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2024年6月 の投稿

公園の木はなぜ切られるのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 尾林芳匡・中川勝之 、 出版 自治体研究所
 東京でも大阪でも、そして福岡でも、公園の木がつぎつぎと大量に切り倒されています。
 まず先行したのは、維新がリードする大阪です。なんと1万9000本を伐採します。「身を切る改革」ではなく、「木を切る改革」です。ひどいものです。
 次は、インチキ経歴(「カイロ大学をトップで卒業」どころか、中退)の小池百合子の東京です。明治神宮外苑のイチョウ並木を切り倒して、伊藤忠商事の本社ビルの建て替え、三井不動産による再開発を進めようとしています。そして福岡は須崎公園です。
どうして、大阪も東京も、こんなに大量の木を伐採しようとしているのか・・・。その理由は、ズバリ、お金です。公園の維持・管理にあまりお金をかけたくない、そして大企業に公園を「切り売り」して収益事業の場を提供するのです。これまで、お荷物でしかなかった公園が自治体はガッポガッポと収益を上げる金の卵になるのです。いやあ、さすがは維新、そして小池百合子です。表ではキレイゴトを言っておいて、裏にまわったら、自分たちのフトコロだけは豊かにしようという魂胆です。
 でも、公園って、住民の良好な生活環境のために、また災害時には避難場所になる防災拠点になるのです。それを目先の経費削減、民間事業者への収益の場の提供に代えるなんて、許されません。
 もともと、大阪も東京も、緑が少ないことが問題なのです。それをさらに切り詰めてしまおうというのですから、ひどいものです。
 この冊子を読んで、会計検査院が経費節減効果を疑問だとし、むしろ住民サービスの低下(約束違反)をもたらしていると指摘していることを知りました。それほど、大阪の維新、東京の小池百合子のやっていることはひどいのです。ごまかされてはいけません。
 私が毎月1回、日弁連の会議のため上京するたびに足を踏み入れる日比谷公園も大改装中です。公園と銀座をつなぐ大型デッキを2ヶ所につくるんだそうです。私は、そんなデッキなんて必要ないと思います。
わずか60冊の小冊子ですが、公園の木を切り倒してはいけない理由が簡潔によくまとめられています。ぜひ、手にとってお読みください。
 著者の尾林弁護士は、東大でセツルメント活動をしていました。その意味で、私の後輩になります。今も水問題など旺盛な活動を展開していて、日頃から大いに尊敬しています。
(2024年5月刊。990円)

世界史の中の戦国大名

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鹿毛 敏夫 、 出版 講談社現代新書
 知らないことがたくさん書かれていました。
 日本の西国大名の姿勢は、表裏を使い分け、形式より実刑を追い求める二枚舌外交だった。たしかに少なくない大名が切支丹になったのも、純粋に信仰にして、というより貿易の利益を確実にするためだったとも言われていますよね…。
 16世紀半ば、日本にポルトガル人が鉄砲を伝えたこと自体は事実。しかし、ポルトガル船に乗って来たのではなく、戦国大名が派遣した遣明船と結んだ中国人倭寇・王直のジャンクに乗って日本にたどり着いた。ええっ、そうだったのですか…。
日本は、当時、膨大な量の日本銅を海外に輸出していた。同時に、硫黄も大量に輸出していた。
 宋の中国では、火薬を兵器として利用していて、黒色火薬の原料として、硫黄、硝石、木炭の需要が急増していた。
 豊後や薩摩の日本産硫黄は、10世紀から17世紀初めまでの長いあいだ、主要な輸出品目だった。そして、豊後(大分)の遺構から出土した鉛玉(鉄砲の弾丸)は30%がタイ南部のソントー鉱山産だった。
 日本から銀や硫黄を輸出し、東南アジア諸国からは壺を容器として硝石や鉛、そして蜂ろう(ロウソクや口紅の原料)を輸出していた。
肥後国伊倉(玉名市)には、17世紀はじめころに活動していた「唐人」の痕跡が唐人墓として残っている。そして伊倉には、現在も「唐人町」の地名がある。福岡の地下鉄の駅名にもなっていますよね。
 文禄1年(1592年)ころ、久留米周辺のキリシタンは300人だった。それが慶長5(1600)年ころになると、久留米にレジデンシアが開設され、パードレとイルマンが常駐して、教会堂と寺院が建てられた。1900人が集団受洗した。久留米では、最盛期に7000人の信者がいて、パードレ1人、イルマン2人が駐在した。関ヶ原合戦に敗北したあと、毛利秀包(ひでかね)・引地夫妻は撤退し、キリシタンも離散してしまった。
 天正年間には、商人仲屋宗越は、カンボジア交易を手がける明の貿易商人と取引関係を結び、東南アジア方面の物資を入手していた。
戦国大名たちは実利を求めて、東南アジアの国々と積極に交易を進めていたことがよく分かりました。
 やはり、視線は外に、昔も今も国際的な視野をもつことの大切さを教えられました。
(2023年10月刊。1100円+税)

