法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 中国

不愉快な現実

カテゴリー:中国

著者   孫崎 享 、 出版   講談社現代新書
 サブタイトルは、「中国の大国化、米国の戦略転換」となっています。
日本がいつまでも対米従属一辺倒でいるうちに、アメリカは日本より中国を重視する政策に変わっている。それなのに、日本人はいつまでも、いざとなればアメリカが日本を守ってくれるなどという幻想に浸っている。
こんなことを厳しく警告している貴重な新書です。ぜひ、手にとってお読みください。私は、著者の話で一度じかに聞きましたが、まことに説得力のある話でした。
 著者は外務省に入って各国の大使館につとめたあと、イラン大使、そして防衛大学で教授をつとめています。ですから、決していわゆる左翼ではないのです。
 日本は、これまで外交、安全保障の分野で極端な対米従属をしてきた。対米従属で日本経済は本当に潤ってきたのだろうか・・・?
 実は逆である。日米関係を強固にする努力を続ければ、日米の反映があるという定説は、過去20年の日本に実は、まったくあてはまらない。事実でないことを、日本人はなぜ20年間、魔法にかけられたように、頑なに信じてきたのだろうか。
 今日、アメリカは、日本より中国をより重要と判断している。我々日本人には、中国が超大国になる。ましてアメリカの上にいくという事実を認めたくない。これが、今も無意識のうちに働いている。
 中国市場がどういう市場であれ、ここで勝利を収められない企業は、もはや世界市場で勝ち残れない。グローバル企業を目ざすなら、中国市場で戦うしかない。
 キッシンジャーは日本人を戦略的にものを考えない人たちと蔑視してきた。アメリカのクリントン長官にとって、普天間基地を辺野古に移転するかどうかは、不動産屋のような問題であり、知的刺激は何もない。だから、彼らは日本人と話したがらない。
中国の全体的な戦略国において、日本の重要性は甚だしく縮小した。
 米軍にとって在日米軍基地の最大の利点は、日本政府の財政負担である。日本政府は「思いやり予算」という各目で、基地経費の75%から80%近を補填している。アメリカの財政状況が厳しい折、これだけ魅力のある場所はない。
 中国の輸出金額はGDPの27%近い。今日の中国経済は輸出に依存している。したがって、冒険的対外政策をとって自国の輸出市場を失うことを避ける必要性は他の国に比べても高い。
 現在、アメリカは中国の軍事力増強を注意深く観察しつつ、しかし、政策としては協調路線を追及している。
 尖閣諸島近辺で日中刊の軍事衝突が起こったとき、日本が勝つシナリオはない。そんなとき、中国は戦闘機330機、駆遂鑑16隻、潜水艦55隻を動かせる。日本の自衛隊は、とてもこれに対抗できない。
 中国の一般市民の経済水準はアメリカの4分の1であるが、国全体としてみると、中国のGDPは世界一である。
 日本には、首相がいくらもがいても、政界、官界、経済界、マスコミにはアメリカに従属するシステムができあがっている。
 そうなんですよね。いつまでたってもアメリカの忠犬みたいに尻尾を振りつづける自民そして民主党政権と経済界中枢にはほとほと嫌気がさします。もっと日本人としての自立心をもてよと叫びたいところです。
(2012年3月刊。760円+税)

