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2023年2月 の投稿

平安貴族サバイバル

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 木村 朗子 、 出版 笠間書院
 摂関政治とは、藤原氏が権力の中枢を牛耳る体制のこと。この体制は2百数十年も続いた。
 『枕草子』や『源氏物語』が書かれたころは、藤原摂関家が政界を席巻し、同母腹の兄弟間での権力争いがくりひろげられていた。
 平安宮廷社会は、権力奪取をめぐる熾烈(しれつ)な闘争の場だった。ただし、権力者は天皇の位をめぐって争っていたのではない。天皇は権力者ではなかった。天皇の後ろ盾となる摂政・関白の座をめぐって争っていた。
 天皇の後見である摂政・関白は、天皇の外祖父であることを根拠とした。
 天皇の寵愛(ちょうあい)を受け、妊娠し、しかも男子を産むというのは、賭博に等しい。
 天皇の愛情を勝ちとるためにサロンには、教養才気あふれる女房たちを集めた。
 大学寮は男だけのものだったので、女たちの才芸は家庭の教育によって形成される。
 「女にて見たてまつらまほし」
 これは、あまりに素敵な男性に対する褒(ほ)め言葉。女にしてみてみたいほど美しいということ。『源氏物語』のなかに何度も出てくるとのこと。知りませんでした…。
 髭(ひげ)づら、日焼け肌は醜男(ぶおとこ)。
 上流貴族は、昼日中に出かけることはめったにないから、日焼けしようもない。日焼けしているというのは、身分の低さを示している。
 美の基準は女性性にあった。風流人たる帝の遊びに機知をもって応えられる必要があった。宮廷サロンの女房たちは、少なくとも漢詩と漢文で書かれた歴史を学んでいた。
 紫式部は漢学者の娘。清少納言も紫式部も、学問の力で自立する女性だった。貴族の女性は、結婚していても、子が生まれても働いていた。天皇家に入内(じゅだい)するというのは、実際には宮中で働く一員になること。
 天皇の母は女院と呼ばれた。この地位の創出は、藤原摂関家を確立するための、とんでもない戦略だった。
 藤原氏は、一介の臣下の階級にありながら、天皇の妻の座、母の座を獲得したことで、いわば天皇そのものになってしまう方法だった。そして、この位は、もっぱら藤原氏の娘によって支配されていた。
 平安時代、女たちは、夫以外の別の男と会うことができた。一夫多妻は一妻多夫でもあった。
 貴族の女性たちの実態に改めて目が大きく開かされる本でした。
(2022年9月刊。税込1650円)

クレムリン秘密文書は語る

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 名越 健郎 、 出版 中公新書
 ソ連がなくなったのが1991年ですから、もう32年にもなります。ソ連時代の秘密文書が公開されて、だんだん歴史の真実が明らかになってきました。
 私が1995年3月に発行された本書を読んだのは、元日本兵のシベリア抑留に関連して、その真相を知りたいと思ったからです。
 スターリンの極秘指令によりソ連が元日本兵をシベリアに送って強制労働させたのは、北海道の北半分をソ連が占領することをスターリンがアメリカのトルーマン大統領に提案したのをトルーマンが拒絶したので、その腹いせに元日本兵をシベリアに送ることにしたという仮説(有力説という表現もあります)があるのです。
 6月26日、クレムリンで対日参戦問題をめぐる重要会議が開かれた。このとき、メレツコフ第一極東方面軍司令官が北海道占領を提案し、フルシチョフが支持した。モロトフ外相やジューコフ元帥は反対。ジューコフ元帥は北海道を占領するなら、戦車と大砲を完全充足した4個師団が必要だとスターリンに説明した。
 スターリンは8月9日の満州進攻作戦の直前、北海道北半分の占領に備えて4個師団を北海道に投入する計画を策定したうえで、8月16日付の書簡で、トルーマン米大統領に北海道北半分の占領を認めるよう要求し、同時にサハリン南部に対して北海道上陸の出発準備をするよう通達した。しかし、8月25日にサハリン南部の解放(占領)が終了したあとも、北海道上陸作戦の出動命令は出されなかった。
 このように、ソ連軍が北海道北半分の占領を目ざして準備し、進攻しようとしたのは事実のようです。もし、そうなったら、朝鮮半島で起きた紛争、とりわけ朝鮮戦争のような事態が北海道で起きたかもしれません。ぞぞっとしますよね…。
 しかし、ソ連の国防委員会が8月22、23日に開かれ、元日本兵のシベリア抑留が決められた。8月16日の時点では、満州に19の収容所が設営され、そこに武装解除された元日本兵が集められて、そこから日本に送還する予定だった。それが1週間後の8月23日にシベリア抑留が決定された。
 しかしながら、スターリンの極秘指令文書をみると、ソ連への全10地域47収容地を列挙し、投入する人数から移送・収用条件まで綿密に描かれていて、ソ連当局はかなり前から元日本兵の抑留と強制労働を決め、周到な準備をすすめていた。
 私も「1週間で大転換があった」という説には乗りません。というのも、元ドイツ兵の捕虜を100万人以上も使役してソ連の都市の復興に役立たせていたわけなので、それをスターリンが知らない、忘れていた、なんてということは考えられないからです。
 歴史の真実を知るのは容易なことではないことが、しっかり伝わってくる本でした。
(1995年3月刊。税込720円)

