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カテゴリー: ヨーロッパ

HHhHプラハ、1942年

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ローラン・ビネ 、 出版 創元文芸文庫
 ヒトラー・ナチスの高官だったラインハルト・ハイドリヒが暗殺されたのは歴史的な事実です。いくつか映画もありますし、私もみました。
 ハイドリヒはヒトラーの右腕としてユダヤ人大量虐殺を推進していきました。アイヒマンも出席したヴァンゼー会議を描いた映画も最近公開され、これも私はみました。
 ハイドリヒとは、いかなる怪物だったのか、小説として、読者に問いかけている本です。
 事実ではないようですが、ハイドリヒは父親がユダヤ人だという根強い噂につきまとわれたせいで、思春期を台無しにしたとのことです。
 ハイドリヒの暗殺現場で使われたイギリスの短機関銃「ステン」は、その場で故障して役に立たなかった。これなんか、ええっ、嘘でしょと言いたくなりますが、これまた事実でした。それほど故障の多い機関銃だったようです。結局、ハイドリヒの乗っていた車に目がけて投げた爆弾(イギリス製の対戦車手榴弾)によってハイドリヒは死に至った。
 チェコ政府が送り込んだ2人の暗殺者は、どちらも孤児で、妻子もいない。そういう若者が選ばれたようです。
ハイドリヒは、プラハ市内を装甲なしのオープンカーで運転手以外は警護の兵も乗せず、自宅にしていた城から市内まで通勤していた。
 ハイドリヒが暗殺されたことを知ったヒトラーは1万人のチェコ人を銃殺せよと命令した。
 これには、国内のレジスタンスが犯人ではない、ロンドンの仕業だ、集団的報復はしないほうがいいといさめられて、ヒトラーは引き下がった。
その代わりとして実行されたのが、リディツェ村の村民大量虐殺だった。村の存在自体が消し去られた。
そして、暗殺者たちが潜む教会堂が包囲された。ハイドリヒ暗殺の代償は、あまりに大きいものがありました。
 要人暗殺には反対ですが、ヒトラー暗殺が成功していたら、それももっと早く成功していたら良かったのに…と思うことが私にもあります。
(2023年4月刊。1300円+税)

古代ギリシア人の24時間

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 フィリップ・マティザック 、 出版 河出書房新社
 紀元前416年のアテネの日常生活を生き生きと再現しています。このころのアテネの都市人口は3万人。ただし、面積あたりの天才密度は、人類史上、ほかに例がない。
 このとき、アテネはスパルタの軍隊との戦争の幕間(まくあい)として平和を楽しんでいた。
 外国人居住者(メトイコス)は女性と奴隷と同じく民食に出席できない。また、裁判の陪審員にもなれない。それでも、アテネの裁判所に訴えることはできた。また、メトイコスは、アテネ軍に入隊できる。正式な重装歩兵にもなれた。
 アテネでは、人はさまざまな事情から奴隷になる。海賊に襲われた船に乗っていて、身代金が払えないと奴隷にされた。奴隷は、重大な社会的不利益の一種と考えられていた。
 貴族の娘は14歳で親元を離れ、人の妻となって自分の家中に入る。
 オリーブは、アテネ人の暮らしに欠かせない。食事のたびに出てくるし、料理に、掃除に、身を清めるのに、医療にも明かりにもオリーブ油は使われている。
三段櫂船はアテネのテクノロジーの最高峰。世界で最先端の海上兵器。三段の漕手が同時に櫂を水に差し入れられるように工夫されている。櫂は合計170本。全長35メートルの三段櫂船は、最高時速15キロメートル。この半分の速度で、終日巡航できる(実際にしたようです)。この漕手は奴隷ではなかった。というのも、奴隷は反抗心から、いい加減な仕事をするので使えなかった。
 三段櫂船は沈まない。水が浸入して操縦不能になっても沈没はしないのだ。
 奴隷を貸すのは、良い稼ぎになる、主人は奴隷1人につき週に1ドラクマを受けとった。
学校ではレスリングを教え、また、音楽の授業もあった。哲学者プラトンもこのころ産まれている。
 アテネでは市の公職は交代制。男性の市民は、一生に一度は公職につくことになる。評議会の定数は500人で、その議員は毎年交代する。再任なしで、一度しかなれない。
 アテネの女性は、たとえ未婚であっても、夫以外の男性とキスしただけで、「姦通」の罪を犯したとされる。
 強姦の傷は一時的なものだが、誘惑は妻を夫から永遠に引き離す危険がある。
ヘタイラは売春婦と違って決まった愛人がいる。アテネ人の女はヘタイラにはなれない。アテネの貴族の男が結婚するのは30歳過ぎてから。ヘタイラは、アテネの社交生活には欠かせない存在だ。
アテネには、女性も子どもも含めて10万人いて、政治に関われる成人男性は3万人。メトイコスが4万人、奴隷が15万人以上。つまり、人口の半分は奴隷。成人男性のメトイコスは2万人。なので、自由人の成人男性が集まると、5人に2人はメトイコスとなる。
 ギリシアとアテネの市民生活の一端を知ることができました。
(2022年12月刊。2860円+税)

