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カテゴリー: 司法

弁護士になりたいあなたへⅢ

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 青法協弁学合同部会 、 出版 花伝社
青年弁護士たちが、これから弁護士を目ざしてみようかなと少しでも考えている人に向けて、自分のやっていること、どうして弁護士になったのか、熱く語っている本です。
登場する弁護士は60期から71期までの10人。弁護団に入って活動している弁護士は、その事件の意義と自分の立ち位置を紹介しています。たとえば、原発問題、消費者問題。
仕事のコツはリズムづくりと飲みにケーション。
弁護士になる人は、自分で自分を管理できる能力が必要。自分で時間をコントロールできない人は、この業界にいると、体調を崩してしまうかもしれない。
弁護士にとって時間のつかい方は、とても大切です。いつもいつも気を張りつめておくわけにはいきません。どこかで、ふっと気を抜く必要があります。
「お金はあとからついてくる」という考えは、今は通じないと厳しく批判されています。もらえるところからはもらって、社会に還元するところはする。このように意識してコントロールすべきだというのです。この点、私にも異論はありません。
弁護士の仕事を天職だと思い、毎日、楽しんでやれていると言い切る喜久山大貴弁護士(69期)には、強く共感します。そうです。仕事は楽しみながら、少し余裕をもって毎日したいものです。
お笑い芸人になれたらいいなと思っている橋本祐樹弁護士(64期)は、ライブイベントで替え歌を披露しています。すごいです。
もう一人、藤塚雄大弁護士(横浜・68期)も、弁護士芸人としても活動しているとのこと。これまた、すごいですね。うらやましいです。ステージやユーチューブで披露しています。ネタを考え、電車のなかでもぶつぶつ練習しているそうです。
いやはや、人権派弁護士って、こんなに幅が広いんですね。今では企業法務分野にばかり目が向いている学生が多いような気がしますが、やはり世の中は広いのです。困っている大勢の人々に手を差しのべる弁護士がもっともっと増えてほしいと思わせる、元気のでる本です。
(2020年8月刊。税込1650円)

「弁護士の平成」(会報第30号)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
 「合格者3000人」を日弁連が受け入れた経緯、そして、福岡県弁護士会は法曹人口問題について、どのような考え、取り組んできたのか、作間功弁護士の論稿は力作です。増員反対論者からすると、間違っている、とんでもないという非難を浴びるのでしょうが、福岡県弁は、足を地に着けて議論してきたこと、福岡出身の日弁連副会長も福岡の議論を受けて奮闘してきたこともよく分かる内容になっています。
福岡は法曹人口増に積極的
 「法曹人口について、日弁連が理事会、関連委員会等で議論を進める中、当会も常議員会をはじめとして様々な形で議論を行ったが、その基本的スタンスは、法曹人口増について各地の弁護士会では反対論・慎重論が相当数あったのに対し、一貫して『相当数の増員やむなし』というものであった。もちろん、当会の弁護士の中にも弁護士人口増に反対する者は一定数いたが、少数にとどまった。
 『三者協議』において法務省から『基本構想』として示された合格者数を回数制限付きの現状の500人から700人にする案(甲案、乙案、丙案)に関しても、当会は、人数については異論がなかった。700人以上でも構わないという意見も有力に主張された。
 当会が合格者増に賛成した理由は次のとおりである。①現在の検事不足は極めて深刻であるところ、合格者の増加によって任官者の増加が期待できる、②弁護士、裁判官についても国民の基本的人権の擁護と社会正義を実現するという使命を果たすうえで必要な人口が確保されているとは言えない、③弁護士が国民に対して未だ十分に身近な存在となりえていない、④裁判官不足による訴訟遅延、など」(168頁)
「法曹人口は不足」が共通認識
 「当会が法曹人口増に積極的にあったのは、当会の意見をリードする有力な会員の多くが、当時、当会の行っていた活動によって法曹人口は不足しているという共通認識をもつようになり、そうした意見が中堅・若手会員の間にも広がっていたからである。
