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カテゴリー: ドイツ

関心領域

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 マーティン・エイミス 、 出版 早川書房
 映画をみて、原作本を読みました。でも、全然、印象が違います。
 なにしろ、映画では、アウシュヴィッツ絶滅収容所は高い塀の向こうにあるだけ、煙が見え、ときどき不気味な音が聞こえてきますが、内部の様子はまったく見えません。
 ところが、本ではゾンダーコマンドのリーダーが登場して作業の状況も自分たちの心理状況も語って教えてくれるのです。
 映画でも、臭いは感じることができませんが、本では収容所の周囲に住む人々からの苦情が紹介されます。この町では、夕方6時ころから夜10時ころまで誰も食べ物が喉を通らない。風向きが変わって、南から強く吹くから。臭いのせい。これに対して収容所側は伝染病でやられた豚を殺処分して焼却していると説明します。
 ドイツ軍が東部戦線でソ連軍と対決中で、スターリングラード攻防戦の最中です。マンシュタイン将軍(ナチス)とジェーコフ将軍(ソ連)が話のなかで登場してきて、当初は楽観的だったのに、ついにナチス軍は降伏してしまうという状況です。ユダヤ・ボリシェヴィズムは年内に打ち砕かれるだろうというナチス収容所側の予想が見事に外れてしまうのです。
 ゾンダーたちは、厚みのある革のベルトを使って残骸をシャワー室から死体保管庫まで引きずっていく。ペンチとのみで金歯を引き抜き、裁ちばさみで女性の髪を切り取る。イヤリングや結婚指輪をもぎ取る。そのあと、滑車装置に7体ずつ積み上げ、口を開けた焼却炉まで持ちあげる。最後に灰をすりつぶし、その粉塵はトラックに積んでヴィスワ川にまかれる。
 五感のうちで唯一、ゾンダーがある程度まともに保持しているのは味覚。ほかの感覚は、ひどいダメージを受けて死んでいる。触覚もおかしい。ゾンダーが、どんなものを見て、どんな音を聞いて、どんなにおいを嗅いでいるかを考えたら、食べ物の味くらいはまともに感じる必要があると納得してもらえるだろう…。
 ゾンダーは言う。もう死を恐れてはいないが、死ぬことは恐れている。死ぬ瞬間が怖いのは、苦痛を感じることになるから。いろいろ見てきた経験上、60秒もたたずに死に至ることはない。たとえ、首(うなじ)を撃たれても、本当に死ぬまでに必ず60秒くらいはかかってしまう。
 ゾンダーコマンド、特別労務班は収容所で一番悲しい人間である。それどころか、世界の歴史のなかで一番悲しい人間だ。
 映画のほうは死が至るところにある絶滅収容所に隣接する庭にプールがあって、子どもたちが楽しく泳ぎ、草も花も野菜もふんだんにある庭園、そして、人々は憩うのです。
 実に恵まれた環境なので、所長夫人は夫の転勤を断乎として阻止します。人間の本性が、こんなに使い分けの出来る生物であることが私は不思議でなりませんでした。
(2024年5月刊。2500円+税)

キンダートランスポートの少女

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 ヴェラ・ギッシング 、 出版 未来社
 チェコ人の子どもたちが、ナチス・ドイツの侵攻直前に集団でイギリスに疎開して助かったという話の当事者が語った本です。
 先日、天神の映画館(KBCではなく、キノ・シネマ)でみた映画「ワン・ライフ」のパンフレットで紹介されていたので、至急とり寄せて読みました。
 チェコにいた1万5千人ものユダヤ人の子どもたちがヒトラーのユダヤ人絶滅政策によってホロコーストで殺害され、強制収容所から生還できたのは、わずか100人だけでした。
 ところが、ロンドンで村の仲買人をしていた30歳のニコラス・ウィントン(愛称はニッキー。元ユダヤ人)が、チェコに入ってユダヤ人の子どもたちをイギリスに集団疎開させる事業に取り組んだのです。大変な事務手続がいります。輸送費用もかかります。子どもたちを引き受けてくれるイギリス人家庭も探さなくてはいけません。それをニッキーは仲間と一緒にやったのです。
 ヒトラー・ナチスがチェコを併合する前の3ヶ月間にニッキーはやり遂げたのです。でも、最後の列車の便に乗っていた子どもたち250人は列車に乗り込んだものの、ついに引きずりおろされ、死に追いやられてしまいました。ニッキーは、自分たちの努力で助けた669人の子どもの存在を誇るというより、むしろ助けられなかった250人の子どもに申し訳なく、罪の意識を感じてしまい、戦後ずっと自分たちの行動とその成果を封印して生きていたのです。
 それが、1988年2月にイギリスのテレビ番組で取り上げられ、ついに世の中にニッキーたちの取り組みが知れ渡りました。助かった669人の子どもたちが、先日の映画では子や孫たちが増えて6000人になったとされていました。「シンドラーのリスト」や日本人外交官「センポ・スギウラ」の話とまったく共通します。
私は、ガザに侵攻したイスラエル軍の蛮行は、まさしく「ユダヤ人虐殺」と同じようなもので、立場を変えて「虐殺」が進行していて、今も止まっていないことを思い、涙が止まりませんでした。
 この本には、なぜチェコのユダヤ人の子どもを受け入れたのかと問われたイギリス人の答えが紹介されています。
 「私は自分が世界を救うことができないことも、戦争を止めさせることができないことも分かっていたけれど、人を一人助けることはできると思ったんだ」
 ニッキーはイギリスで棟の仲買人として安楽な生活をしていたのです。しかし、チェコに行って子供たちが危ないと思ったら、救助活動しなくてはいけないと思って行動を開始したのでした。もちろん、一人でやれることではありません。大勢の仲間と一緒にやったことです。
 でも、肝心なことは誰かが口火を切って動き出す必要があるということです。
 ウクライナもガザも戦火を止める必要があります。尖閣諸島が中国にとられないように日本が軍備を増強するのは仕方がない。そんなことを考えている問題ではないのです。むしろ、日本(政府)の行動こそ戦争を招いている。それを一刻も早く日本人みんなが自覚すべきだと、映画をみて、本を読んで痛切に思いました。
(2008年5月刊。2500円+税)

