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2023年11月 の投稿

植物に死はあるのか

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 稲垣 栄洋 、 出版 SB新書
 植物の葉っぱが当たり前に行っている光合成の反応を完全に再現することは、現代の科学技術をもってしても、出来ない。これって意外ですよね。宇宙にロケットを飛ばして、はるか彼方から極小の粒々を地球にもって帰ることの出来る人間が、たかが植物の葉っぱにかなわないとは…。信じられません。
 この光合成によって、酸素が廃棄物として植物から排出される。そして、酸素は生命を脅かす猛毒の存在なのだ。ええっ、そ、そうは言っても、疲れをとるため酸素マスクを口にあてかっているでしょ。あれは何なのでしょうか…。
 酸素は生物にとって危険な物質ではあるが、爆発的なエネルギーを生み出す力がある。
ソクラテア・エクソリザという植物は、「歩く植物」とも言われ、光の当たる方に移動する能力があり、1年間で数十センチも移動する。
 植物が巨木になれるのは、細胞壁のおかげ。
ウミウシの仲間は、細胞の中に葉緑体をもっていて、それが光合成をし、そこから養分を得ている。
 光合成を行う小さな単細胞生物は、シアノバクテリアと呼ばれている。このシアノバクテリアを体内に取り込んだか、取り込まなかったか、それだけが植物と動物の違い。
 木から草が進化した。草のほうが、木よりも進化した形である。
 生きている木のほとんどは、死んだ細胞から出来ている。木の中心部分は、実は樹木として立っているときから死んでいる。木のうちの生きている細胞は木の外側のやわらかい細胞であり、この外側の部分だけが生きている。人間の場合には、死んだ細胞が生きた細胞を包んでいる。
植物には、脳がない。脳細胞は、1000億個あまりの細胞がある。
 いま、身近な田で稲穂の刈り入れが始まっています。その田の畔に咲くヒガンバナは、縄文時代に日本に渡来した。ヒガンバナは三倍体なので、種子を作ることができない。
 サツマイモは根っこが太っただけで、ジャガイモは茎が太ったもの。
 生命の源は、星の死によって生み出されたもの。植物も星のかけらから出来ている。ええっ、空を飛んでいる「かけら」が地上の植物に一大変身するというのですね。本当ですか…。
 1週間をたどるうちに、植物という存在の出現、そしてその意義と問題点を学生からの質問にこたえる形式で明らかにしている楽しい新書です。
(2023年8月刊。990円)

九州・琉球の戦国史

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 福島 金治 、 出版 ミネルヴァ書房
 戦国時代、火薬の原料となる硫黄の産地は薩摩の硫黄島(アメリカ軍と対決した硫黄島ではない)、豊後(大分)の硫黄岳(伽藍(がらん))岳などであり、中国の明王朝などが日本の硫黄を欲した。
 サツマイモとも呼ばれる唐芋が日本に定着したのは16世紀。わが家の庭にもサツマイモを植えていて、10月末に掘り上げるつもりです。
 室町幕府の九州統治は、九州探題を通して守護を管轄するのが原則だった。
 中世には、複数の主人をもつことが許されていた。しかし、主従関係は未来永劫(えいごう)と認識される時代に変わっていった。
 天文7(1538)年に秋月で和議(合意)が成立し、大友氏は筑後・肥後、大内氏は筑前・豊前を支配することになった。
 朝廷(京都)の公家にとって、九州の武士たちの交流は直接の収入源であった。そして、見返りに国人(武士)は権威やブランドを手に入れた。
 大永3(1523)年に、中国の寧波(ニンポー)で、細川と大内という両氏が武力衝突したのを「寧波の乱」と呼ぶ。
 イエズス会の宣教師ザビエルは、日本に来る前にアルヴァレスの報告を読んでいて、ザビエルは、日本人は識字率が高いから、教理の習得は可能と判断した。ただし、ザビエルは、2年あまり豊後に滞在したあと、インドに戻った。
 島津氏は宣教師もキリスト教徒もうまく対応できなかった。
文禄・慶長の役において、日本軍が緒戦で勝利したのは、朝鮮官軍の逃亡、戦闘回避、民衆の官物略奪、日本軍の主要武器である鉄砲への不慣れがあった。
 兵糧の需要増加によって、出撃基地である名護屋の米相場は京都方面より6割増しに高騰した。
 朝鮮出兵のとき、日本人捕虜が数千人規模で「降倭」となり、日本軍と戦った。
 戦後、日本から6000人あまりの人々が朝鮮半島へ帰還した。
戦国時代の九州・沖縄の動きを通覧・通読することができました。ここでは、特に印象的なところを紹介しています。
(2023年7月刊。3800円+税)