 具体的には、第1に、当会が設置した法律相談センターの存在である。第2に、1990(平成2)年、大分県弁護士会とともに全国に先駆けて創設した当番弁護士制度である。逮捕・勾留された被疑者に接見に行く弁護士を毎日割り振らなければならないのだから、一定数の弁護士のいることが不可欠であった。当時の県下の弁護士数は443人。現在の3分の1である。さらに当初は、被疑者から要請があれば赴く制度であったが、やがて要請があって初めて赴くのではなく、新聞記事に載った刑事事件については全て弁護士が接見に行く必要があるのではないかという観点から、会が派遣要請を担当弁護士に行うものとする制度として構築し、一層多くの担当弁護士の確保が必要となっていった。
 弁護士過疎地解消の必要性を多くの会員が感じるようになり、そのためには弁護士数の増員が何よりも必要であるとの見解が当会内で共通認識となっていったのである。
 他の弁護士会の相当数が、弁護士増をもたらす法曹人口増は弁護士に経済的な痛手をもたらすということを最大の理由として反対するなか、当会の意見は視点を弁護士ではなく国民におく点で、その正当性は明らかであったと言うべきであった」(68~69頁)
日弁連における福岡県の存在感
 「こうした当会の認識は、当会出身の日弁連会長や同理事を通して日弁連にも影響を及ぼし、日弁連執行部内での意見をリード・後押ししていった。
 1994(平成6)年7月の日弁連理事会では、当会の国武会長兼日弁連理事は、当面漸次1000人まで増加させるべきであるという意見書を提出した。
 同年12月の日弁連臨時総会。総会に出席していた国武会長ほか当会の会員は、会員から提案された『800人』関連決議案につき、日弁連執行部提案の『改革案大綱』を骨抜きにするものとして、敢然と反対した。
 1995(平成7)年7月の日弁連理事会では日弁連執行部は、前年の関連決議の取扱いに苦慮していた。日弁連理事会の大勢は増員反対であった。こうした中、当会の福田玄祥会長兼日弁連理事と永尾廣久副会長兼日弁連理事は、法曹三者につき相当数増員させるよう努力すべきである、現行2年間の統一修習を前提に、当面5年間は毎年800人程度、2000(平成12)年度から1000人程度の修習を可能とするよう修習地の拡大、施設の充実等の準備に着手すべきである、等の意見を述べた。
 同年11月の日弁連臨時総会で土屋執行部は前年12月の臨時総会の『800人関連決議』の方針を変更し、1000人決議を提案した。同年8月頃、日弁連に政府の方から800人に固執した場合の行く末(弁護士自治・強制加入制度の見直し、弁護士法72条問題、等の議論の本格化)についての情報が入り、日弁連執行部が方針転換をした結果と言われている。当会の意見と同一の数字となったのである。臨時総会では、前年度の800人関連決議を是とする立場からの意見も強く出される中、当会の田邉宜克会員は、『法曹人口の増加は、司法改革を実現していくうえで最も必要な条件の一つであり、増員反対論は司法改革の流れに反する。成算のない玉砕論であってはならない』との意見を述べた。採決の結果、1000人とする執行部案が可決された」(69~70頁)
弁護士増がもたらしたもの
 「弁護士増は多くの弁護士に所得減少をもたらした。弁護士の経済的苦境を伝えるニュースに接した高校生やその家族は、・・・、弁護士になったとしても高い収入が得られる保証はない、となれば、多くの者は法学部に進学して、弁護士になろうという気持ちにはならないであろう。法曹志望者が減少した原因のひとつに、司法試験合格者増があると考えることは、間違いないよう思える。しかし、この点はさまざまな要因が重なっており、単純ではないというのも事実である」(76頁)
 「データを見る限り、弁護士が代理人に就任した事件数やその割合は、確実に増加したといえる。その限りで、『法の支配』が従前より広がったとは言いうる。
 また、2012(平成24)年に弁護士ゼロワン地区がいったんは、解消された。この点でも、『法の支配』は広がったと言いうる。弁護士ゼロワン地区がほぼ解消されたことは、国民にとってメリットであった」
 「事件数について言えば、劇的に増えているというわけではない。どのように考えたらいいのか」「・・・『人的基盤』が従前より格段に整備されたにもかかわらず、また審議会意見書で示された民事事件・行政事件改革にもかかわらず、事件数が増えていない点は、突き詰めれば『法の支配』が行き渡っていないということであり、大きな課題が残っていると言わねばならない」(78頁)
