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2024年2月 の投稿

私はさよならを言わなかった

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 クロディーヌ・ヴェグ 、 出版 吉田書店
 ホロコーストの中を生きのびた子どもたちが大人になって語った17の物語が集められています。いずれも深く心を打つ内容です。語り尽くせないものを感じさせられました。
心の奥底には今でも恐怖が残っている。ユダヤ人でいれば、とんでもない災厄を受けてしまう。
 ユダヤ人でなかったなら、両親は強制収容所なんかに移送されなかっただろう。僕も他の子どもと同じように暮らしていたはず。ユダヤ人なんて、もうたくさん。
 私は信仰を持っていないし、神を信じることができない。宗教に反発している。でも、私には、そんなことを考える資格すらない。だって、私は助かったし、強制収容所へ移送もされなかったから。
 子どもたちは両親の死を悼(いた)めなくなるという運命を背負っている。だからこそ、子どもたちの古傷は、決して癒(い)えることがない。
 強制収容所において被収容者たちの肉体と精神に加えられた拷問は、彼らを無気力な人間に変えてしまった。彼らは絶え間なく恥辱を被り、嘲弄(ちょうろう)と愚弄(ぐろう)とサディズムの的(まと)になり、まさに弄(もてあそ)ばれていた。
 父は愚か者でなかったし、だまされやすい男でもなかった。でも、父は家族を守るために、警察署へ出かけていった。父が警察署に出頭しなければ、家族に制裁が下ることになっていたから。そして、父はそれきり戻ってこなかった。
 孤児として残された者たちの大多数は、過去に決して近づかない。これはタブーだ。彼らは過去が語れない。過去を話さないということは、それを消し去ることではない。むしろ反対に、過去を共有できない秘密のように扱いながら、自己のもっとも深い場所で、それを守り続けていくことなんだ。
 彼らは3歳から13歳だった。
 ドイツでもナチスを賛美しようとする動きが起きたりしていますが、それを止めさせようとする大きな動きがうねりとなっています。ひるがえって日本では公然と差別的言辞を言いふらす自民党の国家議員が相変わらずのさばり、岸田首相は辞めさせようともしません。
 ヘイト・スピーチの根を絶つ動きが大きなうねりになっているとは、日本はドイツと違って残念ながら言えません。でもでも、あきらめるわけにはいきません。
 理不尽な差別はたとえ小さくても見逃さないこと、そのことを痛感させる本でもありました。
(2023年11月刊。2700円+税)

ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 ベンジャミン・カーター・ヘット 、 出版 亜紀書房
 ヒトラーがドイツ国防軍の高級将官と対立していたというのは前から知っていましたが、この本でその詳細を知ることができました。
 ブロンベルクとフリッチュという2人の将軍をヒトラーが解任したのが決定的だったのです。ドイツ国防軍の最高司令官であり、陸軍元師であるブロンベルクはベルリン出身の「一般家庭の子女」と知りあい、結婚した。ところが、その女性は売春婦として登録し、客の持ち物を盗んで逮捕された経歴があることをゲーリングは知り、ヒトラーにそのことを報告した。
 さらに、陸軍司令官のリッチュについては、似た名前の男性が同性愛者であることを利用して、同性愛者と決めつけ、ヒトラーは2人を解任した。このあと、ヒトラーは名目ではなく、ドイツ国防軍の実権を握る本物の最高司令官となった。やがて、国防軍の高官たちはフリッチュに対する告発が捏造(ねつぞう)だったことを知った。ブロンベルク=フリッチュ事件は、SSとゲシュタポが陸軍に対して起こした「冷たいクーデタ」だと見た。したがって、高官たちはこの2つを無力化させなければいけないと考えはじめた。
 そのネットワークの要(かなめ)の1人がアプヴェーア(情報部)の部長であるカナリス提督だった。カナリスは「戦争の回避とヒトラー一味の粉砕」を真剣に模索しはじめた。
 陸軍参謀総長となったハルダー将軍はヒトラーについて、「狂人、犯罪者」「たかり屋」「変態の病的な気質」によってドイツを戦争へ向かわせていると罵倒した。
 国防軍内の抵抗派はヒトラー殺害も辞さない方向で検議をはじめた。ところが、イギリスのチェンバレンがヒトラーと会談し、また、国防軍首脳部の悲観主義の影響によって攻撃開始が遅れ、結果としてヒトラー主導の緒戦の勝利によって、抵抗派は腰だけとなってしまった。
 ハルダーたちはヒトラーによる戦争には正当性がないうえに、大惨事となって終わりかねないと考えていた。また、ユダヤ人絶滅作戦のような犯罪行為には反対だった。
 この本ではローズベルトとチャーチルについても注目すべき評価をしています。
 ローズベルトについては、アメリカ国内の強固な中立主義にひっぱられていたこと、チャーチルについては、イギリス国王を擁護して評価を落としたものの戦争指導では卓越した能力を発揮したことが明らかにされています。
 150頁近い本(480頁)ですが、タイトルに見合った大変興味深い内容ばかりでした。
 
