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カテゴリー: 中国

中国青銅器入門

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 山元 堯 、 出版 新潮社
 今から3千年ほど前の中国でつくられた殷周(いんしゅう)青銅器を写真とともに解説している本です。
 京都市(左京区鹿ヶ谷)にある泉屋(せんおく)博古館(私は残念ながら、まだ行ったことがありません)には、世界有数の殷周青銅器のコレクションがあるそうです。ぜひ、一度行って鑑賞したいものです。
 殷周青銅器には、ときに過剰なまでの装飾がほどこされている。ところが、実は、かなり細やかな用途が想定されていて、各用途に応じた高い機能性が備わっている。ええっ、でも、そんな「細やかな用途」なるものは後世の私たちの想像にすぎないのではないのか…、そんな疑問が持ちあがります。ところが、器種カタログを眺めると、いや、そうかもしれないという気になっていきます。
さまざまな漢字、日本には入ってこなかった漢字によって、その名と体が表現されています。ここで、紹介できるのは、せいぜい「かなえ」(鼎)くらいのものです。この「かなえ」は、肉入りスープを煮るもの。青銅器祭祀の中心的役割を果たす器として多くつくられた。
 殷周時代の儀式やもてなしで用いられた酒は、香草の煮汁で香りづけをした「においざけ」だった。香りをつけた酒は、次に温める器へ移され、燗(かん)をつけて香りをさらに引き立たせる。温められた酒は、最後に、飲酒器に移され、それを参列者が恭(うやうや)しく口をつけて飲む。
 酒は、甘酒のような粘性の高い酒をスプーンですくって飲んでいた。
 酒を飲むときには、音楽の演奏がともなっていた。
 殷周時代はもとより、青銅製の楽器は釣鐘(つりがね)の類だった。鐘(しょう)や鎛(はく)と呼ばれた。私も、中国への旅行団に参加したとき、この楽器のミニチュアを買い求めました。今も我が家にあります。
 さまざまな動物たちの姿・形に似せてつくった青銅器があります。ニワトリ、ミミズク、象、ラクダ、水牛などです。もちろん、神獣ではありません。
 庭にある池をのんきに泳いでいる蛙(カエル)の姿も彫られています。
 この本には、「金文」を読み尽くす取り組みも紹介されています。
 金文というのは、鋳(い)込まれた文字のこと。学者がちゃんと読めるなんて、すばらしいことです。
 そして、金文の復元にも挑んでいます。
 それにしても、今から3千年も前に、この世のものとは思えないような奇怪な獣をかたどった造形には、ただひたすら圧倒されてしまいます。
 古来、中国には、優れたものを「キメラ」として表現する伝統がある。
 殷周青銅器をつくった工人たちは、自然界のありとあらゆるものを注意深く観察し、ちょっと見ただけでは気がつかない特徴を正確にとらえ、器の上に表現している。たとえば、虎の瞳孔は、縦長ではなく、正しく丸く描かれている。
青銅器に描かれた文様のすばらしさは、3千年という年月を感じさせません。それにしても、青銅器入門というのですから、まずは現物を見てみなくては始まりませんよね…。
(2023年1月刊。税込2200円)

天路の旅人

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 沢木 耕太郎 、 出版 新潮社
 第二次大戦も終りかけていたころ、中国大陸の奥深く まで単独潜入した日本人「密偵」がいました。その行程をたどった本です。もっと古く、チベットへの潜入に成功し、無事に日本に帰還した日本人(川口慧海(えかい)を思い出しながら読みすすめました。
 なにしろ、日本人だとわかれば、密偵だということまでバレなくても生還は難しい状況でした。それを、日本人であることもバレないようにして隊商や僧侶たちにまぎれこんで旅行するのです。その勇敢さには驚嘆するばかりでした。
著者は 『秘境西域8年の潜行』(中公文庫)を本人への取材で裏付けながら、詳細に明らかにしています。
 密偵を志願した西川一三は修猷館中学を卒業したあと、進学せず、満鉄に入社。この満鉄も入社して内部を知ると、学歴・学閥がモノを言う世界だったので、入社して5年後に退社。そして、興亜義塾に入った。
 西川は、中国奥地へ旅立つとき、6千円のお金とアヘンをもらった。
 そして、まずはゴビ砂漠へ向かう。同行するのは、3人の蒙古人ラマ僧だけ。
 中国の奥地を長期にわたって移動するのは、遊牧民か、商人か、巡礼者の三種類しか存在しない。 そこで西川は、蒙古人のロブサン・サンポーという名の人間になった。
夕食は、まず羊肉を煮て食べ、その汁に小麦粉の団子状のものを入れてスイトンをつくる。味付けは薄い塩味だけ。食事が終わると、すぐ眠る。蒙古人の旅の寝具は、着ている毛皮の服。
 蒙古で死者は風葬。死体を谷間に捨てると、二日後には、すっかり白骨化している。犬とカラスとハゲタカによってきれいに食べられてしまう。
 蒙古人でも高貴な人については、火葬しても空気を汚すことはないとされ、火葬されている
 蒙古人のラマ僧は、経文に使われているチベット語は、いくらか読めるけれど、自分たちの言葉である蒙古語は、書かれた文字に接する機会がないため、読めない者が多い。
 ラマ廟における唯一の性である男色においては性器の挿入が行われない。なので、男色では性病が伝染しにくい。だから、ラマ僧で性病にかかっているとうことは女性との性交渉をしていることを告白しているようなもの。
 蒙古人は、どんなに多くのラクダがいても、自分のラクダは簡単に見つけることができる。
 ラマ僧の食事は、つつましい。朝は、茶とツァンパかボボを食べる。ツァンパとは、麦焦(こ)がしのようなもの。大麦の一種である青祼(せいか)を挽(ひ)き、粉状にして炒(い)ったもの。
 蒙古人は立ち小便をしない。しゃがんで小便する。
 西川が戦後の日本に帰り着いたのは1950(昭和25)年6月のこと。
 西川は日本に戻ってからも、寝るときは、敷物を敷いて毛皮の服をぬぎ、それを掛け布団がわりにして、猫のように丸まって寝ていた。
 すごい日本人がいたんだなあ、とても真似するなんてできません。冒険そのものの旅だったことを否応なしに確信させられる本です。
(2023年1月刊。税込2640円)