曹操墓の真相

カテゴリー:中国

著者  河南省文物考古研究所  、 出版  国書刊行会 
 『三国志』に有名な曹操のお墓が発見・発掘されたというニュースは、日本でも大きな驚きをもって報じられました。2009年のことです。
 曹操は216年に漢の献帝により魏王に封ぜられ、220年春の死後、魏武王の諡(いな)を得た。曹操は赤壁の戦いでも有名ですよね。映画『レッドクリフ』は、そのイメージをよく再現していました。
『三国演義』では曹操は奸臣(かんしん)として描かれている。旧劇の舞台でもおなじく奸臣とされたため、曹操のイメージは固定している。ところが、毛沢東は曹操を高く評価して名誉回復に努めた。曹操の詩を好み、その気魄が雄大で情緒豊か、宇宙を呑吐する様を好んだ。毛沢東は、「曹操は素晴らしい政治家、軍事家であり、また素晴らしい詩人でもある」と評価した。
曹操は古くからの部下を封賞して抜擢すると同時に、新たに優秀な人材を招聘し、寛容の心で来たる者を大切にした。功績がある者を封賞し有能の士を登用し、広く人材を集めることを通して有効に国家の管理システムを支配し、軍隊を掌握し、自身のブレーンを築き上げた。
 曹操は、中国を統一する大志を抱いていた。そして、天下を兼併するには、軍糧を手にすることが必須であることに思い至った。そのため、屯田制を始めた。屯田制が拡充されると、穀物の生産量は大いに増加し、倉庫は充実した。
 赤壁の敗戦のとき、曹操は54歳、曹操による中国統一事業における悲壮な敗北となった。
この本は曹操墓が発掘されるに至った状況を写真入で詳しく紹介し、曹操の墓だと判断した理由を明らかにしています。盗掘にもあっていたのですが、手がかりはいくつも残されていたのです。
かつて、明の十三陵を訪問したとき、中国には未発掘の陵や遺跡がまだたくさんあること、後世のため発掘には慎重であることを知って感動したことがあります。下手に発掘して貴重な遺跡を台なしにすることがないようし配慮しているわけですが、なるほどその決断は正しいと思いました。たしかに貴重な遺跡を十分な保存技術のないまま掘りあげるべきではありません。
 写真を眺めているだけでも楽しく、『三国志』や『水滸伝』を読んでわくわくしたことを思い出しました。中国のスケールの大きさを実感させられる本です。
(2011年9月刊。2300円+税)

