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カテゴリー: 司法

子ども福祉弁護士の仕事

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  平湯 真人 、 出版  現代人文社
 養護施設の子どもたちは経済的な自立の困難をかかえている。小さいときから、まわりの大人との信頼関係をもつことが出来ないため、人生に自信がなく、肯定感がもてない、自分が尊重されたという実感がもてないことが少なくない。大人が子どもにしなくてはいけないことは、子どもが生きていく自信をつけること…。
非行に走った子どもにとって、その行動への反省が大切なことは言うまでもない。しかし、問題は、反省する力を、そのようにして培(つちか)うか、ということ。これまで大切にされたことのない子どもは、すぐには反省することができない。子どもの首根っこを抑えて頭を下げさせるのが反省ではない。人間が自分の行動を反省できるためには、一定の成熟が必要であり、反省する本人の成長を認めてやれる環境が不可欠だ。
どこまでも子どもを権利の主体として扱い、その権利の実現のために働く大人の姿が求められている。このような役割をする弁護士が子ども福祉弁護士だ。
今年、喜寿になった平湯弁護士は、23年間は裁判官として事件に向きあい、48歳からは弁護士として子どもに向きあってきた。
著者は、幼い子どものころ、母の売り上げた納豆の代金の一部をかすめて自宅近くの駄菓子屋でお菓子を買った。両親はそれを知っていたが何も言わず、著者を叱りもしなかった。そこで、著者は考えた。子どもには考えたり、迷ったりするのに十分な時間が保障されるべきだ。子どもを叱ることなく、子どもが自分で考えて、どうすることを決めていくことの大切さを著者は両親から教えてもらった。
私より6歳年長の著者とは、著者が福岡地裁柳川支部の裁判官時代に面識がありました。そして、このとき、赤旗号外を配りながら「演説会に来んかんも」と声をかけた松石弘市会議員が公選法違反で起訴された事件で、公選法は憲法違反なので無罪とするという画期的な判決を書いたのでした。
著者は、弁護士になって子どもの権利委員会に所属して活動するようになり、国会で、子どもの虐待に関して3回、参考人として意見を発表することがあった。すばらしいことに、これらの意見発表の多くが立法化されたというのです。すごいです。
平湯弁護士は、現場を踏まえて法や制度を変えていくのも「子ども福祉弁護士」の役割だと強調します。
千葉で起きた「恩寵園事件」の取り組みが紹介されています。園長一家が収容されていた子どもたちを虐待していたという事件です。子どもたちが集団脱走して児童相談所に駆け込んだのに、千葉県は口頭指導しただけで子どもたちを園に戻してしまいました。行政のことなかれ主義のあらわれです。
ところが、新聞記事を読んで、現場に飛び込んでいった弁護士たちがいました。山田由紀子弁護士や平湯弁護士たちです。その行動力には本当に頭が下がります。そして、子どもたちを一時的にしろ受け入れた大人たちがいました。
この本には、そのときの園児たちが、今では子をもつ親となって、当時の悲惨な状況をどうやって切り抜けたのかを語っています。感動的な座談会です。平湯弁護士が、当時の園児たちに、子どもにとっての「ふつうの生活」とは、どういうものかと問いかけています。
・ 脅えながら生活しないこと。
・ 愛のある生活のこと。
・ 落ち着いて静かに暮らして、時間が来たら、「やったあ、ご飯だ。うれしいなあと感じる生活。
 なるほどですよね。たくさんのことが学べた本でした。
熱意と包容力、子どもに対する揺るぎない温かな眼差しをもつ人として、平湯弁護士が紹介されていますが、まったく同感です。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2020年2月刊。2200円+税)

