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2023年5月 の投稿

「真実を求めて」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 布川事件の国賠訴訟を支援する会 、 自費出版
 冤罪・布川(ふかわ)事件の国賠訴訟をふり返った記録集です。A4版、75頁の記録集ですが、内容も体裁(編集)も実に素晴らしい出来上がりで、心より感動しました。桜井昌司さんの冒頭の「最後のご挨拶になりました」にも心を打たれます。
「不良少年」だった20歳のときに逮捕されて有罪となり、以来、54年間に及ぶ国家権力との「仁義なき闘い」を勝ち抜いた桜井さんに対して心から拍手を送ります。桜井さんは「挨拶」のなかで「末期がんで余命1年を宣告」されたとのことですが、いえいえまだ元気で全国を駆けめぐっています。
 最近は飯塚事件(すでに死刑執行ずみ)の再審請求で福岡まで来られたようです。
 「皆さん、本当にありがとうございました。54年間に及んだ闘いは愉しかったです。皆さんとお会いできたことが人生の宝です」
心にしみる挨拶文です。桜井さんとコンビを組んで冤罪を晴らすために闘っていた杉山さんは病死されましたが、杉山さんのお墓まいりの写真も紹介されています。
 写真といえば、桜井さんは2012年から2014年にかけて四国巡礼したようで、巡礼服の桜井さんが記録集の各所で紹介されていて、これまた心をなごませます。
 単なる活動記録集になっていないのは、「支援する会」の代表委員でもある豊崎七絵・九大法学研究院教授の講演と弁護団の谷萩陽一団長の報告が紹介されていることから、布川事件の闘いの意義、そして国賠訴訟が切り拓いた意義を確認することができます。
まずは豊崎教授の講演です。教授は、布川事件の闘いの意義は三つ。第一に、松川・白鳥(しらとり)、八海(やかい)、そして仁保(にほ)事件という、戦後の著名な冤罪事件の闘いを継承しつつ、それらを上回って、再審・国賠を闘い抜いたうえ、大変筋の通った勝ち方をした。第二に、他の冤罪事件にとって偉大なる道しるべになったこと、桜井さんが結び目(結節点)となっていること。第三に、不備の多い再審法改正の立法事実を示したこと。
 最後に、教授は今後の課題として三つをあげています。その一は、裁判所が冤罪の原因と責任の所在を明らかにするのをためらってはいけない。その二は、冤罪の責任は、警察と検察だけでなく、裁判官にもあること。その三は、冤罪の原因と責任を究明する仕組みを立法で設けること。
 いやあ、すばらしい指摘です。いずれも大賛成です。多くの裁判官は検察官の顔色をうかがうばかりで本当に勇気がありません。残念です。たまに気骨のある裁判官に出会うと、ほっと救われた気がしますが、本当にたまにです。
 続いて谷萩弁護士の報告です。国賠訴訟の判決は検察官には手持ち証拠を全部開示する義務があるとした。このことを高く評価しています。本当にそうです。検察官が私物化していいはずはありません。洪水でなくなったとか、嘘を言って提出しないなんて、公益の代表者として許されていいはずがありません。証拠を隠した検察官は職務濫用として免官のうえ処罰されるべきです。そして、最後に谷萩弁護団長は、桜井さんが本当にがんばったし、弁護団も支援する会もがんばったけれど、裁判官(遠藤浩太郎判事)に恵まれたとしています。裁判官の良心を奪い立たせるほどの運動と取組があったということでしょうね。本当に、裁判は裁判官次第だというのは、日頃の私の強く実感するところです。
 この記録集のなかには私のメッセージも載っています。本当に読みやすい体裁でもありますので、みなさん手にとって読んでみてください。桜井さん、本当にお疲れさまでした。引き続き、冤罪犠牲者の会でもがんばってください。
(2023年4月刊。非売品)

