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カテゴリー: ヨーロッパ

ヒッタイトに魅せられて

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 大村 幸弘 ・ 篠原 千絵 、 出版 山川出版社
 残念なことにトルコには行ったことがありません。先日の大地震による被害は壮絶でした。明らかに人為的な手抜き工事の結果としか思えない高層ビルの崩壊は痛ましすぎて、声も出ません。
この本は、トルコの遺跡を発掘している日本人学者にマンガ家が質問して展開していく本です。これまた残念なことに、このマンガ家によるマンガ(「天河」)も読んでいません。「天は赤い河のほとり」(小学館)は、まさしくこの遺跡あたりを舞台としている(ようです)。
 トルコでは昔も今も女性の力は強い。まあ、これは日本でも同じですよね…。
 マンガでは、ヒッタイト帝国の最盛期、紀元前14世紀ころを舞台として、ラムヤスⅠ世などが登場する。少女マンガなので、史実を忠実になぞっているわけではない。それにしても、たいした想像力ですよね。
 ヒッタイトが当時、最強の武器だったはずの鉄と軽戦車をもっていたのなら、簡単に滅ぼされるはずはない。ああ、それなのに…。この疑問からスタートした。それにしても、遺跡の発掘には、信頼できる仲間が必要。
 ドイツ人にとって、アナトリアのヒッタイト帝国には、民族的、語学的に自分のもの。なのに、なんで日本人ごときが、ここで発掘なんかするのか…。なので、ドイツ調査隊からは、完全に無視された。いやあ、こういうこともあるんですね…。
 発掘調査は、継続できて、初めて考古学という学問が成り立つ。なので、発掘場所が政治的に安定しているかどうかは、とても大きな問題となる。
 大事なことは、黙って、地味にやる。発掘調査には、年間に数千万円単位のお金がかかるのですよね。いったい、どうやってこれをまかなったのでしょうね…。
 発掘して出てきた遺物をきちんと整理、保存する。そして、次世代の若手研究者を育てる工夫もする。小学生を招いてレクチャーし、質問の時間もとっておく。大切なとですね。
 発掘調査は6月中旬から9月下旬までの3ヶ月ほど。発掘より整理のほうが時間を要する。
 発掘調査をする人は、現地の労働者とうまくやっていけることが、ものすごく大切。
 そして、毎週、子どもたちの前で授業をする。そして、研究室にも子どもたちが自由に出入りできるようにしている。盛大な拍手を送ります。
 発掘調査のなかで、毎年、数十万点ほどの遺物が出てくる。その収蔵庫が5棟ある。すべて開放して、誰でも自由に使えるようにしている。これはすごいですね。といっても、日本からだとあまりに遠い、遠すぎるのです…。
 ヒッタイトのヒエログリフ、そして楔形文字を読めるというのは、容易なことではない。残念なことに、ヒッタイトが使っていたという軽戦車は、まだ1台も発見されていない。ツタンカーメンの軽戦車は、ほとんどが木製で、儀礼用のヒッタイトのそれは、3人乗りで、エジプトのは2人乗り。見てみたいですよね、ぜひ。
エジプトとヒッタイトとは、まったく異なる世界。エジプトのファラオ(王)は、生きているときから、神として崇(あが)められる。絶対的な権力者。これに対して、ヒッタイトの王は、生前中は、神ではなく、限りなく人間。ヒッタイトの王は、あくまでも人間で、死んでから神様になる。
ヒッタイトの副葬品は、エジプトの金銀財宝のようなものは一切ない。本当に地味。
ヒッタイトでは、死者はおおむね火葬にされる。
ヒッタイトは分権的で、とても合理的。
ヒッタイトでは「鋼」がつくられていた。
ゾロアスター教は、日本にも影響を与えていた。
ヒッタイトの謎に迫りたくなってくる本です。読むと世界が広がります。
(2022年11月刊。税込1980円)