反対尋問

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 フランシス・ウェルマン 、 出版  ちくま学芸文庫
120年も前にアメリカの弁護士が書いた本とは思えない指摘のオンパレードです。
当初の解説は平野竜一が書いていました。そこでは、ロッキード事件やグラマン事件での国会での証人尋問の拙劣さが指摘されています。尋問する国会議員は威丈高に直接法的な尋問するが、真実は少しも明らかにならないとの批判です。しかし、昨今の国会議員のうまさは目を見張るものがあります。とりわけ共産党の田村智子議員の安倍首相の質問には心底から感服しました。
今回のちくま学芸文庫版では現代日本の刑事弁護の第一人者というべき高野隆弁護士が次のように解説しています。
1世紀以上も前の先人たちの話に接するのはとても貴重であり、勇気づけられる。
経験にしか頼るものがない時代に、彼らが試行錯誤の末にたどり着いた結論は、現代の法廷弁護士に対しても気付きを与え、一般市民に人の営みの奥深さを教えてくれる。
さらに、高野弁護士は、法廷技術には科学や理論で説明しきれない部分があると強調します。公判廷にいて偶然のたまものとしか言えないような瞬間がある。検察側の証人の表情を見ていて、反対尋問のアイデアが閃光のように閃く(ひらめく)ときがある。
メモなんか取るひまがあったら、証人を観察せよという言葉の真実を実感するときがある。この本は、そうした閃きを私たちに与えてくれる源泉となる。そうなんですよね…。
反対尋問が弁護士に必要なあらゆる技術のなかでも、もっとも難しいものの一つであることは、疑問の余地がないし、またもっとも大切なものの一つでもある。
弁護の技術には、熟練への早道も王道もない。経験である。成功をもたらすものは、ただ経験だけと言えるだろう。
弁護士には、尋問中の証人の弱点を見抜く直観が要求される。
訴訟代理人の弁護士は証人と精神的決闘をしているのである。
良き弁護士は良き俳優でなければならない。
質問は論理的な順序で行なってはいけない。ここかと思えば、またあちらという具合にやる。一般法則として、元の証言を最初と同じ順序でくりかえさせてみても、時間のムダになるだけのこと。
つまらない質問をどんどんぶつけながら、なかに大事な質問をまぜ、しかもまったく同じ声の調子でやる。
反対尋問の唯一の目的は、対立証言の力を打破することにある以上、無益な試みはただ証人の陪審への心証を利するだけのこと。だから、沈黙は、しばしば長時間の尋問にまさる。つまり、席を立たず、全然質問をしないでいるにしくはない。まあ、そうは言っても、反対尋問しないということを私はやったことがありません。
反対尋問の目的は、真実をつかまえることにあるが、この真実というものは、実につかまえにくい逃亡者なのだ。
延々と執拗に質問しつづけて、証人の頭をへとへとにさせたあげく、真実を引き出してやるという方法でしか成功できない場合もまたある。
頭の良さが良心の欠如を隠しているような証人の偽証を暴くほど、難しいことはない。
うむむ、大変大変勉強になりました。文庫本で700頁の大著なのに、1900円という安さです。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2019年7月刊。1900円+税)

