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カテゴリー: 司法

「人間力」の伸ばし方

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 萬年 浩雄 、 出版  民事法研究会
萬年節(まんねんぶし)が炸裂している本です。なにより驚かされるのは、著者はこの25年間、帝国データバンクの帝国ニュース(九州版)に月2回、「弁護士事件簿」を連載しているということです。私も、この書評は2001年以来の連載になりますし、月1回の全国商工新聞の法律相談コーナーを1989年以来担当していますので、もう28年になります。ですから、お互いに健闘をたたえあいたい気分です。
それはともかくとして、「弁護士事件簿」がそれなりのジャンル別に編集してありますので、大変読みやすくなっています。それこそ、経営者にとっても、また若手弁護士にとっても学ぶところの大きい内容になっています。
依頼者の気持ちを共感できるか否か。共感できないなら、受任を断る。自分の主義主張と異なり、事件処理にあたって自分の哲学と違い、説得しても耳を傾けない依頼者と判断したときには、「私は頭が悪いから、私より頭の良い弁護士のところに行ったほうがいいよ」とやんわり言って断る。
なるほど、こんな言い方もあるのですね、今度つかってみましょう。
当方の提出した書面はもちろん、相手方の書面や書証、そして証言調書も全部コピーして依頼者に送る。依頼者にとって、自分の裁判が今どうなっているのか、弁護士として説明するのは当然だという考えから実行している。だから、依頼者と打合せするときには、同じ内容のファイルをそれぞれ持っていることになる。
私もまったく同じ考えで、昔から実行しています。ところが、今なお、それをしない弁護士がいるようです。私には信じられません。
著者は土地境界争い事件はなるべく受任しないようにしているとのこと。たしかに、これは法律紛争というより感情レベルの紛争であることが大半で、法律家泣かせです。ですから、私は、着手金を「弁護士への慰謝料なんですよ」と説明し、納得していただいたら受任しています。
相手方と交渉しているときなど、これ以上、相手と話をしても時間の無駄と思ったときには、深追いせずに中断する。そして、双方とも頭を冷やして、交渉を再開する。
この点も、私は同感です。ダラダラとやっても時間ばかり過ぎていきます。ちょっと間をおいたほうがよいことが多いものです。
著者は毎朝5時に起きて新聞を5紙読んでいるとのこと。これは私も朝5時を6時にすれば同じです。そして、読書タイムは移動するときの交通機関の中だというのもまったく同じです。私のカバンには、常時、単行本が2冊、そして新書・文庫本が2冊入っています。
著者は速読派ではないようですが、私は速読派です。東京へ行く1時間半の飛行機のなかで本を2冊読むようにしています。それも部厚い単行本です。いつだって飛行機は怖いのです。ですから、その怖さを忘れることのできるほど集中できそうな本を選んでおき、機中で必死に集中して読むのです。飛行機が無事に目的地に着いたときには、いつも心の中で「ありがとうございました」とお礼を言うようにしています。なぜ速読するのかというのは、たくさんの本を読みたいからです。世の中には私の知らないことが、こんなにたくさんある。そのことを知ると、ますます多くの本を読んで知りたくなります。要するに好奇心からです。
弁護士の仕事はケンカ商売である。だから、役者的要素が不可欠だし、交渉には計算し尽くしたシナリオと演技で勝負する。
そうなんですよね。私も、最近は大声をあげることはほとんどありませんが、以前は大声をあげることがよくありました。著者は今でも怒鳴りあげているようです。それで、金融村で、「ケンカ萬年」と呼ばれているそうです。今でも、でしょうか・・・。
著者が怒鳴る相手に裁判官もいるとのこと。実際、私も裁判官に向かって怒鳴りあげたい思いを過去に何回もしましたが、勇気もなく、怒鳴ってもムダだろうなと思って怒鳴りませんでした。
思い込みの激しい裁判官、やる気のない裁判官、上ばかり見ていて、重箱の隅をつっつくことしか目にない裁判官、この40年以上、いやというほど見てきました。気持ちの優しい、しかも気骨ある裁判官にたまにあたると、心底からほっとします。
弁護士は嘘をつかない、約束を守ることが信用を築く基本だというのも、まったくそのとおりです。価値ある150話になっています。300頁あまりで3000円。安いものです。若手弁護士にはぜひ読んでほしいものです。
(2017年8月刊。3000円+税)

なんで「あんな奴ら」の弁護ができるのか?

