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2023年12月 の投稿

動物写真家の記憶

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 前川 貴行 、 出版 新日本出版社
 いつも、すごい動物写真を撮っている写真家が自分の撮った写真とともに自らの半生を振り返っています。何よりド迫力の動物写真がすばらしいです。
グリズリー(クマ)の写真を夢中になって撮っていると、もう1頭、別のグリズリーが近くにやって来た。気がついたときは絶体絶命。もはや逃げる場所はない。走って逃げようとしても、逃げ切れるはずもない。その気になったクマが走るスピードは、想像をはるかに超えた次元だ。
 目の前にやってきたグリズリーが横目でちらりと見る。でも、その表情はずいぶん穏やかだ。どきどきしながらも、おそらく大丈夫だろうという感が頭をよぎった。グリズリーは何事もなかったように通り過ぎていった。
 うひゃあ、こ、怖いですね…。臆病な私には、とてもこんなことはできません…。
 著者は26歳のとき写真家を目指し、それまでしていたエンジニアの仕事を辞めた。そして写真家の助手をつとめ、30歳で独立した。
 野外の至るところで待ち構えているのが、ダニ。草木の密集したところで撮影していると、身体のどこかに喰いつかれている。右目の視界がボヤけてきたので調べてみると、まつ毛の根元にダニが喰いつき、成長していた。無理やり取ると、ダニの頭が人間の皮膚の中に残ってしまう。これもまた怖いですよね。
 アフリカの大地でキャンプをしていて、夜中にテントから出て用を足しに行ったとき、うっかりサスライアリの行列を踏みつけ、そのままテントに戻った。すると、テント内にサスライアリの大群が押し寄せてきた。靴に取りつき身体を登り、皮膚にかみついてくる、容赦のない攻撃の痛みは強烈そのもの。ダニよりもヒルよりも、サスライアリの恐怖は群を抜く。テント内でサスライアリの大群と大立ち回りをせざるをえなかった。うひゃあ、こんな怖さもあるのですね。
 未知の生き物たちとの出会いが待っている。必ずしも友好的なコンタクトばかりではないが、ほとんどがこちらの出方次第。それを十分に学んだつもりになっていても、唐突に覆されることがあるのが野生の怖さであり、面白さであり、また醍醐味でもある。
 できることは、用心深く慎重に行動することのみ。でも、貴重な出会いに舞いあがってしまい、後先考えずに大胆になってしまうことは多い…。
 どこに行っても現地の人々とのコミュニケーションが欠かせない。でも、野生動物と同じく、人間だって多様性にあふれている。日本人だって外国人だって、さまざまな人がいる。それは世界共通で、国は関係ない。それはそうでしょうね。
これからも安全と健康に気をつけて、どんどんいい写真を撮って紹介してください。
(2023年3月刊。3100円+税)