スリーパー・エージェント(潜伏工作員)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 アン・ハーゲドーン 、 出版 作品社
 原爆開発を進めていったアメリカの「マンハッタン計画」の立役者だったオッペンハイマーを主人公とする映画をみました。広島・長崎の原爆投下後の惨状こそありませんでしたが、原爆の怖さは、それなりにあらわされていたと思います。
 原爆も原子力発電所も人間のカブ制御できないものですから、どちらも人類の生存のためには廃絶するしかありません。ところが、目先の利益しか考えない悪徳まみれの政治家・経済人がいかに多いことでしょう。そして、それに騙されて、疑問を感じない人々の多さには呆れてしまいます。
 この本は、オッペンハイマーによる「マンハッタン計画」にもぐり込んだソ連スパイの1人を主人公としています。スパイは、このほかにも何人もいました。
 映画「オッペンハイマー」をみた人は、1930年代のアメリカにはインテリのなかに共産党員とその支持者がゴロゴロしていたことが分かったと思います。オッペンハイマーの妻は、元共産党員でしたし、愛人も党員だったのです。
 この本の主人公、ジョージ・コヴァルはアメリカで生まれ育ったものの、1932年5月、一家をあげてソ連に移住して、ソ連の大学で学び、それからスパイとして1940年9月、アメリカに戻ってきて生活し、ついにマンハッタン計画に潜入することに成功したのでした。
 プーチン大統領は、コヴァルの死後に勲章を授与しています。原爆製造に使われるプルトニウム、濃縮ウラン、ポロニウムを生産するアメリカの極秘核施設に潜入し、ソ連に機密情報を送っていた功績をたたえたのです。その結果、スターリンはアメリカの核爆弾製造を知り、また、わずか4年で原爆開発を成功させることができました。
 コヴァルは、アメリカ生まれで高校までアメリカで育ちましたから、ロシア語なまりなどは全くありません。完璧なアメリカ英語を話したのです。大学をソ連で過ごしたことは、もちろん完全に秘匿し続けました。コヴァルはソ連に戻ったあと、ユダヤ人として不遇な時期もあったけれど、大学の教員として過ごし、2006年1月に自宅で死亡。
 ジョージ・コヴァルのスパイ活動を監督するハンドラーのラッセンは、ニューヨークのブロンクスで電気店を営んでいた。銀行員、旅行業者、科学者、大学教授などがスパイ網を構成していたが、ジョージ・コヴァルはハンドラーのラッセン以来の誰とも会っていない。これが鉄則だった。
 コヴァルは、マンハッタン計画のなかでは「数学者」として登録された。
 後で、アメリカ人349人がソ連のスパイとして特定された。これって、やはり多いですよね。スパイって、お金のためだけではないのです。共産主義思想を信じていた人も少なくありませんでした。
 アメリカで活動したソ連のスパイは、全員、アメリカ共産党とはまったく関わりをもたなかった。そして、その多くがユダヤ人だった。コヴァルもユダヤ人。
 コヴァルは1948年11月、ソ連・モスクワに無事に帰還した。
 ソ連の科学者は理論的にすぐれていても、原爆製造に必要な実際的知識に乏しかった。そこを埋めたのが、コヴァルたちがもたらした実際的な手法だった。
 いやあ、こんなスパイもいたのですね、まったく知りませんでした。科学上の知識と好奇心を生かして原爆製造の秘密を探ったわけです。たいした人物がいたものです。
(2024年1月刊2700円+税)
 日曜日(16日)、福岡の大学でフランス語検定試験(1級)を受けてきました。1995年から毎年欠かさず受験していますので、30回目になります。1級のペーパーテストなので、残念ながら合格したことは一度もありません(準1級には何度も合格しています)。しかも、年々、年齢をとるとともに成績は低下しています。前は5割(合格点は6割)を目ざしていましたが、今年は、「目ざせ、4割」でした。ところが自己採点ではなんと74点(150点満点)。5割です。いやー、やったー、と叫びました(もちろん、不合格ではあります)。年に2回のボケ防止の受験勉強です。今回も必死に勉強しました。