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 アビー・スミス、モンロー・H・フリードマン 、 出版  現代人文社
「あんな奴は、さっさと死刑にしてしまえばいいんだ」
「悪いことした人間の弁護人って、むなしいでしょ・・・」
日本でも多くの人が口にする言葉です。それはアメリカでも同じ状況です。そして、アメリカには、これに露骨な人種差別、階級差別が加わります。
全人口の1%近い200万人以上のアメリカ人が現在、刑務所または留置場に収容されている。このほか、少年収容施設に10万人の少年が入っている。
執行猶予または保護観察になっている人も含めると、700万人を優にこえる。
アフリカ系アメリカ人は人口の12%でしかないのに、薬物犯罪で逮捕される者のうち34%を占め、薬物犯罪のために州刑務所に収容されている人の45%を占めている。
今日うまれたアフリカ系アメリカ人男性の3人に1人が生涯のどこかの時期で刑務所に入る運命にあり、ラテン系アメリカ人男性は6人に1人が刑務所に入る運命にある。これに対して、白人男性ではわずかに17人に1人である。若い黒人の半数以上が、刑務所にいるか執行猶予中か保護観察中である。
アメリカの連邦の学生ローンは、少年時代の薬物犯罪という軽罪であっても、一定の有罪判決を受けた者には認められない。
両親不在のときにエクスタシーの錠剤をのみ、コカインを鼻から吸収していた裕福な家族の子どもは逮捕されない。路上で大麻を吸っていた貧しい家庭の子どもは逮捕される。
貧しい家庭の非白人の子どもは白人の子どもとは別の不利益が課される。彼らは犯罪者としてのレッテルを貼られ、番号をつけられ、法制度のなかで一緒くたにされる。家族から引き離され、生活は破壊される。
恥ずべきは、金持ちが熱心な弁護を受けることではなく、貧困者や中間層が熱心な弁護を受けられないことである。
今日では、共産主義は脅威ではなくなったので、共産主義者を弁護することは普通になった。しかし、テロで訴追されたイスラム教原理主義者を弁護することは評判が悪い。
自由社会では、政府の圧倒的な権力に対するカウンターの存在が不可欠である。なぜなら、権力は、それを行使する人によって容易に濫用されるからである。
死刑囚に実際に面会してみると、決して怪物ではないことが分かる。会う前は荒くれ者で、攻撃的で、恐ろしい人たちだと考えていたが、実際には、礼儀正しく、親切ですらあった。
ミシシッピー州の死刑囚の多くが黒人で全員が貧困層の出身であった。
殴って虐待する母親についていくよりも、レイプする父親と暮らすことを選択した娘、罰として子どもたちに水を与えない養親、憎しみのあまり小さな子どもをムチ打つ親、ティーンエイジャーにもならないのに、食べ物を得るために売春する子どもたち。学校にあがる6歳の子どものための服が断然必要なのに、なけなしのお金でコカインを買ってしまう親・・・。
刑事弁護人は依頼者を信じなければならない。依頼者の人間性、尊厳、経験、奮闘を信じるのだ。依頼者を嫌ってはいけない。弁護人は、やる気とあわせて深い技術を身につけておかなければならない。
私たちが弁護を担う特権を有している依頼者たちが、変わった人であるとか恐ろしい人であると示唆するような行動をとることは、弁護人の援助を受ける権利とアメリカの民主的理想とを損なうものだ。
「あんな奴ら」を弁護するのは、「あんな奴ら」とは我々のことだから・・・。
アメリカの高名な刑事弁護人が、なぜ「悪い人間」の弁護をするのか、自らの体験を通して語っていて、とても説得的です。法制度の違いは多少ありますが、日本の弁護士(人)にも大いに役立つ内容になっています。司法試験に合格したら、早速、読んでほしい本の一つです。
(2017年8月刊。3200円+税)

