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カテゴリー: アメリカ

スーザン・ソンタグ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 波戸岡 景太 、 出版 集英社新書
 2004年に71歳で亡くなったスーザン・ソンタグは、現代アメリカを代表する知識人の一人。
 写真や映画といった映像文化に造詣(ぞうけい)が深く、ジェンダーやセクシュアリティの問題にも敏感。結核やガンといった病気についても熱心に議論した。そして、ベトナム戦争以来、9.11に至るまで、ずっと社会問題に反応し、政治的な発言を続けた。
 私にとっては、ベトナム戦争反対の声を上げていたアメリカの知識人の一人という印象です。
 評論家、映画監督、活動家という肩書きをもっていた。
知性には具体的なかたちがない。知性というのは、本質的に、見たり触ったりすることができない。
 物書きたるもの、意見製造機になってはならない。私はモノカキを自称していますが、「意見製造機」にはなっていませんし、なるのは無理だと考えています。この世の中は私にとって、あまりに理解困難なことが多すぎます。
 たとえば私は、なぜ鉄下鉄の中で携帯電話で話が出来るのか、まったく理解できません。
 ヴァルネラブルというコトバが何回も本書に登場します。脆弱性、被傷性、可傷性、攻撃誘発性など、さまざまに訳されている、難しいコトバです。
 「人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆(もろ)いものですね。いつ、どんなことで、どんな死にようをしないとも限らないから」(漱石の『こころ』)
 カメラは銃を理想化したもの。誰かを撮影することは、理想化された殺人、悲しく、怯えた時代にぴったりの、ソフトな殺人を犯すこと。これはソンタダの「写真論」の一節。
 カメラには「暴力性」があるというのです。うむむ、よく分かりませんよね…。
 愚か者たちの村、その名はアメリカ…。これはよく分かる気がします。
 だってバイデンは80代で、記憶喪失が心配されているのに、代わりの候補者がいない。トランプに至っては、私には大金持ちで、一般人を見下している、狂気の人としか言いようがありませんが、にもかかわらず、大勢の一般人が信者として存在するというマカ不思議さ。
 ソンタグは何人かの男性を愛し、何人かの女性を愛した。
 結婚して、子(息子)をもうけたソンタグはレズビアンでもあったようです。
 人間には、いろんな側面があるものなんですよね…。
(2023年10月刊。1210円)

南北戦争を戦った日本人

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 管 美弥・北村 新三 、 出版 筑摩書房
 アメリカの南北戦争は1861年4月から1865年5月までの4年間、続きました。日本の明治維新は1868年ですから、その直前になります。そのため、官軍と幕府軍の戦闘のとき、南北戦争が終結して不要となった大量の武器がアメリカの武器商人によって日本に持ち込まれたのです。
 アメリカの南北戦争では、両軍の動員総数は326万人、戦死者は62万人超です。その内訳は北軍が36万人、南軍が26万人弱となっています。
 この南北戦争に2人の日本人が参加していたという記録があるというのです。著者は、幕末なのでアメリカへの渡航が禁止されていたはずなのに、なぜアメリカ軍の兵士として日本人が参加できたのか、その可能性を探ったのでした。
 日本人2人の日本名は不明で、1人はサイモン・ダン(21歳)、もう1人はジョン・ウィリアムズ(22歳)。どちらも戦死せず、1865年に除隊しています。目の色も髪の毛も黒く、肌の色は浅黒いとありますから、日本人に間違いないようです。身長は152センチと155センチなので、こちらも当時の平均日本人の身長。
 南北戦争のとき、兵士の人数を確保するため、移民も容易に兵士になれるようにし、帰化権を与えることにした。その結果、北軍兵士の4分の1から5分の1を移民が占めた。
 海軍においては、黒人兵士は全体に占める割合は20%で、陸軍の比率より2倍も多かった。
 著者は、この南北戦争に参加した2人の日本人は漂流者あるいは密航者だった可能性があるとしています。たしかに、日本の漁民が海の時化(しけ)にあって遭難し、はるばるアメリカにまで漂流していった人は何人もいます。音吉、ジョン・万次郎、ジョセブヒコが有名です。
 次に、密航者です。吉田松陰も密航を企てた一人です。新島襄も1864年に箱館港から米船ベルリン号で出国し、中国・上海にしばらく滞在してボストンに着いています。
 著者は、目的のある密航者よりも、漂流者のほうに南北戦争に従軍した可能性は高いとしています。なるほど、ですね。
 江戸幕府は、その最終期に、6つの使節団をアメリカとヨーロッパに派遣した。いやあ、6つもの施設団を送っていたのですか…、知りませんでした。
 また、幕末に海外に留学していたのは合計148人に達するそうです。これまた意外に多いですよね。しかも、幕府が留学生として派遣したのは「士分」(侍)の9人だけでなく、現場での技術・運用を担当する「職方」(6人)を含んでいた。「職方」とは何でしょうか…。町人と解してよいのでしょうか。
 南北戦争に日本人兵士は従軍していただなんて、想像もしませんでした。
(2023年9月刊。1700円+税)

