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カテゴリー: 人間

赤ちゃんは世界をどう学んでいくのか

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 奥村 優子 、 出版 光文社新書

 赤ちゃんは、とても愛らしい存在です。丸い顔に、ふっくらほっぺ、そしてつぶらな瞳なので、じっと見つめられると、思わず抱きしめたくなります。そんな赤ちゃんですが、他人を思いやる心があり、計算もできるというのです。本当でしょうか・・・。

 赤ちゃんは、数を認識し、足し算ができる。悪い者と良い者を区別し、正義の味方を好む。優しい心を持ち、自分のお菓子を他者に分け与えることに喜びを感じる。アイコンタクトをとる相手から積極的に学び、高度な学習能力をもっている。

 早期からの英語教育は必ずしも必要ではない。

赤ちゃんは、人の表情の変化に反応する。6ヶ月の赤ちゃんは、人の顔だけでなく、サルの顔も区別できる。

 先日、新聞に北九州の動物園にいる91頭のカンガルーの顔を飼育員は全部見分けられるという記事が載っていました。宮城の金華山にいる野生の鹿を研究員は見分けていて、母娘であることも一目で分かるそうです。1年間もじっと見つめていると、識別できるようになるのですね・・・。そういえば、アメリカ人は日本人の顔はみな同じに見えると聞きました。

 サルは「サル真似」ができない。模倣は得意ではない。しかし、人間は赤ちゃんのときから模倣が得意。それは、模倣が他者とのコミュニケーションや学習において重要な役割を果たしているから。そのうえ、赤ちゃんは、意図を読みとり、合理的な判断をもとに模倣している。

 赤ちゃんは、新しいもの、動物について学ぶときには、フォーマルな服装の人物から教わろうと選別している。

 赤ちゃんは、信頼できる他者を選び、優先的に学習する。

赤ちゃんは、他者にお菓子を与えるときのほうが、より大きな喜びを感じている。

 赤ちゃんは、他人の苦しみに反応する。生後10ヶ月の赤ちゃんが、いじめられている相手に原初的な同情的態度を示す。

 赤ちゃんは人助けが好き。赤ちゃんは1歳のころから平等な分配を好む。赤ちゃんは弱者を助ける正義の行為を肯定する傾向がある。

 疑問文を頻繁に使う養育者の子どもは、より多くのコトバを習得する。

人間がコトバという最大のコミュニケーション手段をどのように獲得していくかを解明することは、最新のコミュニケーション技術の開発に役立つ。つまり、赤ちゃん研究は、人類の技術の発展に深く関連している。

赤ちゃんがコトバを学ぶには、人との関わりあいが必要。ビデオ映像や録音だけでは、赤ちゃんは難しい。仲間と一緒に学ぶと、映像からより多く学べる。

 この本は、このような赤ちゃん学の到達点を教えてくれるのですが、それに至る研究・実験の方法を紹介しています。みんな、なるほど、そうするのか・・・というものでした。ぜひ、あたってみて下さい。大変勉強になる、最新の赤ちゃん学を紹介する新書です。

(2025年6月刊。920円+税)

東洋医学はなぜ効くのか

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 山本 高穂・大野 智 、 出版 講談社ブルーバックス新書

 私は2ヶ月前から、ハリ治療に通っています。その抜群の効果に目が覚める思いなのです。きっかけは、ギックリ腰に近い症状が出たことによります。それまでは整体マッサージに通っていたのですが、腰の神経あたりがピリピリに来ていましたので、これはハリ治療が良さそうだと自分で判断したのです。ハリ治療を受けるのは初めてではありません。

小一時間、じっと横になり、主として手足にハリ治療してもらいました。ときに少しばかりチクッとするくらいで、痛みはまったく感じません。恐らく、うつらうつら夢見心地だったと思います。えっ、もう終わったの・・・。と思いました。でも、車を運転して帰る途中から体が軽く感じられるのです。家にたどり着いたときには、腰のピリピリ感は嘘のように消えてしまっていました。それ以来、月に1回以上はハリ治療を受けています。なにしろ全身が軽くなるのです。これはたまらない快感です。

