法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: アメリカ

戦争詐欺師

カテゴリー:アメリカ

著者 菅原 出、 出版 講談社
 イラク侵攻作戦を指揮したトミー・フランクス中央軍司令官(当時)は、ダグラス・ファイス国防次官(当時)について、「地球上で最低のくず」と自伝の中でののしった。このようなブッシュ政権内の対立は、単なる路線対立ではなく、血なまぐさい内部抗争だと言った方がいい。
 うひゃあ、す、すごいですね。ここまで言うか、と思うほどの悪罵が投げつけられたんですね。それほどの怒りとストレスがブッシュ政権内にわだかまっていたのでしょう。
 コリン・パウエルはアメリカ陸軍の正統的な考え方の持ち主である。現代アメリカ陸軍の考え方は、ベトナム戦争の教訓を色濃く反映しており、軍事力の行使には非常に消極的である。軍事力の行使には明確な政治目標があること、国民の広い支持があること、そして何より圧倒的な兵力を投入することを原則とする。アメリカ陸軍の主流は、日本人が考える以上に、軍事力の行使に消極的である。なるほど、そうなんですね。
ネオコンとは、もともと、1960年代に極端に左傾化した民主党についていけなくなり、共和党の保守陣営に鞍替えしたタカ派の旧民主党員のことをさす。
 超タカ派のネオコンにとって、CIAのイメージは、軟弱、敵の脅威の見積もりが甘い、リベラルな学者、危険を犯さず、リスクをとらない官僚集団、という非常にネガティブなものばかりである。
 イラク戦争の前にパウエルもブッシュもイラクに大量破壊兵器があると高言した。しかし、まったくの間違いだった。なぜか?
 拷問によって特定の「証言」を引き出そうとした尋問官、ねつ造情報を売却して一攫千金をもくろんだ情報詐欺師、アメリカに恩を売って政治的立場の強化を図ろうとした外国情報機関、裕福な亡命生活を夢見て嘘に嘘を重ねたイラク人亡命者、自分たちの存在意義と自己正当化に固執した情報分析官など、「インテリジェンス」(情報)の世界でうごめく人間たちの実に生々しい、そしてきわめて人間的な営みが、そこにあった。
 イラク侵略戦争のとき、アメリカ軍の制服組は40万人の兵力の投入が必要だと考えた。そこでは戦闘と、その後の占領も考慮に入れられていた。しかし、ラムズフェルド国防長官(ネオコン)は、アフガン戦争型の小規模で機動的な部隊の運用、早さと奇抜さにもとづいた作戦に必要な7万5000人の兵員と考えていた。
 そして、将来のことなんて、誰にもわからないのだから、いちいち計画を立てていても仕方がないという乱暴な議論が横行していた。
 今なお、自爆テロの絶えないイラクの状況を考えると、アメリカによるイラク侵攻作戦と、それに加担し続けている日本政府の誤りは、ひどいものがあると思うのですが、日本の世論もマスコミも、その点では、あきらめが先行しているせいか、ほとんど盛り上がりません。残念です。
 
 東京に行ったとき、珍しく空き時間ができたので、有楽町近くの地下街に地方物産展があるのを見つけて、ふらふらと入ってみました。さすがは東京です。全国のちょっと気の利いたものが所狭しと並べられています。そんななかに、生せんべいというのを見つけました。なんだろう。そんなもの食べたことないぞ。手に取って見ると、ずっしりとしています。お餅みたいです。値段は手ごろですので、迷わず買いました。
 自宅で食べてみると、ちまきと同じ味がしました。もち米ではないので、生せんべいと名付けたのでしょうか……。
 愛知県半田市の特産品と書いてありました。
(2009年4月刊。1800円+税)