フロッグマン戦記

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 アンドリュー・ダビンズ 、 出版 河出書房新社
 第2次世界大戦での米軍水中破壊工作部隊の活躍を紹介した本です。
 アメリカ海軍の特殊部隊として有名なネイビーシールズはベトナム戦争のときに発足した。その前身が、本書で紹介されている水中解体チーム(フロッグマン)。
 第2次世界大戦中のアメリカでは、民家の窓に赤い縁取りの白い旗が取り付けられた。この旗の中央に星がついていて、青い星だと、家族が出征中という意味で、星が金色なら出征した家族が死亡したということ。戦争が2年目に入ると、次々に青から金色に変わっていった。
 フランスに上陸するノルマンディー上陸作戦のときは、解体部隊は30分のうちに、潮が引いているうちに、ナチス・ドイツ軍が設置した海岸防御を突破し、障害物を除去しなければならなかった。オマハビーチに向かった解体部隊は、ナチス・ドイツ軍の障害物を全部で16ヶ所、撤去する任務を負った。重い鉄鋼、木、セメントの障害物のベルトに16列の突破口を開ける。イギリスの帆布職人が負った帆布パックを使って、それに20個の爆薬を詰めた。
 オマハビーチの解体部隊は16列のうち13列の突破口を開けることができた。しかし、解体部隊員の31人が死亡し、60人が負傷した。死傷率は52%に及んだ。
 日本軍を相手とするサイパン占領のときには、200人の水泳隊員の活躍で、1日に2万人の部隊が完璧に上陸できた。
 水中では、隊員は横泳ぎと平泳ぎですすむ。脚と腕は決して水面より上に出してはいけない。多くの水しぶきをあげるクロール泳法は、緊急時のみ許される。特殊な背泳ぎも学んで実行する。
水中で息を止めるコンテストがあった。意識を失わずに4分をこえた者はほとんどいない。あるスイマーは5分5秒を記録したが、2分45秒も息をとめられたら、すごいことだ。
 たしかに、水中工作物の除去が必要なことはあったでしょうね。そしていささか特殊な訓練と技能が求められますよね。いろいろ教えられました。
(2023年7月刊。3960円)

ラパスの青い空

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 下村 泰子 、 出版 福音館日曜日文庫
 1995年11月発行の古い本です。このころ30歳代の若い日本人女性がボリビアに1年間滞在したときの生活と苦労話が紹介されています。ずっと前から我が家の本棚にあったのですが、読んでいないので、思い切って読んでみました。とても面白い本でした。
 著者は京都YWCAに勤めて不登校の若い人たちと交わるなかで、このままなんとなく流れに乗ってやっていては、いつか足元にぽっかり穴があいてしまう。ここはいっぺん、まるごと自分をリフレッシュせなあかんと思い立ったのでした。そこで、まずは仕事を辞めたのです。なんのあてもないまま…。そして、募集記事を見てボリビアに行くことを決めました。先住民の人口比が多い国だというのもボリビアを選んだ理由の一つでした。
 ボリビアの首都ラパスは標高4千メートル超ですので、たちまち高山病にかかりました。どこかふわふわと漂っている感じがして、足どりも頼りない。そして、飛行機に乗る前に預けた荷物は出てきませんでした。やむことなくガンガン襲ってくる激しい痛みのため、時差ボケもあって、眠れません。辛いですよね、これって…。
 明るすぎる日差しには、現地の女性がかぶっているフェルトの山高帽は、この日差しをさえぎるのにぴったりということが分かりました。
 腹痛と吐き気がひどいとき、甘くておいしい葛湯(くずゆ)のようなものと、砂糖のたっぷり入ったコカ茶を飲むと、少しずつ楽になっていったのでした。
 最初に生活した家は裕福な家庭で、お手伝いの女性がいます。たとえば朝食は家族みな別々で、お手伝いのイルダが、それぞれの部屋に運びます。
 ボリビアでは、昼12時から午後3時まではレストランを除いてほとんどの会社、商店などが休み。みな自宅に戻って昼食をとる。ボリビアでは1日の食事のうち昼食が質・量ともにメイン。
 日本人の著者は「チノ」と呼ばれます。「チノ」は本来は中国人を指しますが、東アジアの人を広くさすコトバとしても使われているのです。
 お手伝いのイルダは家族と一緒に食事することは全然ない。家族のように仲良くしようという発想がない。はっきり違った二つの階層が、ひとつ屋根の下に存在して生活している。
 ボリビアでは、お客のもてなしは、ます一杯のコーラから始まる。
女性たちは、コカの葉を口に入れてもぐもぐさせている。コカの葉は女性たちの大好物。コカには寒さや空腹感、疲労感をマヒさせる作用がある。
 公立学校の教師の給料はひどく安く、ほとんどの人が副業をもっている。たとえばヤミ両替商をしている。
 ボリビアは1年中、祭りの絶えない国。そのなかで、一番盛り上がるのはカルナバル(カーニバル)。
 著者はボリビアに1年間いるあいだに体重が5キロも増えたとのこと。慣れない土地で健康に過ごすには、のんきさも大切だと著者は強調しています。まったく異論ありませんが、私にはとても出来そうもありません。
 著者はボリビアでいろんな人と知りあい、一緒に生活し行動するなかで、まさに「そのとき」を生きている実感があったとのこと。そのことがよくよく伝わってくる文章であり、何枚かの写真でした。
5年後にボリビアを再防したときのことも少し紹介されています。今を大切にして生きることの意義を感じさせてくれる本でもありました。著者は現在65歳のはずです。どこで何をしておられるのでしょうか…。
(1995年11月刊。1400円)

