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カテゴリー: 司法

嘘はつかない、約束は守る(第2集)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 萬年 浩雄 、 出版 LABO
弁護士は、日々の仕事で信用第一の仕事をしていないと、目的を達することができない。信用第一とは、嘘はつかない、約束は守る、この2点につきる。第2集で、やっと本のタイトルの意味が判明しました。
企業のかかえる債務について、任意整理をすすめるとき、不動産売却の方法が問われる。弁護士の公平・中立を保持するため、コンペ形式がよくとられる、しかし、それは弁護士の保身でしかないと著者は言います。では、どうするのか…。知り合いの不動産業者に情報を流し、そのときに一番高い買値をつけた企業に買取価額を明記した買付証明書を出してもらう。この買取証明書を関係者に広く情報提供し、買値をつりあげていく。そして、不動産業者と癒着していると思われないよう、手数料は3%ではなく、一律に2%としている。接待やバックリベートは絶対受けない。なーるほど、ですね。
著者は、銀行の顧問もしていますが、銀行には、企業を育成し、成長させるという公共的使命があることを忘れないよう再三強調しています。経営者、そして銀行には、従業員の雇用を確保し、その生活を守っていく公共的使命がある。これを何度も強調しています。まったく同感です。
著者は、銀行との交渉は、かけひきなしに誠実にやっていれば、うまくいくと考えているとのこと。本当に、それでうまくいくものでしょうか…。私の数少ない経験では、そうとも言えませんでした。
都銀と信用金庫のいずれか債権回収率が高いかというと、信用金庫のほう。というのは、都銀のほうが債権回収の方法を熟考しているあいだに、信用金庫のほうは走りながら回収策を講じるからだ。うむむ、なーるほど、そうかもですね。
事業承継には、適任の経営者をどうやってみつけるかという難問がある。なので、事業承継は本当に難しい。プロパー社員を社長にしてみたとき、果たして、その人が社長の器であるか、否かは、実際にやらせてみないと分からない。人間の器をみて、後継社長の器であるかどうかを決断するのは、ある意味、冒険である。うむむ、これは本当にむずかしいでしょうね。
会社の成長のカギは、従業員に愛社精神があるか否かにかかっている。
最近の判決について、著者は、バランス感覚からみて、結論がなんとなく納得感に乏しい判決が増えているように思えるとしています。これまた、まったく同感です。本人たちは自覚のないまま、訴訟が増えている。
裁判官が原告勝訴の判決を書くのは、心証が圧倒的であるとき。そうでないときには、原告勝訴の判決は書かない。51%といった、50%より少し上回る程度では書けないし、書かない。
福岡の名物弁護士として自他とも認める著者による、読んで元気の出てくる事件がらみのエッセー集です。帝国データバンクによる「帝国ニュース・九州版」に2021年9月まで30年間連載していたものが本になったのです。私もよく知る著者の息づかいが身近に感じられる本になっています。第1集にひき続いて、出版社より贈呈を受けました。いつも、ありがとうございます。
(2022年2月刊。税込2530円)