わたくしは日本国憲法です

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 鈴木 篤 、 出版  朗文堂
医療分野で名高い弁護士ですが、憲法問題にも取り組んでいるのを初めて知りました。大学時代は私と同じ川崎セツルメントに所属していました。私の3年先輩になりますので、活動時期は重なっていません。
日本国憲法になり切って著者は訴えます。たしかにアメリカ軍による押しつけという側面があったことは事実だ。だからといって、そのことは憲法のなかみがもっている価値とは別の問題だ。憲法のもっている中身は決して否定されるようなものではない。むしろ問題なのは、押しつけであったために、憲法のもっている本当の価値が、その後のこの国の生活や政治のなかで十分に理解されず、いかされてこなかったことにこそある。私も本当にそう思います。
今の日本という国の現実は、わたくしが「こうありたい」、「こうあるべきだ」と言っていることとは大きくかけ離れている。
わたくしが番人として、きちんとその役割を果たすためには、国民がわたくしをちゃんと理解してくれて、わたくしを活かすために行動してくれることが大前提となる。
多数決を民主主義の原則だというのは根本的に間違っている。本当は、多数決は民主主義の本来の原則を守り抜いた後の問題解決の方法として、民主主義とは異質な原則を例外的に制度として取り込んだもの。つまり、多数決は、民主主義の限界を示すもの。
国民の4割ほどの支持しか受けていない政党が、小選挙区制と議会での多数決制度によって、文字どおり独裁的な権力を行使することができるような仕組みになっている。だから、わたくしから言わせれば、現在この国の権力を握っている者たちは、「国民の信託」をかすめとり、国民の代表を僭称(せんしょう)しているに過ぎない。だからこそ、この人たちは、国民が自分たちの意思を直接政治に反映させようとして直接請求や住民投票などの要求をすると、決まって排斥する立場に立つ。
集団的自衛権の行使は、日本に対する攻撃とか、日本を守るというものでは一切ない。日本の同盟国、つまり外国に対する攻撃に対して日本がそれに参加し応戦して反撃すること。つまり、日本が他国同士の戦争に加わる、巻き込まれるということ。これが日本国憲法に違反することは明らかです。
「どうせ自分が何を言っても自分の意見なんか誰も取りあげてくれない。何も変わらない」このようなあきらめの気持ちを多くの日本人がもっています。それが投票率の低下となってあらわれています。
既成事実への屈服、権限への逃避を特徴とし、成り行きに身をまかせ、どうしてこうなったには責任を負わないし、追及しようともしない。そんな精神構造に多くの日本人がなっている。しかし、そうではなくて、納得できないこと、ガマンできないことに対しては、はっきりモノを言う、声を上げることが大切です。著者は繰り返し、そのことを強調しています。私もまったく同感です。
4000部も売れたとのことですが、アベ流のインチキな「加憲」が提案されようとしている今日、そもそも憲法とは何のためにあるのかを分かりやすく問題提起した貴重な憲法に関する本です。ご一読を強くおすすめします。とくに、中学・高校生の子をもつ親には必読です。
(2014年10月刊。1200円+税)

捜査と弁護

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 佐藤 博史・指宿 信ほか 、 出版  岩波書店
私は今も国選弁護人は引き受けていますが、幸か不幸か裁判員裁判事件は担当していません。殺人事件の被疑者弁護人になったので覚悟していたら、罪名が嘱託殺人になって一般の刑事裁判で終わりました。
本書はシリーズ刑事司法を考える第2巻として発刊されたものです。科学的捜査を論じたところが私の印象に残りました。ここではDNA鑑定の危なさと、ポリグラフ検査の信用性について紹介します。
DNA鑑定を絶対視すべきではないと強調されています。DNA鑑定といえども、単なる検査方法の一つであって、対象試料としての物質の限界と検出方法の限界にとって不確定性を含んでいる。足利事件でも菅谷さんを有罪にするためにDNA鑑定が使われている。このとき、DNA型を判定するための検出技術が未完成だったことによる。最初の鑑定の誤りに早く気づいて撤回されていたら、菅谷氏は17年半に及ぶ刑務所生活は避けられていた。
ところが、足利事件を解決するという警察の威信をかけた大事件だったために、DNA鑑定によって解決できたと宣伝するために警察は強引に「解決」してしまった。
今でもDNA鑑定は無から有を生む、魔法のような方法ではない。
現在、大学の法医学教室の多くは、捜査サイド(すなわち警察の味方)に立って、それを支持することを本分としている。これは警察の信頼がなければ司法解剖をふくめて仕事が出来ないという現実から来ている。司法が正当に機能するためには、鑑定そのものの中立性を維持できるような国家制度を確立すべきだ。なるほど、なるほどと思いました。
ポリグラフ検査(CQT)は、正確性の問題などから、減殺では、ほとんど使われていない。
しかし、CITと呼ばれる隠匿情報テスト(犯行知識検査。CIT)のほうは、日本の警察が今もよく使っている。CITは、CQTと違って、比較的明確なロジックにもとづくものであるため、明確な質問表を複数個きちんと作成できたら、犯人なのかそうでないかを正確に判定できる。
うむむ・・・、本当にそうなんでしょうか・・・。そんなに違いのあるものなのでしょうか・・・。ちょっと信じがたいところです。
今のポリグラフ検査によれば、犯人でない人間を「犯人である」と誤って判定する率は0.4%でしかなく、きわめて小さい。捜査側の立場に立った論述だからとも言えますが、果たしてポリグラフ検査の信用性って、そんなに高まったのでしょうか・・・。
刑事弁護の実務を深めるのに役立つシリーズ第2弾の本です。
(2017年8月刊。3600円+税)

あのとき裁判所は?