毛沢東の大飢饉

カテゴリー:中国

著者  フランク・ディケーター 、 出版   草思社
 毛沢東は本当に罪深い人物だと思います。この本は、「大躍進」時代に4500万人の死者を出した悲惨な実情に迫っています。
 1958年から1962年にかけて、中国は地獄へ落ちていた。毛沢東は、15年以内にイギリスに追いつき、追い越すという狂気の沙汰へと中国を駆り立てた。1958年から1962年にかけて、少なくとも4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた。犠牲者のうちの6~8%、少なくとも250万人が拷問死あるいは尋問を受けずにその場で処刑された。
 一気に共産主義へと駆け上がる試みが、結果的に第二次世界大戦の空爆作戦をはるかにしのぐ、人類史上最大の資産破壊を招いた。総家屋の40%が瓦礫と化した。
 毛沢東の実際は、とりとめのないスピーチ、歴史おける自らの役割への固執、過去に受けた屈辱をくよくよと思い悩むことも多く、会議で感情的に威嚇するやり方に長け、何よりも顕著だったのは人命の損失に無頓着だった。
 惨事の主たる責任は毛沢東にある。毛沢東は仲間たちと駆け引きし、彼らを丸め込み、煽り立て、ときに苦痛を与えたり、迫害したりして、自らのビジョンを必死になって推進した。
 1953年のスターリンの死は、毛沢東にとっての解放だった。
 スターリンは、毛沢東とその山出しの兵士たちをろくに信用していなかった。スターリンは、自分の助けなしに政権を握った者が、自国と国境を接した広大な帝国を支配するような体制を認めるつもりなどさらさらなかった。
 周恩来は毛沢東の上司にいたことがある。毛沢東は、簡単に周恩来への遺恨を水に流しはしなかった。毛沢東は、権力の潜在的なライバルとなる周恩来を寄せつけない一方で、事を仕切るうえで周恩来の手腕を必要とした。毛沢東は日々の雑務や組織の細かい仕事には無頓着だった。そして、周恩来が毛沢東の権力に屈していく光景を目にして、経済分野の指導者たちも、あわてて同調した。
 1958年7月末、毛沢東はソ連のフルシチョフを中南海のプールで迎え入れた。フルシチョフが泳げないことを知ったうえで、毛沢東はプールを何度も往復した。そして、大躍進の成功を次のように語った。
「わが国は、米があまりに豊作で、どうしたものかとお手上げ状態だ」
しかし、フルシチョフは劉少奇から中国の現実を聞いていた。
「中国は飢えている。それなのにお米があり余るほどだという・・・」
毛沢東は鉄鋼に取りつかれていた。イギリスを追い抜くというのは、年間鉄鋼生産量で勝るという意味だった。この「成功」の秘訣は、すべての人民公社の裏庭につくった小型溶鉱炉「土法高炉」だった。
 しかし、土法高炉で生産された鉄は小さく、もろかったため、近代的な圧延装置にかけることは出来なかった。利用可能だったのは3分の1にも充たなかった。
 1958年の現実の穀物生産高は2億トンだったが、中央政府は4億1000万トンと算出した。肥料をたくさん施せば、それだけ生産量が上がるという単純な論法で、大変な無理がまかり通っていた。そして、公称と実際はどんどん離れていった。
 これって、日本でも、よくある話ですよね。私の町にも新幹線が開通しましたが、現実の乗降客は「予測」をはるかに下まわっています。
 1958年4月、早くも飢えと食糧不足が中国全土に広がった。毛沢東のもとには、全国から飢餓、疾病、虐待に関する無数の報告が届いていた。食料や原料の実際の輸出能力を完全に無視して、「より多くの輸入、より多くの輸出」が1958年の中国のキャッチフレーズだった。これは、国際社会に自らの政策の成功を誇示したい毛沢東にはうってつけのものだった。
 しかし、大躍進期には、綿花だけでなく穀物も、さらには工業製品もその生産量は公約とはほど遠いものだった。中国は深刻な貿易赤字に陥った。そして、中国全土が飢饉から抜け出す方法を模索しているとき、中国は400万トン以上の穀物を輸出していた。
 彭徳懐は、何度か毛沢東の大躍進政策を率直に批判した。ところが毛沢東は彭徳懐を糾弾し、その地位を剥奪した。この時点では、劉少奇はまだ、傍観を決めこんでいた。現実に起きていることには見て見ぬふりを決め込んでいた。鄧小平も、国の必要性に比べたら、人民が飢えることなどさしたる問題ではないという考え方に固執していた。
毛沢東は、農村があまりの大豊作に困り果てていると信じ込んだため、農地の3分の1を休耕地にするよう指令した。農民の都市への流出とあいまって、耕地面積は急激に減少した。大躍進期の中国では、家畜や家禽がすべて人民公社のものになったので、人々は世話をする意欲を失い、家畜はほったらかしにされた。そのため、人々も家畜も飢えと寒さと病気で死ぬケースが増えた。家畜の数が激減したにもかかわらず、国は容赦なく買い上げた。
大躍進は、大量の森林を破壊した。巨大病に取りつかれた地方は、大規模プロジェクトに急速に取り組んだ。
1958年、毛沢東は、ネズミ、ハエ、蚊、スズメの四害排除命令を出した。国をあげてスズメに全面戦争を挑んだこの運動は、環境に大きなダメージを与えた。スズメは絶滅寸前にまで追い込まれ、虫が大量に発作して作物に大きな被害を与えた。
 中国共産党の党員数は、次々に粛清されていたにもかかわらず、1958年の1245万人から1961年の1738万人へと、5割も増加した。幹部は偽数字を申告し、粉飾決算した。盗みが横行し、物資が隠匿された。
 ターニングポイントは、1962年1月の会議だった。この席で劉少奇国家主席は、3時間にわたって話し続けた。この難局は自然災害は30%、人災が70%だと語った。
 毛沢東は猛り狂った。毛沢東は、このとき、劉少奇はフルシチョフによると確信した。毛沢東は、じっと好機を待った。
 トップの政策の誤りによって引き起こされた悲惨な事態は、トップが自覚し反省しない限り、そしてトップに自覚させ反省させない限り是正するのは容易でないことを歴史が証明しています。
(2011年11月刊。1400円+税)