太平洋法律事務所30年の歩み

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 太平洋法律事務所 、 出版 太平洋法律事務所
1990年に設立された太平洋法律事務所は消費者問題で日本最先端を走ってきたし、今も走っているとして高く評価されています。この記念誌のなかで、30年間の取り組みを50頁にわたる座談会で詳しく明らかにしていて、大変勉強になりました。
その座談会を紹介する前に、太平洋法律事務所には、伝統芸能部なるものがあり、文楽公演を楽しんでいるというのです。これには驚かされました。「仮名手本忠臣蔵」は私も知っていますが、「傾城(けいせい)反魂香」土佐将監閑居の段の意義をめぐって激論がたたかわされたらしいのには、思わずほっこりしてしまいました。
太平洋法律事務所で2年ほどイソ弁した笹谷弁護士は、朝から夜中まで事務所で仕事をしていたので、自宅の電気代が、なんと毎月1000円以下だったというのです。ホンマかいな、こりゃブラック事務所じゃなかろうか、ついそう思ってしまいました。
さて、本題の座談会です。太平洋法律事務所創立の前年に「消費者法ニュース」がスタートしています。三木俊博弁護士は、訪問販売法の改正問題そして商品先物取引被害に取組んだ。私も九州一円の先物取引被害に取り組みました。さらに、豊田商事国賠請求事件の弁護団事務局長を三木弁護士はつとめました。
PL法の関係でアメリカに視察に行き、悪名高い猫の電子レンジ事件が、実はPL法の事件ではなく、動物愛護法違反の事件で、被告人側から、そんな抗弁が出たにすぎないことが分かったということが紹介されています。なーんだ、そうだったのか…、と思いました。通産省は、PL法を制定してほしくないために、嘘と誇張の調査報告書までつくって逃げ切ろうとしていたのでした。ところが、日本の製品を海外に輸出するとき、PL法がないと日本に信用がないとメーカーが考えて、通産省も次第に押されて考えを改めたとのこと。
茶のしずく石鹸事件では、解決まで8年8ヶ月もかかった。福岡と大阪では原告勝訴となったが、東京と京都の裁判所では科学論争にひきずりこまれて裁判所が惑わされてしまった。そのとき元裁判官で政府の担当者だった升田純弁護士が裁判所を惑わす議論を仕掛けた…。升田弁護士は当会の研修会の講師をずっとつとめていますよね。
信楽高原鉄道事故(1991年5月14日。43人死亡、600人の負傷者)についてJR西日本との裁判では、裁判を通じて、原告弁護団は、ついに政府に事故調査委員会をつくらせた。いやあ、これはすごい成果ですよね。
たとえば欠陥住宅を扱う弁護士がネットワークをつくり、お互いに切磋琢磨して実務のレベルを上げ、良い判決をとって法令等の改正にもつなげていく。三木弁護士は、先物取引被害・証券取引被害の分野で、その中心となってやってきたのが自分の誇りだと述懐していますが、まさしくそのとおりです。
国府泰道弁護士は国会で何度も参考人として発言し、質疑に応答したようです。それが、いろんな立法につながっていったのですから、本当にたいしたものです。たとえば、訪問販売法の改正、PL法の制定、公益通報者保護法…。いやはや、大変な成果をあげた法律事務所ですね。
三木弁護士を中心として紹介してしまいましたが、私は三木弁護士とは大学以来のつきあいで、三木弁護士が最高裁判事になってくれたらいいなと思っていました。
「消費者事件の太平洋法律事務所」という看板にまったく偽りがないことを明々白々にしている貴重な冊子です。
(2021年12月刊。非売品)

嘘はつかない、約束は守る

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 萬年 浩雄 、 出版 LABO
銀行員と弁護士は経営能力はない。これが著者の考え。どちらも、ちょっぴりだけ頭が良い。なので、にわか勉強をすれば、いっぱしの経営理論をぶつことができる。しかし、それが本当に実際の企業経営に役立つものなのか、疑問がある。私も大いに同感です。といっても、経営能力のある弁護士もいれば、銀行員もいるとは思うのです。一般論として、多くの弁護士は経営者に向かないのではないかと私も自分をかえりみて、そう思っているということです。たとえば、私は、岡目八目(おかめはちもく)というコトバのとおり、はたから見て経営状況に論評することはできます。でも、自分で実際に企業を経営してみろと言われたら、まったく自信がありません。無理だろうと思いますし、する気もありません。
同じことが、経営コンサルタントにも言える気がします。コンサルタントは自分でリスクを取らず、コンサルタント料さえもらえたらいいので、それなりのことを言えるし、言うでしょう。
でも、そのとおりやったら必ずうまくいかといったら、まったくその保障はないのです。それにしてもコンサルタント料のバカ高いことには、目をむいてしまいます。コンサルタントって、弁護士以上に「口八丁、手八丁」どころか、「噓八反」がまかり通っている気がしてなりません(すみません、間違った思い込みかもしれませんが、これが私のホンネなんです…)。
著者は福岡でも有数の法律事務所を率いていますから、私なんかと扱う案件とケタが2つも3つも違います。パチンコ店の企業再建で出てくる金額は、年商500億円に再び回復したというものです。口をポカンと空けてしまいます。
著者は、弁護士に経営能力がないと考えるのは、弁護士は「守りには強いが、攻めには弱い」からだとします。これには、いくらか違和感があります。私をふくめて、攻めには強いが、守りには弱い弁護士も少なくない気がするからです。
著者は、弁護士プロデューサー論を提唱していますが、これには異論ありません。
弁護士が何でも知っていると思うのはまちがい。まったく同感です。弁護士生活48年になる私ですが、世の中、いかに知らないことだらけなのか、いつも実感させられています。そこで、大切なのは、弁護士がいろんな分野の専門家を知っていて、それを依頼者に紹介して、ネットワークを広げてもらうことです。これなら、たいていの弁護士が私もふくめて出来ます。人脈があれば、いいのですから。
依頼者がなぜ法律事務所に足を運び、お金を出してまで弁護士に依頼するのか…。
それは、インターネットでは得ることのできない安心感と納得感を求めているからだ。
これにも同感です。インターネットによる相談に欠けているのは、これですよね。
実は、私はいつまでたってもガラケー人間なのですが、著者はケータイも使っていないようです。それには、ガラケー派の私でさえ、いくらなんでも…、と思いました。
著者は、弁護士になって10年までは、弁護士を天職と思っていたが、10年を過ぎると、しょせん弁護士は人間の欲望を処理しているだけではないかと、暗澹たる気分に陥ったといいます。いやいや、私は今でも弁護士は天職だと考えていますし、苦労してこの職業に就けて良かったと思います。
人間の欲望といっても、いろいろあるわけです。欲望を全否定することはできませんし、できるはずもありません。この欲望を適当に折りあいをつけていくことで人間社会はなんとか成り立っているわけです。そのとき、むき出しの暴力は論外ですし、口ゲンカで終始していても終わりが見えません。紛争解決のルールをつくって、それに従ってトラブルをおさめていくこと、そして、それによって事後(将来)のトラブルもそれなりにおさまっていくという見通しが得られるというのは、毎日を安心・安全に暮らすうえで不可欠です。このときに、弁護士は裁判所と同じく欠かせない存在だと思うのです。
福岡の名物弁護士と他称される著者の面目躍如のエッセイ集の第1巻です。いくつかの点で著者とは意見が異なりますが、企業法務を担う福岡最大手の法律事務所のボス弁としての活躍には大いに敬意を表しています。
LABOから贈呈していただきました。いつもありがとうございます。
(2022年2月刊。税込1980円)
 
