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カテゴリー: 司法

誤判を生まない裁判員制度への課題

カテゴリー:司法

著者:伊藤和子、出版社:現代人文社
 1973年から2005年までの32年間にアメリカ全土で122人の死刑囚が無実と判明して釈放された。1993年以降、死刑台からの生還者は年間平均5人、2003年には1年間になんと12人もの死刑囚が死刑台から生還した。
 なんという恐るべき数字でしょう。日本もひどいけど、アメリカの刑事司法って、そんなにひどかったのか、と驚きました。いや、待てよ。アメリカは陪審裁判がやられているじゃないか。悪いのは陪審裁判だったのか。ふと、そんな疑問が頭の中をかすめます。でも、決してそうじゃないことが、この本を読みすすめると分かります。
 有名なシカゴをかかえるイリノイ州では、死刑制度が再導入されてから死刑執行されたのは12人。ところが、死刑台から生還した人は、それを1人上まわる13人だった。そこで、イリノイ州知事は、死刑執行の停止(モラトリアム)を宣言した。そのうえで、死刑諮問委員会を発足させた。その委員の一人に、かの高名なスコット・トゥロー弁護士(『推定無罪』や『囮弁護士』の著者)も加わった。この委員会は、死刑冤罪事件に共通する特色は、警察が過度に強制的に自白を引き出していること、自白が被告人と犯行とを結びつける決定的な証拠となっていることにあると指摘した。
 ビデオ録画された自白も真実ではないことがあった。つまり、ミランダ原則の告知と自白した部分だけのビデオ録画では、虚偽自白を防ぐのには十分でない。そこで、結論として、殺人事件の全取り調べ過程はビデオ録画されなければならない。単に調書の作成過程だけでなく、すべての手続きのビデオ録画が必要だとした。
 虚偽自白した体験者は次のように語っています。この人は、両親が殺されて混乱しているときに警察から厳しく追求されているうちに、いつのまにか自分が親を殺してしまったのだと思いこんでしまったのです。
 私の経験から、人を洗脳して、「自分が犯罪をおかした」と思いこませるには、3〜4時間あれば足りる。警察は暴力をふるったわけではない。単に私を取調べ、非常に感情的に怒鳴っていただけ。だけど、私は追い詰められた。両親を殺され、精神的に非常に弱い立場にあったし、警察を信じていた。
 次に、学者は、なぜ、人はやってもいない重大事件について自白するのか、次のように説明しています。
 重罪事件ほど、被疑者に対して自白を求める多数のプレッシャーがかかる。このとき、警察は攻撃的な取調べによって、被疑者を心理的に追い詰め自白に追い込むというテクニックをつかう。虚偽自白の要素は、捜査側の攻撃的な取調べと、被疑者側の脆弱(ぜいじゃく)性のコンビネーションによって生まれる。
 取調べの録音・録画を導入したアメリカの警察署は、ほとんど一致して、「もう録音・録画のない時代には戻れないし、戻りたくない」と言っている。
 この本では、もう一つ、不適切弁護の問題も指摘しています。次のように紹介されるアラバマ州の実情は信じがたいほど悲惨です。
 アラバマ州には2004年当時、190人の死刑囚がいた。人口あたりの死刑囚の比率はアメリカ第一位。アラバマ州における黒人の人口比率は33〜47%だが、1975年以降に死刑執行された人の70%は黒人。殺人被害者の65%は黒人だが、死刑囚の80%は白人の殺害に関わるもの。
 黒人死刑囚の35%は全員白人からなる陪審員に死刑宣告された。黒人死刑囚の90%が、陪審員のなかには黒人が1人か2人しかいない状況で死刑判決を受けた。
 そしてアラバマ州には、公設弁護人制度が存在しない。弁護人に支払われる費用は、裁判外活動で1時間20ドル、法廷活動は1時間40ドル。裁判外活動の費用の上限は  1000ドル。ここから、多くの弁護人が必要な調査をせず、必要な証人を呼ばないまま、きわめて不十分な活動のもとで、弁論を終了させた。
 安かろう、悪かろう、というわけです。日本もアメリカみたいにならないよう弁護士として、大いに自覚しなければいけないと思います。大変勉強になる本でした。
 日曜日の夜、歩いて5分ほどのところにある小川に蛍を見に出かけました。今年はまだ乱舞するほどではありませんでしたが、蛍の優雅な明滅飛行を鑑賞しました。いつ見ても蛍はいいものです。つい心がなごみます。