完全版 検証・免田事件

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 熊本日日新聞社 、 出版  現代人文社
免田事件とは1948年(昭和23年)12月29日の深夜、人吉市で起きた祈祷師一家4人が殺傷された事件。免田栄さんが逮捕されたのは翌年1月13日のこと。免田さんは23歳の青年だった。そして免田さんは「自白」し、熊本地裁八代支部での第1回公判まで認めていたが、2回目の公判から否認に転じた。ところが免田さんについては死刑判決が確定し、以後34年間、死刑囚として福岡拘置所で過ごした。
再審無罪となって釈放されたとき、免田さんは57歳になっていた。
いま、免田さんは故郷の人吉市を離れて熊本県に隣接する大牟田で生活している。すでに死刑囚だった34年間よりも釈放されてからのほうが長い(2017年で92歳)。
再審無罪判決は、自白調書について、「重要な事項である犯行時刻の記述がなく、犯行動機も薄弱で、犯人しか知り得ない、いわゆる『秘密の暴露』も見当たらず、客観的事実との重大な食い違いや不自然な供述が随所にみられ、犯行後の行動も客観的事実と多くの点で食い違っている」とし、さらに「自白の矛盾点を指摘していない調書で、取調官が、自分の誤った事実に基づく安易な誘導から強制があったとさえみられても仕方ない」。自白調書は多くの点で、破綻していることこそが、「あたかもアリバイの成立を裏付けるかのようだ」と指摘した。
免田さんの自白調書は、夜に眠らせてもらえず、暖房のない部屋で、寒さにふるえ、身体が硬直して言葉も出ない状態で作成されたもの。
犯行現場の畳は血の海で障子などにまで血痕が飛び散っていたというのに、免田さんの着ていた上着・ズボン・地下足袋・マフラーからは血痕は検出されなかった。犯人なら相当の返り血を浴びていたはずなのに・・・。
免田さんの再審請求は6回ありました。免田さんの事件に関与した裁判官はのべ70人。そのうち、免田さんを無罪としたり再審開始にした裁判官は14人だけです。2割しかいません。これが日本の刑事司法の現実です。検察官が起訴したら、その時点で有罪の心証をとってしまう裁判官が8割いるのです。
免田さんの事件では、裁判があっているうちに、重要な証拠が「紛失」しています。ナタ・上衣・マフラーそしてチョッキと軍隊手袋です。証拠品の管理の杜撰さは、他の事件でもよくみかけます。絶対にやめてほしいことです。
免田さんの死刑が確定したのは1951年(昭和26年)12月に最高裁が上告を棄却したからです。それから死刑執行されることなく、拘置所で免田さんは勉強もし、必死で訴えて世論を動かし、国民救援会と日弁連の支えがあって再審無罪の判決を獲得したのでした。
先の大崎事件についての最高裁の冷酷無比の決定をみるにつれ、再審裁判では検察側にきちんと証拠開示するよう義務づけておくべきだとつくづく思います。
(2018年7月刊。2700円+税)

おりとライオン

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 楾 大樹、 今井 ジョージ 、 出版  かもがわ出版
けんぽう絵本です。先日、久留米で楾(はんどう)弁護士の憲法講座に参加しました。そのとき買ったのが、この「けんぽう絵本」です。
子どもから憲法の役割がわかる絵本、できました。そうです。憲法の入門書『檻の中のライオン』が絵本になったのです。
楾弁護士の話は途中10分休憩があるものの、なんと2時間以上ぶっとおしです。ところが、スライドを使いながら、小さなぬいぐるみ人形をつかいながらで、あっという間にすぎてしまいます。
私の前に小学5年生の男の子がすわっていました。福岡の女性弁護士の息子です。あとで憲法のことがとてもよく分かったと感想を言っていたそうです。
私も、まったく同感です。憲法は国の理想を定めたものだと安倍首相は常にもっともらしく言います。教科書にも、社会のルールを定めたものとしか書かれていないとのこと。
憲法って、そんなものじゃありません。悪いことするか分からない安倍首相のような不届き者をきつくしばるためにこそ憲法があるのです。
口から出まかせのことを国会の場で堂々と開き直っている安倍首相ですが、その言動は、まさしく憲法をふみにじるものです。この点は、国民の側に「不断の努力」が欠けている(弱い)のだと私は思います。
どうぶつたちは、どうにかこうにかライオンをおさえつけました。そして、きまりとおりをつくっておりにライオンをいれました。きまりには、ライオンがしなければならないことと、ライオンがしてはいけないことをかきました。このたいせつなきまりとおりがけんぽうです。
けんぽうは、わたしたちのしあわせやじゆうをライオンからまもってくれる、とてもたいせつなきまりなのですね。
小学生の子どもたちに、ぜひ読ませたい絵本です。
(2019年8月刊。1400円+税)

