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カテゴリー: 司法

平和憲法の破壊は許さない

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 寺井 一弘、伊藤 真、小西 洋之 、 出版  日本評論社
統計データのインチキもまた、アベ政権への「ソンタク」だということが判明しました。ところが、当の本人のアベ首相は、「厚労省は反省してもらいたい」などと他人事(ひとごと)かのように知らぬ顔です。カゴイケ夫妻の学校用地「格安」払い下げ、モリトモの獣医大学新設・・・、いろんなところで権力によるウソがまがり通っています。今また、憲法改正をめぐって壮大なウソが展開中です。
「自衛隊条項を憲法に書き込んでも、今と同じで、何も変わらないから安心してください」。
ええっ、それなら、なぜ数百億円もかけて憲法改正するのですか・・・、信じられません。
政界が大いに揺れているなかで、とてもアベ首相に憲法改正なんて出来るはずがない。
もちろん、この見方に私も大賛成です。ところが、アベ首相に限っては、常識はずれのことをやってのけています。少なくとも、そのように思考して、あらかじめ対策をとっておく必要があります。
つまり、アベ首相が改憲発議をして、国民投票にかけることは、観念的には可能なのです。衆参の憲法審査会を動かし、6月下旬の国会会期末までに改憲発議される危険は大きい。そして、8月25日以降の国民投票日を定めると、トリプル投票も可能となる。
常識が常識として通用しないのが、アベ首相とその取り巻き連中です。本当に怖いことです。
自衛隊を憲法に書き込むと、日本という国のかたちはまったく変わってしまう。自衛隊に対する国民の信頼が高いのは、災害救助隊としての自衛隊の実績による。ところが、憲法に書きこまれようとしている自衛隊は、武装集団としてなので、両者は区別しておく必要がある。
戦力の不保持・交戦権の否認は、自衛隊には及ばないことになる。そして、「国防」の名のもとに、あらゆる人権制約ができることになりかねない。そして、日本社会のすみずみまで、軍国主義していく危険がある。
これまで控え目で抑制的だった自衛隊が、高い権威と独立性を与えられ、軍備の増強、軍事費の増大、自衛官募集など、さまざまな場面で積極的に前面に出てきやすくなる。
国を守ることが憲法の認める重要な価値の一つとされ、結局のところ徴兵制も可能となってくる。
アベ首相は、国民が問題点に気がつく前に、さっとやってしまえと考えている(としか思えない)。アベ首相流の改憲論に乗せられると、「押しつけ憲法」論どころの騒ぎではなく、「だまされ憲法」論に乗せられてしまったことになる。
戦争は、安全な社会生活を危機にさらす。そして軍事予算の拡大化と社会保障費の削減につながっていく。戦争は人間を単なる手段、道具にしてしまう。日本人が世界中を旅行して感じてきた平和国家ニッポンのブランドを一挙に失い、「アメリカの目下の軍隊をもつ国」とみなされてしまいかねない。
軍隊は国民を守らない。これは軍事の常識である。
自民・公明のアベ政権の狙いは日本を国際社会の一員として、アメリカの同盟国として、一緒に軍事活動ができるようにしたい、そのためには海外で活動できる軍隊としたいというもの。
うひゃあ、絶対にこんなことを許してはなりません。古稀を迎えた私ですが、これからも孫たちのためにも、憲法の平和・人権条項を守り、活かすためにがんばります。
とてもタイムリーな小さなブックレットです。ぜひ、お読みください。
(2019年10月刊。800円+税)