 日曜日は、春うららかな陽差しをあびながら、庭仕事に精出しました。チューリップの芽がぐんぐん伸びています。覆っていた雑草を取ってやりました(まだ、全部ではありません)。
 紅梅に続いて、ようやく白梅が咲きそろいました。例年以上の時間差があります。
 まだ、明るいうちに(といっても夕方6時)、庭からあがって風呂に入り、いい気持になりました。ところが、風呂から出ると、猛烈なくしゃみの連発です。今年は花粉症がすごく軽いなと思っていたのですが、たちまちティッシュペーパーを払底させてしまいました。目もかゆくなっています。
 それにしても、ロシアの戦争は許せませんよね。軍事力ですべてを押し切ろうとする発想は許せません。ロシア軍は直ちにウクライナから撤退すべきです。ウクライナの人々の気持ち思い、また、連鎖反応を恐れて、暗い気持ちになりました。

北の大地に自由法曹団の旗を掲げて

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 北海道合同法律事務所 、 出版 北海道合同法律事務所
1970(昭和45)年9月、廣谷・三津橋法律事務所が発足。その後1972(昭和47)年に北海道合同法律事務所と改称し、今では弁護士18人、事務局15人を擁する北海道でも有数の法律事務所です。このほか、ここの出身の弁護士も18人います。
発足したころ、札幌地裁では自衛隊をめぐる長沼訴訟が進行中で、福島重雄裁判官が札幌高裁長官から注意処分を受けて辞任を表明したが、そのことについて札幌弁護士会は総会を夜中まで開いて、裁判干渉をした平賀健太・札幌地裁所長について訴追請求をすると同時に、福島判事については辞職を撤回せよと決議し、弁護士会の役員が福島判事宅に乗り込んで説得し、福島判事の辞職を撤回させた。長沼訴訟では、自衛隊は憲法違反だという画期的判決(1973年9月7日)が出た。弁護士会が臨時総会を開き、夜中まで審議して決議したなんて、今ではとても信じられない熱気を感じますね。
1970年ころは、乾式コピー機がなく、カーボン紙をはさんで手書きする、せいぜい和文タイプする、コピーは青焼きという時代。この青焼きは湿式で、回転ローラーに原稿がはさまってしまったり、大変苦労したこともありました。
当時の工藤祐三事務局長は、「緩やかに日々が流れていて、今のようにテンポが速くなく、追いまくられずに、ゆったりとできた」と語っています。とはいっても、その仕事ぶりは、どんなものかというと…。事務所の近くの中華料理店(「北京楼」)でジンギスカンをコーリャン酒も飲みながら食べ、そのあと向かいの銭湯に入り、酔いをさまして仕事に戻るというもの。今瞭美弁護士は、「午後3時ころになると裏手にあった中華料理店から料理をとって小宴会をした」と書いている。
村松弘康弁護士は、もっとマナマナしく1980年前後の状況を明らかにしてます。
「当時は、土日なく働くのは普通だった。土曜日は、顧問先で法律相談を受けて、夕方は事務所で仕事した。ある日、夜遅く帰宅すると、大事にしていた本が玄関にバラバラになって散乱していた。家にひとり放置されていた家人の無言の抗議だった。ゆっくり仕事ができるのは日曜日くらい。日曜日は事務所のビルが閉まるため、土曜日の夜に2階の窓のカギを外し、ハシゴを準備して帰宅し、日曜日、管理人のいないころにハシゴをかけて2階の窓から『出社』していた。管理人に発見され、注意され、謝罪した。そのうち、管理人からは、『ケガするなよ』と注意されるだけになった」
管理人から「ビルの門限を守らない、夜中の出入りは困る。一度や二度ならともかく、常態化している」というクレームが何度も来ていたことを工藤事務局長も書いています。
