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カテゴリー: 司法

刑務所しか居場所がない人たち

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 譲司 、 出版  大月書店
この本を読むと、現代日本社会が、いかに弱者に冷たいものになっているか、つくづく実感させられます。
「ネトウヨ」の皆さんなど少なくない人が、自己責任を声高に言いつのりますが、病気やケガは本人の心がけだけでどうにかなるものではありません。
社会とのコミュニケーションがうまく取れない人は、孤立してしまい、絶望のあまり自死するか犯罪に走りがちです。そして、犯罪に走った人たちの吹きだまりになっているのが刑務所です。いったんここに入ると、簡単には抜け出すことができません。
刑務所を、悪いやつらを閉じこめて、罪を償わせる場だと考えている人は多い。しかし、その現実を誤解している。いまや、まるで福祉施設みたいな世界になっている。本来は助けが必要なのに、冷たい社会のなかで生きづらさをかかえた人、そんな人たちを受け入れて、守ってやっている場になっている。
いま、日本では、犯罪は激減している。たとえば、殺人事件(未遂をふくむ)は920件(2017年)。10年前と比べて270件も少ない。しかも、その半分は家族内の介護殺人によるもの。殺人犯は受刑者2万5千人のうち218人。少年事件も激減している。2016年に3万1千人の検挙者は、10年前の4分の1でしかない。いまや全国の少年鑑別所はガラガラ状態になっている。犯罪全体でも285万件(2002年)が、91万件(2017年)へと、15年間で3分の1以下に減った。
知的障害のある受刑者は再犯率が高く、平均で3.8回も服役している。しかも、65歳以上では、5回以上が7%である。この人たちにとって、帰るところは刑務所だけ、刑務所がおうち(ホームタウン)になっている。
刑務所が1年につかう医療費は、2006年当時、受刑者が7万人をこえていて、32億円。ところが、10年たって受刑者は5万人を切ってしまったが、なぜか医療費は60億円と2倍近くになってしまった。
著者自身が国会議員のときには考えもしなかった現実にしっかり目を向けあっています。自分が服役した経験もふまえていますので、とても説得力があります。
素直にさっと問題点がつかめます。日本社会の現実を知りたい人には、おすすめの本です。
(2018年5月刊。1500円+税)

老いぼれ記者魂

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 早瀬 圭一 、 出版  幻戯書房
昭和48年(1973年)3月、青山学院大学の春木教授は教え子の女子大生に対する強姦罪で逮捕された。私は、このとき司法修習生として、横浜にいました。かなりインパクトのある事件として覚えています。「被害者」の女子大生は、この本によると私と同学年のようです。
 女子大生はアメリカ留学を夢見て春木教授に近づいています。二人の間に性行為があったことは争いがなく、強姦があったのか、合意による性行為なのかが争点の事件です。ところが、不思議なことに3回あった事件のうち、最後の3回目だけは無罪とされたのでした。もちろん、それもありえないわけではないでしょうが、では1回目も2回目も、本当に合意ない性交渉だったのか・・・。この点について、この本は執拗に当時の関係者に迫って真相を明らかにしようとするのです。
これは実刑となって出獄してきた春木教授の執念でもありました。当然のことながら元「被害者」は取材を拒否します。でも、そこに、何か不自然さがある・・・。著者はあくまで真相を求めて、歩きまわります。さすがは元新聞記者(ブンヤ)です。
この事件は当時の青山学院大学内の権力闘争を反映しているようです。春木教授を引きずりおろそうというグループがあったのでした。
被害者の女子大生は、法廷で春木教授から直接質問されたとき、こう応えました。「ケダモノの声なんて聞きたくもないです」。
この裁判で異例なのは、一審で論告も求刑も終わったあとに、なんと裁判所が被害女性を尋問しているということです。
そして、春木教授のせいで人生を破滅させられたはずの被害女性は、中尾栄一代議士(自民党)の私設秘書として活動していたのでした。この本を読むかぎり、たしかに被害者とされる女子大生の言動には、あまりにも不可解なものが多いように思いました。
それでも、春木元教授は今から24年も前に亡くなっています。にもかかわらず、事件の真相に迫ろうという記者魂の迫力に圧倒されました。
(2018年4月刊。2400円+税)

刑務所の風景

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 浜井 浩一 、 出版  日本評論社
大学教授の著者が、その前に刑務所の矯正職員としての3年間の勤務によって認識した状況をまとめた興味深い本です。著者が刑務所で勤務したのは2000年4月からの3年間ですので、現在とは少し状況が異なります。
たとえば、当時は過剰収容が大きな問題となっていました。要するに、どこの刑務所も定員オーバーに悩まされていました。この点は、今では解消されています。
ところが、収容者の高齢化にともなう介護問題は当時に比べてはるかに深刻になっています。刑務所は、受刑者を選べず、受刑者が何か問題を起こしても、外に追い出すことはできない。
刑務所には、「経理夫」なる存在が刑務所を支えている。元教員や元公務員は、有能であっても刑務所内の経理夫には向かないことが大きい。
刑務所内で、「経理要員」として働くためには、特別な資質は必要としない。その要件はごく単純。健康であり、60歳未満、普通レベルの知的能力を有すること。暴力団に所属していないこと。ところが受刑者のほとんどが、作業をするうえで支障となるハンディキャップをもっている。
増加する受刑者の多くは、労働力として一般社会で需要がなくなった者でもある。刑務所の収容者の高齢化は、一般社会をはるかに上回るスピードで進行し、それにともない刑務所で死亡する受刑者も急増している。刑務所は、社会をうつし出す鏡である。
アメリカには、福祉予算の比率が低く、弱者を切り捨てる不寛容な社会(州)ほど、刑務所人口比が高いという研究がある。
収容者は、毎日、同じ時間に、同じ場所で、同じことを繰り返すのみ。彼らにとって、一日一日は長くても、ふり返ると、そこには何の変化もないから、時間が止まったかのように感じる。
刑務所生活に適応した人々のなかには、家畜同様に扱われ、外ではいきていけない。
刑務所では、食事は、収容者の最大の関心事である。私も弁護士会による刑務所視察に加わり、食事を試食したことが何回かありますが、なかなか美味しいと実感しました。
収容者の妄想も、その内容は多様である。刑務所の独居にいる限り、夢を見続けるのかもしれない。
刑務所と少年院とには本質的な違いがある。少年院では、少年を信頼し、信用することが共感の基本的な心構えでもある。これに対して、刑務所では受刑者を信用しないことが刑務官の基本的な心構えである。
刑務所とは、どのような世界なのか、よく分かる本です。
(2010年4月刊。1900円+税)