銃に恋して

カテゴリー:アメリカ

著者 半沢 隆実、 出版 集英社新書
 武装するアメリカ市民というサブタイトルがついています。3億のアメリカ人に対して、2億丁もの銃があるというのです。アメリカって、異常なほど銃に頼った国ですよね。
 アメリカでは、銃による年間の死者は自殺を含めて3万人。毎日80人が亡くなっている。うち、殺人被害者は年に1万7000人ほど。1976年から2005年までの30年間で累計すると38万人が銃で殺された。
 2007年4月16日、バージニア工科大学乱射事件は、1人の学生(韓国出身)が30人を射殺した。だから、大学でも学生に銃で武装する権利を認めろという議論があるそうです。ぞっとします。大学内で銃撃戦をやりたいようですが、とんでもないことです。
アメリカは世界最大の武装社会。アメリカ国内の銃は年間450万丁ずつ増えている。2世帯に1丁の割合で銃を持っているが、これは世界最高の所有率だ。ちなみに、世界第2位はイスラム過激派で有名なイエメン。
アメリカでは、2002年から2006年にかけて、銃による殺人事件は発生率が13%も増加した。とりわけ、10代の若者が42%も増えた。とくに若い黒人男性の被害が深刻化している。
銃撃事件による被害についての損失をカウントすると、年間で1200億ドルにも及ぶと推計される。これは、ハリケーン「カトリーナ」の被害と同規模。つまり、アメリカは毎年、カトリーナ級の巨大災害を銃によって受けていることになる。
アメリカで銃規制を叫ぶと、その議員はヒトラーと呼ばれたり、共産主義者と呼ばれる、なんて、ひどい烙印でしょうか。
銃犯罪の被害者となるのは、都市部の住民であるが、彼らは銃規制を強く望んでいる。銃規制に反対するのは、地方や農村部の保守的な住民である。
白人の33%が自宅に銃を持っている。非白人では18%に過ぎない。
銃規制に反対する人々は、「日本のようになりたいか?」と問いかける。日本は警察ががんじがらめに市民を規制し、管理・監督している、自由なき国家だ。そんな国になりたくなかったら、銃を持つのを規制すべきではない、このように説くのです。
うへーっ、こ、これにはさすがの私もまいりました。もちろん日本が警察国家になるというのには賛成できません。でも、だからといって、それが銃規制反対の理由につかわれるというのは大変心外です。
銃があると人々は紳士的になるとか、安全が保たれるとか、まるで根拠のない議論だと思います。アメリカではライフルを買うのに何の規制もない。ただ拳銃を買うのに、ちょっとした証明書がいるだけ。それも第3者に買ってもらえばすむだけのこと。
日本はアメリカのようになってはいけないと思わせる本でした。
ところで、先日の新聞に、アメリカは日米安保条約があるので、日本が外国から万一攻撃されたら日本を守ってくれると日本人は考えているけれど、それは事実に反する、全くの幻想でしかない。防衛省の元高官がこのように語ったという記事がありました。アメリカが守ろうとしているのは、要するにアメリカであって、日本は、そのための捨石としてしか期待されていない。ところが、多くの日本人が依然としてアメリカに幻想を抱いており、一方的に、アメリカ軍は日本人を守ってくれる存在だと信じ切っています。おかしな話です。一刻も早く日本人は目を覚ますべきだと思います。
 
 白樺湖の周囲を歩いていると、影絵・切り絵美術館があります。つい先日亡くなった滝平二郎を思い出しながら、引き寄せられるようにして入ってみました。
 薄暗い室内に、柔らかい明りに浮きあがった影絵がたくさん並べられています。幻想的な絵が惜し気なく並んでいて、ふっと童心に帰ることができました。
 そして、部屋全体が天井まで一面の影絵になっているのです。残念なことに撮影禁止です。ですから、ぜひ、ここでそのイメージを紹介したいのですが、かないません。
 白樺湖周辺の四季折々の情景が、森の小人たちや女の子そしてみごとな草花…これらが後ろからの照明でほんのり照らし出され、目を奪われてしまいます。
 影絵をしっかり堪能したあと、部屋を出たところにある売店ではついつい買わずにはおれませんでした。
 そのあと出会った仲間に、あそこはいいよ、感動、感服したとワンフレーズの小泉みたいなことを言って誘ったことを半ばは後悔し、半ばは感動を分かち合いたいと思ったことでした。
(2009年2月刊。700円+税)