 というわけで、この本を読んでみました。私はもともと基本的に西洋医学の薬は服用しない主義です。毎週プールで泳ぐようになってから風邪をひくことはありませんので、風邪薬を飲んだことはありません。頭痛もちでもありませんから鎮痛剤も無用です。疲れたと思えば早く寝るようにしています。

 今では鍼灸(しんきゅう。ハリ治療)は、アメリカでも公的な医療保険の対象になっている。ドイツやイタリアでも数万人の医師が鍼灸を施術している。フランスではやっていないのでしょうか・・・。

 人間の身体には、361種のツボがある。不思議なものですが、私のハリにも、手と足のツボに打たれていると思います。末梢神経に刺激があると、全身が活性化するのではないか、私は素人ながらそう実感しています。

鍼灸によってドーパミンの分泌が促されると、意欲や幸福感が改善する。しかし、多すぎると、依存症になってしまう。このバランスをとるのが難しいのです。

鍼灸治療の多くは、体質上、自律神経反射のメカニズムを上手に利用して、症状の改善を図っている。そのうえ、私の鍼灸師は、最後の仕上げに私の上半身をそっとなでまわすのです。この本によると、痛みなんか全然感じない程度のやさしい刺激でも効果は得られるとしています。きっと、そうなんだと私も実感をもって語ることが出来ます。痛めつけられる快感というのもありますが、ツボをそっとやさしく刺激するのでも十分な効果はあるというわけです。本当に、人間の身体は不思議に満ち満ちています。

 足の膝下にある「三里のツボ」を刺激するのも効果があるようです。私もしてもらっています(と思います)。

 この本は昨年5月の発刊以来、本年(2025年)1月には第8刷というからすごいものです。それほど、人々が東洋医学に注目しているということですね・・・。

(2025年1月刊。1210円+税)

「痛み」とは何か

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 牛田 享宏 、 出版 ハヤカワ新書
 突然、腰が痛くなりました。自覚的には何の出来事もなく、何の予兆もありません。ギックリ腰のようです。長い時間、椅子に座ってパソコンを眺めたり、書きものをしていて、立ち上がろうとすると、腰に嫌な痛みが走ります。そばに何かあると、それを手でつかんで、よっこらしょという掛け声とともになんとか立ち上がるのです。歩くのは何ともありません。トイレも便座に腰かけたあと立ち上がろうとすると傷みます。
そこで、私は、こんなときはハリだと思って出かけたのです。わずか40分間ほどでしたが、終って鍼灸院を出るとき、何事もなかったようにスッキリしていました。いやあ、すごいものです。ハリがこんなにも速効性があるとは、とても信じられませんでした。
脊髄は、首から腰までつながっている、大きな神経のパイプラインのようなもの。脳からの信号を手足に伝えて動かしたり、逆に手足の感覚を脳に伝えたりする役割を果たしている。なので、脊髄を損傷すると、下半身が動かなくなり、ずっと車イス生活になる人がいる。
先天性無痛無汗症という珍しい病気がある。まず、温度の感覚や発刊障害が起こる。なので体温調節がうまくいかない。そのうえ、全身の痛みを経験できない。すると、痛みを感じないので、知らず知らずのうちに、自分の身体を傷つけてしまう。したがって、逆に言うと、痛みを感じることは、ヒトの生体防御機構にとって大切なこと。体の異常をいち早く検知し、健全な身体を保つために不可欠のものだということ。
 痛みとは何なのか…?痛みの定義は、実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する。あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験というもの。
 このとき、感覚ニューロンの活動だけから痛みの存在を推測することは出来ない。
日本人の人口の15%ほどが中等度以上の身体の痛みを半年以上もっているとされる。
痛みのメカニズムには3つある。その1は、実際にケガが生じて引き起こされるもの、その2は、痛みを伝える神経系が傷ついて痛くなるもの、その3は脳が過敏になって痛みを感じやすくなるもの。
 「熱い」と「痛い」は、神経メカニズム的には同義。
 痛みは、手足の末梢から脊髄へ、それから脳へと伝言ゲームのように情報が伝達されて経験するもの。乳幼児は、母親の反応によって、「痛み」のもつ意味を初めて学習する。
 過度に安静にする傾向のある人のほうが、概して痛みを強く訴えているケースが多い。
関節リウマチには、適切な治療薬(メソトレキセート)があり、今では不治の病ではなくなった。
五十肩など、関節を動かすと痛がるような患者には睡眠障害が必ず起きる。そして、眠れないと、痛みが増してしまう。
 抗うつ薬は、痛みに対して効果がある。うつ状態が改善されると、患者の痛みに対する耐性も向上する。
1日に少しずつでもがんばって運動を続けていくと、必ず体力は強化される。
 痛みというものは客観的に定まったものと思っていましたが、案外つかみどころのないものだということがよく分かる新書です。
(2025年4月刊。1320円)