中国共産党

カテゴリー:中国

著者   リチャード・マクレガー 、 出版   草思社
 北京支局長として中国を見てきたイギリス誌の記者による中国論です。さすがに深い分析力だと感心しました。
 現代中国には、あまりに多くの驚くべき矛盾があり、人々を混乱させるため、世界最大の共産主義国家から「共産主義」というイメージが消えてしまったのも、ある意味で納得できる。
 かつて革命政党であった政党が、今では確固たる体制の側にいる。共産主義者は、権力の腐敗に対する国民の怒りをエネルギーにして政権を奪取したが、今や自らも同じ腐敗という病に蝕まれるようになった。指導者層は今でも公にはマルクス主義を標榜しているが、その実、貪欲な私企業が雇用を創出するシステムに依存している。党は国民の平等を語るが、一方、その政策はアジアのどの国よりも大きな所得格差を生み出している。
 中国でも格差の拡大はすごいものがあります。とは言っても、日本人に批判できる資格があるのでしょうか・・・。
 かつて共産主義者たちは買弁(ばいべん)と呼ばれる、革命以前の中国の事業家を侮辱していたが、1997年に香港がイギリスから返還されるや否や、臆面もなく香港実業界の大物たちと手を組んだ。
 中国共産党のレトリック、「中国は社会主義国である」というフィクションと現実とのギャップは年々大きくなっている。しかし、党はこのフィクションを守り抜かなければならない。なぜなら、政治的現状を維持するために、それが必要だからである。
 このところ中国には行っていませんが、たしかに北京や上海に行くと、東京と同じで、これが社会主義国家だとはとても思えない繁栄ぶりです。
政治組織として見ると、中国共産党は驚異的ともいうべき独特の特徴をもつ奇才である。2009年の党員数は7500万人、全国民の12人に1人という割合である。
 わずか一世代のあいだに党のエリート層は、陰気な人民服を着た残忍なイデオロギー集団から、スーツを着た、企業を支援する金持ち階級へと変身した。
この指摘は、かなりあたっているような気がします。
 2009年5月、中国には15万人の弁護士がいる。その3分の1の4万5000人が共産党員だ。また、弁護士事務所のほぼすべて95%に党委員会があり、そこで弁護士の給与査定が行われるが、評価基準としては法律業務能力だけでなく、党への忠誠心も加味される。ふむふむ、これは日本とはまったく違った特徴ですね。
 法制度のなかに深く入り込むことで、党は弱体化するどころか、ますます権力基盤を強固なものにしている。なーるほど、法治ではなく、人治だとよく言われます・・・。
 裁判所の判決に党が介入するとき、党の側は、それは介入ではなく、指導と呼ぶと反論する。
中国の裁判官のトップに立つ最高人民院の王勝俊院長は、法律を学んだ経験がない。ただ、日本でも最高裁判事には外交官とか行政官僚出身者がいます。
 党が払いのけられないほどの大きな法律の壁など中国には存在しない。保安当局は、憲法前文の「共産党指導のもと」という一文によって、どんな人物でも逮捕できる。
 政府の要職を守るための選挙や公の試験もないため、要職をめぐる舞台裏での抗争が、中国では政治の本質になっている。そして、情報を集め人事権を握る組織部が、党システム全体の中核となっている。
 毎年、新たな百万長者が生まれているこの国で、公的立場を利用してお金をもうけるという誘惑に打ちかつのは難しい。多くの人間が政府の仕事に就きたがるのは、その地位が現金に直結するからだ。役人の給与が微々たるものであることもまた、収賄を促す要因となっている。家や車、生涯うけとり年金などに関する特権はあるにしても、正規の現金収入は高級官僚であっても惨めなものであるため、違法な収入によって常に水増ししている状態にある。
 すべての役人には三つの生活がある。公人としての生活、個人としての生活、そして秘密の生活だ。
 中国の実情についての鋭い分析だと思いながら一気に読みすすめました。
(2011年8月刊。2300円+税)