女たちの独ソ戦

カテゴリー:ロシア

(霧山昴)
著者 ロジャー・D・マークウィックほか 、 出版 東洋書店新社
 『戦争は女の顔をしていない』(スヴェートラーナ・アレクシェーヴィチ)は、独ソ戦におけるソ連の女性兵士の果敢かつ苦難の戦いをよくよく描いていました。マンガ版も出来ましたので、まだ読んでいない人には強く一読をおすすめします。
 本書では、同じ独ソ戦において、ソ連の女性たちがなぜ、いかに戦うに至ったのかについて、オーストラリアの歴史学者が詳細に明らかにしています。464頁もの大作ですが、私は上京する飛行機の中で息をつめて読み通しました。
 ナチス・ドイツの侵攻に対して、100万人ものソ連人女性が戦った。そのほか、2万8000人の女性がパルチザンとともに戦った。
 スターリンの情勢判断の重大な誤りによって、ソ連は緒戦段階で致命的なほどの敗北を重ねた。ところが、圧倒的多数のソ連市民は戦争の最初の18ヶ月間にスターリンの赤軍が壊滅的な敗北を蒙ったあとも、彼らの祖国、社会、国家に忠実であり続けた。ナチスへの「協力者」は少数派だった。フランスがナチス・ドイツの侵攻に屈して、わずか6週間で降伏したことと対比させて考えると、その意義はきわめて大きいものがある。
 1940年代に前線に赴いた若いソヴィエト女性をフロントヴィチカと呼ぶが、彼女らは本質的に1930年代というスターリン時代の平時の産物であった。
 1930年代のソ連では、スターリンによって古参ボリシェヴィキと帝政期の知識人の多くが粛正されて消え去ったため、そのあとを新たな社会的エリート(ヴィドヴィジェニェツ)が占めた。
女性の識字率はスターリン時代に劇的に上昇した。若い女性の読み書き能力は43%(1926年)から83%(1936年)、そして都市に住む女性の91%(1939年)となった。
高等教育機関では女性の割合が28%から38%に上昇し、中等職業教育機関では38%から54%に上昇した。ちなみに男性の識字率も60%(1926年)から93%(1939年)に上昇している。
若い女性たちの軍への志願動機のなかには、スターリンの粛清によって家族(父や母)が「人民の敵」とされたという「恥」を雪(そそ)ぎたいというものもあった。ここではスターリンに理不尽にも虐殺されたので、その恨みを晴らしたいという発想は認められない。それほどスターリンの「教え」は浸透していた。
若い女性たちが母国を守るために集団で志願した。彼女たちは、戦争に参加するのを必要な愛国的義務とみなしていた。スターリンは当初は、女性の航空連隊を密かに許可した。しかし、軍事状況が更に悲惨なものとなったので、女性は赤軍で重要な補助的役割を果たすようになった。
ナチスのゲッペルスは、ソ連が女性兵士を動員したのを知って、ラジオで次のように叫んだ。
「ソ連は絶望的になったあまり、女性を新兵として集めている」
スターリンは、ゲッペルスの言うとおりではないとして、女性兵士の動員をこっそりと進めていった。戦争中に赤軍に従事した20万人の医師と50万人の看護師その他の医療従事者の多くは10代後半から20代前半という若い女性たちだった。
看護師の100%、医師でも半数近くを女性が占めている。前線で戦うソ連の看護師像は、負傷者を守るため、必要とあらば武器を取るというものだった。
医療要員と同じように、女性たちはパルチザン無線通信ネットワークの中心となった。3000人の無線通信士の86%を若い女性が占めていた。
ドイツの戦時捕虜収容所にソ連人女性がほとんどいなかったのは、女性狙撃兵は捕まると即座に射殺されたから。また、女性兵士のほうも、捕まる前に自分のための弾丸を残しておいて自ら死を選んだ。
スターリングラード戦のなかで、大砲を扱う人員のほぼ全てが2万人以上の女性に置き換えられている。
若い女性を軍隊に入れると兵士たちの性的関係は複雑化した。主として性的嫌がらせで、しばしば軍の規律を乱した。男性将校と女性部下との同棲は当たり前となっていた。
独ソ戦のなかで2700万人ものソ連の市民が亡くなった。1120万人の赤軍兵士が死亡・行方不明となった。負傷者は1830万人。女性に関する公式統計はないが、31万余人の女性が犠牲になったとみられている。
戦争が終わったとき(1946年)ソ連の男性7440万人に対して、女性は9620万人だった。そのため全世代の女性単身生活や生活苦、ときにシングルマザーの汚名を余儀なくされた。
この本の最後に、ナチスの強制収容所に入れられていた500人の女性兵士がナチスの要求を一切拒否し、食事も拒否し、10列に並んで行進したエピソードが紹介されています。1943年4月の日曜日の朝のことです。彼女らは整然と行進しながら、新しいソ連国家を合唱したのでした。
「立ち上がれ、広大な国。死闘のために立ち上がれ」
1944年、SS将校の顔に唾を吐きかけた赤軍女性将校は強制収容所の火葬場で生きたまま焼かれた。これはフランスのジャンヌ・ダルクを思い出させますね・・・。
その内容に圧倒され、息を呑むしかありませんでした。あなたも、ぜひ図書館で借りてでも、ご一読ください。
(2023年7月刊。4400円+税)