3000人増は妥当でなかったが・・・
 「3000人目標が妥当であったのか、法曹人口増のスピードはいかに、という問いに対しては、この目標が撤回されている以上、妥当ではなかった、ということになろう。しかし、これは結果論である。誰も当時適正な数字などわからなかったし、わかるはずもなかった。日弁連・弁護士会が自戒するとすれば、司法制度改革審議会の発足の前の1900年代に、穏便な法曹人口増について、国会議員、政府、労働団体、マスコミ、等々、すなわち国民の理解を得られなかったこと、および、その大きな要因は、大局的見地を欠き、弁護士エゴとして激しい批判に曝された1994(平成6)年12月の臨時総会における関連決議の採択にあり、日弁連に対する国民の不信を払拭し、弁護士自治等に対し、執拗に見直しを主張する外部からの協力な圧力に抗するために、日弁連が3000人を選択せざるを得ない状況を自ら作ってしまったことである。
 当会が1994(平成6)年の時点で合格者数を1000人まで増加させるべきであるという意見をまとめあげたのは、先見の明があったというべきである。今からみるとそれでもおとなしい数字であるが、当時の全国の弁護士会の動きからみると、当時の全国の弁護士会の動きからみると、圧倒的に少数であったなかでのその認識と決断は高く評価されるべきであり、その後の推移からすると、正しい判断であったと言える。惜しむらくは1994(平成6)年12月の日弁連
臨時総会関連決議を阻止できなかったことである」(79~80頁)
佐藤幸治氏と3000人
 前田豊弁護士が3000人の仕掛け人が佐藤幸治であったことを明らかにしている。
 「佐藤幸治氏が行政改革会議委員と司法制度改革審議会会長を兼ねたことはあまり知られていない。佐藤幸治氏は、行政改革会議の企画・制度問題小委員会主査であり、行政改革会議の最終報告の『行政改革の理念と目標』及び『内閣機能の強化』の起草者である。佐藤幸治氏は、行政改革会議の最終報告と司法制度改革審議会の意見書の両方を起草している。
 行政改革会議の最終報告と司法制度改革審議会の意見書に共通するキーワードは、『この国のかたち』、『公共性の空間』、『統治主体・統治客体』、『人権又は基本的人権』、『日本国憲法』、『法の支配』、『規制緩和』、『国際社会』などである。これは行政改革会議の最終報告と、司法制度改革審議会の意見書が共通のコンセプトによって書かれたことを示している。この点からも、行政改革会議の最終報告にもとづいて、司法制度改革審議会の意見書が書かれたことは明らかである」(85頁)
 「佐藤幸治氏が、司法制度改革審議会の初めから法曹人口は最低限3000人の合格者を送り出せるぐらいの体制を早急に作る必要があるとして審議会に臨んだことは広く知られていることではない。
 佐藤幸治氏は、3000人と合意形成することは、あらかじめ審議会の樋渡利次事務局長と相談し、橋本元総理はじめ行政改革以来のごく少数の関係者には集中審議で3000人を目指したいと伝えていた。そして、真議会でとにかく3000人を目指そう、そうならないと、あとの改革がおぼつかないから、ある意味では辞表をふところに入れて集中審議にのぞんだという。
 佐藤幸治氏は、青山善充東大副学長や中坊公平氏とともに司法試験合格者3000人の合意を形成させていったと考えられる。審議会の委員には合格者3000人を主張する委員は一人もいなかった。佐藤幸治氏は、合格者3000人の合意を形成するため、どのような方策をとったのだろうか。
 1999(平成11)年11月、司法試験制度改革協議会で合格者3000人を主張していた青山善充東大副学長を審議会に招いて、レクチャーを受けた。
 中坊公平氏は、同年4月、小渕内閣の内閣特別顧問に就任した。中坊公平氏は、同年8月、司法制度改革審議会における集中審議第一日目で合格者3000人を主張した」(86頁)
 弁護士会(日弁連)は、この3000人の流れに乗らざるをえなかったわけですが、それは作間弁護士が指摘しているとおり、マスコミ等の大合唱があったこと、弁護士自治・強制加入制度への強烈な揺さぶりがかけられていたことによるものです。弁護士会が主体的な判断のもとで3000人を選択した(できた)わけではなかったと思い返すことが無意味なこととは思えません。