森の鹿と暮らした男

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ジョフロワ・ドローム 、 出版 エクスナレッジ
 フランスの若い男性が、ルマンディー地方の森の中に入って、そこで生活して、鹿と仲良くなって7年間も暮らしていたという驚くべき話です。信じられません。
夜の森は退屈とは無縁だ。夜行性の動物はたくさんいて、サイズもさまざま。昼夜を問わず活動する動物もいる。たとえばリスは、日中は庭をちょろちょろしているが、夜は森を縦横無尽に駆けまわっている。
 森で過ごすようになって、人生はより濃密になり、喜びと発見に満ち、おだやかだった。
両親が私を縛りつけようとすればするほど親子の絆(きずな)はほころびていき、ついに切れた。私は森で暮らすことにした。
森の冒険は4月に始まった。できるだけ森で採れるものを食べ、完全には難しいとしても、菜食主義に近い食生活をしようと決めた。同じ森にすむ動物を狩って食べるなんてことは考えられなかった。
ある晴れた朝、道端で葉っぱを食べていると、1頭のノロジカが私の目の前を横切り、数歩先でとまった。この出来事がきっかけで、ノロジカと暮らし、彼らの生き方を学ぶことにした。正しいサバイバル法はノロジカのダゲを観察することで分かった。
ノロジカは昼夜を問わず、短いサイクルで休む。1回に1、2時間ほどの休憩を何度もとる。こまめに眠れば、夜にまとまった睡眠をとる必要がないことが分かった。
そして、森では、昼よりも夜のほうが生産性が高い。完全なる自給自足は一朝一夕で達成できるものではない。私の貯蔵法は、採取した植物を日中はメッシュ生地の袋に入れて日当たりのよい枝につるし、夜は湿気ないようにジップロックに入れるというもの。
イラクサ、ミント、オレガノ、オドリコソウ、セイヨウナツユキソウ、セイヨウノコギリソウ、シシウド・・・。食べられる植物と毒のある植物を正確に見分け、それぞれの栄養価を把握する、これには長い時間がかかった。量にも注意が必要。スイバはとてもおいしくて食べやすいが、大量に摂取すると、ひどい消化不良を起こす。小さな花をつけるアカバナの根は万能薬。
食料の蓄えがあり、大きなケガをせず、適当な体力があれば、1年ほどで栄養面の自活・自立は成し遂げられる。
シカと生活し、移動を共にするうえで、いちばん難しいのは、雑念を払うこと。
いたずら好きで、遊び心のあるノロジカたちに、私はすっかり魅了された。
森に善悪はない。しかし森は、常に私たちに自問することを強いてくる。
シカは習慣の生き物だ。だから、シカに会いたいと思ったときは、いつも現れる付近に腰をおろして待つのが賢い。
森で生活するとき、洗濯はしない。人間社会のにおいを森に持ち込みたくないからだ。
ノロジカは美食家だ。栄養価が高く質の良い食べ物を選んで食べている。
神経質そうに見えて、ノロジカはおだやかで、生きることを楽しむ生き物だ。
冬のもっとも寒い時期は発汗が命取りになるので、なるべく汗をかかないようにする。低体温症にならないように、体を濡らさない。体温を保つこと、十分に食べること。冬場のまとまった睡眠は死に直結する。
気温が最も高くなる午前中の終わりに少しだけ眠った。
ノロジカは人の感情を理解する。それだけではなく、その人の善悪、つまり動物の命を尊重する人と、危害を加えようとする人を見分けることができる。
著者は19歳のときに森に入って生活を始めました。そして、26歳のとき、パートナーに出会って写真展を開いたのです。39歳になった今も、森の近くの町に住んでいます。すごい本です。思わず力が入り、うんうん唸りながら読み進めました。
(2024年4月刊。1800円+税)

スピノザの診察室

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 夏川 草介 、 出版 水鈴社
 現職の医師による心温まる医療小説です。電車のなかで一気読みしてしまいましたが、読み終えたあと、胸のうちに爽やかな温かい風が吹き抜けていく気がしました。
 いったい「スピノザ」って何だろうと思っていると、医療行為をめぐる哲学問答が展開されるのです。それがまた、妙にしっくり来るのです。そこで、タイトルにも違和感がありません。
 主人公は京都の下町の小さな病院に勤める医師です。お酒は飲まず(飲めず?)、甘いものに目がありません。虎屋の羊かんをはじめ、京都の有名な甘い物が何度も登場してきます。ついでに伊勢の赤福とともに大宰府の梅ヶ枝餅まで紹介されるのは愛敬です。
 「お前さんが、教授や学長を目ざしているバリバリの野心家だとは思っていない。だけど、いい仕事はしたいと思っているはずだ。どうせやるなら、一流の仕事をな。野心はなくても矜持(きょうじ)はあるだろ?」
 私も弁護士として、「一流の仕事」をしようとは思っていませんが、誇りを持って仕事を続けたいとは常日頃から考えています。
 「薬をうまく使えば、最後の時間も楽に過ごせるという考えは、まだまだ幻想にすぎない」
 「この病院の患者の多くは病気は治すことがゴールではない。ガンの終末期や老衰の患者に寄り添うだけ。結局、死亡診断書を書くのがゴールになってしまう」
 「患者の顔が見えることは、共感するということ。共感するのは心にはなかなかの重労働。悲しみや苦しみに共感するには、十分な注意が必要。度が過ぎると、心の器にヒビが入ることがある。ヒビではなく、割れてしまったら、簡単には元に戻らない」
 「病気が治るのが幸福だと考えると、どうしても行き詰ってしまう。病気が治らなかったら不幸なままなのか・・・。治らない病気の人、余命が限られている人が幸せに日々を過ごすことはできないのか・・・」
 「世界には、どうにもならないことが山のようにあふれている。それでも、できることはあるんだ」
 「人は無力な存在だから、互いに手を取りあわないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう。手を取りあっても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる」
 医師でなければとても描けない「手術」の様子が詳細に書き込まれていて、ぐぐっと手術室の世界に引きずり込まれてしまいます。そのうえ、深遠な問答が展開されるのですから「本屋大賞第4位」にも、なるほどと思ったことでした。
(2024年5月刊。1700円+税)

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