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2023年5月 の投稿

まんぷくモンゴル!

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 鈴木 裕子 、 出版 産業編集センター
 モンゴルで公邸料理人として勤めた日本人女性のモンゴル体験記です。とても面白くて、一気読みしました。
 モンゴル人は、仔羊や仔牛など幼畜たちの肉は食べない。ええっ、ウッソー、でした。
 日本の4倍の国土に世界一人口密度は低く、家畜は人間の20倍以上もいる。国土の8割が草原で、雨がほとんど降らず、寒い。氷点下20度の寒さがあたり前。
 家畜の命を奪うのは男性の仕事で、女性はしてはいけないし、本当は屠殺の瞬間も見てはいけない。
草原の草は、小さく硬く、苦い。モンゴル人は、緑の葉は人間が食べるようなものではないと言う。なぜ野菜を食べなくてはいかんのか。肉の中に入っているじゃないか…。
モンゴルで豚と鶏の肉を手に入れるのは易しいことではない。
ラクダは2年に1頭の仔を育てる。ラクダの肉は脂が真っ白、そしてまったく美味しくない。
羊の尾は、モンゴル人が好んで食べる最上の脂。さらりとして滑(なめ)らかで、よく溶け、癖がない。
モンゴルの牛乳は美味しい。日本とはまるで違った味。モンゴルではホルスタインなどの乳牛は飼わない。そのミルクを煮立てて飲む。草だけで育った自然の生ミルク。お鍋の底のお焦(こ)げは子どものおやつ。上に張る皮は食べる厚さがある。
有名な馬乳酒は、仔馬がちゃんと育ってきたのを見届けてから、お乳を必要としなくなるまでの短い間に、人が馬から横取りする生乳を発酵させて作る。馬は年に1度しか発情期をもたない。なので、お乳も年に1度の季節限定。馬乳酒は、夏の3ヶ月ほどの短い間にしかつくられない。
モンゴル人に言わせると、からだを冷やす肉があり、それは山羊とラクダ。だから夏に食べ     るとよい。
モンゴル人は、あたたかいものがご馳走で、冷たいものは苦手。ゲルの壁となる家畜の毛のフェルトは、空気を通しながら、熱をまったく逃がさない。
台所にまな板はなく、すぐに乾くので、洗わなくても問題はない。モンゴル人は、火を通さないものは食べない。
モンゴルにはラクダが30万頭もいる。フタコブラクダは強くて安全。
 ラクダは乾燥に強く、40%を失っても生きのびる。汗はかかない。寿命は30年。
 モンゴル人は酔ったら家に帰らない。酔ったうえでの帰路は怖い。
 いつもは遊べない。だから、遊べるときは遊び倒す。
 子だくさんの女性は、国から表彰される。
 モンゴル人は肉ばかり食べるからなのか、日本人より十数年も寿命が短い。モンゴル人には、心筋梗塞、血栓、動脈硬化など、血液ドロドロが主な原因の病気、そして食道がんや糖尿病が多い。
 だから、著者はモンゴル人に野菜をたくさん食べてもらおうと野菜の本をつくった。
50歳台の日本人女性の発揮するバイタリティーには圧倒されてしまいました。
 日本ではちょっと食べられないような肉料理のオンパレードでしたが、やはり野菜はたいせつなのですよね…。ご一読をおすすめします。元気の湧いてくる本でした。
(2023年3月刊。1200円+税)