裁判官の爆笑お言葉集

カテゴリー:司法

著者:長嶺超輝  出版社:幻冬舎新書 ISBN:9784344980303
読むのは1日も要りません。ちなみにわたくしは1時間の立ち読みで済ませてしまいました。
が資料として保存するつもりのある人は買ってください。
さだまさしの償いを引用した一工夫ある説示もあれば、タクシー乗務員は雲助まがいだとか、暴走族はリサイクルのできない産業廃棄物以下だとか、いま振り返ってみれば、結構裁判官も法廷に私見を持ち込んでたんですね。
タイトルに「爆笑」と書いてありますが、一つ一つの事件にど真面目に裁判官が取り組んだ痕跡が窺える代物です。
ほんのクツワムシ

お父さんはやってない

カテゴリー:司法

著者:矢田部孝司、出版社:太田出版
 映画「それでもボクはやってない」のいわば原作ともいうべき本です。あの映画は弁護士の私からしてもとてもリアリティーがありましたが、興行的には「Shall we・ダンス」のようにはいかず、パッとしなかったようですね。残念です。
 今の裁判の実情がよく理解できる、しかも身につまされながら楽しめる面白い映画ですので、一人でも多くの人にみてほしいと思います。幸い福岡では再上映がはじまっています。ぜひぜひ、お見逃しなく。
 実際の事件のほうは映画と違って、妻と子ども2人をかかえるサラリーマンです。フリーターではありません。ですから、ますます深刻です。あやうく一家無理心中になってしまいそうなほどの極限状態に追いこまれてしまうのです。弁護士としても、理解できる状況です。やってもいない痴漢事件で刑務所行きだなんて、世の中信じられませんよね。
 デザイナーが本業だというだけあって、留置場の房内の生活や電車内の再現図などはよく出来ています。さすがはプロの絵です。
 まず初めにやって来た当番弁護士は、本人が否認していることを知ると、励まし、家族にちゃんと連絡をとってくれます。ところが、2番目に私選弁護人となろうとした弁護士は日本の刑事裁判で有罪率が高いという現実をふまえて、被害者との示談をすすめる口ぶりです。三番目の弁護士は複数体制で否認する本人を支えます。
 前科のないフツーのサラリーマンがぬれぎぬで捕まり、留置場に入れられて2ヶ月も生活させられると、どうなるか。背中に入れ墨を入れ小指を詰めたヤクザな男が怖がるほど、顔から一切の感情が消えて無表情だった。
 なーるほど、ですね。絶望感にうちひしがれていたわけです。
 起訴されたあと、妻は日本国民救援会のアドバイスを受けて夫の知人や大学の同級生たちに応援を求めた。夫はそれを知って怒った。知られたくないことを知られてしまった。プライドがズタズタにされた。ふむふむ、その気持ちも分かりますよね。
 接見禁止がついていないので、友人たちが次々に留置場に面会にかけつけてくれた。
 逮捕されて3ヶ月以上たって、ようやく保釈が認められた。保証金は250万円。つとめていた会社のほうは既に自己都合退職ということで辞めさせられていた。
 友人たちの力も借りて、ラッシュアワーの電車内を再現し、被害者の供述のとおりでは被告人が痴漢行為をするのは客観的に不可能だということをビデオテープにとった。
 ところが、本人が釈然としない思いがつのった。裁判所は信用できないところだという。それなら、そんな裁判なんか早く終わらせて人生を再建することが先決ではないのか。
 なーるほど、被告人とされた本人の心の揺れ動きもよく分かります。
 被害者の供述どおりでは痴漢行為は客観的に不可能だという点を立証するためには、被害者の供述調書を多くの人に読んでもらう必要がある。しかし、それは法律上問題があるということで、裁判官が弁護士に注意をしてきた。被害者の名前などを消して、その特定はできないように配慮しているのに、プライバシー保護をタテにとった「注意」だ。うむむ、難しいところだ。
 被告人にされた本人の友人たちは、キミの幸せを取り戻すことに協力してるんだ。無罪を勝ちとるために生活そのものが無茶苦茶になったらしようがないよな。
 なるほど、なるほど、そうなんですよね。実によく分かった人たちですね。
 東京地裁の法廷には傍聴オタク族がいるようです。それも、わいせつ事件だけを傍聴するオタク族が。被告人は、つい切れて文句を言ってしまいます。
 おまえは本当はやったんだろう。そんな罵声も浴びせられてしまいます。被告人が「もう生きていたって仕方がない」と何度も言っていたのを、ある朝、妻が起き上がれず同じセリフを口にすると、被告人が本当に子どもの首をしめはじめた。
 「死ぬのなら一家で死なないと、私が死んだら残された子どもたちはどうなる」
 妻は「やめて」と叫んで、夫を子どもから引き離した。大変な状況です。それほど追いこまれるのです。このくだりは弁護人の想像をこえるものです。
 がんばってがんばってようやくたどり着いた判決。なんと、懲役1年2ヶ月の実刑判決。うーん、重い。実刑判決を言い渡した裁判官(秋葉康弘)は、証人として出廷した被告人の妻とは一度も目線をあわせなかった。
 控訴審に向けて弁護団が大きく拡充された。元裁判官が3人も入った。弁護士というのはデザイナー以上にプライドが高く個人主義的なところがあり、被告はハラハラさせられた。9人も集まって、まとまらずに分裂してしまうのではないかと心配した。
 元裁判官の一言がいいですね。
 裁判官を飽きさせずに読ませる控訴趣意書をつくらなければ裁判は負ける。
 なーるほど、ですね。これから注意します。
 被害者が狂言ではなく、真犯人が別にいて、大人のオモチャでからかった。それを被告人がしたと間違って思いこんだ。そんな可能性が示唆されています。
 被告人が無罪を主張したとき、その無罪を立証するのがいかに大変なことなのか。被告人とされた家庭の苦労とあわせて、よくよく語られています。弁護士にも必読の本だと思いました。