(2023年9月刊。2800円+税)

岩田健治、若い魂

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 井出 節夫 、 出版 ウィンかもがわ
 1933(昭和8)年2月に長野県で起きた「長野県教員赤化事件」の真相に迫った本です。「2.4事件」の報道が解禁されたのは9月15日。このころは事件が起きてもすぐに報道されることはなく、半年以上たってセンセーショナルに報道されるのが常でした。
 この日、「信濃毎日新聞」は4頁の号外を発行しました。「戦慄(せんりつ)!教育赤化の全貌(ぜんぼう)」「教科書を巧みに逆用し教壇の神聖を汚辱す」などの見出しで世間に大きな衝撃を与えたのです。
 「南信日日新聞」もひどいものです。「全信濃を挙げて赤化のルツボに踊る、教壇から童心に魔手を延す赤化教員の地下活動」と報道しました。いかにも恐ろしそうです。
 長野県下の小学校教員が100人近く検挙され、顔写真つきで報道されました。そのなかに高瀬小学校の岩田健治校長(37歳)もふくまれていたのです。
 岩田校長は2月21日に検挙され、6月6日に釈放されるまで3ヶ月以上も警察署の留置場に入れられました。その処遇のひどさが日記に書かれています。
 「布団を入れた薄団のひどいことときたら全く話にならない。ボロボロに切れた綿がゴロゴロごてって居る真中に大穴がある。しかも悪臭、鼻をつく」
 ただし、校長という立場にあったからか拷問は受けていなかったようです。
岩田校長は日誌に次のように書いています。
 「いったい俺のしたことの何が悪いと言うんだ。まったく訳が分からない」
 「革命、共産党、俺らは何らそんなことに関係はない。単なる文化運動が、どうして治安維持法に引っかかるのだ。秘密運動だという、その秘密とはいったい何だ。同志数人の会合、先輩宅に集まる数人の懇談会、それがどうして秘密運動か」
 岩田校長は検挙されたというだけで7月に懲戒免職処分を受けました。ところが、実は、翌1934年3月に起訴猶予処分を受けているのです。
 「信濃毎日新聞」の社説(評論)もまたひどいものです。
 「叛逆の心理を(児童に)注ぎ込まんとする教育者は、厳罰に処するとともに、その一方を挙げて、これを教育界から除草すべきである」
 「彼らは言うところの二重人格者である。変態心理学者である彼らは教壇に立ちつつ、ある間はジキール博士であるけれども、一度これを下れば獰猛(どうもう)なる悪漢ハイドになる」
 これらの新聞は戦争遂行という国策遂行に積極的に加担していったのでした。そして、信濃教育会は共産主義の本拠であるかのように全国に報道されたことから、その「汚名」を挽回すべく、満蒙開拓青少年義勇軍の送り出しが全国第1位でした。子どもたち本位の教育を目ざし、進歩的伝統を誇っていた長野県教育界は、この「2.4事件」によって一転して戦争遂行にひたすら協力する反動的団体に変貌してしまったのです。
 恐ろしいフレームアップ事件でした。ただ、この本を読んで救いを感じたのは、岩田校長が日本敗戦後、共産党に入り、ついには国政選挙の候補者として活躍するまでになった(当選はしていません)ことです。戦前の屈辱を戦後になって見事に晴らしたのでした。たいしたものです。
 昨年(2023年)は「2.4事件」から90周年という節目の年でした。それを記念して刊行された本です。「教員赤化事件」という、おどろおどろしいレッテルを貼りつけられたものの、その内実はきわめて穏当な教育実践の交流であったことを明らかにした本でもあります。貴重な労作として、ご一読をおすすめします。
(2023年12月刊。1800円+税)