島原・天草一揆

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 小西 聖一 、 出版 理論社
 私は原城跡には3回ほど行ったことがあります。こんなところに3万人もの農民たちが家族連れで籠城し、その数倍もの幕府軍と長いあいだ抗して戦ったのかと思うと、感慨深いものがありました。すぐ近くでは土産品を売っていますし、少し離れたところには立派な資料館もあります。
 そして、忘れられないのは、秋月(福岡県)の郷土資料館に天草一揆に従軍した秋月藩から見た戦闘状況を刻明に描いた絵巻物が展示されています。これまた必見です。
この天草一揆は、キリスト教を禁圧したことへの抗議というだけでなく、百姓の生活を厳しく圧迫した苛酷な藩政に対する抗議、つまり百姓一揆の面もあるとみられています。
そして、農民たちを戦闘の場面で指導したのがキリシタン武士たちでした。キリシタン大名だった小西行長の家来たちです。
幕府側の最高司令官は板倉重昌で、当時50歳。1万5千石の三河の小藩の藩主。ところが、続いて20数日後、老中・松平信綱が二人目の司令官として伝命された。
二人も司令官がいるなんて、異例ですよね。
戦国時代、ザビエルたち宣教師の活躍の成果として、全国のキリシタン人口は13万人。うち島原、大村、天草などに11万5千人、豊後(大分)に1万人、京都に5千人。これって、地域的にあまりに偏っていますよね、どうしてなんでしょうか…。
豊臣秀吉が、なぜ急にキリシタンを厳しく取り締まるようになったのか、いろいろ説があるようです。
 小西行長は、堺の商人の出身で、秀吉に取り立てられて大名にまで出世した。高山右近の影響でキリシタンとなり、アウグスティヌスといった。宇土に城を構え、肥後の南半分、天草の島々も支配する領主となった。
関ヶ原合戦のころ、全国のキリシタンは75万人にまで増加した。家康、秀忠、家光と、三代の将軍もキリシタン禁圧をすすめた。
 初めの司令官の板倉重昌は総攻撃を命じて、自らも進攻軍にいたところ、原城の一揆軍の鉄砲にあたって戦死した。その直後に松平信綱が幕府軍の陣営に着任した。
 このことから、板倉重昌は焦って死地を求めて無理を承知で最前線に出て、ついに戦死してしまったという説が有力です。状況としてはありえますよね…。
 原城跡を12万の幕府軍が取り囲んで、気長に待つ兵糧(ひょうろう)攻め、干乾(ひぼ)し作戦が取られた。そのうえで、幕府軍は総攻撃に移って、城内にいた3万7千人もの老若男女をみな殺しにしたのです。
 今でも、原城跡を深く堀りすすめると、当時の遺物が発見されるとのことでした。
 ぜひまた、原城跡に行ってみようと思います。
(2023年1月刊。1800円+税)

ある男

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 平野 啓一郎 、 出版 文春文庫
 著者の社会批判は、いつも的確で、小気味良さを感じながら共感することがほとんどです。
 映画はみていませんので、どんな話なのか、まったく知らないで東京出張の途中で読みはじめました。いやあ、ぐいぐい引っぱられてしまいました。読ませます。
 弁護士活動の体験談のような体裁の本でもあります。これは、著者が京都大学法学部出身なので、身近に弁護士が多数いることから来るのかもしれません。
 ともかく、弁護士である私が読んで、まったく違和感がありませんでした。
 これから、少しネタバレになることをお許しください。私は弁護士として、たくみに噓をつく人には少なからず接触してきましたが、戸籍の交換というのは私の見聞したなかにはありませんでした。外国籍の人が日本の国籍を得るために「偽装」結婚したというケースは関与したことがありますが…。
 誰かになりすますというのは、たとえ戸籍を交換できたとしても容易なことではないはずです。それぞれの生活背景を語り尽くせるはずがないからです。
 また、統一協会やエホバなどの信者2世の悲惨な状況が話題になっていますが、殺人犯などの加害者2世の問題も深刻だと、私も思います。だから、戸籍をとりかえてまで、他人になりすましたいという気持ちは、それなりに理解できます。
 父親が殺人犯だとして、その父親とそっくり、よく似ていると言われたとき、それは、この世にいてはいけない存在だと言われたも同然のこと…。いやあ、きっとそう思いつめるんだろうな、そう思いました。でも、よく考えてみたら、父と子って、子が大人になったら、全然、別の存在なんですよね。
 私は、大学でセツルメントというサークルに入って、親を敵視しているという学生に出会って、それこそ腰が抜けるほど驚いてしまいました。私自身は、親のおかげで大学に入れたのに、親を小馬鹿にしていた自分の愚かさに気がついて、ガク然としました。このことを今もはっきり覚えています。
 いい本にめぐりあえたという思いで一杯になった本でした。
(2021年9月刊。820円+税)