獲る、食べる、生きる

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 黒田 未来雄 、 出版 小学館
 私の日曜日の夜の楽しみは、録画したNHK『ダーウィンが来た』をみることです。
 日本と世界のさまざまな生き物の生態が詳しく紹介され、いつも驚嘆しています。自宅で映像をみるのは楽ちんそのものですが、映像を撮っているカメラマンとそれを支えているスタッフの苦労は想像を絶します。
 この本の著者は、まさしくこの番組のディレクターをつとめていたそうです。
 著者が大自然に触れる道を踏み込むようになったのは、星野道夫、有名な野生動物カメラマンです。この星野氏は、残念なことに、43歳のとき、カムチャッカでヒグマに襲われて亡くなってしまいました。
 著者は26歳のとき、星野道夫も行ったアラスカの犬ぞりを体験しています。すごい行動力です。
 犬ぞりを引く犬たちの健康管理で大切なことはエサよりも水。湿度が低いため犬は脱水症状になりやすい。犬の尿の色が濃くなっていないか、常に気を配っておく必要がある。
 犬ぞりの犬が引くことのできる重量は自分の体重と同じ。だから、体重40キロの犬が4頭なら160キロ。犬たちは、走りながら排泄する。犬たち自身が走りたいと思わないと犬ぞりは動かない。そこで、性格の違う犬の一頭一頭に声をかけ、抱きかけ、抱きしめ、ほめてやり、チームとしての集中力を高め、走り出す。なかなか難しいんですね。
 ヘラジカの鼻は珍味中の珍味。全体を覆う毛を焼いて落とし、ゆっくりと煮込む。黒く変色した皮をナイフで丁寧に取り除き、少し塩をつけて口に放り込む。濃厚な脂、コリコリとした軟骨、さらにとろけるように柔らかい肉。いろいろな味と食感が、絶妙なバランスで複雑に混ざりあう。いやあ、ホント、美味しそうですよね…。
 野生動物を狙うハンターに求められる(問われる)のは、観察力と想像力、そして最後は気力。まさに人間力が根底から試される真剣勝負だ。
著者のハンターとしての先達(師匠のキース)は、狙った獲物に銃弾があたったと分かっても、「すぐには動くな」と著者をさとした。「彼は今、死を受け入れなくてはいけない。そのための時間を、彼に与えてあげなくては」と言う。
 「獲物に最後の力が残されているとしたら、まだ近づいてはダメ。彼らが死を受け入れるためのひとときを決して穢(けが)してはならない。しっかりと待つんだ」
 いやあ、これにはまいりました。さすがは先達です。こんな心構えで、獲物を狙うのですね。単なる楽しみとはまるで違います。
 著者は北海道でヒグマを撃ちました。仔グマ2頭を連れた母ヒグマでした。そんなときは仔グマも生かさないのだそうです。「なんで僕が殺されなくてはいけないの…」と訴える仔グマの視線を感じたとのことです。いやあ、臆病な私にはとても出来ない状況です。
 いま51歳の著者は東京外国語大学を卒業し、商社に入って、そのあとNHKに転職したとのこと。そしてNHKを辞め、最近では狩猟・採集生活を送っているそうです。とてもとても真似できない人生です。うらやましい限りですね。だって、人生は一度かぎりなんですから、…。やりたいことをやった者が勝ちですよね。
(2023年8月刊。1700円+税)