田中貴文弁護士(40期)は、「24時間、戦えますか」という時代風潮のとおり、地下鉄の終電ギリギリまで事務所にいるのは当たり前で、時には仕事終わりが深夜に及ぶこともあった。たまに朝早く事務所に出ると、机の下のカーペットの床に石田明義弁護士(33期)が転がっていることが二度や三度ではなかったと回顧しています。2008年に入った山田佳以弁護士(新61期)も、深夜0時すぎまで仕事するのがフツーの生活で、第一子の出産予定日も仕事をしていたとのこと。
では、いったい、なんで、こんなに忙しかったのか…。
北海道合同には新人が3人一緒に入所したことが2度もあり、そのときに「経営危機」に陥ったようです。1回目は、1974(昭和49)年のことで、このとき私の同期(26期)でもある今重一・今瞭美、そして猪狩久一弁護士の3人が入り、「事務所にあった現金がまたたく間に底をついたが、新人3人は何とも動じなかった」というのです。同期ですから当然、私もよく知っていますが、まさしく当時も今も豪傑の3人です。そして、もう1回は40期の3人(笹森学、佐藤博文、田中貴文弁護士)が入所した1988(昭和63)年のこと。本人たちは、「給料以上に働いた」と言っていますが、新人が稼げるようになるまでは事務所としては大変だったろうと思います。
いったいぜんたい、何で、そんなに忙しかったのか、それも、この本を読むとよく分かります。目次をみると、扱った主要な事件として、薬害スモン訴訟、北炭夕張新鉱ガス突出災害事故訴訟、石炭じん肺訴訟、国鉄分割・民営化・全動労をめぐる訴訟、統一協会・青春を返せ訴訟、B型肝炎訴訟、自衛官人権弁護団、建設アスベスト訴訟、新・人間裁判、陸上自衛隊南スーダンPKO派遣差止訴訟、などなどです。いやあ、これだけの世間の耳目を集める訴訟を本気で勝つために追行するには、たしかに休日返上、深夜まで書類作成等で必要だったことでしょう。でも、ワークバランスが強調されている今日、そんな過重労働を今やっていいのかというと、必ずしも無条件で肯定できないことですよね…。
クロム患者の代理人として活動していた村松弁護士は、原告団事務局長が入院したとき、定期的に病室に行って、次第に衰弱していく様子をビデオに撮ったこと、また、亡くなった直後の遺体解剖にも立ち会い、解剖中の主治医が村松弁護士の右手をつかんで腹の中に差し入れ、「まだ暖かいだろう」と声をかけられ、いのちの名残りの温かさを感じて涙がこみあげてきたとのこと。想像するだけでも胸が詰まります。
北海道合同で特筆すべきことは、何人もの弁護士が候補者となり、議員となったということです。そのトップバッターは、創設者の廣谷陸男弁護士で、北海道知事選挙に立候補しました。以下、順不同でいくと、高崎裕子弁護士が1期6年間、参議院議員(日本共産党)をつとめました。猪狩久一弁護士は道議会議員に立候補することになって札幌市西区に猪狩康代弁護士とともに法律事務所をつくりました。惜しくも当選できませんでした。そして、つい最近(2019年)、札幌市長選挙に立候補した渡辺達生弁護士(46期)です。短期間で得票率30%、26万票以上をとったのですから、たいしたものです。首長選挙に出たのは廣谷弁護士以来36年ぶりとのこと。渡辺弁護士は下戸なので、スイーツ好きで、FBにはいつもでっかいパフェが登場します。
内田信也弁護士(38期)は、NPO法人子どもシェルターレラピリカの理事長をライフワークとしています。「レラピリカ」って、どんな意味なんでしょうか…、それにしてもすごいことです。
こんな雰囲気の事務所にしたのは創設者の廣谷弁護士の個性が大きいようです。いつも笑顔を絶やさず、違いよりも共通点を見つけて行動する、真の自由人だった。自らが自由であるだけでなく、相手の人の自由も尊重した。
まさしく「個性豊かな弁護士の集まり」を実感させる貴重な50年史になっています。
(2022年1月刊。非売品)