水俣病裁判

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 水俣病被害者・弁護団全国連絡会議 、 出版  かもがわ出版
20年も前の本なのですが、長らく本棚に積ん読状にありましたので、手にとって読んでみました。
私も70歳となりましたので、読んだ本で残す必要がないと思ったら捨て、読んでない本で読む必要がないと判断したら読まずに捨てることにしました。おかげで本棚がずい分すっきりしてきました。
ずっと本に囲まれた生活を過ごしていますが、どこにどのジャンルの本があるのか分からないようでは困りますので、きちんと分類して見通しよく並べておくつもりです。同じ本を二度も読むことは少ないのですが、それでもモノカキを業としていますので、読んだ本を探すことはあるのです。
さて、久しぶりに水俣病裁判の本を読んで、やはり大変勉強になりました。いくつか驚いたことがありますが、その一つが、福岡高裁の友納治夫裁判長です。7年間も異動せずに水俣病裁判を担当していたとのこと。信じられません。ふつう3年で裁判官は異動するものですが、7年間も福岡高裁にいて水俣病裁判に関与していたというのです。そして、裁判上の和解が成立したあと1997年1月4日、定年数日前に裁判官を辞めたのでした。
福岡高裁は和解を成立させたあと、すでに言い渡すだけになっていた山のような判決をひそかに焼却したとのこと。本当でしょうか・・・。最後まで希望を捨てず和解による判決を選択した裁判官たちに心から敬意を表するとされています。
次に、細川護熙(もりひろ)元首相についてです。熊本県知事のときには、和解成立に積極的でした。「たとえ総理大臣から罷免されても、水俣病問題をこれ以上おくらせるわけにはいかない」(1990年秋)と言っていたのが、1年たって1993年8月に首相になったら、「知事時代と気持ちは変わらないが、立場が変わった。行政の根幹にかかわる問題なので慎重に考えさせてほしい」と一変してしまったのです。
そして、村山首相になります。1995年7月に村山首相は記者会見の場で水俣病が拡大したことに対する行政の責任を首相として初めて認め、「心から遺憾の意を表したい」と語りました。ところが、翌日、環境庁の事務次官が同じく記者会見をして、「村山首相の発言は政府としての見解ではなく、首相個人の発言である」と述べたのです。
いやはや、これには驚きというか怒りすら感じました。
1959年、チッソはサイクレーターと呼ばれる工場排水の浄化装置をつけ、その披露の場で吉岡チッソ社長はサイクレーターを通したとされる水を飲んでみせた。ところが、この社長が飲んだ水は、サイクレーターを通してもいない、普通の水だったのです。
水俣病裁判の歴史のなかでは、「水俣病弁護団を粉砕する」と称して、本気で暴力を振るってでも弁護団が法廷に入るのを阻止しようとしたグループがいました。背広を破られた弁護士まで出ました。信じられない暴挙です。チッソと直接に暴力的に交渉して、チッソから「血債」を取り立てようというのです。でも、そんな暴力的な行動では世論を敵にまわしてしまうだけです。
現地の水俣には2回、法律事務所が開設されました。1970年12月、馬奈木昭雄弁護士が福岡から移り住みました。そして、12年ぶりに1985年に坂井優弁護士が再び水俣に法律事務所を開設しました。東京にも水俣病全国連の拠点事務所として1986年1月に、東京あさひ法律事務所が開設されました。
水俣病全国連に加盟する原告患者は1高裁5地裁で2000人をこえました。
1996年1月、政府の解決策によって、1万1100人が救済されました。原告が1900人、原告でない人が9200人。原告でない患者が大勢救済されたのです。大変な成果です。
実は、水俣病裁判は今も続いています。20年前の水俣病裁判の苦闘の経過を正しく知ることのできる本でした。
(1996年9月刊。2800円+税)

