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カテゴリー: ヨーロッパ

ロシアトヨタ戦記

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 西谷 公明 、 出版 中央公論新社
ロシアがウクライナ侵略戦争を始めて1ヶ月あまりたって、こんなときにロシアに関する本を読んでどうするんだ…、と思いつつ読んだ本です。
まったく期待せず、さっと読み飛ばすつもりだったのですが、意外や意外、とても興味深い内容の本でした。なるほど、今のロシアって、そんな国だったのか、ウクライナへの侵略戦争を始めた理由、そして、ロシア国民の7割がプーチン大統領を支持しているという理由が、やっと理解できました。つまり、ロシアにトヨタが進出していったとき、どんな扱いを受けたのかを通じて、ロシアというのは、どんな国なのかがよく分かったということです。
ロシアという国に正義など存在しない。そのことはロシアでの苦い経験から、身をもって学んだ。裁判による企業側の勝訴率は20%以下と言われていた。下手な取引(ディール)に応じてしまえば、いずれもっと大がかりなたかりの標的にされ、将来に取り返しのつかない禍根を残してしまうことになりかねない。
当時のロシアは粗野で、不条理にみちていた。「当時」と、今では違うと言えるのでしょうか…。それが問題です。
ロシアで土地を取得し、そこに社屋を建設するとなれば、きれいごとだけですまない。これは分かっていた…。実際に社屋建設に向かって動きだしてみると、ロシア社会の実態が分かってきた。その社会の無法ぶりに泣かされた。資材や機材を輸入するとき、厄介な通関手続の代行をふくめて、巨大な輸入ビジネスのすそ野を形成していた。認証料や手数料などの名目で、あちこちへお金が落ちるしくみになっていた。どこでも「袖の下」が求められた。
ロシア人は請負師であって、自らは仕事せず、中央アジアからの出稼ぎ労働者に仕事をさせる。ロシアは、まぎれもなく階層社会だった。
ロシア経済は、原油への依存に大きく偏りすぎていた。貿易では輸出の65%以上、財政では歳入の50%以上を石油とガス、その関連製品が占めていた。
ロシアは経済危機におちいると、いっとき高級車が飛ぶようによく売れる。それは、ロシア人が自動車を換金性の高い資産と考えているから。
ロシアの人々は、家族と自分自身の日々の生活だけを重んじて、政治や社会、他人については無頓着で、無関心だった。他人を押しのけて生きるのはあたり前。
残念ながら、ロシアは、今もって成熟しておらず、欧米や日本の通念に照らして「ふつうの国」からほど遠い。
ロシアでは犯罪は容易につくりあげられ、正義はなきに等しい。
ロシアでは貧富の差が拡大し、社会のひずみが身近に感じられる。経済のそこここに利権がはびこり、行政の腐敗、汚職と賄賂が蔓延している。交通警察の陸送へのいやがらせもひどかった。
プーチン大統領は、国家に管理された資本主義の方向に向かった。それは中央集権的な政治を目ざすということ。ところが、ロシア国民にとって、プーチンは、祖国を分裂と崩壊の淵から救い出し、国家としての一体性を回復させて、ふたたび大国へと導くための道筋をつけた恩人だった。だから、支持率70%は当然だった。
ウクライナへの侵略戦争を始めた今日でも、なお70%もの支持率だといいます。マスコミがプーチンによって統制されて、ほとんど戦争の真実をロシアの人々に伝えていないからでもあるでしょうが…。
近代ロシアの歴史は、一貫して権威主義的な専制君主国家として、上からの垂直的な統治があり、下には上に従う多数の国民がいる。
トヨタは、ロシアでレクサスをふくめて多くの車の売り込みに成功したようですが、その内実がいかに、大変だったのか、この本を読むと、その大変さのイメージがつかめます。
ロシアのウクライナ侵攻の背景にある、ロシアという国の本質を垣間見ることができる本として、一読をおすすめします。
(2021年12月刊。税込2420円)