地下アイドルの法律相談

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 深井 剛志 、 出版 日本加除出版
私はテレビを見ませんし、コンサートに行くこともありませんので、アイドルなる存在とはまったく無縁です。なので、地下アイドルって、何のこと…、という感じです。
AKBが登場したあと、アイドルの活動はテレビからライブに移行し、握手会や物販など、ファンと直接交流する場での活動が中心になっている。
現代におけるアイドルの役割は、多くのファンに活力を与えてくれる、心のオアシスのようなもの。
著者がこれまで相談・依頼を受けたケースを通じて、アイドルと所属事務所との契約は、事務所側に有利な内容になっていることが多く、十分に生活を送れる条件で働くことのできるアイドルはとても少ない。
この本は、契約における不均衡を少しでも是正し、アイドルにとって働きやすい環境をつくるため、法的に契約内容の問題点を指摘している。
契約書では、給料の決め方が具体的に詳しく書かれていないことからトラブルになることが多い。また、アイドルの禁止事項と、それに違反したときに賠償金の額が問題になることもある。さらには、契約終了後、アイドルの移籍や芸能活動を禁止する条項があったりする。なので、契約書にサインする前に、よくよくチェックする必要がある。
そうなんですよね。アイドルとして一人前になろうとするのなら、契約書のチェックをあなたまかせにしてはいけません。
アイドルが未成年のときには、親(親権者)の同意をもらっておく必要がある。アイドルは事務所との業務委託契約を結ぶ。これは、会社員が勤務先の会社と結ぶ労働契約とは別。つまり、アイドルは、いわゆる労働者ではない。しかし、働き方の実態からアイドルが労働契約を結んでいると解されるときには、最低限の給料をもらう権利がある。
たとえば、アイドルが仕事が断ることができない、報酬の決定権限が事務所にあり、著作物の権利も事務所にあって、アイドルは副業禁止というときには、アイドルは労働者にあたり、最低賃金法による給料が保障されるとした判例がある。
アダルトビデオへの出演を強要されたモデルが拒絶したところ、事務所がモデルに損害賠償請求した裁判で、その拒絶は正当であって、違法ではないので、違約金を支払う義務はないとした判決がある。
アイドル志願の若い人にはぜひ読んでほしい本です。福岡で著者のサイン入りの本を購入しました。マンガで状況描写されていますので、とても分かりやすい本になっています。
(2020年7月刊。税込1760円)

ステップファミリー

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 野沢 慎司、菊地 真理 、 出版 角川新書
子どもの親権をめぐる争いは、弁護士にとって、よくある事件の一つです。実際には、どちらの親が毎日、子どもの面倒をみているのかがポイントだと実感しています。
寂しい思いに駆られるのは、親が双方とも子どもを相手に押しつけようとするケースです。結局、子どもは施設に入ることになります。恐らく親は、どちらも面会しないのでしょう…。そんなケースにあたると、本当に残念です。
親の育児放棄から施設に入れられて育った人の依頼を受けたことがありますが、子ども時代の様子は語りたがりませんでした。やはり寂しかったようです。施設によるのだとは思うのですが、卒業したあとの子どもたち同士の交流はないということでした。なので、子ども同士の連帯感が育っていないようでした(これは決して一般論を言っているのではありません。あくまで私が話を聞いた人の話です)。
親の離婚を経験する子どもたちは、50年ほど前に比べて、格段に増えた。2018年の1年間に、21万人にのぼる。この子の親が再婚すると、「ステップファミリー」ができる。現代日本においても、もはやステップファミリーは珍しい家族ではなくなっている。現代は、いつ、誰がステップファミリーの一員になっても不思議ではない時代だ。
ステップファミリーを、両親とその子どもから成る単純な核家族と「同じ」ものとみる視線が日本社会全体に蔓延(まんえん)している。本当に、それでよいのだろうか…。
慣れ親しんだ生活のルールから切り離され、新たなルール制定者である見知らぬ「父親」との生活が始まったとき、子どもがそれまでの母や祖母と同等の親として「父親」を認めることに抵抗を感じ、反発したとしても不思議なことではないのではないか…。