南風に乗る

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 柳 広司 、 出版 小学館
 沖縄の戦後の歩みが生き生きと紹介されている本です。アメリカ軍の支配下にあった沖縄で、沖縄の人々は本当に泣かされていました。少女を強姦しても、人々を殺してもアメリカ兵はまともな裁判にかけられることもなく、アメリカ本土に逃げてそれっきり…。日本に裁判権がないのは、昔も今も実質的に変わりません。そして、目先のお金につられ、また脅されて、アメリカの言いなりの人々が少なくないのも現実です。
 今、沖縄の島々に、自衛隊がミサイル基地を設置し、弾薬庫を増設し、司令部は地下へ潜り込もうとしています。島民はいざとなったら、九州へ逃げろというのですが、いったいどうやって九州へ行くのですか。また、九州のどこに行ったらいいというのでしょうか。
 軍隊は国民を守るものではない。軍隊は軍隊しか守らない。むしろ、軍隊にとって国民は邪魔な存在でしかない。沖縄戦のとき、先に洞窟にたどり着いていた人を遅れてやってきた軍隊が戦火の中へ追い出した。
 ところで、この本のタイトルは何と読んだらいいのでしょうか…。「まぜ」と読むそうです。文字どおり南からの風のこと。マは「良」ですから、「良い風」でもあります。
 この本に登場してくる主要な人物は3人。まず、ビンボー詩人の山之口獏(ばく)。沖縄出身の天才詩人で、日本語で書いた詩がフランスで賞をとったそうです。2人目は瀬長亀次郎。戦前、川崎市で働いているうちに治安維持法違反で逮捕され、懲役3年となり服役。終戦時は沖縄にいて、避難しているうちにひどい栄養失調になって入院した。
 戦後の沖縄はアメリカ軍政下にあり、アメリカ軍の少佐はこう言った。「アメリカ軍はネコで沖縄はネズミ。ネコが許す範囲でしか、ネズミは遊ぶことができない」
 これって、今の日本でも本質的に同じですよね…。オスプレイを押しつけられ、佐賀空港の隣に基地ができるなんて、たまりません。
カメジローは、1952年3月の立法院議員に立候補し、那覇区でトップ当選。そして、琉球政府創立式典のとき、カメジローは、ただ1人、起立せず、さらにアメリカ軍民政府への協力宣誓を拒否した。
 いやあ偉いです。勇気があります。君が代斉唱の拒否どころではありません。
カメジローは、演説中は一切メモを見ない。終始、聴衆に自分の言葉で話しかける。独特のユーモアと明るさ、庶民性を兼ねそなえている。カメジローの演説は聴き手にとって、胸のすく思いのする、またとない娯楽だった。
「海の向うから来て、沖縄の土を、水を、そして沖縄の土地を勝手に奪っているアメリカは、泥棒だ。泥棒はアメリカにはいらない。アメリカは沖縄から出ていけ」
 アメリカ軍政下の沖縄です。ユニーク、かつ大胆なカメジローの演説は聴衆のどぎもを抜いた。
沖縄では、アメリカ兵がどんな重大犯罪を犯しても、日本の法廷で裁かれることはなく、非公開の軍事法廷で裁かれ、判決結果は公表されず、被害者へ知らされることもない。殺され損の泣き寝入り。これは本質的には今も変わらない。アメリカ軍に代わって日本政府がなぜか肩代わり補償するようで、まるで植民地システム。
1954年10月、カメジローは逮捕された。容疑は犯人隠匿(いんとく)幇助(ほうじょ)。不法滞在の人間を匿ったという罪。沖縄人民党員の活動をアメリカ軍が嫌ったというのが、実質的な逮捕理由。有罪となり、直ちに刑務所へ収監。控訴・上告のない一審制。
刑務所から出獄して8ヶ月後、カメジローは那覇市長に当選。アメリカ軍は、カメジロー市長の那覇市にはお金を支給しないと宣言。すると、那覇市民は、自らすすんで納税にやってきた。500メートルもの市民の行列ができ、納税率はなんと97%。銀行が税金の預りを拒否したため、大型金庫を買って、職員が交代で番をした。日本全国から5千通をこえる応援の手紙が届いた。いやあ、泣けてきますよね。アメリカ軍の言いなりにならない、我らがカメジロー市長を応援しようと心ある市民が立ち上がったのです。
そして、ついに市長不信任が可決。するとカメジロー市長は議会を解散して選挙へ。その結果は、カメジロー派の議員が6人から12人に倍増。反カメジロー派は7議席も減らした。
そこでアメリカ軍政府は、カメジロー市長を追放し、被選挙権まで奪った。このときの市長追放抗議市民集会には10万人をこえる市民が集まった。この集会でカメジローは勝利を宣言した。
「セナガは勝ちました。アメリカが負けたのです」
市民が投票で選んだ市長を、アメリカの任命した高等弁務官の意にそわないからといって追放するだなんて、「民主主義の国、アメリカ」が泣きますよね…。でもこれがアメリカという国の、今も変わらない本質だと私は思います。
カメジローの不屈な戦いは、岸田政権のJアラートを頻発し、「北朝鮮は怖いぞ、怖いぞ」と思わせて大軍拡路線に突っ走っている現代日本で、待って待って、と声を上げ、平和を守ってともに闘いましょうという勇気をわき立たせてくれました。思わず元気の湧いてくる本です。ぜひ、あなたにご一読をおすすめします。
(2023年3月刊。1800円+税)