北アイルランド総合教育学校紀行

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 姜 淳媛 、 出版 明石書店
 同じキリスト教を信仰しているはずなのに、しかも同じ民族なのにカトリックとプロテスタントで殺し合うという状況が生まれるのは、とても私には理解できないところです。ともかく、北アイルランドでは1970年代まで暴力とテロが横行していました。私もいくつか映画をみて、その悲惨な状況を少しだけ察していました。この本は、そんな殺し合いの状況を抜本的に変えるため、子どものころに両派を混ぜこぜにして教育し、交流体験によって争う必要なんて何もないことを実感させようという取り組みがすすめられていることを、韓国人の学者が現地に出向いて視察してきたのをレポートしたものです。
北アイランドでは1970年代から2000年ころまで、武力的対立があり、それは軍人や民兵団だけでなく、年寄りも子どもも区別なく攻撃の対象となった。そして暴力的テロは、公共の場所、街路、民家を問わず、いつでもどこでも起きた。
アイルランドの人口350万人のうち96%がカトリックで、北アイルランドでは120万人のうち40%未満がカトリック。暴力的テロの犯人たちを逮捕して刑務所に送っても、そこがさらに暴力の温床になる。
北アイルランドは、内戦に近い激しい試練の時期が続き、死傷者は15万人を超える。人口150万人のうち1割が紛争の犠牲になった。
北アイルランドでは40%がイギリスの市民権を、25%がアイルランド市民権、そして21%が北アイルランド市民権を取得している。その他の市民権は15%に近い。
ベルファストの西側は、住民の9割がカトリックで、南側は8割がプロテスタントというように、住居地も分割されている。
カトリックとプロテスタントを対話への道に導いたのは「コリミーラ」という市民団体だった。このような北アイルランドの平和を志向して活動する団体に対して、2回もノーベル平和賞が授与された。
北アイルランドでは、名前を聴くだけで、「あの人はアイルランド人だな」、「この人はブリトン人だ」ということが分かる。スポーツ、歌、食べ物が、すべて宗派分離主義文化の色に染まっている。だから、互いに共存できる統合教育が切実であり、これは早ければ早いほど、いい。それは、そうでしょうね。
統合学校が原則をきちんと守って成功し、それを拡散し、全社会に適用して初めて北アイルランドが健やかに生き返る。常に子どもたちを尊重する。それによって、学力伸長の問題は事前に解決する。自身が欲する方向へ成功する可能性を高めるためのロードマップを一緒に創るので、生徒たちは一人でなく、教員たちも生徒たちの成功を通じて自分の成就感を味わう。
統合学校のひとつ、シムナ校では、生徒指導のひとつは体罰禁止、放課後の居残り禁止、罰として宿題を与えることの禁止、休み時間や昼食時間の取り上げの禁止というものも定められた。いやぁ、いいことですよね。
テロで息子や娘を喪った親が平和と和解運動に立ち上がったのでした。そして、その取り組みのひとつが、統合教育をすすめる学校づくりだったのです。たとえば、エニスキレン校では、子どもの宗派構成は、カトリック44%、プロテスタント42%、その他16%となっている。一つの宗派が50%を超えないように配慮している。子どもたちが、自らコントロールすることができる能力をもつようになると、学力が事前に向上した。学校の成績が上がると、多くの待機者が入学順番を待つようになり、定員も次第に増えていった。
アイルランドでは11歳のとき選抜試験を受けさせるシステムがあるようです。これに落ちた子は11歳で早々に社会的落伍感を味わされることになります。11歳というと、小学5、6年生ですから、その時点で進路を選択させるというのは、少し酷すぎますよね。
そして、北アイルランドでは、学校に教科書がなく、自分の授業は教師が自分で開発し実践するもののようです。これまた、たいしたものです。日本のように文科省検定の教科書がないというのにも驚きました。
かつて暴力と混乱の社会だった北アイルランドは、今ではEU内でも安定的な社会として認められているとのこと。そして、カトリックとプロテスタントだけでなく、10%を超える移民集団も国内には存在する多文化社会になっているとのこと。
統合教育は、単一の教育の場で多様な教授法を通じて子供たちが自身の社会的アイデンティティを形成していけるようにすることであり、究極的に現在の社会の争いのある状況を克服し、態度の変化と、許し、そして和解をすることができるように教育しようとするもの。
統合学校出身の人は、ほかの文化的な背景を持った人たちに対する接し方をうまく習得すると同時に、カトリックとプロテスタントのあいだの否定的固定観念もほとんどなく、対立する集団との意思疎通に対する認識も肯定的になる。
このように、統合教育は、ユネスコをはじめとする国際社会が追及している民主的包容性を志向する教育を実現している。統合教育は、北アイルランドに京の平和と和解をつなげてくれる橋になっている。
大阪の渡辺和恵弁護士の実姉である米沢清恵さんが翻訳した本です。2月半ば、事務所にいて待ち時間ができたので、420頁あまりの大部な本ですが、論文集ではなく、ルポルタージュ中心なので、一気に読了することができました。ありがとうございました。
暴力によって分断された社会を統合するには、子どもたちの力を借りる、そのために統合教育が有効だということを実感することのできる本でした。大変勉強になりました。
(2023年2月刊。3700円+税)