これに対して、「父親」は、「娘」の反抗的な態度に直面して、自分の理想やプライドが大きく傷ついたかもしれない…。
子どもにとって、「親」だと思っている人に入れ替わって、別の大人がいきなり「親」として振る舞いはじめたとしたら、子どもにとって適応困難であり、理不尽な苦しみをもたらすことになる。そのうえ、ずっと一緒に暮らしてきて便りにしてきた血縁の親が、この理不尽さを理解してくれず、そこから助けてくれないとしたら、子どもは追い詰められ、絶望的な心境に陥ってしまう。なーるほど、ですね。よく分かるシチュエーションです。
日本は、この半世紀のうちに、結婚が離婚に至るリスクの高い社会へ変貌し、今もそのリスクは高止まりしている。
離婚する夫婦の6割に子どもがいる。再婚は、もはや珍しくはない。
明治以前は、長続きする結婚が少なかった。明治より前は、結婚や離婚は、きわめてプライベートな問題であり、政府も宗教も関わっていなかった。江戸時代の日本は、離婚も再婚も珍しくない社会だった。明治から、離婚・再婚が社会的に抑圧されるようになった。
この本にも『須恵村の女たち』が紹介されています。このコーナーでも先に紹介した本ですが、この本を読んで、私の目が開かれました。江戸時代までの日本女性は「モノ言わぬ妻」なんてものではなかったのです。『女大学』は、実態の「行き過ぎ」(男にとって)を少しブレーキをかけようとしただけの本でしかありません。江戸時代に『女大学』のような現実があったなんていうのは、まったく事実に反しています。
「親権」というコトバ時代が時代遅れ。これは、父が家族の財産を管理・支配していた時代の名残(なごり)にすぎない。なるほど、もっともです。
子どもが親を失わない権利をもつという、発想の転換が必要だ。そのとおりです…。
実父と継父は、互いに競合するものではなく、それぞれ別の存在だ。なので、子どもはどちらかだけを「親」として決める必要はない。なにより子どもが安心感・信頼感をもって生活していくにはどうしたらよいか、これを優先させるべきだという著者の指摘には、まったく同感です。
離婚後の共同親権の実現を急げと著者は強調しています。そのとおりなのでしょうね。考えさせられることの多い、いい本でした。
(2021年1月刊。税込990円)

「弁護士の平成(会報30号)」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
福岡県弁護士会の会報30号が発刊されました。A4サイズで470頁もある大作ですので、なかなか手にとって読んでみようという気にならないかもしれませんので、読みどころを少し紹介します。今回は、民事裁判の現状と克服の方向です。
民事裁判の現状…座談会
第3部の座談会で民事裁判の実情が紹介されています。裁判官が記録を読んでいないのではないか、また積極的に争点整理をしてくれないという不満の声があがっています。
「松本 裁判官が最初から決め打ちしているというケース、これはこういうもんなんだよという感じで、争点整理そのものに行き着かない。争点整理もいいのだけど、主張立証責任の所在で困るところがいっぱいあった。どちらがどのレベルで立証できるのかを深めてやれば、事件はもっと単純に解決できるのではないでしょうか。主張書面もさることながら、それに付随して出す陳述書がやたら攻撃的になっていって和解の機運を失う、裁判所もそれを見ていながら何もしないということがあります。
 神田 争点整理に行き着く前の段階で、そもそも裁判官が記録を読んでいないのではないかなと思うことがあります。そういう裁判官は争点整理を積極的にやってくれないという印象です。また、争点整理自体ではありませんが、弁論や弁論準備の期日に依頼者が同席するケースもあります。期日で、裁判官が記録を確認していなかったり、提出された書面を見ていないということが依頼者に分かってしまうと、その後に和解案が出されたとしても、依頼者が担当裁判官を信頼できず、和解案にも納得してもらえないことになります。和解案自体は妥当なのに、争点整理の前提自体がどうなのかなと思う事件がありました。
・・・・
