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2023年7月 の投稿

八路軍(パーロ)とともに

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 花伝社
 叔父の久は大川市(当時は三又村)で百姓をしていたが、1944年8月、25歳のとき召集された。丙種合格だったので安心していたのに、日本軍の敗色が濃くなるなかで丙種まで徴兵された。出征兵士だからといって、旗を立てて万歳三唱で送り出す状況ではなかった。結婚が決まっていた女性と慌てて結婚式をあげ、翌朝には出征した。
 船で釜山に渡るときも夜中に恐る恐るだった。アメリカの潜水艦に狙われたら魚雷一発で、あの世行き。久は、関東軍の一員となり、満州で工兵として山中の地下陣地構築にあたらされた。だから戦闘行為はしていない。
 1945年8月9日、ソ連軍が満州に突如として大挙して進攻してきた。満州中央部にいた久たちの部隊は戦わずしてソ連軍から武装解除され、兵舎にとどめ置かれ、ソ連軍が満州内にある工場の機械や設備などを一切合財、ソ連へ運び出す作業に使われた。幸い、久はシベリア送りにはならなかった。
 久のいた満州中央部には満州各地の開拓団にいた日本人婦女子が命からがら逃げて集まってきた。次々に弱者は死んでいった。そのなかで多くの残留孤児が生まれた。
 モグラ兵舎に閉じ込められ、明日の希望のない生活を強いられていた久たちの前に中国共産党の軍隊である八路軍(パーロと呼ばれ、恐れられていた)があらわれ、6人の工兵の出頭を求めた。久はそれに応じた。
 それから、久たちは八路軍とともに満州各地を転々流浪することになった。というのも、八路軍と蔣介石の国民党軍との戦争(国共内戦)が激しくなったからだ。貧弱な武器しか持たない八路軍に対して、アメリカ仕込みの近代的装備をもつ国民党軍は一見すると優勢だった。しかし、八路軍は、土地改革をし、「三大規律、八項注意」を厳守する規律正しい人民の軍隊なので、民衆から圧倒的に支持され、腐敗・墜落した国民党軍は次第に敗色濃くなっていった。
 ようやく国共内戦が決着すると、久は紡績工場で技師として働くようになった。そのなかで、同僚となった日本人女性と交際をはじめて、結婚し、日本敗戦後の1953年6月、ついに日本に帰国することができた。日本に戻った久は百姓を再開し、大川でイチゴ栽培の先駆者となって大川市誌にも紹介されている。そして、2016年12月、98歳で亡くなった。
 気がついたことを3つだけ紹介したい。
 その一は、シベリアに57万人もの元日本兵が送られて強制労働させられたのは、北海道の半分を占領することをスターリンが求めたのをトルーマンが拒否したから急に決まったことという説がある。しかし、ソ連はその前に元ドイツ兵300万人を強制労働させているので、スターリンが急に思いついたこととは考えられないということ。
 その二は、毛沢東は実は日本軍と手を組んでいて、日本軍は蒋介石の軍隊を攻撃させていたという説をもっともらしく言いたてる本がある。これは蒋介石がデマ宣伝したのを、現代日本の陰謀論者がデマを拡散しているだけのこと。
 その三は、日本敗戦後、アメリカは婦女子より元日本兵を優先して日本へ帰国させた。元日本兵が中国に大量に居すわって、中国軍と手を組むのを恐れたということ。日本人婦女子の送還はアメリカにとって優先課題ではなかった。
久が80歳になってから書き始めた手記をもとにして、当時の満州で日本軍が何をしていたのか、その悪業の数々も明らかにし、国共内戦のなかの八路軍(パーロ)の様子なども紹介している。
 再び戦争前夜とまで言われるようになった現代日本において、「国策」に黙って乗せられたらどんな目に国民はあうのか、まざまざと再現している貴重な記録となっている。ぜひ、多くの若い人に読んでほしい。
(2023年7月刊。1650円)
 