読切り・三国志

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 井波 律子 、 出版 潮文庫
 「三国志」と「三国演義」と二つあるうちの史実を中心とする「三国志」をベースとしながら、小説の「三国演義」にも目を向けて話を補足した本です。
 「三国志」の世界は、後漢王朝(25~220年)が乱れたところに始まる。
 後漢王朝は皇后の一族である外威と、後宮(ハーレム)を支配し、皇帝に近侍する宦官(かんがん)との争いに明け暮れた。そして、黄巾(こうきん)の乱れが起こり、董卓の乱となり、そのあと、群雄割拠の時代となった。
 「三国演義」は小説として、蜀を正統視し、劉備を正義派・善玉に、曹操を敵(かたき)役、悪玉に仕立てあげた。私にも、それは、すっかり刷り込まれています。
 ところが、この本では曹操について、権謀術数に長(た)けていたが、決して邪悪の権化というような単なる悪玉ではない、超一流の軍事家であり、政治家であり、おまけにすぐれた詩人だったとしています。そして、劉備や孫権とは段ちがいの傑物だと高く評価しています。これでは、考え直さないといけませんね…。
 曹操の周囲には、強力な頭脳集団、ブレーンが存在し、曹操のほうも彼らの意見に真剣に耳を傾けた。
 劉備は曹操より7歳下。劉備は勉強嫌いで、派手な服装を身につけ、堂々たる風格の持ち主だった。
 曹操が大胆かつ豪快な性格、切れ味鋭い頭脳の冴えとうらはらに風采のあがらない貧相な小男だったのに対して、劉備は身長180センチ、目立つ偉丈夫だった。ひと目見るなり、人を惹きつける魅力があった。
 劉備は、謙虚な人柄で、人によくへりくだり、口数は少なく、喜怒哀楽を表に出すことがなかった。天下の豪傑を好んで交わり、大勢の若者が競って劉備に近づいた。周囲の人物を奮起させ、輝かせる不思議な力が劉備にはあった。関羽や張飛という荒くれ武者が劉備のために死力を尽くしたのは、劉備の人柄の魅力だろう。
 元はワラジ売りだった劉備がのしあがっていく過程においては、右往左往し、戦いに明け暮れる日々があった。
 関羽は忠義一徹、一度たりとも信義に違うことはなかた。関羽も張飛も、いつどんな状況になっても、主君である劉備との間に、決して裏切ったり、裏切られたりすることのない、絶対的な信頼関係が成り立っていた。
 そうなんです。ここに「三国志」の大きな人気の秘密があると私は思います。
 私は小学生のころは、図書室で世界の偉人の伝記に読みふけりました。中学生のころは山岡荘八の『徳川家康』に没頭しました。そのころ、同じく『水滸伝』と『三国演義』の世界にはまったように思います。読書に楽しさ、深さをじっくり堪能し、以来、今日に至ります。
 昨年1年間で読んだ単行本は440冊です。コロナ禍前の年間500冊には達しませんでしたが、これは、ZOOMのせいです。こちらは出張したくても、来るな、行くなというプレッシャーがかかって身動きとれませんでした。移動の車中・機中を主とする読書タイムを確保できなかったのです。今ようやく少しずつ本調子に戻りつつあるところです。
 関羽は、単純明快、何の駆け引きもなく、うらやむべき健康な精神をもっている。同世代の人間が関羽にやっかんだのも、ある意味では当然のこと。ところが関羽は、商人の信仰の対象になった。不思議なことです。ないものに憧れるということなのでしょうか…。久しぶりに中国の古典の世界に没入して、楽しむことができました。ありがとうございました。
(2022年8月刊。税込1210円)