ユダヤ人を救ったドイツ人

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 平山 令二 、 出版 鷗出版
ナチスがユダヤ人を迫害し、大量に虐殺したことは歴史的事実です。
ところが、少数ではありますが、迫害されるユダヤ人を身の危険をかえりみず救ったドイツ人もいたのです。本書は、それを丹念に掘り起こして、詳しく紹介しています。そのような人たちは「静かな英雄たち」と呼ばれています。
映画「戦場のピアニスト」は実話を描いていますが、そこに登場しているドイツ軍将校の素顔が紹介されています。気まぐれとか偶然とかでユダヤ人ピアニストを救ったのではないことを初めて知りました。
ヴィルム・ホーゼンフェルトは、教師の父、両親とも厳格なカトリック教徒であり、本人も父と同じく教師となり、ペスタロッチの教育観の影響を受けた。ホーゼンフェルトは突撃隊に入隊し、ナチス教師連盟にも加盟しているが、次第にナチス党に違和感をもつようになった。反ユダヤ主義に共感できなかった。そして、アウシュビッツ強制収容所のガス室の存在を知り、「こんなひどいことを見逃しているなんて、なんと臆病なことか、我々も全員が罰せられるだろう」と1942年8月13日の日記に書いている。
「ユダヤ人のゲットーはすべて焼け跡になった。獣の仕業だ。ユダヤ人の大量虐殺という恐ろしい所業をして戦争に敗北するというわけだ。拭いようのない恥辱、消すことのできない呪いを自らに招いた。我々は恩窮に値しない。みんな同罪だ」(1943年6月16日)
「労働者たちはナチスに同調し、教会は傍観した。市民たちは臆病すぎたし、精神的な指導者たちも臆病だった。労働組合が解体され、信仰が抑圧されることを我々は許した。新聞やラジオでは自由な意見表明はなくなった。最後に、我々は戦争に駆り立てられた。理想を裏切ることは報いなしではすまない。我々みんなが尻拭いをしなければならない」(1943年7月6日)
これって、今のロシア、いえ、日本にもあてはまりませんか…。
ホーゼンフェルトがユダヤ人ピアニストのシュピルマンに出会ったのは1944年11月17日、そして、かくまい続けた。
ホーゼンフェルトは、ドイツ軍が敗走するなかで、ソ連軍の捕虜となり、白ロシアの軍事法廷でワルシャワ蜂起弾圧の罪で懲役25年の刑が宣告された。ポーランドで著名な音楽家となっていたシュピルマンは、ホーゼンフェルト救出に尽力したが、ホーゼンフェルトは2度目の脳卒中でついに1952年ン8月13日、死に至った(57歳)。
ドイツ軍大尉として、ヒトラーを支持しながらも、ユダヤ人救済者でもあったというわけです。
1943年2月末、ベルリンには2万7千人のユダヤ人が暮らしていた。そして、戦争中、6千人のユダヤ人が潜行していた。1人のユダヤ人を救うのに7人の救済者がいたとすると、単純計算ではベルリンだけで4万人もの救済者がいたことになる。
救済者の一人として、ベルリン警察署長がヴェルヘルム・クリュッツフェルトがいた。そして、その部下も署長とともにユダヤ人を救っていた。
多くのユダヤ人を救ったドイツ国防軍の軍曹もいました。シュミット軍曹です。大胆にも軍のトラックを利用してユダヤ人を安全地帯に移送した。それがバレて、軍法会議にかけられ、シュミット軍曹は死刑に処せられた。このアントン・シュミット軍曹は思想的背景はなく、他人の苦しみに同化し、必要とされたら他人を助けるという本能に従って行動した。処刑される寸前に妻あての別れの手紙にシュミット軍曹はこう書いた。
「私は、ただ人間たち、それもユダヤ人たちを、死から救っただけ。それで私は死ぬことになった。愛するお前たちは、私のことは忘れてくれ。運命が望んだような結果にまさしくなっているのだから」(1942年4月13日)。
この本には、保守的で閉鎖的と思われていた農村でも、ユダヤ人が隠まわれ、戦後まで生きのび例があることも紹介されています。それは、裕福な自立した農民であり、家族の絆(きずな)を大切にし、敬虔(けいけん)なキリスト教徒だった。
ユダヤ人救済に身を挺したドイツ人が少なくないことを知ると、心がいくらか安まります。
(2021年9月刊。税込3520円)