岐路に立つ中国

カテゴリー:中国

著者    津上 俊哉  、 出版   日本経済新聞出版社
 いつのまにか中国は面目を一新するような発展を遂げ、2010年には、とうとうGDPで日本を抜き、世界第2位の経済大国に躍り出た。中国台頭は、いまや異論を差しはさむ余地のない現実となった。いま起きていることは、国有企業レネッサンスであり、いまや中国企業は、「官の官による官のための経済」の様相を呈している。
中国の学校で排外主義を教えるのは決して中国共産党が最近になって始めたことではなく、戦前から一貫している。むしろ、共産党の都合で「愛国・排外教育」をやっているのではなく、共産党もまた歴史のトラウマとタブーの呪縛の下に置かれているということだ。 中国人は、過去何百年にわたって、妥協は投降であり、売国だという歴史観のなかで育ってきた。
言論統制の根底にあるのは、社会の混乱への恐れだ。歴史のトラウマのせいで、国家利益に関わる問題で弱腰な姿勢・発言をすれば、漢奸(売国奴)として糾弾されるという不安感が今も中国人に根強く残っている。
 統一口径とは、中国という国が分裂し、外部から干渉を受けてしまった民族の痛恨の記憶から生まれた教訓、そうしないと国が不利益をこうむるという「弱い中国」の時代の自衛的心理を反映している。
 農民は、新中国に大きな貢献をしたのに、一貫して都市住民とは差別された二等公民と扱われてきた。中国の多くの都市では、農民の都市戸籍への移動に道を開いているものの、「持ち家が条件」と高い経済ハードルを課している。その根拠の大きなものは、財政負担だ。農民を都市住民に組み込むことには、巨額の財政負担をともなう。
上海の都心にたつ100平方メートルの内装済みマンションは、5000万円から1億円もする。東京と変わらない。
 いまの中国にカネがないわけではない。高度経済成長は中国の国富を飛躍的に増やした。いま、それが政府や国有企業など、広い意味での「官」にたまっている。この国富をもっと「民」に移すことが課題となっている。この数年の中国経済をみると、最大の勝ち組が政府であることは疑いない。この10年あまり、中国の国有企業は、ほとんど国庫に配当を納めてこなかった。
共産党や政府が昔ほど国民を抑圧しなくなり、国民も昔ほど党や政府を恐れなくなった。
 中国にとってより切迫した問題とは、共産党に権力が集中し、これに対する監督(チェック)のメカニズムがまったく不十分なこと。
文革世代(50歳後半から65歳まで)が、この10年間で、各分野でほぼ引退し終えた。そして、人の質が格段に上がった。
 田舎では、司法が行政に盲従してしまう弊害が著しい。司法の独立をどこまで許容するかという問題が立ちはだかる。
中国人の置かれている状況の分析として、よく理解できるものが多々ありました。出色の中国論として、一読をおすすめします。
(2011年2月刊。1900円+税)
 6月中旬に受けたフランス語検定試験(一級)の結果通知書が届きました。55点で不合格でした。自己採点で61点でしたので、5点も下まわっています。これは書き取りと仏作文の自己評価が高すぎたのだと思います。合格基準点は92点(150点満点)ですから、まだまだ日暮れて道遠しというところです。でも、あきらめず今後とも精進します。ともかく毎朝NHKを聴いて、書き取りはしているのです。
 夜、寝る前にベランダに出て天体望遠鏡で月を眺めます。別世界の素顔をのぞいていると、心が癒されるのです。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.