治安維持法と共謀罪

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 内田 博文 、 出版  岩波新書
アベ政権は明治150年を手放しで礼賛して、祝賀行事を大々的にしたいようです。
でも、明治維新から終戦まで、日本は繰り返し戦争をしてきました。「平和な国・ニッポン」のブランドは戦後に生まれ、なんとか定着したものです。
アベ政権の言うとおりに戦前に回帰したら、まさしく軍部独裁の暗い、人権無視の政治に変わることでしょう。
治安維持法が制定されたのは、大正14年(1925年)。治安維持令と治安維持法とでは内容が大きく異なっている。治安維持令は、言論等規制である。これに対して治安維持法は結社規制法だった。
治安維持法は1925年(大正14年)4月に公布され、5月より施行された。このとき、治安警察法も存続させる運動を展開した。
東京弁護士会は、1934年(S9年)に臨時総会を開いて、治安維持法の改正に賛成した。
戦時体制がすすむ中で、個人の権利主義は反国家的であるという風潮が強まり、自然に民事裁判は減少していった。刑事裁判についても、被疑者・被告人になったとき、個人の権利主張をしていると、反国家的であるのと同じだとして敵視する風潮が強まった。こうして弁護士の業務は目立って減り、活動範囲が狭まった。
共謀罪法が施行され、国家に異議申立することが事実上抑制されている。
戦前の治安維持法は共産党対策を名目として全面改正され、民主主義運動や自由主義運動、反戦運動の取締りに猛威をふるった。
テロ対策を口実として共謀罪が再び猛威をふるう危険がある。
戦前と現代日本とをリンクさせながら、共謀罪法の恐ろしさを明らかにした新書です。
(2017年12月刊。840円+税)

法の番人として生きるー大森政輔回顧録

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 牧原 出 、 出版  岩波書店
著者は青法協の会員裁判官でした。今も、安倍首相の集団的自衛権の解釈は憲法違反だと断言します。
著者は灘中・高から京都大学法学部に進学しました。学問の自由を戦った京大法学部にあこがれたのでした。京大法学部では社会主義に大きな関心をもち、自治会活動にも参加します。そして、司法試験を目ざして在学中に合格します。
司法修習生になったら、当然のように青法協に入りました。青法協は、市民に足を置く良心的な法律家の集団と思われていて、青法協に入る意欲のないような法律家は良識に欠ける存在だと思われていた。実際、最高裁のなかの所付判事補の多くが優秀であり、青法協の会員でした。
 学園紛争、70年安保ぐらいから、青法協会員だというのは、よほど過激な者だということになったようで、非常に残念。
私は、著者が青法協を脱会したことを責めるつもりはまったくありませんが、青法協会員だった最高裁のエリート裁判官たちがこぞって脱会したあと、裁判所内に自由闊達な雰囲気がなくなり、ヒラメ裁判官だらけになってしまったことについては、厳しく指摘してほしいと思いました。
著者が裁判官になるときの面接で、「政治活動はしないだろうな」という質問を受けたといいます。とんでもない質問ではないでしょうか。今は、こんな質問なんかする必要がない状況ですが、それをつくり出したのが、このような質問をする司法当局だと思います。
最高裁にいた若い局付判事補はほとんどが青法協の会員だった。若い時代には日本国憲法を擁護する意識をもつのが通常で、その意識のない若い裁判官は腰抜けだと考えられていた。結局、著者は、司法反動の嵐のなかで配達証明付の脱会届を送るのです。
岡山に赴任したときには、事務総局から青法協を逃げ出した男だという前評判で迎えられた。それでも岡山のあと東京に戻れなかったのは、青法協脱退をぐずぐずして抵抗したからだという理由があげられています。ひどい話です。
そのあと、法務省へ出向します。さらに内閣法制局への出向です。
安倍内閣の集団的自衛権の憲法解釈変更は明らかに暴挙だというのが著者の考えです。
舌先三寸で、黒を白と言いくるめられたら何でもできると思い上がった人が総理になるということほど恐ろしいことはない。このように著者は言い切ります。胸のすく思いです。
わが国を取り巻く安全保障環境の変化を考慮しても、憲法9条の改正がない限りは、集団的自衛権の行使は、今後とも憲法9条の下で許容できる余地はない。内閣の権限をこえたもので、とうてい認められない。
気骨あふれる裁判官の語るオーラル・ヒストリーは興味深いものがあり、一気に読了しました。
(2018年2月刊。2800円+税)

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