ファーブル伝

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジョルジュ・ヴィクトール・ルブロ 、 出版 集英社
『ファーブル昆虫記』で名高いファーブルの評伝です。著者はフランスの医師であり、国会議員もつとめた政治家でもありますが、生前のファーブルと親交があったようです。なので、ファーブルの昆虫観察ひとすじの生活ぶりが詳しく紹介されています。
そして、とてもこなれた日本文になっていますので、476頁もある大著ですが、スラスラと読みすすめることができました(私は、日曜日の昼に読みましたが、3回で読了しました)。
ファーブルの人生においては、何もかもが真剣で、常にある一つの目標に向かっていた。
ファーブルの90年あまりの長い生涯は、3つの時期に区分できる。
その一は、60年近くにわたるもので、「荒地」を手に入れるまで、その二は、孤独と深い沈黙の時期。しかし、この時期がいちばん活発で、収穫も豊か。その三は、人生の最晩年の10年間で暗闇のなかにいきなり光があたったような時期。
ファーブルは、どんなときでも、何もしないで時間を過ごすということがなかった。
ファーブルにとって、子どもと虫、この二つこそが大きな喜びだった。子どもたちに、毎日(木曜日と日曜日を除く)午後2時から4時まで講義した。
何より必要なのは、生き物に対する強い共感。
優れた観察者というものは、実際には想像力をはたらかせてものを創り出す詩人だ。
ファーブルは、本能とは何かを定義したり、その本質を深く掘り下げたりはしない。本能は定義できないし、その本質もまたはかり知れないからだ。しかし、ファーブルは、『昆虫記』において、本能と、その無限の多様性について、多くのことを学ばせる。
昆虫は、やり慣れた作業や習慣的な行動から逸脱することができない。なので、ファーブルは、虫には知性がないとした。
ファーブルは、何事もこまかく突きつめていく性格だった。実証的で、厳格で、独立心が旺盛だった。
ファーブルは、ダーウィンと同世代の人で、手紙のやりとりをしていた。ファーブルはダーウィンの進化論を否定して賛同せず、表向きは敵というか、論争の相手だった。しかし、この二人は、互いに深く尊敬しあっていた。
ファーブルは、あらゆる動物、たとえば犬や猫、家で飼っているカメだけでなく、ぷっくりと膨れて、皮膚のべとべとしたヒキガエルとさえ仲良くしていた。
生きとし生けるものは、みな神聖なつとめを果たしている。この教えをファーブルも大切にした。
ファーブルは、ごくフツーの、誰にでも分かるコトバで語ろうと努力した。
ファーブルは、素朴でイメージの富んだ呼称や、ありふれた俗称など、一般やの人々がつかう生き生きした用語のほうを使うのを好んだ。
ファーブルの最晩年は「貧窮」のうちに生活していた。
フランスには、日本ほど大の男がチョウチョウなどの昆虫を愛していると公言する人はいないようです。日本には有名な俳優にも政治家にも、昆虫大好きだと公言してはばからない人がいますし、世間が受け入れていますよね。私も、その一人です…。
(2021年5月刊。税込4620円)

同志少女よ敵を撃て

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 逢坂 冬馬 、 出版 早川書房
独ソ戦、ナチス・ドイツ軍とソ連・赤軍の死闘のなかで、スターリングラードなどでは激烈な市街戦も戦われ、そのとき狙撃兵が活躍しました。ソ連軍は、女性だけの狙撃兵部隊を組織し、彼女らは目を見張るほど活躍しました。この歴史的事実を踏まえたフィクション(小説)ですが、よく調べてあり、ストーリー展開も無理がなく、最後まで狙撃兵になった気分で読み通しました。
アガサ・クリスティー賞を受賞しましたが、惜しくも直木賞は逸してしまいました。
巻末に主要参考文献一覧が明記されているのは、小説と言いながらも歴史的事実に立脚していることを裏付けています。このリストにあがっているもので有名なのは最近の本では『戦争は女の顔をしていない』(岩波書店)です。これはマンガにもなりました。読みでがあります。
日本人の書いたものでは大木毅『独ソ戦』(岩波書店)が勉強になりました。
スターリングラードをめぐる攻防戦については映画もありますし、狙撃兵を主人公とする映画もありました。
ソ連の狙撃兵は、一般の歩兵師団の中に置かれる狙撃兵部隊と、第39独立小隊のように、ソ連軍最高司令部隊予備軍に所属し遊撃する狙撃兵集団に大別される。いずれにしても、狙撃兵は歩兵と相性が悪く、仲は良くない。これは職能の違いにもよる。
歩兵は前線で敵弾をかいくぐって敵に迫り、市街戦ともなれば数メートルの距離で敵を殺すのが仕事だ。そのために必要な精神性は、死の恐怖を忘れて高揚の中で自らも鼓舞し、熱狂的祝祭に命を捧げる剣闘士のものだ。
これに対して狙撃兵は、潜伏と偽装を徹底し、忍耐と集中によって己を研鑽し、物理の下に一撃必殺を信奉する、冷静さを重んじる職人であり、目立つことを嫌う狩人だ。
歩兵から見た狙撃兵とは、自分たちを全面に出して距離を置いて敵を撃つ陰気な殺し屋集団。これに対して、狙撃兵から見た歩兵とは、狙撃兵の損耗率が歩兵より高いという事実を無視して、自分たちを蔑視し、乱雑な戦闘技術で粗暴に振る舞う未開の野蛮人。
狙撃兵は、歩兵が求めるような戦友同士の同志的結合、固い絆といったものを好む精神性をあわせて重視せず、狙撃兵同士で集まり、寡黙に過ごす者が多い。
500メートル先の敵将校をスコープでとらえ、生きている人間と分かって銃撃して殺すというのが狙撃兵の任務。自分の指の引き金で目前の人を殺すことにためらうことがないというわけです。ふつうの神経の持ち主にできることではないでしょう。私は、もちろんできません。そこらをふくめて、いろいろ考えさせられる本でもありました。
(2021年12月刊。税込2090円)