弁護士CASE FILE Ⅰ

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 早稲田リーガルコモンズ法律事務所 、 出版 朝陽会(グリームブックス)
私は若いころ『弁護始末記』を夢中になって読みました。もちろん全巻よんで、今も持っています。若い弁護士に読むようにすすめているのですが、なにしろ30巻もあって大変です。もともとは大蔵省印刷局が発行していた『時の法令』に22年間にわたって連載されていたものが順次、本になっていたのです。大変面白くまた勉強になりました。
そして、この本は、この『時の法令』で始まったものを1冊にまとめたもので、14の論稿(ケース紹介)からなっています。かつての『弁護始末記』を思い出しながら読みすすめました。
ちなみに、私が『弁護士のしごと』シリーズ(6冊)最近、刊行したのは、この『弁護始末記』にならったものです。
私がまったくやっていないし、これからもやれないだろうけれど、弁護士の仕事の一つとして大切だと考えているのは、「子どもをサポートする仕事」(西野優香弁護士が執筆)です。
東京は「コタン」(子ども担当弁護士)という制度があるとのこと。児童養護施設、自立援助ホーム施設に入った子どもについて、コタンは親や学校との調整をしたり、子どもから日々の相談を受けたり、子どもたちが安心して生活し、社会に巣立っていけるようにサポートする。とくに親の虐待事案では、親のほうはあらゆる手段を使って子どもの居場所を突きとめようとするし、子どもを返してくれないのなら、学費は出さないと親が言ったりするので、慎重な対応が必要。いやあ大変な仕事ですね。でも、児童相談所とは別にコタンがいるっているのは、子どもにとって、きっと心強い味方になりますよね…。コタンは、月に1回のペースで様子を見に行ったり、一緒に食事に出かけたりするとのことです。これも弁護士としての立派な仕事です。本当に頭が下がります。
そして、未成年後見というのもあります。私はまだ担当していませんが、こちらは福岡でも聞きます。この本では5歳の女の子のケースが紹介されています。父親不明のままシングルマザーが亡くなり、その母の良心まで相次いで亡くなってしまったため、児童養護施設に入っている子の後見人に就任したのでした。
面会に行くと、自分にお客が来てくれたことを喜んでくれているようで、いろいろ明るく話してくれた。何か困ったことがないかと尋ねると、「みんながいなくなっちゃうと、さみしい」との答えが返ってきた。不覚にも涙が出そうになった…。読んだ私も6歳と3歳の孫をもつ身として、思わず涙ぐんでしまいました。母親が亡くなり、祖父母も死んでしまったら、誰かが愛情をもって支えてやる必要があります。それは施設だけにまかせていいということではないでしょう。本当に大切な仕事をしていると実感しました。とてもお金にはなりそうもなく、金もうけの世界とは無縁でしょうが、お互い人間らしく生きていくうえで必要不可欠な仕事です。これから弁護士になろうとする人にはぜひ読んでほしい一文です。
もう一つだけ紹介します。「ホームレスは社長だった事件」(川崎建一郎弁護士の執筆)です。ホームレス支援をボランティアでやっている弁護士は、福岡でもときどき聞きますが、東京では継続的な取り組みになっているようです。2008年12月の「年越し派遣村」に協力したことがきっかけで、生活保護申請の同行・支援をするようになった。そのなかで出会ったホームレスの話。生活保護の申請をすすめると、絶対に家族に自分の状況を知られたくないから嫌だという。
そして、ついに身の上話を聞き出すと、なんと50人もいる工場を有する社長だったのに、なにもかも嫌になって、ある日突然、家を出てホームレスになったという。もともと親の稼業を継ぎたくなかったようで、ともかく事業をやめたいという相談になった。まあ、本人が、それほど意思が固いのなら、弁護士としては、会社を清算するしかありませんよね。すべてが終わったあと、その元社長は、今はコンビニでレジ打ちの仕事をしている。時給1000円ほど。億単位の売上のある社長をしていた人がコンビニの店員になって、しかも、本人は、それでいい、今が幸せだ、これは自分で選んだ仕事なんだから…。いやあ、一回限りでしかない人生っているのは不思議ですよね。やっぱり自分の選択って大切なんですね…。
弁護士の仕事を社会と人生との関わりで深く考える材料を提供するシリーズの始まりです。次巻を楽しみにしています。
(2021年11月刊。税込1100円)

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