クレムリン秘密文書は語る

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 名越 健郎 、 出版 中公新書
 ソ連がなくなったのが1991年ですから、もう32年にもなります。ソ連時代の秘密文書が公開されて、だんだん歴史の真実が明らかになってきました。
 私が1995年3月に発行された本書を読んだのは、元日本兵のシベリア抑留に関連して、その真相を知りたいと思ったからです。
 スターリンの極秘指令によりソ連が元日本兵をシベリアに送って強制労働させたのは、北海道の北半分をソ連が占領することをスターリンがアメリカのトルーマン大統領に提案したのをトルーマンが拒絶したので、その腹いせに元日本兵をシベリアに送ることにしたという仮説(有力説という表現もあります)があるのです。
 6月26日、クレムリンで対日参戦問題をめぐる重要会議が開かれた。このとき、メレツコフ第一極東方面軍司令官が北海道占領を提案し、フルシチョフが支持した。モロトフ外相やジューコフ元帥は反対。ジューコフ元帥は北海道を占領するなら、戦車と大砲を完全充足した4個師団が必要だとスターリンに説明した。
 スターリンは8月9日の満州進攻作戦の直前、北海道北半分の占領に備えて4個師団を北海道に投入する計画を策定したうえで、8月16日付の書簡で、トルーマン米大統領に北海道北半分の占領を認めるよう要求し、同時にサハリン南部に対して北海道上陸の出発準備をするよう通達した。しかし、8月25日にサハリン南部の解放(占領)が終了したあとも、北海道上陸作戦の出動命令は出されなかった。
 このように、ソ連軍が北海道北半分の占領を目ざして準備し、進攻しようとしたのは事実のようです。もし、そうなったら、朝鮮半島で起きた紛争、とりわけ朝鮮戦争のような事態が北海道で起きたかもしれません。ぞぞっとしますよね…。
 しかし、ソ連の国防委員会が8月22、23日に開かれ、元日本兵のシベリア抑留が決められた。8月16日の時点では、満州に19の収容所が設営され、そこに武装解除された元日本兵が集められて、そこから日本に送還する予定だった。それが1週間後の8月23日にシベリア抑留が決定された。
 しかしながら、スターリンの極秘指令文書をみると、ソ連への全10地域47収容地を列挙し、投入する人数から移送・収用条件まで綿密に描かれていて、ソ連当局はかなり前から元日本兵の抑留と強制労働を決め、周到な準備をすすめていた。
 私も「1週間で大転換があった」という説には乗りません。というのも、元ドイツ兵の捕虜を100万人以上も使役してソ連の都市の復興に役立たせていたわけなので、それをスターリンが知らない、忘れていた、なんてということは考えられないからです。
 歴史の真実を知るのは容易なことではないことが、しっかり伝わってくる本でした。
(1995年3月刊。税込720円)

