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カテゴリー: ヨーロッパ

ザ・ナイン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 グウェン・ストラウス 、 出版 河出書房新社
 フランスでナチス・ドイツに対するレジスタンス活動をしていた女性が次々にナチスに捕まり、強制収容所に入れられました。この本のメインは、強制収容所に入れられた9人の女性たちが共に脱出して、生きてフランスに帰りついたという奇跡的な実話を紹介しているところです。
 彼女たちは20歳から29歳。ユダヤ人ではありません。若さと団結の力で死を乗りこえて生還したのです。彼女らはとても幸運だったと言えますが、その幸運を勝ちとる涙ぐましい努力もあり、単に運が良かったというだけではありません。
フランスでレジスタンス活動に身を投じているうちに逮捕され、収容所で囚われの身になっていた女性9人が、ソ連軍の侵攻によってナチス敗戦間近の1945年4月15日、強制収容所からの移動中に脱出を決行。連合軍との前線を求めてさまよう逃亡の旅は、いかにも危険にみちています。そこを知恵と工夫、そして、それを支える固い友情の絆、苦境さえ笑い飛ばすユーモア、そして時に歌声。何より生きのびようとする強い意思があったのでした。まったく知らない話です。
 リーダー役をつとめるエレーヌは、ソルボンヌ大学出身の技術者。5ヶ国語を話した。最年少のジョゼは20歳で、養護施設の出身。美しい歌声で聴く人をうっとりさせた。
 偵察役をつとめる人、勇敢さで優る人、グループの調停役の人。いろんな個性の若い9人の女性が助けあいながら脱出行を遂げていく様子が見事に紹介され、心を打たれます。しかも、それが悲愴感があまりなく、むしろ読んでほっこりしてくるのです。
 収容されたのは、女性専用のラーフェンスブリュック強制収容所。アウシュヴィッツほどではありませんが、ここでも大勢の人々が「焼却処分」されています。少なくとも4万人が犠牲になったとのこと。
 この本に紹介されるソ連兵(女性)のエピソードはすごいです。
 ナチスから「散弾銃女」と呼ばれた彼女らには英雄のオーラがあった。自分たちの兄弟を殺すための銃弾はつくれないと、軍需工場での労働を拒否した。自分たち捕虜は、ジュネーブ条約の下、軍需品の製造を強制されないはずだと主張したのだ。収容所当局は、その罰として、また抵抗手段として、彼女らを何日も屋外に立たせて、水も食糧も与えてなかった。それでもソ連兵たちは挫(くじ)けない。ナチス親衛隊は怒り、そして驚嘆した。結局、ナチス親衛隊のほうが折れて、ソ連兵たちは、厨房での仕事を与えられた。うひゃあ、すごいですね。そんなことがあったなんて、ちっとも知りませんでした。『戦争は女の顔をしていない』に通じる話です。
 ある日曜日の午後、点呼広場で点呼されているとき、赤軍兵士たちが、ぱりっとした服装で、一糸乱れぬ行進で広場に入ってきた。そして広場の中央までくると、兵士たちは赤軍の軍歌をうたいはじめた。大きく澄んだ声で、次々と、何曲も歌った。
いやあ、すごい、すごすぎますね。人間の尊厳を感じさせられます…。
ソ連兵たちは、クールで、排他的で、寡黙なエリート集団だった。
そして、もう一つ。強制収容所にいる女性たちのあいだで大人気だったのは、料理レシピとその口頭での解説。強制収容所のなかでは、誰もが空腹であり、飢えていた。しかし、また、だからこそレシピを聞くと、つかのまの慰めを見出した。話は材料のリストに始まる。順を追って料理の作り方を説明していく。規則的で体系的なレシピは、たとえ一時的であっても、安心をもたらした。つらい話はならない。食べ物に関する思い出話なら、それほど辛い気持ちにならず、人間らしさを取り戻すことができた。
強制収容所がアメリカ軍やソ連軍によって解放された直後の数日で、多くの被収容者が死亡した。ベルゲン・ベルゼン収容所だけで1万5千人も亡くなった。なんとか生きながらえてきた人が、解放されたとたん、安堵のうちに死んでいった。
収容所でナチスの将校の前で裸にさせられたことが、いつまでもトラウマになったという女性がいます。
「私は、自分の体が好きではない。男に、それもナチスの男に、初めて見られたときの視線の跡がいまだに残っているような気がするから。私は、それまで一度も他人の前で裸になったことはなかった。乳房がふくらみ、体が変わり始めたばかりの少女だったのに…。以来、私にとって、服を脱ぐことは、死や憎しみを連想させるものになった」
とてつもない勇気と必死に生きる意思を、そして人間らしいとは何かを感じさせる、元気に出る本でした。
(2022年8月刊。税込3135円)