にっぽんのスズメ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 中野 さとる ・ 小宮 輝之 、 出版 カンゼン
 鳥って、あの恐竜の生き残りなんですよね。でも、スズメがティラノサウルスと同じ恐竜の仲間だなんて、信じられませんよね。可愛らしい小鳥ですからね…。日本にいるスズメの生態を間近で撮ったスズメの写真集のような本です。
 わが家にも、かつてはスズメ一家が2家族すんでいました。2階の屋根裏と1階のトイレの窓のすぐ上です。子どもが生まれて子育て中になると、トイレのすぐそばで、にぎやかな声を聞きながらほっこりしていました。
 わが家からスズメが姿を消したのは、すぐ下の田圃でお米を作らなくなってからのことです。お米をつくっているときは、梅雨に入るころは水田で鳴く蛙の鳴き声がたまりませんでした。でも、水田の上を吹き渡ってくる風はまさに涼風でした。なので、エアコンなしの夏を過せていました。休耕田となった今は、エアコンなしでは夏は過ごせません。
 スズメはスズメ目スズメ科スズメ属。留鳥。地上で移動するときは、両足をそろえてピョンピョンする、ホッピング。スズメは稲穂だけでなく昆虫も食べる、雑食性。子育て期には昆虫をせっせと食べる。
スズメは清潔好き。寄生虫の予防のため、水浴びと砂浴びを欠かさない。きれい好きのスズメの巣の中には寄生虫がいない。
スズメは卵を1日に1個、合計4~6個うむ。すべての卵をうみ終わってから、抱卵を始める。同じころに卵がかえるようにしている。抱卵日数は、2週間ほど。そして、ふ化してからヒナが巣立つまでも2週間。
スズメは人の住んでいない高山や深い森林には生息していない。
 紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』の、どちらにもスズメは登場している。スズメの仲間のニュウナイスズメは留鳥ではなく、漂鳥。
スズメが減ったのは、スズメのねぐらになるようなヤブやすき間の多い民家が減ったから。
スズメの仲間のイエスズメは、南極以外のすべての大陸に分布している。地中海に注ぐ、ナイル川の下流域が原産地。
スズメの百選写真集といってもよい本です。好きな人は、ぜひ手にとってみて下さい。
(2023年3月刊。1500円+税)

「父・坂井孟一郎」

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 嶋 賢治 、 自費出版
 今は長崎市の一部になってしまった香焼(こうやぎ)町で、「憲法町長」というネーミングをもつ革新町長を永くつとめた人の息子(娘の夫)が紹介した冊子があるというのを知り、取り寄せて読みました。
 坂井孟(たけ)一郎は、明治43(1910)年6月生まれで、戦前、治安維持法違反で検挙された。日本大学予科をストライキ指導で退学させられ、満州に渡った。このとき、香焼村の村長をしていた父親が政治力を発揮して起訴留得にしたうえで満州で逃がした。
満州では4人の子(全員が男の子)を日本敗戦の前後に次々に亡くした。そして、日本に引き揚げたあと、36歳のとき(1947年4月)香焼村長に当選した。
村長として、戦後の農地解放の波に乗って、川南造船所から進航軍(マッカーサー)の指示より4倍もの土地を農民のものとした。
 ところが、昭和天皇の長崎行事に階し、村長として県下ただ一人お迎えに行かなかったことからリコール運動が起きた。そのとき、父のすすめもあって、小学校建設とひきかえに村長を辞任した。
昭和30年、香焼村の財政が破綻したことから村民に呼び戻されて村長に立候補して当選。川南造船所が破産間近と知って、財産差押を断行して村財政の再建に貢献する。水道施設を村有として上水道を創設し、中学校の校舎を建設した。
その後も、香焼町長として活躍。町村で初めての下水道100%計画、図書館、ごみの毎日収集などを実現。昭和62(1987)年4月末に町長を退任するまで革新自治体の長として活躍した。
1985(昭和60)年の町長の施政方針演説の一部を紹介する。
 「核兵器の保有において世界の第一、第二という保有国の一方とだけ同盟を結んで対処していこうとするのが今の日本政府の方針。アメリカという国は、核兵器の廃絶、使用禁止とかに国連で賛成したことはない。
 日本が核保有国の一方と同盟を結ぶというのは日本民族の将来の厄災につながりかねない。そういう危険な方向は廃すべきだ」
 これが田舎の町議会での町長の演説だなんて、信じられませんよね。今の岸田首相にしっかり聞かせたいものです。野党多数の町議会だったので、坂井孟一郎の生涯はケンカの一生だった。それでも本人は「どうもケンカを途中でやめられないタチらしくて…」とウソぶいて、貫き通したのです。偉いものです。
 通算10期35年ものあいだ、村長そして町長として「憲法をくらしの中にいかそう」という大看板を町役場にかかげていたのです。涙が出るほど元気の出る、うれしい話です。
 わずか70頁の冊子ですが、こんな首長の登場を今ふたたび待望したいものだと思い、勇気づけられました。この冊子を刊行された(株)嶋会計センターに感謝します。
(2022年9月刊。非売品)

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