私が出会った日本兵

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 方 軍 、 出版 日本僑報社
 日本人が一人で外国人と接するときは、きわめて普通。アメリカ人やアルゼンチン人など他の国の人々と同じように、親切で、気軽に声をかけあい、相手への理解を示し、自然で、同情心や正義感を持ち合わせている。しかし、集団になると、国籍をもった「日本人」に変わる。何をするにも集団の意志に従い、あるいは別の人の顔色をうかがいながら行動するようになる。
 1931年から1945年までに合計450万人の日本兵が中国の土地を踏んだ。この14年間に、中国で殺され、負傷し、捕虜になったのは154万人。中国で投降した日本人兵士は128万人。これに対して、中国の一般民衆の死傷者は3120万人で、軍隊の死傷者は380万人。日中戦争で中国側が蒙った経済損失は6千億ドル。
 ドイツは戦争賠償金として1千億マルクを支払った。これに対して、日本は18ヶ国に対して6566億円しか支払っていない。ケタ違いに少ない。
 日本の満蒙開拓団31万人は、東北(満州)の荒れ地を開墾してやった…。とんでもない嘘です。既に中国人(満州人も漢人もいた)が開拓して農地にしていたところに、関東軍などが有無を言わさず安く買いたたいて占拠し、現地農民を追い出したのです。フェイク・ニュースに乗せられてはいけません。
 八路軍は平素から訓練を積んでいて、勇敢で頑強、夜戦に強く、移動は風のように速かった。八路軍は巧妙に立ち回って日本軍の気勢をそいだ。少ない人数で、もっと規模の小さい日本軍の部隊をやっつけ、すぐに他の場所に移動していく。
 情報は戦争の分野でも、経済の分野でも重要なカギを握る。
 中国大陸で日本軍は本当に残虐な行為をしたのか…。そんなことはしていない、してほしくもない。そんな思いと、残虐に加担した兵士たちは一切口を閉じたままだった。なので、国内にいた日本人に対して日本軍の残虐行為が語られ、明らかにされることはなかった。
 中国に渡った日本軍兵士だったという人たち300人にインタビューしてこの本に成果となってあらわれたのでした。今から20年以上前に刊行された貴重な本です。中国の人々と仲良くするためにも、日本人が中国で残虐な行為をした事実から目をそむけてはいけないと、つくづく思います。
(2000年8月刊。税込2090円)

黒い雪玉

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(霧山昴)
著者 加藤 三由紀 、 出版 中国文庫
 日本との戦争を描く中国語圏作品集です。読むと、戦前の中国で、日本人は本当にひどいことをしたことがよく分かります。
 加害者だった日本人は、帰国してから、加害の事実をほとんど語ることがありませんでした。日本では、ほとんどの人が良き夫・良き父そして良き隣人でしたから、まさか中国で悪虐非道をし尽くしたなんて、誰も思わなかったのです。こんなに善良な日本人が、非道いことをするはずがない…。でも、被害者のほうは忘れることができません。当然のことです。日本の憲兵に連れていかれて唐辛子水を流しこまれるよりは…。
 しょっちゅう遊撃隊が列車を急襲し、日本人の奴らを殺していた。線路から1メートルほどのところに、たくさんの日本軍将校の殉職記念碑があった。日本軍の将校が死んだ仲間の記念碑を見たとたん、乗客に恨みをぶつけ、口実を設けて中国人をやっつけ、傷つけた。日本軍将校は違法な商品を検出したとの理由で列車を強制的に停車させた。
 日本人と傀儡(カイライ)軍が村に来て、名指しで村人を捕まえ、本人がいなければ、その家を焼き払った。村人には、とうに知らせてあったので、損失は小さかった。
 ひっきりなしに変装しては県城へ行き、そのたびに情報を持ち帰り、村人は、そのたびに災難を逃れた。八路軍も情報を速やかに得て、的確に伏撃した。
 「ねえ、日本人はどうして中国へ来るのかな。来なければいいのに。来るからやっつけなければいけない。来なければ、手間がかからないのにね」
 これは10歳の中国人の男の子のコトバです。そうなんです。日本兵は中国では災厄をもたらす悪の権化でしかありませんでした。
 編者(日本人女性)が1986年5月に山西省の山中の村に行くと、たちまち村の男に囲まれ、必死の表情で訴えられた。きつい方言のため編者は聞きとれず、案内の人が囲みから外へ出してくれた。残って村人の話を聞いた人によると、村人たちは日本兵に父や兄と斬殺されたことを訴えたのに加えて、その後の苦難な日々を訴えたとのこと。日本兵による略奪と虐殺によって飢餓に襲われ、村の人口が回復するのに15年かかったというのです。なにしろ、3日間のうちに300人もの村人が日本兵によって殺されたのでした…。
 この本の編者あとがきに紹介されている話です。日本人は、過去に先人がした事実にきちんと向きあう必要があることを改めて痛切に感じました。
(2022年8月刊。税込4180円)

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