創造論者VS無神論者

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 岡本 亮輔 、 出版 講談社選書メチエ
 アメリカという国は、本当に不思議な国です。月世界を歩く飛行士がいるかと思うと、アメリカ人の40%は人間は1万年前に神によって創造されたと今でも真面目に信じているというのです。つまり、人間の先祖はサルではなくて(これは本当です)、初めから人間だったというのです。
 つまり、生物(生命)誕生から何億年、何万年もかかって進化していって人間が生まれたという進化論を信じていないわけです。
 これだけ多種多様な生命体が存在するのに、それをみな、万物の創造主は神、それも唯一神だとするのは、あまりに無理があると私は思うのですが…。
 アメリカには無神論者はわずか4%しかいない。
 「ある人が心の底から神を信じているのか、それとも神を信じるのは良いことだと信じているのか、両者の区別はそれほど明確ではない」
 この指摘には、まったく同感です。無神論者の私だって、「苦しいときの神頼み」はしていますし、ゲンをかついだり、お寺の仏像の前では深々と頭を下げて、お願いごとを心の中で唱えます。そのとき、何のこだわりもありません。
 スパモン教なるものが存在するというのには驚かされました。「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教会」です。
 1952年にアメリカはテネシー州のデイトンという田舎町で起きたモンキー裁判の紹介には目を洗わされました。進化論を学校で教えた若い教師(スコープス)がバトラー法違反で裁判にかけられ、全米の耳目を集めた事件です。
 そもそも、この裁判は、衰退してしまった町(デイトン)の町おこしとして全米から注目してもらおうとして事件になったものだというのです。これには心底から驚かされました。全米の話題になって観光客や投資を呼びこもうと町の有力者たちが考えたというのです。いやはや、まったく呆れてしまいました。
 そして、裁判は案の定、全米の注目を集め、マスコミが乗り込んできて裁判は全米に実況中継されます。当初は進化論否定派が有利でしたが、進化論者の弁護士は聖書絶対派に質問して、局面が大転換します。
 つまり、聖書絶対論者はあまりに歴史的事実と違いすぎるので、身がもちません。
 聖書絶対論者によると、天地創造は紀元前4004年10月23日になる。多少の前後はあっても、だいたい、それくらい。ところが、それでは科学的に何万年も前のことだと証明されているのと、あまりに違う。
 また、「地球は6日で創造された」というのも、いくらなんでも…。
 アメリカの歴代の大統領は、就任式のとき、聖書に手を置いて宣誓する。また、折にふれて神の名を口にする。つまり、アメリカはキリスト教国家だということ。でも、イスラム教徒や仏教徒もいるんでしょ…、どうなってんのかしらん。
 それでも、今後は、無神論者より信者のほうが増加するとみられているのです。イスラム教徒はキリスト教徒と同じく世界人口の3割を占める(2050年)。そして、ヒンドゥー教徒は14億人になるだろう…。いやはや、日本は世界のなかで、きわめて特異な国なんですね…。改めて知って、驚きました。
(2023年9月刊。1800円+税)

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