手ごわい頭脳

カテゴリー:アメリカ

著者 コリン・P・A・ジョーンズ、 出版 新潮新書
 アメリカのロースクールは3年制で、1年目が一番重要である。残りの2年間は、ほとんど自分の興味のある分野を勉強して、卒業に必要な単位を揃えればいい。しかし、1年目は必須の基礎科目を勉強しなければならない。ロースクールで教えられるのは、主としてそれぞれの分野の一般原則だ。
 ロースクールの学生たちが身につけるもの、それは「弁護士の思考法」だ。
 アメリカの陪審員制度は、日本の裁判員制度とは根本的に違う。たとえば、アメリカの陪審員は、裁判員がクロと思い、世論の9割もそう思っていても、被告を「シロ」にできる、すごい権限を持っている。それは、アメリカの法律制度は、政府に対する深い不信を大前提にしているからだ。
 アメリカの陪審は、法律を無視することができる。明確な法律違反があっても、被告に有利な評決を下すことが出来る。そして、検察は無罪判決に対して上訴することが出来ない。うむむ、このように断言できるというのでは、たしかに日本とはまったく違います。
 弁護士は、クライアント(依頼者)の目的を達成するために全力をつくさなければならず、弁護士本人の良心やモラルをその過程に挿入する場面は原則として存在しない。
 アメリカの弁護士は、ロースクールでサイコパス(精神病質者)としてのトレーニングを受けていると主張する心理学者がいるが、そのとおりだ。自分がまったく信じていない主張を、強く信じているかのように平然と主張できることは、通常の人なら精神病にかかっている証(あかし)となる。しかし、そのように主張することこそが、弁護士の仕事なのだ。
 弁護士が、自らクライアントの主張を信じていないような事件、自分の両親が引き受けるのを許さないような事件を引受けて、一生けん命に依頼者のために努力出来ないのであれば、社会的に嫌われている人たちや不合理な偏見に苦しんでいる弱者の権利は誰が守れるのか。そうなんです。なぜ悪い者の弁護士をするのかと問われることがあります。でも、それこそ弁護士としての仕事なのですと答えますが、なかなか分かってもらえません。
 弁護士の役割は、各市民がそれぞれ「正しい」と思っていることを、自ら法律制度を利用して追求するための手助けをすることに過ぎない。アメリカの弁護士の思考の根底はここにある。
 著者はニューヨークで10年のあいだアメリカの弁護士としてキャリアを積んだあと、2005年4月から日本のロースクールの教員として現在まで活躍している人です。アメリカの日本の弁護士の思考方法の違いと共通項がよく分かり、とても興味深い本でした。
 
(2008年10月刊。680円+税)