一粒の麦、死して

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 田中 伸尚 、 出版  岩波書店
『史談裁判』の著者として有名な森長英三郎弁護士の「大逆事件」との関わりに焦点をあてた本です。不思議なことに、森長弁護士は先輩弁護士の小伝をたくさん書いていながら、自分については「伝記拒否」を遺書に書いていたというのです。信じられません・・・。
「大逆事件」の仮出獄者には公民権がないだけでなく、釈放してからも常に警察に見張られ、その居場所を明らかにしなければいけなかった。
「大逆事件」では、死刑者12人。死刑判決のあと無期に減刑された12人のうちの8人は獄中で病死、自殺で死亡した。つまり20人が命を失った。戦後1947年の時点では、4人だけ生き残っていた。
「大逆事件」で起訴された26人の被告人の弁護をした弁護士には、国選(官選)、私選もあるが、磯部四郎、花井卓蔵、今村力三郎、鵜沢総明。いったん引き受けながら辞退したのは江木衷(まこと)弁護士。
検察側は検事総長の松室致(いたる)や、司法省民刑局長の平沼騏一郎(きいちろう)。
「大逆事件」の被告人となった26人の被害者を記憶する記念碑が全国に12基ある。東京監獄、市ヶ谷刑務所は、今の新宿区余丁町88番地にあった。ここで「大逆事件」の死刑が執行された。
1964年7月15日、死刑者慰霊塔がたてられた。
石川啄木は、「大逆事件」のころ東京朝日新聞社の校閲記者だった。啄木は、平出修弁護人や社内で得た情報から、かなり正確に「大逆事件」の真相をつかんでいた。
「それは、単に話しあっただけ、意思の発動だけにとどまっていて、まだ予備行為にも入っていなかった・・・」
森長英三郎が弁護士になったのは、弁護士の大量増員による弁護士窮乏化が喧伝(けんでん)されていたころだった。弁護士が1912年ころの2000人が3倍以上の7000人になっていた。昭和恐慌による弁護士の窮乏化が始まっていた。加えて、戦時体制が強化されるなかで、弁護士会も全体として戦争に協力する方向になっていた。
したがって、弁護士全体がときの政府や非常時に迎合していた。治安維持法は悪法であり、被告人の行為は正当だとまでは言えなくても、もっと穀然とした態度で弁論できる方法があったのではないか・・・。
「大逆事件」で刑死した一人の和歌山の医師・大石城之助はアメリカに留学して、アメリカで医師免許をとっている。そして、この大石は医師業のかたわら情歌作者としても活動していた。大石は、1899年1月に日本を出てシンガポールに滞在した。さらにインドで伝染病を研究し、社会主義も学んで1901年1月に日本へ帰国した。
「團珍」が1901年10月に情歌大懸賞として情歌を募集したところ、全国から3万6000首もの広募があった。
大石が茶飲み話として語ったアメリカ視察の話が天皇暗殺の謀議とされたのだ。
1911年、与謝野鉄幹がつくった詩の一部は次のようになっている。
「ほんにまあ、皆さんいい気味な
その城之助は死にました
城之助と城之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之から気楽に寝られます。
おめでとう」
「大逆事件」の関係者・遺族をずっとずっと掘り起こす旅を続けていたというから、たいしたものです。驚嘆しました。
(2019年12月刊。2700円+税)
 日曜日の午後、久しぶりに庭に出ました。
 チューリップ畑が雑草だらけでしたので、一生けん命引き抜きました。チューリップの芽があちこち隠れていました。今年は温かくて紅梅も白梅も咲いています。鮮やかな黄色の黄水仙そして淡い黄色のロウバイも咲き誇っています。
 ヒヨドリが群れを出して飛びまわっています。今年の冬はなぜかジョウビタキの姿をあまり見かけません。
 ジャガイモを植える準備としてウネづくりもしました。朝からノドが痛くて、風邪の前ぶれかもしれません。コロナウイルスにやられないよう免疫力をつけるつもりです。

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