アウシュヴィッツを破壊せよ(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジャック・フェアウェザー 、 出版 河出書房新社
 アウシュヴィッツ絶滅収容所に志願して収容者の一人となったヴィトルトは、大変な苦労をさせられ、生きながらえたのが不思議な状況に長く置かれました。
 それでも、収容所内に抵抗組織をつくりあげ、外部の地下抵抗組織と連携して決起しようと試みたのです。しかし、外部のほうはいつまでたっても決起にGOサインを出しません。収容所内の抵抗メンバーは次々に消されていきます。どうせ殺されるのなら、その前に決起しようと考えるメンバーが出てくるのも当然です。でも、下手に決起したら、あとの反動が恐ろしすぎるのです。
収容所内でチフスが流行した。SS(ナチス)は、1日に100人もの病人をフェノール注射で殺害した。
 SSへの対抗のため、地下抵抗組織は、SSの制服にチフスに感染したシラミを散布した。ドイツ人からも発疹チフス患者が出た。嫌われ者のカポも標的となり、結局、死んだ。
 ヴィトルト自身もチフスに感染したが、仲間の看病によって、10日後ようやく立ち直り、生きのびた。
ヴィトルトたちのアウシュヴィッツの実情を伝える報告はイギリスそしてアメリカに届いたが、そのまま信じてもらうことが出来ず、すぐに救済行動を組織することはできなかった。
 アウシュヴィッツのことを真剣に考えてくれる人はほとんどいなかった。いやあ、これは、本当に不思議な、信じられない反応です。こんなひどいことが起きていることを知って、それでも何もしないというのは、一体どういうことなのでしょうか…、私の理解をまったく超えてしまいます。
収容所内の地下組織は分裂の危機に陥った。それはそうでしょうね。外の抵抗組織から見放されたも同然になったのですから…。
 ヴィトルトは、1943年4月、ついにアウシュヴィッツ収容所から脱出します。まずはパン工房に職人としてもぐり込むことに成功したのです。本当に運が良かったとしか思えません。8月、ヴィトルトはワルシャワに戻った。ヴィトルトがアウシュヴィッツ収容所の状況を組織や友人に話しても、信じようとしない人も多く、行動に結びつけることはできなかった。人々はヴィトルトの証言に共感できなかった。
 1944年7月、連合国軍は収容所の爆撃は困難で、コストがかかりすぎるとして、却下してしまった。
 ナチス・ドイツ軍が敗退したと考えたポーランドの人々は1944年8月、ワルシャワ蜂起を始めた。しかし、ナチス・ドイツ軍は盛り返した。そして、スターリンのソ連赤軍はワルシャワ蜂起を目の前で見殺しにした。スターリンは、ドイツ軍がポーランド人を叩きつぶすのを待って、そのあとソ連軍を投入するつもりだった。このワルシャワ市内の一連の戦いで、13万人以上が亡くなり、その大半が民間人だった。市内に隠れていた2万8000人のユダヤ人のうち、生きのびることが出来たのは5000人ほどでしかなかった。
 1945年5月、ナチス・ドイツが降伏した。そして、ポーランドを支配したのはスターリンのソ連だった。ポーランドはスターリン支配下の一党独裁体制となった。
 ヴィトルトは、ポーランドの秘密警察の長官の暗殺を企てたとして反逆罪で逮捕され、裁判にかけられた。1948年5月、ヴィトルトへの死刑が執行された。そして、ヴィトルトはポーランドの歴史から抹殺されてしまった。ヴィトルトの名誉が回復されたのは1989年にポーランドが民主主義国家になってからのこと。
世の中には、このように勇気ある人がいたことを知ると、人間もまだまだ捨てたものじゃないな、そう思います。それにしても、ナチスの残虐さとあわせて、スターリンのひどさを知ると、身が震える思いがします。
 アウシュヴィッツ絶滅収容所が忘れられてはいけないと思うとき、こんな勇気ある人がいたことも記憶してよいと、つくづく思いました。
(2023年1月刊。3190円+税)