 小倉 相手側代理人が、こちらの書面の枝葉末節に噛みついて、何が争点なのかぼやけてきて、裁判官もまとめきれなくなり、事件は漂流するケースがありました。積極的に争点整理しましょうと言う裁判官は、小倉支部ではそう多くない印象です。記録を読んでいないのではないかと強く疑われる裁判官も実際にいます。争点整理がされないまま、双方が   自由に主張を出し合って、判決を受け取った段階で初めて『えっ、ここが争点だったの』という判決もありました。私は初めて控訴状で『争点整理の仕方が間違っている』と控訴理由に書きました。高裁の裁判官から『違うのですか』と訊かれて『絶対違います』と返答しましたが、思い込みも含めて勝手に争点整理されると怖いです」(354頁)
裁判官が記録を読んでいないのではないかと当事者が不信感をもったら、まとまる話もまとまらなくなります。また、裁判官が積極的にリードしてくれなかったので、当事者間の感情的対立が高まって困ったという話も出ています。
「染谷 裁判所側の問題としては、個々の裁判官の資質かもしれませんが、明らかに記録を読み込んでいない様子で、何となく期日を重ねて当事者に主張させたあと、それぞれの主張を足して二で割ったような和解案をポンと出して、『あとは当事者でやってください』という対応があります。これは争点整理の仕方がまずかったというよりは、そもそも争点整理がされていないという問題である気もします。争点整理に取り組む認識のある代理人や裁判所に当たったときには、争点整理自体が問題だなと感じたことはありません。
 石本 相続関係の民事訴訟でしたが、相手方代理人の訴訟活動で困った点として、要件事実ではないいわゆる事情(親族間の長年にわたる恨みつらみ)を厖大に主張された結果、結論に影響しない対立点が増えてしまったことがありました。そして、裁判所の訴訟指導で困った点として、要件事実との関連性を確認することなく、『では、反論を』と放置されたことがありました。その結果、争点整理がどんどん漂流してしまうとともに、当事者間の感情的対立が高まって、和解の機運を逃してしまったことがありました」(353頁)
 7割の事件で、争点整理によって裁判官は心証をとっているのではないか、この後藤裕弁護士の問いかけに対しては肯定的な反応です。
 「後藤 『争点整理で7割決まる』というのが、全体の7割ぐらいの事件では裁判所の心証が争点整理の段階でほぼ決まっているという意味ではどうでしょうか。
  染谷 私も『争点整理で7割決まる』というのは、実感とそう離れていません。多くの裁判官もだいたい証人尋問前にはほとんど心証が固まっていて、よほどのことがないと尋問結果で心証が変わることはない、と色々なところで聴きます。もっと言えば、これは私の勝手な印象ですが、訴訟と答弁書の段階でかなり心証を取っているのではないかと感じます。
  裁判官としても最初に出てくる訴状と答弁書、それの裏付けとして出されている基本証書と呼ばれるもの、その内容を見れば大体この事件はどういう事件なのか概要をつかんで、この事件はこういう心理の仕方、これはどう頑張っても判決の事件だ、あるいはこれがどこかで和解はできるかもしれない、そこまでシビアにやらなくて良いかもしれないと、方向性を決めてやるのではないかという印象を持っています。もちろんその後の主張、立証によって心証が変わることもあるとは思うのですが、ファーストインプレッションという言葉があるように、第一印象、最初に持たれた事件の印象を後から大きく覆すのはかなり難しいと感じます。
   石本 私も同じ感覚です。人証で結論が決まるような事案だと、そもそも訴訟を回避して何とか交渉でまとめることも一定数あると思うので、証拠調べ前に7割方心証が固まるのは、おかしなことではないと思います。
   小倉 たまに争点整理しても結論が分からない、悩ましいという裁判官もいます」(361頁)
裁判利用者の18%しか満足していない
 民事裁判の現状については、次のように紹介されています(214頁)
   「本人尋問や証人尋問をしない裁判が薬3000件増え、検証と鑑定は10年間で約3分の1に激減している。
第2に、訴訟代理人から、『裁判所が証人調べをしない、強引な和解がある、判決の理由が乏しくなっている、高裁の1回結審が増えている』などの不満が出ている(東京弁護士会の1997(平成9)年の調査)。また、第1回期日について被告代理人の変更申請を認めず、原告とだけで裁判をするという例が増えている。
第3に、裁判利用者で今の訴訟制度に満足した人は、わずか18%しかいない』。
集中審理、陳述書の活用はいいとしても、陳述書に本来ありえないはずの事実上の証拠力が認められることがあるのが実情であり、これは弊害と言うほかない。