その記者会見、間違ってます

カテゴリー:司法

著者:中島 茂、出版社:日本経済新聞出版社
 記者会見のすすめ方を具体的に手ほどきする実践的な本です。経営者や税務担当そして弁護士も読んで役に立つ内容になっています。
 危機管理広報において世間に仕えるべきポイントは三つ。謝罪と原因究明と再発防止。このなかで原因究明がもっとも大切。
 危機管理広報で最大の注意を要するのが、ウソをつかないこと。
 間違った報道をされたときには、間違った記事を書いた記者に対してきちんとした説明を尽くすこと。
 取材には極力応じること。記者も人の子、広報担当者が汗だくで必死に説明している姿には心打たれる。どのような状況でも、人間の誠実さは伝わるもの。
 訴訟が起こされたとき、訴えられた会社が「訴状をまだ見ていないのでコメントできない」というのはよくない。「訴状はまだ受けとっていないが、法に従って管理してきたものと考えており、そうした点をご理解いただくために誠実にお話し合いを続けてまいりました。それだけに今回の提訴に至ったことは残念です。今後は、以上のような当社の立場を法廷で主張してまいりたいと考えています」こんなコメントが望ましい。
 うむむ、なるほど、このようにしたらいいんですね・・・。
 記者会見には企業のトップが出るのが原則。弁護士は記者会見に同席すべきではない。早くも法的責任が問題になっているように誤解される恐れがある。
 記者会見の前にはリハーサルをする。練習に勝る不安解消策はない。想定問答集をつくる。記者が一番ききたいのは何かを考えて問いをつくること。
 記者会見の場所はゆったりと余裕のあるスペースとする。狭いところでは、緊迫した精神状態になりやすい。会場には記者と別の出入り口をもうけておく。
 答弁するとき、メモは最小限とし、Q&A、想定問答集がカメラでとられないようにする。説明するテーブルにはテーブルクロスをかけて足元は隠す。
 記者会見では見てくれが成否を決める。入場する前に身だしなみをチェックしておくこと。ダーク・スーツ、落ち着いた柄のネクタイ、スーツのボタンはかけておく。高級腕時計はしない。
 記者会見の模様は会社もVTRでとっておく。記者団を軽く見てはいけない。
 謝罪するときは、お辞儀した姿勢で5秒間は静止する。会見場に3人で出るときには、一斉に頭を下げる。101、102、103、104、105と100をつけて心の中で数えると、5秒間になる。お辞儀の最後で笑わない。最後まで緊張感をもつ。
 複数の会見者がいるときには、質疑のなかで、絶対にお互いの顔を見合わせない。万一、確認したいことがあっても、堂々と正面を向いたままいう。
 机の上でいろいろ手を動かさない。低い声でゆっくり話す。会見者は、どんな窮地に立たされても、いやな質問を出されても、誠実な話し方を崩してはいけない。自分たちの都合で、記者会見を途中で打ち切ってはいけない。
 私も弁護士会の責任ある立場にいたとき、記者クラブに一人で出かけて謝罪のための記者会見をしたことがあります。日頃、顔なじみの記者もいましたが、うって変わって厳しい質問が相次ぎました。私なりに精一杯こたえるようにしましたが、詳しい事情が私には分からないことも多く、そういうときには、すみません、その点は分かりませんとはっきり言いました。なかなか記者は解放してくれませんでしたが、私のほうから席を立つことだけはしまいと思い、幹事社の記者が終わりましたと言ってくれるまで、じっとカメラのライトに照らされて坐っていました。2回とも一人で45分も集中砲火をあび、終わったときにはさすがにぐったり疲れました。