ヴォロディミル・ゼレンスキー

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ギャラガー・フェンウィック 、 出版 作品社
 ご存知、ウクライナの大統領についての「本格評伝」です。サブタイトルは「喜劇役者から司令官になった男」。
 ウクライナは面積60万平方キロメートル、人口4400万人。人口は韓国より少ないのですね。でも、現在どれくらいの人が本国に残っているのでしょうか。若い男性は出国禁止になっているようですよね。それこそ総動員体制なのでしょう。
 ロシアは面積1700万平方キロメートルですから、文字どおりケタ違いに大きいです。人口は1億4500万人。日本の人口は1億2千万人ほどですよね。インドや中国と違ってロシアの人口は10億人とか、そんなに多くはないのですね…。
 ゼレンスキーの父親はサイバネティックスが専門。情報工学の教授で、母親はエンジニア。ユダヤ人の両親は、労働者階級のなかで地位を築いた知識人。
 ゼレンスキーは、大学の法学部に入学して卒業した。しかし、学生のころから仲間とともに劇団活動に励んでいて、座長となり、コントの台本執筆と演出、そして自らも出演した。
 友人はゼレンスキーについて、「彼のずば抜けた点は、人の心の動きを直観的に読みとる鋭さにある。人の心を正確に理解し、その行動の背後にあるロジックをやすやすと把握する」と語る。
 ゼレンスキーはオリガルヒ(ソ連崩壊後に生まれた新興の大富豪)の一人であるコロモイスキーと深い関係にある。コロモイスキーもユダヤ人。オリガルヒ同士は、みな顔見知り。ゼレンスキーは、コロモイスキーから4000万ドルの送金を受領したのではないかという疑惑があった。さらに、ゼレンスキーは、イタリアにも別荘を隠しもっていると報道された。ゼレンスキーは自らがユダヤ人であることを隠していないが、とりたてて強調してもいない。
 ところが、プーチンがウクライナ侵攻にあたって、ナチズムから国民を守るためと宣言したことから、ユダヤ人のゼレンスキーをナチスであるかのように決めつけることの当否が議論になった。
 ソ連時代のユダヤ人は無神論者を自称し、ユダヤ教徒であることを必死で隠した。
 現在のゼレンスキーは、ユダヤ人の血を引きながら、なおかつ抵抗するウクライナの顔であり、戦う愛国者の化身だ。
 ウクライナの議会で極右政党は450議席のうち1議席のみでしかない。
 ゼレンスキーが大統領になる前、テレビ局の連続ドラマでゼレンスキーは主役となって腐敗した政治に鋭く切り込んでいく主役を演じた。視聴者は2015年12月、史上最高の2000万人を記録した。ゼレンスキーは、2018年12月まで、政界進出の野心は一切ないと否定し続けた。ところが、12月末に突如として大統領選への出馬を表明した。
ゼレンスキーは、政治集会を開催せず、記者会見も開かず、ジャーナリストのインタビューに応じることもなく、他の候補者との討論会にも参加せず、巡業を続けた。ゼレンスキーへの支持はうなぎのぼりに上昇し、2019年1月、ついにトップを占めた。2019年4月、ゼレンスキーは73%の得票率で大統領に当選した。
 ドラマのおかげで、国民はゼレンスキーを自分たちに寄り添ってくれる人物だとみなした。エリート階層に属しているのは明らかなのに、国民はゼレンスキーを「ブルーカラー出身の富豪」とみなした。30歳未満の有権者の80%がゼレンスキーに投票した、40歳未満だと、70%前後だった。ゼレンスキーは言った。
 「私たちは腐敗に打ち勝つとウクライナ社会に約束した。だが、今のところ、取り組みは着手すらされていない」
 すでに衰弱していたウクライナ経済は、コロナウイルスの蔓延で深刻な危機に頻していた。
 もはやゼレンスキーは、自分に尽くしてくれた億万長者コロモイスキーと疎遠になるほかなかった。ロシア侵攻後の今、ゼレンスキーの支持率は80%から90%、ウクライナ軍は全国民の信頼を取り戻した。
 といっても報道によると、ウクライナ軍の汚職・腐敗はなくなってはいないようですね。国防大臣も更送されましたし…。ゼレンスキー大統領とは何者かを知ることのできる本です。
(2022年12月刊。1800円+税)