長崎と天草の潜伏キリシタン

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 安高 啓助 、 出版 雄山閣
 天草地方とキリシタン・島原天草一揆についての知見を深めることができました。
 この本によると、島原天草一揆への参加をめぐってキリシタン内部は分裂状態となり、一揆に参加しなかったキリシタンが「潜伏キリシタン」になっていったとのこと。
 そして「潜伏キリシタン」たちは洗礼名をもちながらも、絵踏をしたため、幕府から禁じられたキリスト教(耶蘇宗門)ではなく、別の宗教「異教」だとされた。彼らは仏教徒として寺情制度に従っていて、地域社会の構成員となった。
 文化2(1805)年の天草崩れで、5205人が検挙されたものの、「非キリシタン」の仏教徒と判断され、厳刑に処された者はおらず、差免(放免)となった。
 天草にキリスト教を伝えた宣教師のアルメイダは、育児院や病院を開設した。現世利益を重んじる人々は、そのおかげで助かりこぞってキリスト教に入信した。
アルメイダはマカオで司祭に叙せられたあと、天草に戻り、1583(天正11)年に天草で亡くなった。
 一揆当時の天草は、唐津藩の飛び地だった。
 キリシタン大名として有名な高山右近は豊臣秀吉から追放されたあと、同じくキリシタン大名だった小西行長を頼って天草へやってきた。高山右近が隠れて住んでいることがバレてしまい、結局、フィリピンへ渡っていった。
天草における一揆勢と果敢に戦い、ついには戦死した三宅藤兵衛重利は明智光秀の外孫にあたり、また細川忠利、熊本藩主と従兄弟(イトコ)の関係にあった。唐津軍は一揆勢と戦うなかで苦戦を強いられ、ついに藤兵衛は戦死してしまった。
 一揆勢は唐津軍と戦うとき、「鉄砲いくさ」の状況だった。次第に一揆勢が優勢となり、唐津軍は後退していった。
 開戦前は一揆勢に味方しなかった村人も、一揆勢の勢いと唐津軍の敗走を目のあたりにすると、続々と一揆勢に加わった。天草島内の百姓たちは戦況を見極め、優勢なほうにつこうとした。戦力としては上回る唐津軍に対して一揆勢が優勢になったのは、一揆勢の巧みな鉄砲術と強固な結束力によるところが大きい。
 一揆に敗退した藤兵衛について立派な墓が建立されたのは、幕府側から見た天草一揆としての位置付けによる。藤兵衛は、いわば「正義の名将」と昇華したようだ。
江戸時代、天草は流人処分の地とされた。江戸からの流人は一度で50人から100人ほどの大勢がやってきた。寛文4(1664)年から享保元(1716)年までに、天草には139人の流人が連れてこられた。いやあ、これはちっとも知りませんでした。流人といったら、八丈島などの遠い島々かと誤解していました。
知らない話がたくさん出てきて、面白くかつ知的刺激を受ける本でした。
 
(2023年1月刊。3520円+税)