龍の子を生きて

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 二ッ森 範子 、 出版 こうち書房
 八路軍従軍看護婦の手記というサブタイトルのついた本です。
八路軍というのは中国共産党の軍隊です。日本が中国に侵略戦争を仕掛けていたとき、頑強に戦いました。蒋介石の国民党軍と一緒に日本軍と戦っていた時期もあります。国共合作によって誕生した名前です。中国では「パーロ」とも呼ばれていました。
そんな八路軍に日本敗戦後に大勢の日本人が参加しました。日本軍がアメリカに無条件降伏したといっても、中国現地の八路軍は装備は貧弱で、人員も足りていませんでしたから、日本人に「助っ人」を頼んだのです。
私の叔父(父の弟)も応召して関東軍の兵士(工兵)として山中で地下陣地を構築していましたが、八路軍の求めに応じて、紡績工場の技術者として戦後8年間、働いていました(1953年6月、日本に帰国)。私は、叔父の手記を基として『八路軍(パーロ)とともに』という本(花伝社)をこの7月に刊行しました。まだ読んでいない人は、ぜひ買い求めてください。少し付加、訂正したいところがありますので、改訂版を出したいのですが、売れゆきがかんばしくありません。どうぞお助けください。
山形県の山村で生まれ育った著者は、16歳(数え)のとき、満州に渡って看護婦になりました。満州の中央にあるハルビンの義勇隊中央医院が職場です。もちろん、初めは看護婦になる勉強から始まります。
待遇は、日本(内地)に比べるともったいないほど良かった。祭日には、お菓子もお餅もあった。満州に渡ってきた義勇隊の少年たちが次々に病人として運び込まれてきました。栄養失調と結核が目立って多かった。厳しい苛酷すぎる自然環境でした。
日本軍の敗戦(8月15日)の前、8月9日深夜、ソ連軍が突如として満州に、侵攻してきた。頼りの関東軍は、その精鋭部隊は南方戦線に送り出されていて、員数あわせだけで成りたっている、見かけ倒しの軍隊にすぎなかった。
ソ連軍のあとは、国民党軍がやってきて、ついに八路軍も姿をあらわした。国民党軍は規律のなさから現地の人々から総スカンを喰った。
八路軍は、日本人の医師や看護婦に対して、あくまで紳士的に、礼儀正しく、協力を要請してきた。そして、著者はそれに応じることを決断した。やがて国共内戦が始まりました。
共産党軍(八路軍)は当初、アメリカ式の最新兵器を有する国民党軍に追われていましたので、著者も八路軍と一緒に広い満州をわたり歩いたのでした。
著者が初めて出会ったときの八路軍の兵隊は、ノミとシラミ、そして垢(あか)にもまみれて行軍していた。こんなみすぼらしい軍隊が、最後には勝つだなんて、とうてい信じられなかった。しかし、負けるという気もしなかった。
病院は忙しく、毎日、大変だったが、暗い雰囲気はまったくない。毎日、変化があり、刺激的で楽しく、満ち足りた日々だった。
1948年春になると、八路軍は勢いがあり、進撃に転じていた。このころ著者は19歳の看護師で、1日40キロを行軍した。
著者たちは「三大規律、八項注意」の歌をうたい、「一日に3つは良いことをしよう」と決めて実践していた。
1953年4月、25歳の著者は日本に帰国し、宮城県にある坂病院で看護婦として働きはじめた。中国での看護婦としての大変さがよく伝わってくる手記でした。岡山の山崎博幸弁護士(26期、同期です)に紹介され、インターネットで注文して読みました。
(1995年12月刊。1500円)