北アイルランド総合教育学校紀行

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 姜 淳媛 、 出版 明石書店
 同じキリスト教を信仰しているはずなのに、しかも同じ民族なのにカトリックとプロテスタントで殺し合うという状況が生まれるのは、とても私には理解できないところです。ともかく、北アイルランドでは1970年代まで暴力とテロが横行していました。私もいくつか映画をみて、その悲惨な状況を少しだけ察していました。この本は、そんな殺し合いの状況を抜本的に変えるため、子どものころに両派を混ぜこぜにして教育し、交流体験によって争う必要なんて何もないことを実感させようという取り組みがすすめられていることを、韓国人の学者が現地に出向いて視察してきたのをレポートしたものです。
北アイランドでは1970年代から2000年ころまで、武力的対立があり、それは軍人や民兵団だけでなく、年寄りも子どもも区別なく攻撃の対象となった。そして暴力的テロは、公共の場所、街路、民家を問わず、いつでもどこでも起きた。
アイルランドの人口350万人のうち96%がカトリックで、北アイルランドでは120万人のうち40%未満がカトリック。暴力的テロの犯人たちを逮捕して刑務所に送っても、そこがさらに暴力の温床になる。
北アイルランドは、内戦に近い激しい試練の時期が続き、死傷者は15万人を超える。人口150万人のうち1割が紛争の犠牲になった。
北アイルランドでは40%がイギリスの市民権を、25%がアイルランド市民権、そして21%が北アイルランド市民権を取得している。その他の市民権は15%に近い。
ベルファストの西側は、住民の9割がカトリックで、南側は8割がプロテスタントというように、住居地も分割されている。
カトリックとプロテスタントを対話への道に導いたのは「コリミーラ」という市民団体だった。このような北アイルランドの平和を志向して活動する団体に対して、2回もノーベル平和賞が授与された。
北アイルランドでは、名前を聴くだけで、「あの人はアイルランド人だな」、「この人はブリトン人だ」ということが分かる。スポーツ、歌、食べ物が、すべて宗派分離主義文化の色に染まっている。だから、互いに共存できる統合教育が切実であり、これは早ければ早いほど、いい。それは、そうでしょうね。
統合学校が原則をきちんと守って成功し、それを拡散し、全社会に適用して初めて北アイルランドが健やかに生き返る。常に子どもたちを尊重する。それによって、学力伸長の問題は事前に解決する。自身が欲する方向へ成功する可能性を高めるためのロードマップを一緒に創るので、生徒たちは一人でなく、教員たちも生徒たちの成功を通じて自分の成就感を味わう。
統合学校のひとつ、シムナ校では、生徒指導のひとつは体罰禁止、放課後の居残り禁止、罰として宿題を与えることの禁止、休み時間や昼食時間の取り上げの禁止というものも定められた。いやぁ、いいことですよね。
テロで息子や娘を喪った親が平和と和解運動に立ち上がったのでした。そして、その取り組みのひとつが、統合教育をすすめる学校づくりだったのです。たとえば、エニスキレン校では、子どもの宗派構成は、カトリック44%、プロテスタント42%、その他16%となっている。一つの宗派が50%を超えないように配慮している。子どもたちが、自らコントロールすることができる能力をもつようになると、学力が事前に向上した。学校の成績が上がると、多くの待機者が入学順番を待つようになり、定員も次第に増えていった。
アイルランドでは11歳のとき選抜試験を受けさせるシステムがあるようです。これに落ちた子は11歳で早々に社会的落伍感を味わされることになります。11歳というと、小学5、6年生ですから、その時点で進路を選択させるというのは、少し酷すぎますよね。
そして、北アイルランドでは、学校に教科書がなく、自分の授業は教師が自分で開発し実践するもののようです。これまた、たいしたものです。日本のように文科省検定の教科書がないというのにも驚きました。
かつて暴力と混乱の社会だった北アイルランドは、今ではEU内でも安定的な社会として認められているとのこと。そして、カトリックとプロテスタントだけでなく、10%を超える移民集団も国内には存在する多文化社会になっているとのこと。
統合教育は、単一の教育の場で多様な教授法を通じて子供たちが自身の社会的アイデンティティを形成していけるようにすることであり、究極的に現在の社会の争いのある状況を克服し、態度の変化と、許し、そして和解をすることができるように教育しようとするもの。
統合学校出身の人は、ほかの文化的な背景を持った人たちに対する接し方をうまく習得すると同時に、カトリックとプロテスタントのあいだの否定的固定観念もほとんどなく、対立する集団との意思疎通に対する認識も肯定的になる。
このように、統合教育は、ユネスコをはじめとする国際社会が追及している民主的包容性を志向する教育を実現している。統合教育は、北アイルランドに京の平和と和解をつなげてくれる橋になっている。
大阪の渡辺和恵弁護士の実姉である米沢清恵さんが翻訳した本です。2月半ば、事務所にいて待ち時間ができたので、420頁あまりの大部な本ですが、論文集ではなく、ルポルタージュ中心なので、一気に読了することができました。ありがとうございました。
暴力によって分断された社会を統合するには、子どもたちの力を借りる、そのために統合教育が有効だということを実感することのできる本でした。大変勉強になりました。
(2023年2月刊。3700円+税)

シベリア抑留秘史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ロシア最高軍事検察庁 、 出版 終戦史料館出版部
 元日本兵60万人がシベリアに抑留され、その1割が死亡するという悲惨なシベリア抑留は、スターリンが北海道の北半分を占領することを求めたのに対して、アメリカのトルーマン大統領が拒絶したので、その代わりとしてバタバタと決まって実行されたという説があることを最近、初めて知りました。でも、私は懐疑的です。
 8月16日、日本軍(関東軍)総司令官山田乙三大将と停戦交渉にあたっていたソ連軍のワシレフスキー元帥に対して「日本軍の捕虜のソ連領への移送は行わない」などとする指示がモスクワから来ていた。モスクワというのはスターリンの指示です。
 同日、スターリンはトルーマン大統領に対して北海道の北部(釧路と留萌を結ぶ線より北側)をソ連軍が占領することを認めるよう求めた。しかし、トルーマンは8月18日、千島列島についてはソ連領とすることは認めつつ、北海道北半分の占領は拒否した。
 8月20日、モスクワはワシレフスキー元帥に対して北海道への上陸・占領作戦を準備するよう指示した。この指示には、同時に、「本部の特別司令によってのみ開始すること」という条件がついていて、その特別司令は結局、発されることはなかった。
 8月23日、スターリンは、強い口調で不満を表明したが、結局、北海道上陸は断念した。
 この本は、以上の経緯を明らかにして、「北海道占領の断念が転じて捕虜の(シベリア)強制抑留に連なった」としています。
 しかし、私は、この説には賛同できません。なぜなら、すでにスターリンはドイツ軍捕虜300万人をソ連領内の都市の復興に「活用」していた実績があるからです。シベリアを含む極東の都市等の再生に日本兵捕虜を「活用」することは、スターリンが北海道北半分を占領してかかえこむことになる「苦労」よりはるかに上回るメリットがあることは明らかです。「シベリア抑留」と「北海道北半分の占領」とをスターリンが天秤に考えていたなんて、私からすると、あまりに非現実的です。
 この本には瀬島龍三という戦後日本で大きな役割を果たした人物、ソ連のスパイになったのではないかと疑われている人物について、好意的に紹介しています。
 また、近衛文麿首相の長男である近衛文隆の死亡に至る経緯も明らかにしています。
 1992年9月に発行された本を古書として求めました。
(1992年9月刊。税込3000円)