アウシュヴィッツのお針子

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ハーシー・アドリントン 、 出版 河出書房新社
 アウシュヴィッツ収容所の所長の妻などが、自分たちの服を見栄えよく仕立てるために、アウシュヴィッツ絶滅収容所に収容された若いユダヤ人女性たちを働かせていた実話です。彼女らはアウシュヴィッツ収容所から生きのびて、長寿をまっとうした人もいたのでした。
 アウシュヴィッツ収容所にファッションサロンがあり、このサロンのお針子の大半はユダヤ人。他に、政治犯で裁縫のできる女性もいた。これらのお針子たちは、友情とまごころの強いきずなでナチスに抵抗し、生き永らえることができた。しかも、親衛隊幹部夫人のために立派な服を仕立てるだけでなく、レジスタンス活動に加わり、なかには逃亡の計画を立てる女性たちもいたというのです。成功したケースも、失敗したケースもありました。
ナチス上層部の女性は、ナチスと同じく衣服を重要視していた。たとえば、ゲッペルス宣伝相の妻マクダ・ゲッペルスは、ユダヤ人のこしらえた衣服を臆面なく身につけていたし、国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻エミー・ゲーリングも同じくユダヤ人から略奪した豪華な衣服をまとっていた。
 アウシュヴィッツに婦人服仕立て作業場を設けたのは強制収容所のルドルフ・ヘス所長の妻ヘートヴィヒ・ヘス。このサロンのお針子の大半はユダヤ人。そのほか占領下フランスから送られてきた非ユダヤ人のコミュニストもいた。彼女らは、ヘス夫人をはじめとするナチス親衛隊員の妻たちのために型紙を起こし、布を裁断して縫いあわせ、装飾をつけ、美しい衣服をつくっていた。お針子たちにとって、縫うことは、ガス室と焼却炉から逃れる手段だった。
このサロンには総勢25人の女性が働いていた。サロンを指揮するのは、1942年3月に入所したハンガリー出身のマルタ・フフス。人気のファッションサロンを経営していた一流の裁断職人。お針子の大半は10代後半から20代はじめ。最年少はわずか14歳。サロンには十分な仕事があり、ベルリンからの注文でさえ、6ヵ月待ちだった。注文の優先権は、もちろんヘス夫人にあった。
 ファッション業界と被服産業からユダヤ人を追い出すことは、ユダヤ人主義が偶然もたらした副産物ではない。明確な目標だった。両大戦間のドイツでは、百貨店とチェーンストアの8割をドイツ系ユダヤ人が所有していた。また繊維製品卸業者の半数がユダヤ系だった。衣服のデザイン、製造、輸送、販売に携わる被雇用者の大きな役割をユダヤ人労働者が占めていた。ユダヤ人実業家の実行力と知力があったからこそ、ベルリンは1世紀以上ものあいだ女性の既製服産業の核とみなされてきた。
 ゲッペルスの妻マクダは、ユダヤ人のファッションサロンが閉鎖されたことを嘆いた。「ユダヤ人がいなくなったら、ベルリンからエレガンスも失われるってことを、みんな分かっているはずなのに…」
 戦後、生き残ったユダヤ人たちに対して、「なぜ抵抗しなかったのか?」と尋ねたときに返ってきたのは…。「起きていることが信じられなかったから」
 アウシュヴィッツ収容所から幸運にも逃げ出した人が外の世界で収容所内で起きていることを伝えたとき、人々の反応は「まさか、そんなこと、信じられない」というものでした。人間は、想像外の出来事については、まともに受けとめることができなくなるようです。
 衣服は人を作る。ぼろ切れはシラミを作る。衣服は尊厳と結びついている。後者はシラミが不潔な環境で湧くこととあわて、ぼろ切れをまとった人はシラミ扱いされることも意味している。収容所の外でも中でも、見た目がすべてなのだ。清潔で、まともな衣服は、人間であるという感覚を回復させてくれた。
 収容所の中では、ハンカチ、石けん、歯ブラシは、とくに重宝された。薬は金(きん)よりも貴重品だった。
 ファッションサロンの責任者である親衛隊女性エリーザベト・ルパートは驚くほど親切な看守だった。お針子たちに好意的に接したら、仕事の合間に、無料で服を縫ってもらえた。ただ、ほかの親衛隊女性隊員から不満の声が上がってビルケナウへ異動させられた。そして、異動先では威張りちらす残忍な人間と化した。場所によって、人間は良くも悪くも変わるのですね。
 お針子のノルマは、最低でも週に2着は注文のドレスを仕立てること。すべて無料でありながら、高級服仕立て作業場の仕事はきわめて質が良く、マルタの品質管理の目が行き届いていた。
 親衛隊の顧客は、その見返りとして、食べ物の余りやパン、ソーセージをもってきた。
 病気すると、レモン、リンゴそして牛乳が届けられることがあった。
 アウシュヴィッツに関する本はそれなりに読んできたつもりでしたが、このジャンルは欠落してしまいました。関心のある方に、ご一読をおすすめします。
(2022年5月刊。税込2475円)