高所綱渡り師たち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 石井 達朗 、 出版 青弓社
 30年以上も前のことですが、ナイアガラの滝を、アメリカ側とカナダ側のそれぞれから2回、訪れたことがあります。大変なスケールの滝で、圧倒されました。この滝にロープを渡して綱渡りをした人が何人もいるようです。
 一番最初は、1859年6月30日で、フランス人のブロンディン。
 峡谷の幅は335メートルあり、そこに396メートルのロープが設置された。ロープは直径8.3センチの麻綱。ロープの巻き上げ機などない時代なので、人力で張ったので、ロープの中央部分は陸地に固定された箇所より15メートルも低かった。つまり、ブロンディンは、水面から53メートルの高さからロープを歩き始め、38メートルの高さまで、ロープを下っていく。そして、そのあと、再び53メートルの高さまで昇る。
バランス棒は長さ11.6メートルある。ブロンディンは身長163センチ、体重は63キロ。安全対策など何もなく、命綱はない。バランス棒だけが命の綱。行きは15分、帰りは7分で渡り終えた。見物人は8千人ほど。収入は250ドルであり、ロープ代だけで350ドルかかったので、完全な赤字。それでもナイアガラの滝で綱渡りした男として高く評価された。世間は、ブロンディンが単なる奇人・変人ではなく、畏怖すべき曲芸師だと認めた。
 女性もナイアガラの滝の綱渡りに成功している。イタリア生まれのマリア・スペルテリーは1876年7月、23歳の若さだった。ロープの上を後ろ向きに歩いたり、目隠しをしたまま歩いたり、また桃を入れるバスケットを足に固定させたり、いろいろな技も見せている。
 バランス棒はロープが揺れたときに身体のバランスを保つために必須のアイテム。バランス棒なしの、素手で渡るのは不可能ではないが、相当に難易度が上がる。日本の曲芸師は、棒をもって渡るのを「カンスイ」といい、手に何も持たないで渡るのは「素渡り」という。
曲芸師が、ロープからわざと落ちて、とっさに片腕でロープをつかみ、ロープにぶら下がる。そして、やおらロープの上に体を持ち上げ、ロープに座る。
 野外の高所での綱渡りする者にとって、予期せぬ突風は最大の敵となる。ワイヤーの質、その設置方法、バランス棒、綱渡り師の体調など、すべてが完璧であったとしても、予期せぬ突風に突然襲われたら、大変危険。うむむ、こればっかりは自然の脅威ですからね…。
 「七人のピラミッド」を演じている様子の写真がありますが、見るだけでハラハラさせます。
 七人は文字どおり運命共同体。ワイヤーの上に四人、その上に二人、その上に一人。
 三層で、「四一二一一」という体勢をつくる。一本のワイヤー線の上に全員が乗っているので、一見すると平面的。しかし、生で見ると、いかにも立体的。七人全員が長く両端がしなっているポールを持っている。七人のバランス棒は、七本が同じように動くのではない。各自が自分の体のバランスと自分の位置でのバランスを微妙に調整し、かすかに波打つようにポールを揺らしながら進行する。いちばん上の女性は、椅子の上に座ったままポールでバランスをとっている。
 この芸を17日間に38回もやり遂げた。すごいですね。1997年のことのようです。
2001年、倉敷チボリ公園では、「八人のピラミッド」を成功させたのでした。いやあ、信じられません。私は、現地で、観たくなんかありません。だって、生(なま)だと、失敗したのを目撃しかねないじゃありませんか。目の前で人が死んだり、大ケガしたりするのを見るなんて、私には耐えられません。
 9.11でテロ対象となった世界貿易センターも高所綱渡りの場になったようです。いやはや、なんと恐ろしい…。よくぞ調べあげたものだと感心しました。
(2025年4月刊。3740円)