私はヒトラーの秘書だった

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 トラウデル・ユンゲ 、 出版 草思社文庫
 映画『ヒトラー、最期の12日間』はみていますが、それの原作とでもいうべき本です。
 ヒトラーが結婚式をあげたばかりの妻・エーファ・ブラウンと2人、ベルリンの首相官邸の地下で自死(ヒトラーは青酸カリを飲み、ピストルで自殺)し、部下たちが爆撃で出来た凹地に2人の遺体を入れてガソリンで焼いた状況をすぐ近くにいて見聞していた秘書です。
 ヒトラーは、いまだにこの地下防空壕で影法師のごとく生きている。落ち着かず、部屋から部屋へさまよい歩く。
 「私は、もう肉体的に戦えるような状態ではない。私の手は震えて、ピストルが握れないくらだ。…どんなことがあっても、私はロシア人の手にだけはかかりたくないんだよ」。ヒトラーは、ぶるぶる震える手でフォークを口に持っていく。歩くときは、床に足を引きずってゆく。
 ラジオは、ヒトラーが不運な街にとどまって運命を共にし、自ら防衛を指揮していると繰り返している。しかし、ヒトラーがとうに戦闘から身を引き、自分の死をだけを待っていることは、総統防空壕にいる少数の側近しか知らない。
 突如、銃声が一発、ものすごい音をたてて、うんと近くで鳴った。たった今、ヒトラーが死んだ。やがて、肩幅の広いオットー・ギュンシェが戻ってきた。ベンジンの臭いがむっと立ちこめる。若々しい顔が圧にまみれて、しょぼしょぼしている。酒瓶をつかむ手が小刻みに震えている。
 「僕は総統の最後の命令を実行した。ヒトラーの死体を焼いたんだ」
 死んだヒトラーに対して、憎しみとやり場のない怒りみたいなものが忽然(こつぜん)と湧きあがってきた。我ながら、びっくりだ。
 戦後、著者(トラウデル・ユンゲ)は、『白バラ』グループに入って活動して、ナチスからギロチン刑に処せられたゾフィー・ショルを知りました。同じくドイツ女子青年連盟に入り、ゾフィー・ショルのほうが1歳下。そして、次のように考えた。
 ゾフィー・ショルは、ナチス・ドイツが犯罪国家なのだということをちゃんと分かっていた。自分の言い訳はいっぺんに吹っ飛んだ。
 「私は間違った方向に進んでいった。いいえ、もっと悪いことには、決定的な瞬間に自分で決断を下さず、人生をただ雨に降られるままにしておいた…」
 「知ろうとすれば知ることができたはずだ。知ろうとしなかったから、自分は知らなかった」と自覚した。
 最晩年のヒトラーがこれほど生々しく描かれている本はほかにありません。ヒトラー暗殺未遂のときも、その現場近くで秘書として生活していましたし、山荘そして首相官邸でのヒトラーの私生活を伝えている貴重な手記です。
 ヒトラーは酒を飲まず、食事は菜食主義者、そして薬漬けの日々でした。女性との浮いた話も意外なほどありません。犬は可愛がっていました。やっぱりヒトラーは異常人格だったと言うべきなのでしょうね…。
(2020年8月刊。税込1320円)

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