「心の病」の脳科学

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 林 朗子 ・ 加藤 忠史 、 出版 講談社ブルーバックス新書
 脳の機能を良くすると称してグルタミン酸やGABAを体外から摂取することが広告・宣伝される。しかし、体外からこれらを摂取しても、脳には到達しない。神経伝達物質は脳の中で生産され、その合成と分解の過程も緻密(ちみつ)に制御されている。
 タバコのニコチンも神経伝達物質で、脳内のニコチン性アセチルコリン受容体に結合し、ドーパミン神経細胞を介して快楽物質であるドーパミンの分泌を促すため、快感や覚醒作用が生じる。
一つの神経細胞には、1万個ほどの興奮性シナプスがある。シナプスには、情報を伝える側のシナプス前細胞と、受け手のシナプス後細胞がある。
 統合失調症は遺伝要因が強い疾患だが、発症するのは3割だけで、残り7割は発症しない。環境要因が加わることによって発症する。たとえば、心理的ストレスが発症の引き金となる可能性がある。
 うつ病は、世界に2億8千万人もいる。日本では100人のうち6人がうつ病。
 うつ病の治療薬(抗うつ薬)は、7割の患者の症状を改善する。双極性障害の人が抗うつ薬を服薬すると、気分は落ち込んでいるのに、自殺する元気は出てしまうということになりかねない。
 ASD(自閉症スペクトラム症)の発症頻度がふえている原因として、晩婚化の影響がある。というのも、父親の年齢が高くなると、精子のゲノムに変異が入る確率が高まるから。
ASDは親の育て方に原因があるというのは誤り。生まれつきの脳機能に原因がある。
ASDの子どもに適切な睡眠をとらせることで、社会性が改善する。
 ADHD(注意欠如・多動症)は、ごくありふれた病気。男女比は1対1、20人に1人の子ども、40人に1人の大人がADHD。
 人間は3歳までの記憶はまったくない。なぜなのか…。ずっと疑問に思ってきました。それは脳のなかの海馬が、この3歳ころまでが神経派生がとくに盛んなので、神経回路の再編が次々に起きてしまうので、それまでの出来事は消去されてしまうということ。なーるほど、ですね。
 古い記憶を思い出すには、海馬は必要ない。海馬は、さまざまな情報の記憶を束(たば)ねる「扇の要(かなめ)」のような役割をしている。
PTSDを引き起こす恐怖記憶の要(タグ)は、恐怖記憶がいつも思い出されているため、海馬に残り続ける。
 「心の病」と脳の働きが、かなり分かりやすく解説されている新書です。
(2023年3月刊。1100円+税)

上海

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 工藤 哲 、 出版 平凡社新書
 私もかなり昔に上海に行ったことがあります。超近代的な巨大都市なので、まさに圧倒されました。恐ろしい上海の現実を真っ先に紹介します。
 上海では毎年30人以上の日本人が死んでいる。2004年には43人もの日本人が死んだ。とはいっても、この分母は大きいのです。上海市だけで4万4000人の日本人がいる(2012年には7万9000人)。
 日系企業は上海市に1万あり、世界一位。日本人学校の生徒数は2200人、世界中に90ある日本人学校のなかでバンコクに次いで多い。そして世界で唯一、高等部がある。
死因のうち、病死では、心臓疾患と脳疾患、脳梗塞が増えている。上海に居住すると、緊張感が強いられ強いストレスがかかるところなのだ。そして、いたるところに監視カメラがあり、顔認証ですぐ街角での違反行為が摘発される。
 スマホなしでは生活できない。あらゆるサービスがスマホと連動している。
 建物が高層化しているため、街頭の監視カメラには上向きのものまである。危険な落下物を取り締まるためのもの。
 中国の「モーレツ人間」をあらわすコトバとして、「九九六」というものがある。毎日、午前9時から夜9時まで、週6日間、働き通すこと。でも、実のところ、夜10時まで働くのが常態で、このあと帰宅しようとすると、タクシーをつかまえるのが難しい時間帯になっている。ホワイトカラーの8割で、残業が日常化している。
 上海にいると、日本は資本主義の顔をした社会主義で、中国は社会主義の顔をした資本主義だと思える。日本が社会主義だなんて笑ってしまいますが、中国は明らかに資本主義そのものだと私も思います。
 中国人、それも上海人は九州に来て「癒やし」を求める。なるほど、それは言えるかも…、と思います。阿蘇の大観峯は気宇壮大な気分に浸れますし、湯布院や黒川の温泉街って、気分をすっかり落ち着かせるから、日本人でも「最高!」って思いますよね。
 上海そして中国の現実を手軽に知れる新書です。
(2022年2月刊。920円+税)

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