ウルフィーからの手紙

カテゴリー:アメリカ

著者 パティ・シャーロック、 出版 評論社
 ベトナム戦争をテーマとする本は、いつだって私の関心を強く惹きつけます。この本は、今から40年前、ベトナム戦争をたたかっていたアメリカに住む少年が、お国のために愛犬を送り出したという想定の小説です。ストーリーがとてもよく出来ていて、ぐいぐいひっぱられるような感じで、一心不乱に読みすすめました。
 ただ、これも犬好きの人でないと、もうひとつよく分からない心理かもしれません。たかが犬の話じゃないか、と思う人には、絶対おすすめしません。たかが犬、されど犬、なのです。犬は長く人間と一緒に生活してきたため、人間の感情をよく理解し、それにあった行動をとります。落ち込んでいる人間を見ると慰め、励ますのです。この本に出てくる犬が、まさに、そんな犬でした。
 マーク少年は、きっとお国のために役立つだろうと思って、ベトナムの戦場へ愛犬を送り出しました。ところが、軍隊では、犬は単なる道具でしかありません。しかも、いったん戦場に入ったら、人間と違って死ぬまで戦場から抜け出すことはできないのです。
 だって、敵と見たら、殺せという訓練を受け、それを実行していた犬が、平和な本国に戻ってきて、淡々とした日常生活を送れるという保証はあるでしょうか。「敵」だと見誤って善良な市民を殺してしまう危険だってあります。もっとも、人間もそうだということは今日では明らかです。つい先日亡くなった元アメリカ海兵隊員のネルソン氏の本を読むと、フツーの人が人間を殺すことがいかに大変なことか、よく分かります。
 ベトナム戦争に従軍した軍用犬は4000頭。そのうち500頭が作戦行動中に殺され、500頭が病気で死んだ。200頭だけはベトナムの外に出ることができたが、1頭もふつうの生活に戻ることはできなかった。安楽死させられたのだ。
 アメリカ軍はベトナムに贈られた軍用犬を「装備」に分類した。ベトナムで軍用犬は、1万人もの兵士の命を救った。軍用犬はパトロール部隊の先頭を歩き、隠された危険を探し出すという危険な任務に従事した。市民が愛犬を軍に提供したら、アメリカ陸軍の所有物となり、市民に戻されることはない。
 そのことを知ったマーク少年は、愛犬を軍隊に送ったことを後悔します。そして、軍隊から取り戻す運動に取り組むようになりました。父親はいい顔をしませんが、母親は援助してくれます。
 マーク少年は要求実現のためにデモを企画します。そこには、ベトナムで勇敢に戦って勲章をもらいながらもベトナムでの戦争は直ちに止めるべきだと叫ぶ反戦兵士たちも多数加わってきます。マーク少年は迷いながらも、自分のやってきたことを続けます。
 マーク少年が愛犬に手紙を出すと、訓練係そして世話係の兵士から、愛犬の名前で手紙が返ってくるようになりました。ベトナム戦争における生々しい戦場からの返信です。
 マーク少年の兄もベトナム戦争に駆り出されていて、あるときの戦闘行為によって大怪我をして本国送還となりました。足を切断して車椅子生活を余儀なくされたのでした。弟であるマーク少年に対しても、戦場での出来事はよく語ってくれません。
 そして、世話係の兵士から、愛犬が戦場でアメリカ兵をかばって敵の銃弾を受けて死んだとの手紙が届いたのです。ああ、なんということでしょうか。マーク少年たちのデモ行進がマスコミの注目を集め、国会議員も動き出そうとした矢先のことでした。
 身障者となってしまったマーク少年の兄は、「反戦帰還兵の会」に入って活発に活動するようになり、陸軍当局にPTSDを認めさせようと運動しています。
 ベトナムの戦場に送られた軍用犬を通して、兵士の家族の置かれた客観的状況そして家族内の価値観のせめぎあいがよく描けていて、思わず息を呑まされる本です。
 
(2006年11月刊。1700円+税)

バオバブの記憶

カテゴリー:アメリカ

著者 本橋 成一、 出版 平凡社
 実に心のなごむ写真集です。
 バオバブの木が、ひとり大平原にポツンと立っています。アフリカの昼間、熱い太陽光線をさえぎる木陰に、人々や動物たちがしばし憩いのひと時を過ごします。そこだけ、時間が停まったようです。
 バオバブの木は寿命4000年とか5000年とか言われています。何千年と生き延びてきましたが、このところ若木は育っていません。だから、今あるバオバブの木がやがて枯れたとき、そこには何も残らない心配があります。
 バオバブの木の中には年輪がない。満々と水を蓄えた空洞になっている。だから、朽ちて倒れてしまうと、やがて土に還るだけです。
 アフリカの人々は、昔からバオバブの木をとても敬い、大切にしてきました。霊感の強い木だとして、昼は近寄らないほどである。そして、その幹や葉をすべて薬として服用してきた。
 じっと写真を眺めているだけで不思議なほど心が落ち着きます。写真にキャプションがついていませんから、安心して写真に集中できます。どういう状態で撮られたのかのかなあと、知りたくなります。
 そして、その関心にこたえるようにして、巻末に写真についての解説がありますので、これらのバオバブの木がどんな状況で人々と共生しているのか、よく知ることができます。
 少し値段は張りますけれど、一見の価値のある写真集です。
 
(2009年3月刊。3400円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.