一路

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 環 直彌 、 出版  日本評論社
裁判官懇話会の呼びかけ人の一人として私も名前だけは知っていましたが、なんと特捜部検事だったこともあるのですね。驚きました。検事、判事、そして弁護士と渡り歩いていますが、そこには一本の太い筋が通っています。
戦前の思想検事がエリートだったこと、裁判官は検事に逆らえず、検事の言いなりだったことを改めて認識しました。
一高を出て、優秀な人間を選んで思想検事にしていた。裁判官は、検事さんがおっしゃるんだから間違いないと、確かめもしなかった。
敗戦で思想検事がやめた(パージになった)だけで、他は何も変わらなかった。裁判官も検事も、公職追放以外は、まったく手がつかず、そのままだった。
戦後、弁護士になってチャタレイ事件の弁護人になります。百里基地訴訟で地主側の代理人にもなりました。そして、そのあと再び裁判官になったのです。それにしても11年間の弁護士生活のなかで12件もの無罪判決をとったというのですから、えらいものです。
東京地裁の裁判官のとき、戸別訪問禁止違反で起訴された被告人について無罪判決を出しています。公選法は違憲だから無罪だというのではありません。本件では有罪するまでの必要性もなく無罪、という判決でした。
宮本康昭裁判官の再任拒否があったとき、それを公然と批判し、裁判官懇話会の呼びかけ人になりました。懇話会の第1回は昭和46年(1971年)10月です。ちょうど私が司法試験の口述試験を受け終わった直後です。
定年退官したあと、再び弁護士になり、横浜事件の再審事件に関わります。
権威に弱い、批判精神に乏しく、安直に能率的な裁判官が増える傾向にあるとすれば、由々しい問題だ。
裁判官は、学者ほど頭が良い必要はない。良心こそ大切なのだ。頭の良い人は、相反するどちらの見解を正当らしくみせかける能力がある。もし、その人に裁判官の良心に欠けるものがあると、もっとも危険な存在になる。
まさしくそのとおりだと思います。
福岡で長く裁判官をしていて、現在は弁護士である西理氏が弟子の一人であることを初めて知りました。今、裁判所の内部にいる人にぜひ読んで欲しいと思った本でした。
(2019年1月刊。1400円+税)

弁護士13人が伝えたいこと

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 久保井 一匡ほか 、 出版  日本加除出版株式会社
32例の失敗と成功。こんなサブ・タイトルがついていますので、興味をひかないわけがありません。いったい、どんな失敗をしたのかな、もって他山の石とできるものなら、安いものだぞ・・・。そう考えて読みはじめました。期待を裏切ることのない本でした。
14期から61期までの13人の弁護士が自分の扱ったケースを単純な自慢話としてではなく紹介しています。大変勉強になりました。
それにしても、ずいぶん前に終わった事件について、どうやってその顛末を語ることができたのかな、そんな心配もしました。序文には、そのことも中山巌雄弁護士(21期)が触れています。
たいていの裁判記録は保存期間終了時に姿を消す。記録とともに苦労も忘れてしまっている。紹介したケースは、記録を再現できたものばかりである。
なるほど、そうでしょう。実は私も弁護士生活45年になり、無事に古稀を迎えましたので、古い記録の大半を処分してしまいました。保存期間を経過していても、いつか参照することもあるかもしれないと思って書庫の奥にしまっていたのです。もう参照するはずはないと考えて、ごく一部を除いて大半を処分しました。この年末年始にやったことです。
混沌のなかで、いつも弁護士の念頭にあるのは正義とは何か、である。正義も多義的であり、依頼者の相手方には別の正義がある。正義も調整の対象となる。
弁護士は難しい理屈ばかりを考えているわけにはいかない。直感的に不合理だと思ったことには、本能的に必要な対応をとる。これが大切だ。
遺産分割にあたって、預金の相続は協議の対象とはならないとしてきた最高裁判例を変更させた事件の法廷での弁論が紹介されていますが、さすがの内容です。大法廷で、双方に40分の口頭弁論が認められたのでした。1人10分ずつの弁論。どうやって最高裁判事のこころを開くか・・・。
実は、私も2回だけ最高裁の小法廷で口頭弁論したことがあります。フツーの民事事件でした(通行権と交通事故)。どちらも控訴審まで勝っていたのが逆転敗訴させられたものです。結論は見えていましたが、ちゃんと原稿をつくって口頭弁論しました。ちょうど東京の大学で勉強していた息子と娘を傍聴させて聞かせました。
負けた事件の反省として、時代の大きな流れを読み誤っていたということが書かれています。うむむ、これは大変なことですね、弁護士は時代認識もしっかりしておく必要があるというわけです。
器質的損傷のないRSD症状というものがあることを初めて知りました。
RSDとは、反射性交感神経性ジストロフィーのことです。疼痛、間接拘縮、腫脹、皮膚色の変化が持続します。骨萎縮は、今では要件とされなくなっているとのことです。
和解を目的として裁判を起こすときには、対立する相手方を和解の席に着かせる道筋を考えたうえで、早い時点で和解案の準備をしておくことが、和解のタイミングを逸さず、早期に依頼者が満足できる解決に導くことにつながる。
なるほど、と思うところが多々ありました。
(2018年11月刊。2500円+税)