へんてこな生き物

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 川端 裕人 、 出版 中公新書ラクレ
 カラー版なので、カラー写真がたくさんあって、見ても楽しい新書版の生き物図鑑です。
 哺乳類なのに、花の蜜と花粉しか食べない小動物のハニーポッサムは、花の中に突っ込む長い「クチバシ」をもった不思議な格好をしている。
 ハリモグラは、モグラの仲間ではない。卵を産んで、母乳で育てる。赤ちゃんは、母親の腹の袋の中で守られながら、母親のお腹からにじみ出る母乳をなめるようにして飲んで成長する。ハリモグラにはREM睡眠が観測されないので、夢を見ない(はず)。
 ヒロバナジェントルキツネザルは竹を主食にしている。パンダみたいですね。食事の9割以上が竹。この竹は有毒なシアン(青酸)化合物を非常にふくみ、そのうえ猛烈に苦い。なので、地元民は絶対に、この竹は食べない。なのに、このキツネザルは美味しそうにかじる。哺乳類の平均的な致死量の50倍近いシアン化合物を消化できる、つまり毒を分解する腸内細菌をもっているようだ。
 屋久島にすむヤクシマザルは本土のニホンザルより一回り体が小さく、ずんぐりしている。
 ヤクシカはいつもサルの群れの近くにいる。サルが樹上で果物や葉を食べるとき、枝ごと落としてしまうことがある。また、サルの糞もシカが食べる。なので、いつも一緒に行動している。
 チンパンジーは、常時、にぎやかだ。騒々しい大型類人猿だ。
 テングザルは、他の動物が好むであろう糖分の多い、熟した果実はあえて避けている。
 ジンベエザメは、サメと言っても、プランクトンを主食とする「優しい巨人」。人を傷つけたという話はない。
 アマゾンマナティーは、アマゾン川の固有種で、植物だけを食べる。
 カカポは、世界唯一の飛べない鳥。
 ミナミシロアホウドリは体重が9キロもある。威風堂々で、気品あふれる鳥だ。
 サバクトビバッタは、その研究者である前野ウルド浩太郎が詳しい。『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)は、まことに面白い本なので、読んでいない人には超おすすめの本です。
 いやあ面白い本でした。世の中には、こんな奇妙奇天烈な生き物がたくさんいるのですね…。
(2022年8月刊。税込1320円)