人道の弁護士・布施辰治を語り継ぐ

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 森 正、黒田 大介 、 出版 旬報社
 戦前、人権派弁護士として大活躍した布施辰治弁護士が亡くなって今年(2023)は70年の節目にある。
 布施辰治(1880年から1953年)は、日本国内はもとより、日本の植民地だった韓国や台湾においても尊敬されるべき日本人として知られる存在となっている。とありますが、いったい今の若い弁護士そして高校・大学生は布施辰治をどれほど知っているのでしょうか・・・。
 布施辰治は宮城県石巻市出身です。私の同期(26期)の庄司捷彦弁護士は、この本の中で何回も言及されていますが、同じ石巻出身ということで、庄司弁護士からよく話を聞かされました。
3.11のとき石巻市は大変な被害にあっています。石巻市を訪問したとき、庄司弁護士の案内で市内の被害状況を視察しました。大川小学校の被災状況を見て、思わず息を呑みました。
布施辰治は、弁護士職を天職と受けとめ、在野精神を堅持し、弁護士資格を剝奪されたり、投獄されても、屈することなく、民衆と政治的少数者の人権擁護に殉じた。
 また、布施辰治は、「死刑囚弁護士」と称されるほど数多くの重罪事件に取り組んだ。
 2004年、韓国の廬武鉉大統領のとき、布施辰治に勲章が授与された。抑圧・搾取民族の一員が被抑圧異民族の国家から表彰されるのは異例の出来事。これは、とても意義深い、画期的なことだと私も思います。
 関東大震災の直後に、罪なき朝鮮人が何千人も虐殺されたとき、それを知った布施辰治は、謝罪文を韓国の新聞に掲載したそうです。すごいことです。
 布施辰治は戦前、弁護士資格を剥奪され、投獄されたあと、「聖戦協力」したこともあったようです。生きのびるためには仕方のない状況だったのではないでしょうか・・・。
 布施辰治の遺族は、段ボール箱40個分になるほど、布施辰治に関する資料を保存しておいたようです。たいしたものです。本書には、その資料からの発掘も含まれています。
 布施辰治は普選運動に取り組み、実現すると、自らも第1回普選(1928年)のときに候補者になった(残念ながら落選)。
 布施辰治を知る人の評価に目を見張ります。
 「私は発電所を連想する。その顔から、社会活動の発電所のような感じを受ける」
 社会変革を目ざして、底辺から支え、もち上げ、押しすすめていくといったイメージですよね、きっと、これは・・・。
 布施辰治は社会主義者を自認することがなかった。それは生涯、変わらなかった。
 布施辰治は治安維持法違反に問われて起訴され、有罪判決を受けて千葉刑務所に入獄した。このときの判決文がすごいです。
 「多年、人道的戦士として弱者のために奮闘したる貫き、情熱を有する士は、ときに、その危険を冒(おか)し、あるいはこれを顧慮せずして、知らず識らずのうちに、その渦中に投するの例、必ずしも絶無なりというべきにあらず・・・」(1953年、大審院判決)
 戦前にも「裁判官の良心」が認められますよね、これって・・・。
 辺野古をめぐる裁判で那覇地裁や最高裁裁判官たちの国の言いなりに判決に接すると、まさしく絶望しかありません・・・。でも、絶望して何もしないというわけにはいきません。
 布施辰治について書かれた本を、まだまだ読んでいないというものが何冊もあるようです。大変刺激を受けました。
(2023年12月刊。1800円+税)

肥料争奪戦の時代

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ダン・イ―ガン 、 出版 原書房
 三大肥料要素のリンについて深刻な状況にあることを初めて知りました。
 リンは植物の生長に欠かせないし、人類にとっても必要不可欠。
リンは、人間が食べたものを筋肉を動かす化学エネルギーへ変換してくれる。人間の骨も歯もリンから出来ている。リンは人間のDNAにも含まれている。いや、リンこそDNAそのものと言ってよい。
 リンは生命の輪を完成させる根本的な結び目だ。貴重な資源であるリンの埋蔵量が減少しているのに、人類は無駄に消費したうえ、事態をますます悪化させている。
 世界のリン埋蔵量の8割近くがモロッコなどの西サハラ地域に偏在している。
 リンは悪魔の元素と呼ばれる。1815年6月、ナポレオンが敗退したワーテルローの戦場で何千もの兵士が亡くなった。戦場では死んだ兵士からの略奪が横行していた。着ていたもの、ポケットに入っていたもの、人間の頭髪(かつら製造業者へ)、歯(義歯をつくる歯医者)、そして遺体は肥料となってイングランドの農業振興に役立たされた。知りませんでした。
 1950年代のアメリカで、洗剤にリンが使われた。泡立ちが良いというので主婦から大歓迎された。ところが、河川も海も、いつまでも消えない泡に悩まされることになった。しかも、緑藻が水面にはびこり、湖は死んでしまった。
 1990年代に入って、アメリカの洗剤業界は自主的に家庭用洗剤からリンを取り除いた。
 しかし、牧畜場から排出される汚水のなかにリンは含まれている。シカゴの五大湖は3000万人もの人々にとって飲料水の水源である。そこの汚染が止まらない。
 農場主が何十年にもわたって肥料を大量にまき続けた時代のリンが、農地の土壌に大量に蓄積されている。この農地から、過剰なリンがしみ出していくことになる。
 人糞のなかにもリンが含まれている。なのでトイレの流水からリン・窒素・カリウムを取り出し、安全な肥料に変換する技術の開発が進められている。
 地球の温暖化も心配ですが、リンをめぐる環境悪化からも目を離せないことがよく分かりました。知らない、恐い話がたくさんありました。
(2023年7月刊。2800円+税)