黒人と白人の世界史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 オレリア・ミシェル 、 出版 明石書店
フランスは奴隷制と植民地制度を、おそらくもっとも高度に強力に推進した国。
フランス革命のあと、画期的な人権宣言をしたフランスは、別の顔をもっていたのです。
そして、2001年のトビラ法(トビラという国会議員が法務大臣になって制定した法律)は、学校では歴史の学習指導要領に大西洋地域の奴隷や奴隷貿易についての教育を導入するよう義務づけた。
戦前の日本が中国大陸や朝鮮半島から人々を強制的に連行して日本国内の鉱山等で労働させていた事実を学校で教えるよう義務づけたようなものです。佐渡金山で強制連行してきた朝鮮人等を労働させていた事実は、地元の史書にも明記されている史実なのに、自民党政府は躍起となって否定しようとしています。まさしく恥ずべき政府というほかありません。
モンテスキューは、黒人奴隷制に反対する立場から、皮肉をこめて次のように言っている。
「この人たちが人間であると想像するのは、我々にとっては不可能だ。なぜなら、人間だと認めれば、我々自身がキリスト教徒ではないと思い始めるだろうから…」
アメリカ征服の初期には、ヨーロッパ人は自分たちを「キリスト教徒」と定義すれば、現地のインディアンと区別するのに十分だった。ところが、次第に混血児が増えてくると、白い色は支配階級の印になっていった。
非白人は、次のように分類された。ムラートは、白人と黒人の混血。メスティーソは白人とインディアンの混血、カルトロンは黒人の血が4分の1、オクタロンは黒人の血が8分の1。いずれも、社会の上層部に上ることを妨げられた。
奴隷制の極端なまでの暴力は高くつく。それによって引き起こされる反抗や反乱を抑止して労働強制する体制を維持するだけでも、大変な代償だ。表面的には繁栄していても、奴隷制は身体的暴力や法律によって絶えず再構築しなければならない脆弱な制度だった。そのため、奴隷制は非常に利益が上がっていても、その擁護者でさえ急速に廃止を受け入れざるをえなかった。
紀元後1世紀のローマ帝国には、200万人の奴隷がいた。同じ時期の漢王期にも100万人の奴隷がいた。日本でも少なくとも10世紀までは奴隷がいたとされている。これって、平安時代の日本に奴隷がいたということですよね。「安寿と厨子王」も奴隷の話だったということでしたっけ…。
インドでは、1860年にイギリスが禁止するまで900万から1000万人の奴隷がいた。
2016年ですら、本質的に奴隷とみられる人が世界中に2500万から4600万人いる。
7世紀から19世紀にかけて、1700万人のアフリカ人がアフリカ東部ルートで売られた。さらに1200万人が大西洋地域に売られ、900万人が北アフリカに送られた。
奴隷は、生産はするが、再生産のサイクルには貢献できないので、親族とみなされない。これは人間性からの永久追放に相当する。
奴隷は子どもを持ったとしても、親の資格は与えられない。子孫を持つこともできない。奴隷である父親や母親は、自由な子に対して親権を行使できない。
奴隷は象徴的かつ決定的に排除されると同時に、慣れ親しんだ人、召使であり、犬のように割り当てられた立場にとどまる。
奴隷制をつくり出すのは戦争だ。また、奴隷売買は商業経済の一部でありうる。
奴隷船には500人から600人が積み込まれた。2ヶ月半の航海で18%から11%の死亡率。反抗や逃亡の試みは日常茶飯事。乗組員の6倍の奴隷がいた。あまり残酷に扱って商品を死なせてはいけないし、反抗する力をもたせてもいけなかった。水と食事は最小限に抑え、病気を避ける必要があった。
目的の港に到着すると、男女各1人、子ども1人で4人か5人でひとまとまりとして売られる。これは実際の家族関係でないことが多い。
アメリカ独立宣言の起草者の一人であるトマス・ジェファーソンは、奴隷制を肯定し、奴隷を厳罰化する法律をつくった。
「博物学の観点から、赤い人種と黒い人種は、肉体と精神のあらゆる完成度において白人に劣っている」とジェファーソンは書いた。
人種とは、あいまいな概念で、ほとんど無意識であるため、奴隷制よりもさらにいっそう暴力を生み、本来は筋道をつけるべき社会関係を常に攪乱する。つまり、人種は奴隷制のあとを引き継ぐとしても、奴隷制に相当するものではない。
ニグロの家族をつくること、自由労働者を再生産し定住させることは、解決不能な矛盾だ。住民の定着・増加と奴隷労働は両立しない。
奴隷制は人種差別から生まれたのではない。正確に言えば、人種差別が奴隷制に由来するものだった。
奴隷と人種との関係をふくめて、いろいろ考えさせられる本でした(難解なところも多々ありましたが…)。
(2021年12月刊。税込2970円)

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