっていった。宇宙は137億年もかけて少しずつ大きくなっていった。
宇宙が3キロメートルぐらいの大きさになったとき、粒子と反粒子のバランスが崩れた。宇宙に同じ数だけ出来ていた粒子と反粒子は、どこかで反粒子が粒子に変化したと考えられる。何ものかが10億分の1個だけ反粒子を粒子に変えたことで9億9999個の粒子は反粒子とぶつかって消滅しても、粒子は2個生き残り、星や銀河、そして人類へとつながっていくことになる。
さらに宇宙が1億キロメートルまで大きくなったところで、ビッグス粒子が凍りつく.宇宙がギュッと凍りついたおかげで、素粒子の世界に秩序が生まれ、多くの素粒子に質量が与えられるようになった。
このようにして始まった宇宙はゆっくりと膨張しているので、だんだん冷えていく。
 宇宙が100億キロメートルになると、消滅が止まり、生き残る数が決まる。これが今残っている暗黒物質だと考えられている。さらに宇宙が3000億キロメートルになると、クオークが強い力で閉じ込められて、陽子や中性子になる。中性子はすべてヘリウムの原子核に組み込まれている。宇宙が誕生して38万年後になると、落ち着き、1000万年光年ほどの大きさに落ち着く。まだ3000度Cあるが、原子核と電子がくっついている原子ができるようになる。
 暗黒物質の重力に引き寄せられて、原子が集まり、これが星になり、星がたくさん集まって銀河をつくる。宇宙で最初にできた元素は水素とヘリウム。星は人類の体のもとになる元素の製造マシーン。ただ、星の核融合によって出来るのは鉄まで。
 超新星爆発が鉄より重い元素をつくる原動力になる。超新星爆発は、新しい星の材料となるガスやチリを宇宙空間にばらまく。このばらまかれたガスやチリは、重力の重い場所に集まり、新しい星をつくる。地球は太陽をつくるために集まってきたガスやチリの一部でつくられている。その地球上で誕生した人類の体は、星のなかでつくられたものだから、まさしく人間の体は星屑でつくられていることになる。
 物質には反物質があり、両者が出会うと消滅するというのは、かつて私が読んだ、SF小説にありました。サイエンス・フィクションと思っていたら、こうやって学説として生きているのですね。そして、その小さな差が宇宙をつくっているというのです。そのとき、ニュートリノという小さな粒子が立派な働きをしています。
 ヒッグス粒子というのは、角砂糖ほどの空間に、10の50乗兆個もあるというのですから、なんのことやら想像を絶します。
 生まれたばかりの宇宙が原子よりはるかに小さいものだったというとき、その前は無だったというわけです。では、この広大無限の宇宙は無限に存在するというのでしょうか。
 地球も太陽も、そして銀河系宇宙も有限だということです。しかし、無限の存在があるのか・・・。気宇壮大なことがぎっしり詰まった、小さな新書でした。たまには宇宙の話を読んで気晴らししましょう。
(2013年1月刊。800円+税)

銀河と宇宙

カテゴリー:宇宙

著者  ジョン・グリビン 、 出版  丸善出版
たまには、銀河と宇宙のことを考えてみるのは必要なことではないでしょうか。
人間の死後を考えたら、人間をつつむ銀河と宇宙がその後どうなるのか、考えずにはあれません。
 銀河がどのような最期を迎えるのかは宇宙の運命にかかっている。その宇宙の運命については三つのシナリオが考えられる。その一つは、宇宙が今日と同じ程度の加速膨張を続けていく。その二は、加速膨張の加速の程度がしだいに増えていく。第三は、それほど遠くない未来に加速傍聴に転じ、最終的には宇宙がビックバンを時間反転したビッグクランチとよばれる高密度状態になる。もし、宇宙の膨張が十分に長く続くなら、最終的にはガスとダストを使い果たして、宇宙のなかのすべての星成長活動が終わるだろう。
 銀河は1兆年という長い時間のうちに、暗く、赤くなるのに加え、やせ細って小さくなっていく。これを銀河の最期とみなすことができる。
 ブラックホールもまた同じように最期を迎える。ブラックホールも蒸発してしまう。
 現在の宇宙年齢の10倍の時間以内に、局所銀河群のメンバー銀河の合体からできた超巨大銀河の「島宇宙」がしだいに輝きを失っていく様子以外には何も見えなくなるだろう。
 その二のシナリオでは、いまから200億年のうちに必ず最後が来る。原子とすべての粒子は引き裂かれて「無」になり、その後には平坦で空虚な時空が残る。この空虚な時空から新しい宇宙が生まれて、銀河系がふたたび生まれるという考えもある・・・。
 その三のシナリオは、ビッグクランチの20億年前になると、もはや生命は存在できず、銀河は壊されて乱雑な星の集まりとなる。最後から100万年たらず前の時点で星の内部にあるものも含めてすべてバリオンが、それを構成する荷電粒子の成分に分解される。そして、物質と放射がふたたび密接に結合する。
 宇宙の大きさが現在の100万分の1になり、温度が星の内部の温度とほぼ同じ1000万度Cをこえると、星の中心核といえども火の玉のなかで溶融する。最終的には、すべてのものが特異的の中に消滅する。
 そして、この本は次のようにしめくくります。これを呼んで、ほっとひと安心というところでしょうか・・・。
 銀河は数千億年、現在の宇宙年齢の10倍以上の期間は安全で、人類とは別の知的生命体の観測者たちが、それがどんな最後を迎えるかを正確に理解するまでに十分な時間がある。
 私は、それよりも、原発なんていう人類のコントロール不能のものをかかえたまま、原発の操業再開だとか海外への輸出だとか、ましてや日本の原発を狙ったテロとか、そんな状況では、地球上の人類の生存こそ今や危機に直面していると改めて思いました。
(2013年7月刊。1000円+税)