熊の肉には飴があう

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 小泉 武夫 、 出版 ちくま文庫
 著者の料理本(エッセー)は私の大好物です。いかにもおいしそうで、コピリンココピリンコとアルコールをいただきながら、素材の美味しさをチュルチュルと味わうことができ、心の中までハフハフと熱くなります。
 さて、この本は「ちくま文庫」のための書きおろし。「飛騨匠(ひだのたくみ)」の料理店が主人公となって、90皿もの料理が次から次に紹介され、目がまわりそうです。
食材自在の精神…自然界から調達してきた、さまざまな食材を巧みに利用する。
 粗料細作…自然から調達してきた材料に時間と手間をかけて高級料理に仕立ててしまう。
 就地取材…材料は、いつでもその土地で、自分たちの手で…。
 用具過少…ほとんどの料理は台所にあるさまざまな道具や器具をあまり使わず、数本の包丁と俎板(まないた)、鍋といったものだけでこしらえてしまう。
この店で出す野菜はみな、自家製の完熟堆肥を使って野菜を育てている。その堆肥は、飼っている軍鶏(しゃも)や野飼いの地鶏の糞を集めて、それを厨房から出た食品廃棄物や落葉などと一緒に大きな木枠の中で2年も発酵と熟成を重ねた完熟堆肥、だから、野菜が力強く成長するためのミネラル類が豊富に含まれていて、肥沃な土となっている。それを畑にまいて施耕するのだから、野菜に甘みやうま味が乗るのも当然だ。
 しかも、そのうえさらに秘密がある。冬に雪が積もると、雪洞をつくり、そのなかに野菜を入れて、外気から遮断する。つまり、雪下で野菜を休眠させることによって、野菜に含まれている糖化酵素が低温下で作用して糖をつくるので、甘くなるという仕掛け。そして、同時にうま味の成分のアミノ酸をつくる酵素も働くので、味もぐっと上る。
 いやはや、料理というのは、このように手間とヒマをかけてじっくりつくり上げるものなんですね。
 先日、庭の一隅の野菜畑にジャガイモを植えつけました。そこの土は長年にわたって生ゴミをすき込んできましたので、黒々、フカフカしています。それこそ完熟堆肥です。きっと、今年も美味しいジャガイモがたくさんとれることでしょう。今から楽しみにしています。
(2023年7月刊。880円)

戦後の特高官僚

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 柳河瀬 精 、 出版 日本機関紙出版
 戦前、特高警察が治安維持法なる悪法を武器として、心ある人々をさんざん拷問してきたことは広く知られています。しかし、彼らが戦後、実は罪に問われることがないどころか、立身出世を重ねていたことは、ほとんど知られていません。私も詳しいことは知りませんでした。
 その典型は、作家の小林多喜二に対する拷問を直接手がけた中川成夫です。この中川成夫は、戦後、東映に入って取締役興行部長となり、「警視庁物語」シリーズに関わりました。そして、東京都北区で教育委員、ついには教育委員長に就任しています。信じられません。
 特高警察官たちは国会議員になって国政を動かしました。増田甲子七、増原恵吉、ほかです。衆議院議員に29人、参議院議員に11人もいます。熊本県知事もつとめた寺本広作、東京知事選にも出た原文兵衛もそうです。
 警察の中枢にも多くの特高官僚だった連中がのさばっています。そのなかには3人も警視総監になっています。
 初代の警視庁特高部長であり、警視総監にもなった安倍源基は国家公安委員にもなっています。
 共産党対策を専門とする公安調査庁にも、特高官僚たちが次々に採用されています。その数はあまりに多く、この本で6頁にわたって紹介されています。
 防衛庁でもまた、その中枢に特高官僚たちが採用されました。悪法として有名な治安維持法によって投獄された犠牲者は十数万人にのぼり、警察の留置場で虐殺された人が80人、獄死した人は1617人。
 いやあ、すごい本でした。丹念に地道に記録にあたって収集していてつくられた貴重な記録です。
 読み終えたとき、その空恐ろしさに、思わず身がぶるっと震えてしまいました。どうぞご一読してみて下さい。
(2005年4月刊。1714円+税)

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