プロ弁護士の思考術

カテゴリー:司法

著者:矢部正秋、出版社:PHP新書
 一度もお会いしたことはありませんが、国際弁護士として活躍中の著者の本は、いつも大変学ばされる内容であり、感服しています。
 考えることは戦いである。自主独立の気概があれば、難問も必ず解決できる。自分で考えるためには、どんな場合でも、まず事実を確認し、根拠を吟味することが大切である。
 ときに近くを見て、ときに遠くを見る考える遠近法こそが、自由自在に考えるために必要である。うーん、なかなか鋭い指摘ですよね。
 すべての契約には個性がある。契約は一回的である。依頼者の立場、売主か買主か、貸主か借主か、ライセンサーかライセンシーかなどを考慮し、依頼者に有利なように契約をつくりあげるのが弁護士の役目。契約は、しばしば書類のたたかいと言われる。
 インターネットでサンプル契約を集め、適当に取捨選択して契約をつくる若手弁護士が多い。これでは自分の考えがない。検索上手だが、考え下手の弁護士が増えている。ビジネスとオフビジネスのメリハリをつけた生活をすると、仕事のストレス感は減るし、簡単に気分転換ができるようになる。何よりも、オフ・ビジネスの楽しみがあると、仕事中も忙しいと感ずることが少なくなる。
 ビジネスの世界は利害打算を基本とする。いわば灰色一色のモノ・トーンの空間である。一日中、仕事に密着していては、伸びきったゴムのようにもろくなり、切れてしまう。
 弁護士の重要な資質のトップとして、オプションの提案力があげられる。オプションの有無は仕事の品質に決定的影響を与える。日本の弁護士は伝統的に一つの正解を依頼者に提示してきた。しかし、外国の依頼者は、そのような考えを嫌う。弁護士は最低三つのオプションを提示すべきだ。弁護士はあくまで選択肢を提供し、経営者はその是非を検討して方針を決める。
 オプションが多いほどビジネス交渉では強い立場に立つことができる。選択の自由があるとき、人は最大の自由を得ることができる。自由はオプションの中にしか存在しない。オプションは自由を意味する。うむむ、これにはまいりました。私も伝統的なやり方でやってきました。考え直さなければいけないようです。
 常識的なオプションだけでは、ほとんど役に立たない。必ず極論も考えることが必要。極論は、大胆な発想をするための突破口となる。極論を考えるのは、現実から一歩身を引き、現実を冷静に観察するよい方法である。極論を考えられないというのは、権威や権力に迎合し、伝統・因習・常識に毒されているからだ。これらは、思考を暗黙のうちに束縛している。
 多くのものにあたって失敗し、その中からよいものを見つける。試して失敗したときは、失敗の原因を考え、あとに役立てる。日々の生活のなかで小さな実験と小さな失敗をくり返し、成功への法則性を見いだす。失敗から学ぶ習慣を身につけると、失敗を恐れなくなるという大きな副産物を得ることができる。
 法律家は、新人から中堅、ベテランになるにしたがって、権威や常識に対して健全な懐疑心をもつようになる。権威や常識を疑うかどうかが、法律家の成熟度を示す目安だ。疑うときに疑わず、疑うべきときに疑うのが若手に共通する欠点だ。
 天の邪鬼は小うるさく扱いにくいが、みずからの目で時代を分析する創造性と可能性をはらんでいる。異質の意見こそ社会にとって貴重だ。
 そうなんですよね。まあ、私自身も天の邪鬼だと周囲からは思われているのでしょうね。テレビは見ないし、ゴルフもカラオケもしないし、芸能界ともスポーツ界とも、とんと無縁の生活を送っていますからね。でも、本人は、いたってまともな人間のつもりなんですが・・・。
 上申書とは、上級の官庁や上役に意見を申し述べること。弁護士と裁判官は上下関係にないから、おかしなタイトルだ。私も、ずいぶん前から上申書というタイトルはつけないようにしています。
 まじめな弁護士は紛争の解決がたいてい下手。法律家は、美徳の中に悪徳を見い出し、悪徳の中にも美徳を見い出す複眼が必要だ。
 ふむふむ。なーるほど。大いに勉強になりました。

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