亜鉛の少年たち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 スヴェートラーナ・アレクシエーヴィッチ 、 出版 岩波書店
 ソ連時代、アフガニスタンの戦場へ送られ幸いにも帰還できた将兵の証言集。
著者は『戦争は女の顔をしていない』の作家でもあります。苛酷すぎる戦争体験を聞きとり、活字にする作業をすすめていったわけですが、そのあまりの生々しさは反戦記録文学とみることもできます。なので、それへの反発から、誰かが黒幕となって、聞き取り対象となった兵士や遺族の母親から、自分はそんなことは言っていない、アフガンで戦った兵士の名誉を侵害したとして、ロシアで裁判になったのでした。
 著者が法廷で、あなたはあのとき私に本当にそう言ったのではありませんかと追及されると、彼らも全否定はできず、いや、そのつもりではなかったんだ、と話をそらそうとしたのです。裁判所は、結局、事実に反するとは認めなかったものの、一部は兵士の名誉を毀損しているとして、著者にいくらかの損害賠償を命じました。
 銃弾が人間の身体に撃ち込まれるときの音は、一度聞いたら忘れられないし、聞き違えようがない。叩きつけるような、湿った音だ。
 戦場にいる人間にとって、死の神秘なんかない。殺すってのは、ただ引き金を引くだけの行為だ。先に撃ったほうが生き残る。それが戦場の掟だ。
 オレたちは命令のとおりに撃った。命令のとおりに撃つよう教え込まれていた。ためらいは
なかった。子どもだって撃てた。男も女も年寄りも子どもも、みんな敵だった。オレたちは、たかだか18歳か20歳だった。他人が死ぬのには慣れたけど、自分が死ぬのは怖かった。
 アフガンでの友情なんて話だけは書かないでくれ。そんなものは存在しない。
 なぜ、相手(敵)を憎めたのか。それは簡単なこと。同じ釜の飯を食べた、身近にいた仲間が殺される。さっきまで、恋人や母親の話をしてくれていた仲間が全身、黒焦げになって倒れている。それで即座に、狂ったように撃ちまくることになる。
 罪の意識は感じていない。悪いのは自分たちを戦場に送り込んだ人間だ。
兵隊になって、オレはなにより味方に苦しめられた。古参兵たちのいじめだ。
「ブーツをなめろ」。全力でぶちのめされる。背骨が折れそうなくらいズタボロにされる。
ヘロインは文字とおり足元に転がっていた。でも、オレたちは大麻で満足していた。
 戦場で生き残るもうひとつの秘策は、なにも考えないこと。将校は自分では女や子どもを撃ちはしない。撃つのは自分たち兵士だ。しかし、命令するのは将校。なのに、兵士がみんな悪いって言うのはおかしいだろ・・・。兵士は命令に従っているだけなのに。
死体はさまざまだ。同じ死体はひとつとしてない。
兵士が死ぬのは、戦地に到着して最初の数ヶ月と、帰国する前の数ヶ月がいちばん多かった。最初のうちは好奇心が旺盛だからで、帰国前は警戒心が薄れてぼんやりしているからだ。
 著者を訴えた兵士や遺族は、「息子は殺されたというのに、それを金もうけのタネにしている」「裏切り者」「あなたは、私の息子を殺人犯に仕立てあげた」と強調した。
 死んだ兵士は亜鉛の棺に入って自宅に届けられる。一緒に届けられるのは、歯ブラシと水泳パンツの入った小さな黒いカバンひとつだけ。
 ソ連によるアフガン侵攻の戦争は1979年から1989年まで10年間も続いた。そして、ソ連は侵略者でしかなく、しかも勝利はしなかった。今のウクライナへのロシア(プーチン大統領)の侵略戦争と同じですよね。一刻も早く、ロシア軍が撤退して、ウクライナに平和が戻ることを願うばかりです。
(2022年6月刊。3520円)