大隕石・衝突の現実

カテゴリー:宇宙

著者  日本スペースガード協会 、 出版  ニュートンプレス
隕石が日本の原子力発電所に落ちたらどうなるのか・・・。
 これは、政府も原発関係者も、想定してはならないとする設問です。その正解は、日本列島の大半が汚染されて、人々は住み続けられずに列島外へ脱出するしかないということです。かつてのユダヤ民族のディアスポラ(民族離散・脱出)が始まるのです。
 原子力発電所にあった核燃料がむき出しになってしまえば、もう誰も近づけません。手のうちようがないのです。それを承知のうえで、いま、日本政府と原発企業は海外へ原発を輸出しようとしています。当面は輸出代金が入ってきて日本経済にいくらかプラスになるのかもしれません。でも、いったん不具合が発生し、事故になったとき、日本政府が不具合の責任を追及される可能性があります。その額が天文学的な巨額になったとき、私企業では負担しきれず、政府が負担することになります。もちろん、それは日本国民の納めた税金です。当面の「利益」に目がくらんで輸出した人は既にこの世を去り、責任をとりません。後世の人々が責任をとらされるのです。こんなひどい事態をつくり出す企業を「死の商人」と呼ばずに、何と呼びましょうか・・・。
 この本を読むと、隕石というのは、宇宙から地球へ頻繁に落下していることがよくわかります。ロシアや南極大陸だけに落下しているというのでは決してありません。怖い現実です。
地球にニアミスする小惑星は毎年、数個ある。
 1908年6月30日、ロシアでツングースカ爆発が起きた。地上から6キロメートル上空での爆発だった。このツングースカ爆発は、2000平方キロメートル以上もの地域に拡がる森林を荒廃させ、爆心地から20キロメートル以内は高熱によって炎に包まれた。爆発規模は、広島型原爆の1000倍の破壊力をもつ、20メガトンだった。
 地球は何もない空間を孤独に運動しているわけではない。むしろ、数多くの天体軌道の間をすり抜けるようにして運動していると言ったほうがよい。したがって、他の天体との衝突という問題は、避けては通れないものなのである。
 小惑星は確定番号がついたものだけでも30万個以上ある。その数は60万個以上におよぶ。今までに発見された彗星は3000個あまり。このうち長周期彗星は2800個、短周期彗星は280個である。
恐竜が絶滅したときの小惑星の衝突(メキシコのユカタン半島)は直系10キロメートル程度の小惑星だった。その衝突エネルギーは1.2億メガトンだった。津波は高さは数千メートルと推定されている。
 直系100メートルの小惑星が衝突しても、関東平野程度の範囲は壊滅する。
 このサイズの小惑星が地球へ衝突する確立は数百年に1回である。
 隕石が地球にぶつかるのは避けられないし、その被害たるや甚大なものがあります。その被害を加速させる原発なんて、地球上に置いてはいけないのです。
(2013年4月刊。1400円+税)

月の名前

カテゴリー:宇宙

著者  高橋 順子 、 出版  デコ
満月を眺めるのは、いつだって心地よいものです。屋根の上にポッカリ浮かぶ大きな満月は頭上にあるより親しみを覚えます。
 夏の夜の楽しみは、ベランダに出て天体望遠鏡で月の素顔をじっと観察することです。まるで隣町のように、くっきり表面のでこぼこを観察することができます。下界の俗事を忘れさせてくれる貴重なひとときになります。
 9月の中秋の名月を祝うのは、このころの月が美しいからというだけではない。気温は快適だし、月の高度もよろしい。しかも、もっと説得的な理由は、芋名月、栗名月、豆名月という名称からも察せられるように、このころが秋の農作物の収穫の時期だということ。
 お月見は、農作物の豊穣を月の神に感謝し、来年の豊作を祈願する秋祭の一つだ。
 この本は、月にちなむさまざまな呼び名を、写真とともに紹介しています。知らない呼び名がたくさんありました。
 十七屋。江戸時代の飛脚便のこと。たちまち着きの語呂あわせから。
 今宵は中秋の名月
 初恋を偲ぶ夜
 われらは万障くりあはせ
 よしの屋で独り酒をのむ
「われら」と言いながら、「独り酒、をのむ」というのも奇妙ですが、フンイキが出ています。
 月には、中国古代の伝説では、仙女、桂男(かつらおとこ)、ヒキガエル、兎などがすんでいた。兎は、不老長生。仙薬を臼でつく。この兎は韓国や日本では餅をつく。桂男とは、月の中に住むという仙人。転じて、美男子をいう。月の桂を折るとは、むかし文章生(もんじょうせい)が官吏登用試験に及策することをいった。
 菜の花や月は東に日は西に
与謝蕪村がこの句をつくったのは、1774年(安永3年)のこと。58歳の蕪村は、当時、京都に住んでいた。
名月をとってくれろとなく子哉
これは一茶の句です。いいですね・・・。
(2012年10月刊。2500円+税)

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