ナチ親衛隊(SS)

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 バスティアン・ハイン 、 出版 中公新書
 最近、たて続けにナチスに関わる映画を2つみました。「関心領域」は、この本にも登場するアウシュヴィッツ収容所のヘス所長の一家を淡々と描いています。この新書によると、ヘスは、回想録のなかで、自分のことを「意思のない、常に礼儀正しい、命令に従うだけの者」としているが、実際には、強制収容所の司令官として無制限の権力を振るい、収容者の生死を左右し、親衛隊であげた「業績」(いかに効率よくユダヤ人を大量殺害したか)を誇りにしていた。
 映画では、壁の向こうで大量虐殺が進行しているのに、ヘス一家はプールもある豪勢な家で安穏と過ごしていたのです。ユダヤ人犠牲者から奪った宝石や衣服など身を飾りながら…、です。いかにもおぞましい生活なのですが、壁の向こうで進行中の人道に反する大量虐殺の事実は、見ようとしなければ、まったく見えてこないわけです。
 もう一つの映画は「ワン・ライフ」です。こちらは、ナチス・ドイツの侵攻直前のチェコから子どもたちをイギリスに連れ出して救出したという実話を映画にしたものです。一人の証券マンが、事実を知ってやむにやまれぬ思いで現場に行って、600人以上の子どもたちの救出に成功したのです。現在進行形のガザの現実を重ねあわせて、涙の止まらない思いでした。
 ヒムラーが最終的に第三帝国のナンバー2になった(なれた)のは、競争相手から繰り返し過小評価されていたこと、外見がぱっとせず、人目を引くことがなかったこと、そして、常にヒトラーに対してへりくだった態度をとっていたから。なーるほど、そういうこともあるのですね。
 ヒトラーは、「アーリア人」の厳密な定義づけをむしろ避けた。「アーリア人」とは、「ユダヤ人」とは正反対の存在だと定義するだけだった。人間は、そんなに簡単に定義づけられるものではないということです。
 親衛隊の隊員は優秀な人種から選抜されるということだったが、ナチスの医師の多くは「人種検査」を行う能力も動機も欠いていた。「人種検査」は客観的と称していたが、実際は恣意的なものだった。
親衛隊は「エリート集団」のはずだったが、実際にはそうではなかった。隊員の出身の多様性は特徴的だった。
 ヒトラーの無二の友人だったエーミール・モリスは、曾祖父がユダヤ人だったが、「名誉アーリア人」として親衛隊に迎え入れられた。
親衛隊員は、自分たちの残忍性を隠すべきこととは思っていなかった。
国防軍の将校になるために必要だったアビトゥーア(大学進学資格試験)は親衛隊の将校には不要だった。
武装親衛隊の「英雄行為」は、軍事上で見込みのない戦争を長引かせた、だけだった。
 ユダヤ人大量殺害に手を染めた親衛隊は、心を病んでいった。彼らの目は、海底に横たわって死んでいるタイの目に生き写しだ。彼らの人生は終わった。これで育成される部下は、神経病者か荒くれ者だ。
 戦争を生きのびた親衛隊は武装隊員で60万人、一般隊員でも15万人もいた。
 1963年から1965年まで続いたアウシュヴィッツ裁判では、刑は軽かったが、アウシュヴィッツ収容所の実態を広く世界に知らせたという点で大きな意義があった。そうなんですね、広く知られてはいなかったわけです。まあ、想像を絶する残酷な世界だったわけですから…。
 ナチ親衛隊(SS)の実像を手軽に読んで知ることのできる新書です。戦争が起きると、こんなひどいことがまかり通るのですね…。日本も、自民・公明政権がどんどん戦争準備をすすめていて、かえって戦争を招こうとしているのですが、本当に心配です。軍備増強より教育・福祉を充実させましょう。
(2024年4月刊。1100円)