仁義ある戦い

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 杉山 大二朗 、 出版 忘羊社
 アフガニスタンで中村哲医師が殺害されたのは、もう4年前のことになります(2019年12月4日)。
 福岡県飯塚市の生まれである著者は、ペシャワール会の現地派遣ワーカーとして数年間、中村哲医師の下で働いていました。その様子が著者によるマンガも添えられていて、とてもよく分かります。
 現地のワーカーとして、事務作業にも従事していますが、日本人スタッフのまかない料理づくりのところはとくに興味を惹きました。日本人はアフガニスタンに行っても日本料理を食べたいのですよね。よく分かります。重労働のうえ、安全確保のため、町に出てウロウロするなんてことも許されないのですから、せめて美味しい日本食を食べたいですよね…。
 中村医師は、カレーが大好きで、カツカレーが好物だそうです。貧しい九大医学部生のときの食事以来のようです。
 それにしてもよく出来たマンガが途中にはさまれています。誰かプロに依頼したのではないのか、そう思わせるほど素晴らしい出来事のマンガなので、状況がよく理解できました。
 ハンセン病の患者であり、ペシャワール会の守衛もしていたサタール氏についてのマンガは出色です。これだけでも、この本を読んだ甲斐があります。
 患者は日本人スタッフの舌に合うような「まかない料理」をつくるよう中村医師に指示されました。でも、問題は食材の確保です。食材がなければ、どうにもなりません。
 著者は、小学生のころから、自分で釣った魚を三枚におろしてさばけたというのです。偉いものです。そして、世界中を放浪したときにも各地の料理を見よう見まねでつくったのでした。いやあ、たいしたものです。その腕をペシャワール会の現地スタッフとしてアフガニスタンで思い切り生かしたのでした。
 ジャララバード(アフガニスタン)にあった日本人舎舎のキッチンでヘッドライトの灯りで料理している著者の写真があります。チャーハンでもつくっているのでしょうか…。
 あちらでは、インスタントラーメンは、病人しか食べることが許されない貴重品だったのです。
 著者が手がけたまかない料理もマンガで紹介されています。白菜を手に入れて漬物をつくったというのです。すごいですね、塩と昆布を使います。
 豚肉はタブーなので、豚肉以外のもので代用する豚汁もどきというものもあります。鶏肉や羊肉は高くて、牛肉のほうが安上がりなのです。
 鯉の南蛮漬けもつくりましたが、日本人スタッフには好評でも、アフガニスタン人スタッフには不評でした。やはり、人の好みは生来のものがありますよね。
 アフガニスタンはイスラムの国なので禁酒。日本人スタッフはこっそり飲むこともなかったようです。酒を飲まなくても平気になったと著者は書いています。日本に帰国したら、浴びるように飲んだそうですが…。
 それにしても中村医師はよく働いたようですね。毎日、毎晩、1時間以上もミーティングをしていたそうです。いやあ、これはすごいことです。よくも倒れませんでしたね。疲れますよね、ミーティングって…。中村医師は後継者はいるかとの質問に対して、「用水路そのものが後継者だ」と答えたとのこと。
 日本政府は今、世界各地に武器を輸出しようとしています。自民党と公明党の政権が戦争でもうけようとしているのです。
 私は中村医師そしてペシャワール会のような、地道な用水路づくりこそ日本のやるべきことだと改めて思いました。
 武器をつくって輸出して、軍需産業はもうかり、そのおこぼれを自民・公明の政治家たちはもらえるのかもしれません。でも、それって平和のためではありません。戦争で私腹を肥やそうとしているだけではありませんか…。ホント、腹が立ちます。
 いい本でした。お疲れさまでした。
(2023年5月刊。1700円+税)

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