イラク水滸伝

カテゴリー:イラク

(霧山昴)
著者 高野 秀行 、 出版 文芸春秋
 驚くばかりの現地踏査ルポルタージュです。イラクに広大な湿地帯があり、そこはアウトローたちの逃げ場でもあるというのです。なんで中国の「水滸伝」がイラクに出てくるのかという謎が本文を読むと、見事に解明されます。
 この巨大な湿地帯、アフワールに入った日本人は少なく、その実情を紹介した本もほとんどありません。そんなところに、冒険家の著者は山田隊長と2人して出かけたのです。
 この湿地帯は、イラクのペルシア湾に面した地方にあります。ここは、ティグリス川とユーフラテス川が合流する地点です。ハウィザ湖とハンマール湖という大きな湖があります。そして、ここに生える葦(アシ)は、なんと高さ8メートルもありますので、この茂みの中に逃げ込んでしまえば簡単には見つかりません。葦でつくった浮島があり、そこに住居もあります。
 この湿地帯はユネスコの世界遺産に登録されたばかり。
 この湿地帯での郷土料理は「鯉(コイ)の円盤焼き」。イラクでは5千年前から鯉が食されている。イラクでは法律によってアルコールは一切禁止されている。しかし、多くの人が日常的に密造酒や密輸酒を飲んでいる。
 イラクの「軽いご飯」は、50代の日本人にとっては十分にヘビー級。
 イラクの独裁者のフセインは干拓しようとして水路をつくりましたが、結局のところ失敗しました。この湿地帯にひっそりと生活してきたのがマンダ教徒です。
湿地帯の人々に多いマンダ教は、とても風変わりで特殊な宗教。マンダ教徒は洗礼者ヨハネを信仰している。マンダ教徒は、イラクでは「サービア教徒」と呼ばれている。マンダ教徒は伝統的に「舟大工」を生業にしている。マンダ教徒は古星術の使い手として知られ、サダム・フセインも頼っていた。マンダ教徒は全世界で10万人未満、イラクには3万人以下しかいない。マンダ教徒は絶対平和主義。
 マンダの人々は2つの名前をもっている。一つはフツーの名前で、もう一つは星に由来する名前。こちらは他人には絶対に教えてはいけない。
 湿地帯では水牛が飼われている。ゲーマルは、水牛の乳製品である。
 この湿地帯では燃料に困ることはない。葺の再生力はものすごい。ただし、葺(カサブ)が密生した中へ入り込むのは困難。
 湿地帯が放っておかれてきた理由は簡単。ここには何の利権もない。この一点に尽きる。石油などの天然資源は、ここにはないのです。20世紀のイラク水滸伝の主人公は意外にもコミュニスト(イラク共産党)だった。
 この湿地帯には私有地はない。人々が所有するのは水牛だけで、あとはみな公共のもの。湿地帯には道がなく、集落もない。家にトイレはなく、敷地の端ですませるだけ。
 マンダ教徒は、同じ信者内でしか結婚しないので、他の民族の血は混じらない。その目はきょとんとしたように丸く、顔立ちにちょっと愛嬌がある。
 マンダ教徒が結婚するときの婚資(結納金)は高い。水牛10頭分にも相当する。これを潜脱する方法として、同じ家同士で娘を交換したら、婚資がいらなくなる。
 浮島では女性は姿を隠さない。隠す場所もない。
 本文474頁もある大作ですが、旅行記をのぞく気分で軽々と読みすすめることができました。それにしても著者は勇気があります。また、山田隊長の存在も大きいと思いました。
 イラクの知られざる湿地帯の実情を知ることができる本です。一読をおすすめします。
(2023年9月刊。2200円+税)
 日曜日に庭の畑からサツマイモを掘り上げました。昨年と同じ場所に畝(うね)を4列つくっていました。うち1列は先に掘り上げているのですが、小ぶりのイモばかりでした。それで残る3列に期待をかけていたのです。ところが、前より少しだけ大きいものがありましたが、ほとんど小ぶりばかりでした。どうして、なんでしょうか。
 同じ場所にジャガイモを植えて6月に収穫したのですが、ジャガイモは店頭の商品と遜色ありません。
 サツマイモって、意外に難しいのです。来年は、苗と植える時期を変えてみようかなと考えています。
 庭にチューリップの球根を全部で300個ほど、あちこちに植え込みました。春が楽しみです。

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