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 宮本 康昭ほか 、 出版  ひめしゃら法律事務所
あっと驚く事実が満載の、強烈なインパクトたっぷりのブックレットです。
あの宮本康昭さんが、もう80歳を過ぎていたなんて、信じられません。それより、もっと驚くのは、1970年(昭和45年)ころ、青年法律家協会(青法協)に所属していた裁判官が350人もいたこと、最高裁に勤務していた局付判事補15人のうち10人が青法協会員だったこと、東京地裁に配属された新任判事補12人のうち10人が青法協会員だったこと、その圧倒的人数と比率に思わず叫びたくなるほど驚かされます。
さらには、宮本判事補の再任拒否に対して、当時の裁判官1850人のうちの3分の1をこえる650人が抗議文を出したというのにも腰が抜けるほど驚きます。今では、とてもそんな数の裁判官は沈黙したままで、抗議の声をあげないのではないでしょうか、残念ながら・・・。
なにしろ、1970年1月から1971年までの1年間で、350人いた裁判官部会の会員が158人も脱退して200人になったのでした。このころ、著者は、何回も血を吐いたとのことです。ストレスから胃潰瘍になったのです。良かったですね、それを乗りこえて長生きできて・・・。
当時の熊本地裁の所長(駒田駿太郎)が著者に青法協をやめろと言うので、所長も日法協に入っているでしょ、と問い返すと、「オレも日法協をやめるから、オマエも青法協をやめてくれ」と切り返されたといいます。
実は、私も、いま日法協の会員(会費だけの・・・)なのです。弁護士会の役員になったおつきあいで加入しているだけなのですが・・・。
この本で、著者は青法協を脱退した158人のその後を紹介しています。
最高裁判事6人、検事総長1人、内閣法制局長官1人、高裁長官12人、地裁所長64人。これに対して青法協に残った200人のうちでは、高裁長官が2人、地裁所長は3人だけ。このように歴然たる違いがあるのです。そして、著者に対しては露骨な差別扱いがされました。弁護士になるときに最高裁判所が経歴保証書を出さなかったというのには呆れました。
著者は判事補に再任されなかったけれど、簡裁判事として残ったのですが、宿舎から追い出されそうになったり、裁判官送迎バスの対象者からははずされたりという嫌がらせも受けています。裁判所のイジメって、陰湿ですよね・・・。それでも、著者はめげずにがんばったのですね。すごいです。給料にしても、当時で月に7万円から8万円も低かったというので、同期の裁判官たちがカンパしていたというエピソードも紹介されています。
著者とは灯油裁判で一緒の弁護団だったこともあり、親しくさせていただいていますが、人格・識見ともきわめてすぐれた人物です。こんな人を裁判所から追い出すなんて、本当に国家的損失だと実感します。
裁判官が公安によって尾行されていたとか、スパイがいたのではないかという話もあります。私のときにも、司法修習生のなかに明らかにスパイ活動していると確信したことがありました。司法界と公安、スパイというのは切っても切れない関係なんだなと改めて思いました。
貴重な本です。今の裁判所内に気骨ある人が少ないのは、その負の遺産だと思います。私の個人的経験でいうと、騙された奴が悪いなんていう若い裁判官の発想は、その典型の一つだと思います。本人は無自覚なので、始末が悪いです。
(2017年8月刊。500円+税)
9月に入って急に涼しくなりました。右膝が痛かったのも少しおさまりましたので、夏草が庭一面を覆っていましたので、日曜日に雑草とりに精を出しました。頭上でツクツク法師が鳴いて、夏の終わりを告げてくれました。日の沈むのも早くなり、夕方6時半に切り上げ、風呂場に直行しました。
湯あがりに息子が贈ってくれた甲州産の赤ワインを美味しくいただきました。平和なひとときです。

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