獣医師、アフリカの水をのむ

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 竹田津 実 、 出版 集英社文庫
 大分県に生まれ、北海道で獣医師として活動してきた著者がアフリカに出かけて出会った動物たちの話を生き生きと語っています。
サファリとは、「旅」を意味するスワヒリ語だそうです。
 小倉寛太郎(ひろたろう)ともアフリカで出会っています。かの『沈まぬ太陽』(山崎豊子)の主人公のモデルです。
 マサイ族の男性を写真に撮ってはいけないと禁じられたのに、こっそり撮った旅人がいた。それを60キロ先からやってきて「自分を返せ」と叫んだ。マサイの人の視力は、なんと6.0。いやはや…。
 福岡の女性がマサイ族の男性と結婚して、ガイドしていましたよね。今も元気にガイドしておられるのでしょうか…。きっと、コロナ禍で大変だったことでしょうね。
 フラミンゴは、赤くないともてないとのこと。つまり、たっぷり食物を食べた健康体であることが必要十分条件。羽毛の赤は、藻類の中に含まれるカロチノイド系色素によるもの。ミリオン(百万)単位の群れのなかで、集団お見合いの儀式が終日、少し儀式を変えて、パレードよろしく演じられる。
アフリカには、ツェツェバエがいるところがある。ところが、乳牛が放牧されているところは、ツェツェバエのいないところなので、安心できる。
 シロアリが雨季が始まると、アリ塚から飛び立っていく。そのハネアリは捕まえて食用としてマーケットで売られている。酒のつまみに最高。
 サバンナ・モンキーが木にのぼって両手を広げて飛んでいるハネアリをはたき落とし、口の中へ入れてモグモグ、クチャクチャと食べる。シロアリの脂肪は牛肉の2倍、タンパク質は同じくらい。「肉よりうまい」とのこと。本当でしょうか…。
人間の乗れるゾウはアジアゾウで、アフリカゾウには乗れない。これまた、本当でしょうか…。そんなに気性が荒いのですか、人間は飼い慣らせないのですか。
アフリカにもバナナはあるが、バナナの原産地は東南アジアで、アフリカには2千年前に導入された。
 アフリカに50年前はライオンが45万頭いたのが、今では3万頭にまで激減した。今はどうなっているんでしょうか…。ライオンとか虎って、見るからに怖いですよね。でも、ゾウもカバも本当はライオンより怖いんだそうですね…。
アフリカに行く勇気も元気もありませんので、「アフリカの水をのむ」人の話を読むだけにしておきます。といっても、近所の知人の娘さん一家は今もナイロビ在住なんです。案外、アフリカも身近な存在でもあるのが世の中ですよね。
(2022年12月刊。840円+税)