薬物依存症

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 松本 俊彦 、 出版  ちくま新書
人が薬物に手を出すのは、多くの場合、「つながり」を得るため。
薬物使用が本人にもたらす最初の報酬は、快感のような薬理学的効果ではなく、関係性という社会的効果だ。「自分はどこにも居場所がない」、「誰からも必要とされていない」という痛みをともなう感覚にさいなまれていたり、人との「つながり」から孤立している人が「人とつながる」ために薬物を使用している。心に痛みをかかえ、孤立している人ほど、薬物のもつ依存症に対して脆弱(ぜいじゃく)だ。
薬物の再使用によって、もっとも失望しているのは、周囲の誰よりも薬物依存者自身である。「また使ってしまった」という自己嫌悪と恥辱感をもつ。
覚せい剤取締法事犯者は、日本の刑務所の収容者の3割を占めている。そのうち65%は再犯者。覚せい剤依存症患者の再使用は刑務所から出所した直後にもっとも多い。どこかに閉じこめられて物理的に依存性薬物と切り離していても、いつかはそこから解放される。その自由を奪われたあとの解放感こそが、薬物依存症患者の薬物欲求をもっとも刺激する。
「薬物中毒」という言葉は、不正確な表現なので、今では使われない。薬物依存症とは、薬物が体内に存在することが問題なのではなく、薬物をくり返して使ったことで、その人の体質に何らかの変化が生じてしまった状態である。
身体依存とは、中枢神経作用薬をくりかえし投与された生体にみられる、正常な反応にすぎない。そして、身体依存は原則として可逆的なものであり、薬物を断った状態を続けていれば、中枢神経系は再び薬物なしの状態に適元するようになり、離脱や耐性は消失する。したがって、もしも薬物依存症イコール身体依存だとすれば、薬物依存症の治療など、実に簡単になるはずだ。しかし、現実にはそうはなっていない。身体依存は薬物依存症の本質ではない。精神依存こそが薬物依存症の本質なのだ。
薬物を使っていないときでも、薬物のことばかり考えているという状態をさす。
依存症者は、たとえ尊大そうに見えても、その内実は自己評価の低い人が少なくない。それだけ人から承認されることに飢えている。
この5年とか6年のあいだ、シンナーを吸っていたという少年は、ほとんどいない。首都圏では暴走族はほとんど見かけなくなった。
2016年の調査で、覚せい剤が第1位で、第2位は睡眠薬、抗不安薬である。
日本人ほど、薬物に関して、「脱法」であることを尊び、高い価値を置く国民は他にいない。日本人の高い遵法精神が「脱法」的な薬物の市場価値を高めている。
危険ドラッグの経験者は、決して売り物の薬物を自分には使わない。「こんなクスリをつかう奴はバカだ」とさえ思っている。
刑務所内の治療プログラムにはそれほどの効果はない。
刑務所は、人を嘘つきにしてしまう。すっかり嘘をつくのが習性として染みついている。
刑務所に行くのは時間の無駄だ。再犯防止は、施設内よりも社会内で訓練を受けたほうが効果的。薬物の自己使用罪や所持罪で逮捕された者を刑務所内で処遇することは、再犯防止の観点からは、実は意味がない。
薬物依存症は、治らないが、回復できる、そんな病気だ。特効薬や根治的治療法はない。依存症の治療において、「欲求に負けない強い自分をつくる」という発想はとても危険だ。
そもそも依存症患者は「強さ」に憧れている。
薬物依存症の人は多くの嘘をつく。もっとも多くの嘘をついているが、もっとも多いのは、何と言っても自分自身に対してである。
この本を読んだとき、被疑者国選弁護事件で連日のように被疑者に面会しに警察署に行っていました。しかも初めての大麻取締法違反事件でした。
なるほど、そうなのか、そうだったのかと、一人合点で、膝を叩きながら読み通しました。私にとっては画期的に面白い本でした。ご一読をおすすめします。
(2018年9月刊。980円+税)

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