読切り・三国志

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 井波 律子 、 出版 潮文庫
 「三国志」と「三国演義」と二つあるうちの史実を中心とする「三国志」をベースとしながら、小説の「三国演義」にも目を向けて話を補足した本です。
 「三国志」の世界は、後漢王朝(25~220年)が乱れたところに始まる。
 後漢王朝は皇后の一族である外威と、後宮(ハーレム)を支配し、皇帝に近侍する宦官(かんがん)との争いに明け暮れた。そして、黄巾(こうきん)の乱れが起こり、董卓の乱となり、そのあと、群雄割拠の時代となった。
 「三国演義」は小説として、蜀を正統視し、劉備を正義派・善玉に、曹操を敵(かたき)役、悪玉に仕立てあげた。私にも、それは、すっかり刷り込まれています。
 ところが、この本では曹操について、権謀術数に長(た)けていたが、決して邪悪の権化というような単なる悪玉ではない、超一流の軍事家であり、政治家であり、おまけにすぐれた詩人だったとしています。そして、劉備や孫権とは段ちがいの傑物だと高く評価しています。これでは、考え直さないといけませんね…。
 曹操の周囲には、強力な頭脳集団、ブレーンが存在し、曹操のほうも彼らの意見に真剣に耳を傾けた。
 劉備は曹操より7歳下。劉備は勉強嫌いで、派手な服装を身につけ、堂々たる風格の持ち主だった。
 曹操が大胆かつ豪快な性格、切れ味鋭い頭脳の冴えとうらはらに風采のあがらない貧相な小男だったのに対して、劉備は身長180センチ、目立つ偉丈夫だった。ひと目見るなり、人を惹きつける魅力があった。
 劉備は、謙虚な人柄で、人によくへりくだり、口数は少なく、喜怒哀楽を表に出すことがなかった。天下の豪傑を好んで交わり、大勢の若者が競って劉備に近づいた。周囲の人物を奮起させ、輝かせる不思議な力が劉備にはあった。関羽や張飛という荒くれ武者が劉備のために死力を尽くしたのは、劉備の人柄の魅力だろう。
 元はワラジ売りだった劉備がのしあがっていく過程においては、右往左往し、戦いに明け暮れる日々があった。
 関羽は忠義一徹、一度たりとも信義に違うことはなかた。関羽も張飛も、いつどんな状況になっても、主君である劉備との間に、決して裏切ったり、裏切られたりすることのない、絶対的な信頼関係が成り立っていた。
 そうなんです。ここに「三国志」の大きな人気の秘密があると私は思います。
 私は小学生のころは、図書室で世界の偉人の伝記に読みふけりました。中学生のころは山岡荘八の『徳川家康』に没頭しました。そのころ、同じく『水滸伝』と『三国演義』の世界にはまったように思います。読書に楽しさ、深さをじっくり堪能し、以来、今日に至ります。
 昨年1年間で読んだ単行本は440冊です。コロナ禍前の年間500冊には達しませんでしたが、これは、ZOOMのせいです。こちらは出張したくても、来るな、行くなというプレッシャーがかかって身動きとれませんでした。移動の車中・機中を主とする読書タイムを確保できなかったのです。今ようやく少しずつ本調子に戻りつつあるところです。
 関羽は、単純明快、何の駆け引きもなく、うらやむべき健康な精神をもっている。同世代の人間が関羽にやっかんだのも、ある意味では当然のこと。ところが関羽は、商人の信仰の対象になった。不思議なことです。ないものに憧れるということなのでしょうか…。久しぶりに中国の古典の世界に没入して、楽しむことができました。ありがとうございました。
(2022年8月刊。税込1210円)

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