3.11大津波の対策を邪魔した男たち

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 島崎 邦彦 、 出版 青志社
 著者は東大名誉教授で日本地震学会の元会長です。3.11の前に、大津波への対策をとる必要があると提言したのに、上から圧力がかかってもみ消されてしまったことを明らかにして、その圧力をかけた人たちを糾弾しています。
 2002年夏、専門家たちは大津波がありうると警告した。この警告にしたがって対策をとっていたら、3.11の大災害は防げたはずだ。著者はこのように強調しています。私は、このくだりを読んで怒りに震えました。
 この提言(警告)について、当時の防災大臣が発表するのに反対し、内閣府の防災担当が発表を止めようと圧力をかけた。結局、発表されることにはなったが、その文章には「津波対策はとらなくてもよい」と読めるくだりが入れられた。
東京電力は大津波なんか起こらないと役所をだまし、津波の計算をしなかった。東京電力は福島原発が大津波に弱いことを知っていた。しかし、対策はしなかった。対策をとる代わりに、対策の延期を専門家に根回しし、役所に延期を認めさせた。そのうえ、これまで大津波に襲われたことはないと言いはじめ、だから大津波は来ないから対策しなくてもよいと役所に認めさせた。
 著者は、地震学の専門家として(権威ですよね)、3.11大津波は人災だったと断言しています。東京電力も社内では子会社に計算させていて、予想される大津波の高さは15.7メートルというのが分かっていた。実際の3.11大津波は高さ15.2メートルだったから、ほぼ予測どおり。なので、この予測にもとづいてしっかり対策をとっておけば3.11原発大事故は起きなかった。
 いやはや、東電の無責任さは犯罪的としか言いようがありませんよね。でも、東電の歴代社長たちは刑事責任を問われることなく、今ものうのうと暮らしています。許せません。
 著者は原子力ムラなるものは確実に存在すると断言しています。そして、厄介なのは、村の住人が入れ替わること。そこで、誰かが主(ぬし)となって一人で仕切っているのではない。ただ、住人は入れ替わっても、ムラの根底に存在するものは変化しない。それは、原発を推進しなくてはいけない、という空気。組織としての惰性(だせい)。「今だけ、カネだけ、自分の会社だけ(良ければいい)」という意識が貫いている。
 3.11のあと、著者は日本記者クラブでこのことを明らかにした。しかし、メディアはまったく無視した。そうなんです。原子力ムラにはマスコミも同じ穴のムジナなのです。
 地震が起こると原発は危険だと思われると、電力会社は裁判で不利になる。原発の建物や運転にストップがかかる心配がある。こんな電力会社の主張が国を動かしている。いやはや、国民の生命や健康なんか、二の次。まっ先に優先されるのは東電や九電のような電力会社の利益なのです。
東電は高さ15.7メートルの大津波に備える防潮堤をつくるのには4年の歳月と数百億円が必要になるので、武藤副本部長を先頭としてそんな対策は必要ないことにした。
 著者は政府の関わる各種会議のメンバーになっていますが、実は大事なことは政府事務局の主導する秘密会議で決まっているという実態も暴露しています。要するに、学者は表向きのお飾りの役目を果たすだけということです。これまた怖い現実です。
 政府も東電も、3.11福島原発事故の責任をとらないまま、自民・公明の岸田政権はまたぞろ原発の新増設に動き出しています。歴史の教訓に学ばず、それどころか逆行しています。選挙での投票率の低さがそれを支えています。
日本人は一刻も早く目を覚まさないと、本当に明日が危ういと本気で私は心配しています。
(2023年6月刊。1540円)