島原城まるわかりブック

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 吉岡 慈文(監修) 、 出版 長崎文献社
 島原城下には武家屋敷の並ぶ通りがあります。道の真ん中に清らかな水の流れる水路が走っています。落ち着いて散策できるので、おすすめです。知覧(ちらん)や角館(かくのだて)ほどの規模ではありませんが…。
 島原城の近くには、有名な戦国時代の合戦場があります。「沖田畷(おきたなわて)の合戦」があったところです。天正12(1584)年、佐賀の戦国大名・龍造寺隆信が大軍を率いて島原半島に攻め込んできました。迎え撃つ有馬晴信は鹿児島の島津氏に援軍を頼みます。このとき、島津軍の策略にはまって、大将の龍造寺隆信が首を討たれ、佐賀の軍勢は惨敗を喫したのでした。島津勢の強さは待ち伏せ戦法にもあります。
そして、島原城を築いた松倉重政はキリシタンを厳しく取り締まり、過重な年貢徴収をすすめ、島原・天草一揆の原因をつくり出しました。
 ただ、この重政は、ルソン島(フィリピン)に使節を派遣していたそうです。そして、その子の松倉勝家の治世下に大一揆が始まるのでした。
 原城跡には2度か3度、私は行ってみましたが、ここに3万人からの百姓たちが一家一村あげて生活していて、ほとんど皆殺しの憂き目にあったかと思うと、感慨深いものがあります。それはキリスト教信仰だけの問題ではなく、生存そのものが脅かされていたから大一揆は起きたと私は考えています。
大一揆の原因をつくった勝家は、切腹させられたのではなく、責任をとらされ、大名として異例の斬首の刑に処されました。
 島原は、平成になってからも噴火し、大規模な火砕流が起きて大災害となりましたが、寛政4(1792)年にも「島原大変、肥後迷惑」と今でも語り伝える大災害が起きました。死者1万人とも言われています。
 島原城下をゆっくり散策し、そのあと温泉に浸るというコースは、おすすめです。
(2024年3月刊。1200円+税)

「悪の凡庸さ」を問い直す

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 田野大輔・小野寺拓也 、 出版 大月書店
 ナチスによるユダヤ人大虐殺の仕掛け人の一人、アイヒマンについて、アンナ・ハーレントは裁判を傍聴して「凡庸な役人」に過ぎなかったとしました。本書は、果たしてそうなのか、議論しています。興味深い対話が続きます。
 アイヒマンは、無名どころか、アイヒマンの名は1930年代後半から、しばしば新聞などで言及されていて、ユダヤ人問題に関する権力者として広く知れ渡っていた。アイヒマンは、「ユダヤ人の皇帝」と呼ばれて恐れられていた。
 アイヒマンは、アルゼンチンで敗残者として生きていたのではない。西ドイツの平均賃金を上回る給与を得て、家族とともに高級保養地でバカンスを楽しむゆとりをもっていた。1952年にオーストラリアから妻と3人の息子を呼び寄せ、1955年には四男ももうけている。
アイヒマンは本名のままで世界観に関する論議をし、ナチスの第三帝国時代の内輪話をして、社交の中心にいた。
 アイヒマンは録音されたインタビューのなかでユダヤ人の大量虐殺があったことをはばかることなく認め、それについて何の後悔もしていないと言い放った。
アルゼンチンで、逃亡中の身でありながらアイヒマンが長広舌をふるったのは、重要人物としてスポットライトを浴びる快感にあらがうことができなかったから。
 アイヒマンにはユダヤ人の遠縁も何人かいて、就職に際して便宜を図ってもらったこともある。
ナチス機構のなかで大学出でもないアイヒマンが出世するには、ユダヤ人政策において業績をあげるしかなかった。アイヒマンは、自分はユダヤについての知識を豊富にもっていると周囲に信じさせるだけの演技力を身につけていた。
 アイヒマンは無能ではなかった。アイヒマンの知性は、ナチスのような不法国家においてのみ評価される類のもの。アイヒマンは単純な命令受領者ではなかった。
 アイヒマンは、法規や命令を遵守(じゅんしゅ)するだけの杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)な官僚ではなかった。むしろ、前例を打破して、目ざましい成果を上げるクリエイティブな組織者として名を馳(は)せていた。
 アイヒマンのユダヤ人に対する個人的な憎悪は希薄だった。仕事で実績を上げて名声をえたいという出世欲や功名心がアイヒマンを突き動かした。
 アイヒマンは中央官庁にいて、事務仕事をしているだけではなかった。東欧各地の現場で、ユダヤ人銃殺に直接従事していたし、頻繁にユダヤ人殺戮現場を視察して指示を出していた。
 アイヒマンという人間の本質特質に触れた思いのする本でした。フツーの人が、自分の欲望を満足させるため、信じられないほどの極悪・非道なことができるし、するものだということが、改めてよく分かりました。
(2024年1月刊。2400円+税)

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