アウシュヴィッツを破壊せよ(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジャック・フェアウェザー、 出版 河出書房新社
 アウシュヴィッツ絶滅収容所に志願して潜入したポーランドの工作員がいることは前に本を読んで知ってはいました。 『アウシュヴィッツを志願した男』(小林公二、講談社)、『アウシュヴィッツ潜入記』(ヴィトルト・ピレツキ、みすず書房)を読みました。
この本は上下2分冊で、本人の手帳などをもとにして、とても詳細です。ともかくその置かれた困難な状況には圧倒されます。よくぞ、生きて収容所から脱出できたものです。もちろん、これはヴィトルト・ピレツキがユダヤ人ではなく、ポーランド人の将校だったからできたことではあります。ともかく大変な勇気の持ち主でした。
 この上巻では、ヴィトルト・ピレツキがアウシュヴィッツ収容所に潜入する経緯、そして収容所内の危険にみちみちた状況があますところなく紹介されます。
残念なことは、この深刻な状況をせっかくロンドンにまで伝達できたのに、受けとったロンドンの方があまりの深刻かつ非人道的状況を信じかね、また、イギリス空軍がドイツ・ポーランドへの爆撃体制をとれず、報復爆撃が一度も試みられなかったことです。
ヴィトルト・ピレツキは、1940年9月19日の早朝、ワルシャワにいてナチス・ドイツに逮捕され、収容所に連行された。それは自ら志願した行為だった。
 この本は、ヴィトルトの2人の子どもにも取材したうえで記述されています。収容所のなかでは、教育を受けた人々は真っ先に文字どおり打倒された。医師、弁護士、教授。
カポは収容者の中から収容所当局が任命した「世話係」。かつての共産党員が転向し、ナチス以上に残虐な行行為を平然と行った。
 カポは、収容所当局に対して、常に自分の非情さを証明しなければいけなかった。
 収容所内で生きのびるためには、息をひそめて大人しくしていること。目立たないことは何より重要な鉄則。自分をさらけ出さず、最初の一人にも最後の一人にもならず、行動は速すぎても遅すぎてもいけない。カポとの接触は避ける。避けられないときは、従順に、協力的に、人当たりよく接する。殴られるときは一発で必ず倒れる。
 収容所内では1日1000キロカロリーに満たず、急激な飢餓状態に陥った。
 この本のなかに、カポが収容者とボクシングをしたエピソードが紹介されています。少し前に映画をみましたが、その話だったのでしょうか…。
 ミュンヘン出身の元ミドル級チャンピオンで体重90キロ、筋骨隆々のダニング相手では、かなうはずもありません。ワルシャワでバンダム級のトレーニングを受けていたテディがダニングに挑戦した。ところが、試合では、ダニングの拳をするりとかわし、むしろダニングを打ち、ついにはダニングの鼻を血まみれにしたのです。ボクシングって、巨体なら勝つというのではないのですね…。ダニングは潔く、テディの勝ちを認めて、賞品のパンと肉を渡したのでした。テディはそれを仲間と分け合ったのです。
こんなこともあったんですね…。すごいノンフィクションです。一読をおすすめします。
(2023年1月刊。3190円+税)

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