特捜部Q

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ユッシ・エーズラ・オールスン 、 出版 早川書房
 デンマークの警察小説。過去の未解決の事件を扱うという警察小説は、前にも読んだことがあります。迷宮入りしていた事件を、刑事部の「お荷物刑事」が助手の力を借りながら、少しずつ謎を解き明かして、ようやく犯人にたどり着くというストーリーです。
 ネタバレはしたくありませんが、ストーリー展開は復讐小説という体裁をとっています。
 どこの国の警察にも「ハグレ刑事」のような一匹狼的な刑事がいて、上司はもてあましたあげく、「一人部署」を創設までして、そこに閉じ込めようとしたのでした。
 ところが敵もさるもの、ひっかくものということで、デンマーク語もろくに話せないような、シリア系の変人が、謎解きで、奇抜なアイデアの持ち主だったという突拍子もないアイデアが生き生きと語られます。それで、また話がふくらみ、次回作品への期待が高らむのでした。
 警察小説は、あくまで殺人事件が重要なファクターであり、その登場人物の性格や部署の設置、脇役(人種的)配置、事件捜査、物語の構成、脇筋のからませ方などについて、細かい配慮を工夫、創造に解説者(池上冬樹)は感心していますが、まったく同感です。
 570頁もの文庫本の警察小説なので、いったい次はどういう展開になるのか、目が離せない思いで一気に読みすすめました。この「特捜部Q」は少なくとも5冊シリーズになっています。その想像力と描写力に驚嘆してしまいます。
(2018年9月刊。税込1210円)

13枚のピンぼけ写真

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 キアラ・カルミナ―ティ 、 出版 岩波書店
ところは北イタリア、ときは第一次世界大戦のころ。平和な村に戦争が急に押し寄せてきた。オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに対して宣戦布告した。1914年7月のこと。
オーストリアに出稼ぎに来ていたイタリア人一家は急に帰国を迫られた。最初に一家が失ったのは仕事だった。男だろうが、女だろうが、おかまいなしに…。
出稼ぎに行っていた大勢の村人がいっぺんに帰郷したから、北イタリアの村は、お祭りさわぎになった。みんなと再会できて、毎日が村祭りのようだった。
だけど男たちには仕事がなかった。何週間かたつと、戦争が恐ろしいかぎ爪をむき出しで、家々の戸を引っかき、村から男たちを連れ去った。
そして、教会の司祭は人々に説教した。
「祖国は今、人民の忠誠心と勇気を必要としていて、誇りとともに祖国を守り抜く必要がある。戦争は、それほど長くは続かないだろう。祖国のために死ぬことを恐れてはならない。それにより、永遠の英雄になれるのだから…」
しかし、こんなことを言う司祭の声は、どこか変だった。いつもなら、自分の言葉でしっかり伝えようとするのに、今日の言葉は、なんだか自分でも心の底では信じていないみたいだ…。主人公の女の子は、おかしいと思った。
主人公の母親はオーストリアに味方するんだろ、とわざわざ文句を言いにくる者がいた。まず長男が軍隊にとられ、次に父親も軍隊にとられた。こちらは戦士ではなく、工兵として働かされる。村には、女性と子ども、そして老人だけが遺された。すぐに終わるはずの戦争は、長く続いた。
主人公は13歳の少女イオランダ。イタリアの村に戻りますが、やがて父も兄たちも軍隊にとられ、少女に恋する少年まで軍隊に入ります。そして村はオーストリア軍が占領して、逃げ出し、母と絶縁した祖母のもとへ…。
戦争は、男の人たちがはじめるものなのに、それによって多くを失うのは女の人たちなの…。
ロシアがウクライナへ軍事侵攻して4ヶ月になります。大勢の市民が殺され、傷ついています。そして、双方とも何万人もの若い兵士たちが死んでいったようです。戦争は、本当はむごいものです。
ドローンが上空から撮った動画によって戦車が爆撃され、焼失していく映像を見るたびに、この戦車には4人か5人の若者たちが乗っていたんだよね…、と悲しみを抑えられません。
戦争の不合理さを少女の眼からじんわりと伝えてくれる小説です。
タイトルからは、とても内容が想像できません…。いいのでしょうか…。
(2022年3月刊。税込1870円)

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