忍者学大全

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山田 雄司 、 出版 東京大学出版会
 御庭番は、江戸幕府の正規の職名。紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだとき、将軍独自の情報収集機関として設置された。御庭番が将軍以外の老中や目付などの密命も受けたという説は誤り、また、伊賀者・甲賀者などの忍者と混同されるが、それも間違い。
 手足となる側近や社会の動きを独自に入手できる手段がなければ、将軍は行政機構を掌握している老中の意のままになるしかなく、将軍が幕政の主導権を握るのは難しい。
 そこで、吉宗は、将軍を継ぐにあたって、190人ほどの紀州藩士を幕臣に編入し、側近役の大半は旧紀州藩士で固めた。また、紀州藩において隠密御用をつとめていた薬込役18人と馬口之者1人の計17人も同時に幕臣に取り立て、「御庭番家筋」として、将軍直属の隠密御用に従事させた。これがお庭番の起源。17家で発足して、4家が除かれたが、残る13家のなかから別家が9家でてきて、合計22家となり、幕末まで存続した。そのほとんどが御目見(おめみえ)以上の身分となり、なかには勘定奉行にまで累進する者も出た。家禄も500~1200万まで加増された。
 御庭番は、表向きは江戸城本丸御殿大奥所属の広敷役人。実際には、「奥」の役人である小納戸(こなんど)頭取、奥之番の指令を受けていた。御庭番は、将軍自身や小納戸頭取、奥之番の上司で、「奥」の長官でもある御側(おそば)御用取次の直接の指令を受けた。そして、諸藩や遠国奉行所、代官所などの実情調査、また老中をはじめ諸役人の行状、世間の風聞などの情報を収集し、調査結果を「風聞書」にまとめて上申した。隠密御用には、江戸向き地廻り御用と遠国御用の二つがあった。遠国御用は2人1組または3人1組で行う。調査日数が50日かかるときは、2人に対して50両が将軍の御手許(おてもと)金のなかから支給され、残金は江戸に帰ったときに返却することになっている。
 史料で判明した限り、11代将軍家斎から14代将軍家藩までの80年間に遠国御用が46回も行われている。天保12(1841)年の遠国御用は、有名な「三方領知替」のときの調査だった。当時の老中水野忠邦によって発令された「三方領知替」は、庄内領民の反対闘争をきっかけとして、12代将軍家慶によっていったん「中止」と決定されたが、老中水野の建白書によって中止の決定が延期された。そこで、将軍家慶は御庭番を派遣し、その報告を受けて、改めて中止を命じた。この庄内一揆の見事さは藤沢周平の『義民が駆ける』(中公文庫)で生き生きと紹介されていますので、ぜひお読みください。
 近江国膳所(ぜぜ)藩の風聞書も紹介されています。それによると、膳所藩の財政は悪化していて、領民が重税に苦しんでいる、バクチの取り締まりもうまくいっていない、この財政悪化の原因は藩家老たちのぜいたくによるとされている。
 寛政8(1796)年12月に起きた津藩の百姓一揆(全藩一揆)について伊賀者の書いた克明な記録が残っている。それによると、一揆の原因をつくった藩政改革の推進派の奉行や城代家老などが厳しい処分を受けているので、百姓一揆側も厳正にしないと津藩の権威が保てないということで、伊賀者が一揆頭取を捜索したという記録になっている。
 島原・天草一揆にも甲賀衆が活躍している。ただし、近江国甲賀からやってきた忍びは、夜中に原城のなかに入ったものの、九州方言が理解できず、またキリシタン宗門の言葉もあって、情報を収集することはできなかったとのこと、なーるほど、ですね…。
忍者マンガは、今もネットの世界で大流行しているようですね。忍者マンガが初めて登場したのは大正9(1920)年のこと。今から100年も前というから、驚きます。私は、小学生のころは猿飛佐助、そして大学生のときは白土(しらと)三平の『忍者武芸帳』です。これによって、江戸時代の百姓一揆に開眼(かいげん)しました。(ただし、その後、百姓一揆についての認識は少し修正することになりました)。
横山光輝の『伊賀の影丸』も読みましたが、藤子不二雄の『忍者ハットリくん』はマンガを基本的に卒業したあとのことになります。『ナルト』となると、まったく縁がありません。
江戸時代の有名な芭蕉も忍者だったのではないかと前から話題になっていますが、この本でも、たしかに怪しいというのが紹介されています。
それにしても「大全」とあるとおり、堂々500頁、しかも本文2段組の大著、さらには出版元が東大出版会という異例ずくめの本です。3ヶ月で既に3刷というものすごいです。値段の割には、すごい売れ行きです。
(2023年5月刊。7500円+税)

羽毛恐竜完全ガイド

カテゴリー:恐竜

(霧山昴)
著者 BIRDER編集部 、 出版 文一総合出版
 鳥は恐竜である。
 今や、定説になっています。でも、地上を駆ける恐竜と空を飛ぶ鳥と、どこに共通点があるのか、一見しただけでは分かりません。
 鳥と恐竜は、どちらも直立二足歩行で、趾行(しこう)性。直立二足歩行するのは、鳥と恐竜以外には、ヒトとカンガルーくらい。
 趾行性というのは、かかとを地面から上げ、つま先立ちで歩くこと。鳥のあしに膝のように見えるのは、実はかかと。
鳥の羽は、うろこが変形したもの。なので、全身がうろこで覆われている恐竜と、羽をまとっている鳥とは共通している。羽毛の起源はウロコが変化したもの。羽毛には断熱材の役割があった。恐竜は内温性だった。
 恐竜はカラフルと一般に考えられているが、鳥も身近な鳥ほど派手ではなく、恐竜も鳥と同じでは…。
 現在、恐竜の定義は、「トリケラトプスとスズメのもっとも新しい共通祖先とその子孫すべて」。
 恐竜は2億3千万年前から6600万年前まで、長期にわたって繁栄した。このうち鳥類に進化したのは獣脚類。
 羽毛が確認された恐竜のなかで最大種なのが、マラティラヌスで、中国で発見された。体長9メートル。羽毛はディスプレイ用の飾りだったと考えられている。
 カラフルな羽毛恐竜が紹介されている楽しい図鑑のような本です。わが家の庭にいつもやってくるヒヨドリやカササギ、そしてスズメが恐竜の仲間だなんて、ちょっと信じられませんが…。
(2023年3月刊。2750円)

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