淀川長治

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 北村 洋 、 出版 名古屋大学出版会
 「では、また来週お会いしましょうね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」
 「日曜洋画劇場」(東芝)の最後に登場する、白髪のおじさんとして、淀川長治はすっかり全国の茶の間でおなじみでした。このテレビ番組は、なんと32年間も続いたそうです。信じられない、とんでもない長寿番組です。
 淀川長治は1909年4月の生まれで、89歳で亡くなりました。映画会社の宣伝員、雑誌編集者、著述家、批評家、ラジオのパーソナリティと、マルチ人間でした。
 小学生のときから、一人で映画館に行っていたというのですから、恐れ入ります。
 本人は、13際のとき映画を本気で愛し、16歳のときは映画で生きようと決意したと言うのです。本当に、そんなことがあるんですね。
淀川長治は、来日したチャップリンにも面会している。1936年の2度目の来日のときのこと。
 淀川長治は1933年、アメリカの映画会社(ユナイト社大阪支社)に入社し、3年後には宣伝部長になっている。そして、東京に転勤して、日本支部の宣伝部長となった。そして、アメリカの西部劇「駅馬車」の宣伝を担当。前宣伝には小津安二郎(日本一有名な映画監督)をも巻き込んで、大評判をとった。戦前最後のヒット作品だった。
 日本敗戦後、淀川長治は再びアメリカ映画を扱った。ところが、一般には好評だった「カサブランカ」を「ちっともいいとは思えない凡作」だとみた。「社会性」の見えない映画に淀川は不満だった。
 淀川は映画批評家として、誰にも分かる読みやすさを重視した。平易なコトバを多用し、文に流れをつける努力をした。そして、一般の映画ファンの立場から映画を批評した。淀川の映画評はリズムのある文章だった。
 日曜日の夜9時、「日曜洋画劇場」が始まると、白髪のちらつく丸顔の男性が登場する。リハーサルは1度だけ。その後、すぐ本番。毎回の収録はピタリ4分30秒。NGが出たことはない。いやあ、これはスゴイことです。まさしく神業(かみわざ)ですね。
 家族とともテレビで映画をみて楽しむ。そのため、前説(1分)、後説(1分半)、予告(1分)を淀川は担当した。
 「ハイ、みなさん今晩は」(前説の冒頭)、「それでは、あとでまたお会いしましょう」(前説の末尾)、「ハイ、いかがでしたか」(後説の冒頭)。そして、最後は「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」。
 親しみやすい語り手。しかし、猛烈な早口で、内容を盛り込んだ。もう、映画が好きで好きでタマラナイっていうのが分かるのがいいというファンが大勢いた。
 淀川長治は日本映画を観ていないわけではない。たとえば、『二十四の瞳』は絶賛している。そして、山田洋次の「男はつらいよ」シリーズにも好感を持っている。さらには、「砂の器」も惚れ込んだ。
 偉大な映画狂(フランス語ではシネフィルと呼びます)の一生を駆け足でのぞいてみた気分になりました。
(2024年12月刊。4950円)

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