判決に事実認定の緻密さが欠けてきているという批判を裁判官経験者がしている。『紛争発生後に当事者等が作成する陳述書は、当事者側のストーリーが入りがちで、紛争発生前から存在する客観的証拠との照合が欠かせないが、紛争発生前から存在する証拠はしばしば断片的であるため、客観的であるにもかかわらず、無視されがちである』
また、急ぐあまり審理の適正・充実がおろそかにされていないか。高裁での1回結審の原則的運用には当事者双方から大きな不満の声があがっている。
『日本の裁判官は、事件を早く終わらせたいのか、事実発見、真相究明よりも、効率的且つ迅速な裁判遂行を優先させ、人証の採用に消極的で、人数を制限するだけでなく、主尋問、反対尋問の時間まで制限する。じっくり時間をかけて、重要証人の尋問を聞こうとする耳を持たず、その意欲もなければ、余裕も全くない』という指摘は悲しいかな、今なお日本の裁判官の現状ではないか」(214頁)
裁判官おまかせ主義の弁護士
 ところが、裁判所の側から弁護士の訴訟活動について手厳しい批判の声があることも紹介されています。「裁判所依存」、「裁判官おまかせ主義」の弁護士の存在です。
   「弁護士任官で裁判官になった田川和幸弁護士は法廷の裁判官席からみた弁護士の実情を次のように手厳しく批判した。
   『現実の法廷では、ほとんど証拠の収集をせず、本人尋問だけに頼る弁護士が少なくないので、閉口してしまう。ろくに訴訟準備もしない、適切な主張もしない、ちゃんとした尋問もしない』
   『弁護士が、いい加減に主張立証しただけで、その役割をすませたような顔をされているのをみると、腹立たしくなる。しかも、若い弁護士にこのような方が少なくない。未熟さ故というには、あまりに熱意が窺われず、無責任さばかり感じられて、依頼者が可哀想に思えてしまうこともある。同様な弁護士が増えていくと、裁判所に寄せる国民の期待を裏切ることになると、大上段に構えたくなるが、かかる弁護士が自由競争で淘汰されるのを待つしかないのであろうか。弁護士の倫理の高揚と弁護士会の研修に期待するところが大きい』
   『弁護士の訴訟における裁判所依存である。みずから適正な訴訟活動をしないで、真実を発見して判決したいと考えている裁判官の思いに乗っかって、報酬を稼ぐ弁護士。判事室では、この種の弁護士の話が満ち溢れている』
   『裁判所依存、さらにステレオ・タイプ化して言うと、「裁判官おまかせ主義」の弁護士の数が少なくないことに驚いた。そのような弁護士には、弁護士会が倫理性と研鑽を求める必要がある』
   これはなかなか耳の痛い批判であり、弁護士はこのようなことを言われないよう主体性をもて不断に研鑽に務める必要がある」(218頁)
現状を克服するには…
 現状をそのままにしておくわけにはいきません。心ある人はともかく声をあげ、気がついたところから実践していくしかありません。
   「ながく裁判官をつとめ、弁護士8年目の金馬健二弁護士は医療関係訴訟において弁護士のほうで積極的に働きかけ、裁判官を育てるつもりで審理を動かしていくことをすすめている。
    『裁判官が記録をきちっと読んで、身を乗り出して当事者の言い分に耳を傾け、洞察力をもって、事案を的確に把握し、できるだけ当事者に負担をかけないような合理的審理を図り、解明すべき点についての必要十分な資料の提出を当事者双方に平衡に配慮して促し、適時の和解勧告をして公正な解決を図り、鑑定が必要な場合でも鑑定人に丸投げせず、自らの判断の補助(本来の鑑定)とするように工夫を凝らし、また、直接的な証拠の中身に拘泥せず、自らの頭で洞察力を働かせて推理し、的確な推認による批判に耐えうる事実認定をする方向で、謙虚に審理を進めてくれれば、医療関係訴訟は迅速適正な解決に向かいます。しかし、そのような審理のできる裁判官は少ないことが分かってきました。そうであるなら、訴訟進行を裁判官に委ねることなく、当事者の方でイニシアチブをとって、裁判官を育てるつもりで、裁判官に積極的に働きかけ、私たちが求める方向に審理を動かしてゆくしかないとの思いを強くしています』」(218頁)
 ぜひ、会報30号の現物にチャレンジしてみてください。得られるものは、きっと大きいはずです。
 

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