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2022年10月 の投稿

おしゃべりな脳の研究

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 チャールズ・ファニーハフ 、 出版 みすず書房
 スポーツのコーチング界では、セルフトークがきわめて重要だと思われている。やる前に「おまえならできる」というほうが、「おまえには無理だ」というより、プレイヤーの成績は良い。これは、私もよくしていることです。内面の自分に話しかけ、励ますのです。
 以前は読むという行為は、一般に声を出してすることだった。日本でも明治初期まで人々は音読、つまり声を出して読みあげていました。今のように新聞を黙読するという習慣はなかったのです。
 ほとんどの子どもは音読をまず覚え、その後、しだいに声を出さなくなり、最後には完全に黙って読むようになる。脳内で読むほうが、音読するより速い。視覚情報を音声にもとづく符号に変換し、それから意味を引き出すかわりに、音声の段階を省き、視覚情報から意味情報へと直行できる。こちらのほうが、脳の仕事は少ない。
 すらすら読める人でさえ、とくにテキストが難解なときは、読みながら舌を動かす。
 読むときに引き起こされる内言は、ときに自分自身の声であり、自分のなまりの特徴も備えている。そして、著者を知っているときには、その人の声が内言で聞こえることすらある。
 著述家は、著者のページを通じて、文字どおり話しかけることができる。
 小説家がもっとも興味を抱いている声は、おそらく登場人物の声だろう。声は登場人物の私的な思考プロセスや内言でさえありうる。これこそ、小説を読む醍醐味のひとつだ。頭の中が声でいっぱいになる。
 過去について記憶違いをしているとき、その一因は、古いほうの記憶が現在の自分の物語と合致しないことにある。それで、物語に合うように事実を変えてしまう。 
 私たちは、みな断片化されている。単一自己など存在しない。誰もが、みなバラバラに分解した状態で、その瞬間ごとに、まとまった「私」の幻影をつくりあげようと格闘している。どの人も多かれ少なかれ解離状態である。
 私たちの自己は絶えず構築され、再構築される。これは多くの場合、うまくいくが、失敗に終わることも少なくない。
 私は弁護士として、たまに多勢の人の前に立って話をすることがあります。以前は、あらかじめ原稿を用意していましたが、今では、せいぜいポイントとなることを、いくつか小さなメモ用紙に書き出すだけにしています。大勢の人が自分を見ていると、その場の雰囲気をつかんだ私の脳が、即座にストーリーを組み立ててくれますので、それを文字どおりなぞって話を展開していきます。不思議なことに、話の展開は、私の内面から湧きあがってくるのです。まさしく内なる自然現象に身をまかせます。
 ジャンヌ・ダルクは、神の声を聴いたということでした。同じように、聴覚的に、視覚的に、身体的に知覚できないときでも、知覚することがある。なんとなく分かります。
 何かがいる気配というのも実際にあることなんですよね。その内なる声に耳を傾けたほうがよいことが多いということです。
(2022年4月刊。税込3960円)

虹色のトロッキー

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 安彦 良和 、 出版 中公文庫コミック版
 戦前、日本は中国東北部を「満州国」として「独立」させて支配していました。そのとき、日本軍部は日本政府と対立・抗争する関係にあり、日本軍部のなかでも暗闘が繰り広げられていました。それぞれの思惑が微妙にからみあって、難しいバランスの下で「満州国」は成り立っていたのです。
 そして、「満州国」には、相当数の白系ロシア人がいました。ロシア革命によって、ボリシェヴィキ・ソ連共産党から追われ、また嫌ってロシアの地を離れて中国に入りこんできたのです。日本軍の一部に、そんな白系ロシアの反共勢力と結びつこうとする動きがありました。本書の「トロッキー」は、そのような動きを象徴するものだと受けとめました。
 1巻から読みはじめて、8巻までを読了するのに、マンガ本なのに1ヶ月近くもかかったのは、満州国をめぐる複雑怪奇な動きを理解するのに骨が折れたからです。
 それにしても、私とほぼ同じ団塊世代の著者のストーリー展開は見事なものですし、絵もよく描けていると驚嘆するばかりです。
 満州に満州国エリート層を養成するための「建国大学」があったことは、このマンガ本シリーズを読む前に知りましたし、このコーナーでも紹介しています。「エリート養成」が看板ですから、思想的な締めつけはほどほどにしておく、つまり、かなりの自由主義教育がすすめられていたようです。でも、しょせん、軍部支配下での「自由」でしかありませんでした。
 満州国の首都は新京と名づけられ、近代的な大通りと豪層な建築物が立ち並びました。現在の長春です。
 そして、ハルビンには郊外に七三一部隊の本拠地があり、3000人以上もの罪なき人々をスパイ容疑などで捕まえ、人体実験の材料(「マルタ」と呼びました)とし、その全員を殺害・焼却してしまったのです。
 満州国で幅をきかせたのは、石原莞爾、甘粕正彦、東条英機そして辻政信らがいます。
 辻参謀は、ノモンハン事件においても、甚大な被害を日本軍にもたらしました。
 ノモンハン事件においては、ソ連軍の圧倒的な軍事力の下で、日本軍(関東軍)は、みじめに敗退していったのでした。
 モンゴル人将軍と日本人青年の出会いと結びつきの強さも登場します。いかにもスケールの大きな、ストーリー展開でした。
 それにしても、8巻シリーズという長編を完結させた著者のすごい力技(わざ)に脱帽します。
(2019年4月刊。各税込692円)

生きる力、絵本の力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 柳田 邦男 、 出版 岩波書店
 孫たちが来たら、絵本を読んでやるのが私の楽しみです。一番直近は「ダンプ園長やっつけた」でした。「どろぼう学校」(かこさとし)は私のお気に入りの一つです。福井県にある「かこさとし美術館」には、ぜひ行ってみたいと考えています。
 「コルチャック先生」とう絵本があるそうです。知りませんでした。コルチャックは26歳のとき医師(軍医)として、日露戦争に従軍して満洲の地にやってきていたとのこと。ポーランド人のコルチャックは、ポーランドがロシア領だったことから、軍医として召集されたのでした。そこで、戦争の現実をコルチャックは知ります。戦争はしてはならないものだと確信したのです。
 30歳台になったコルチャック医師は、ユダヤ人やポーランド人の孤児たちの施設をつくった。ここでは、子どもたちの可能性を引き出し伸ばすために完全な自治制だった。子どもたちが自分たちで議会を開き、法律に相当する規則をつくり、裁判所まで設けた。そのなかでコルチャックが強調したのは、許すという寛容の精神の大切さだった。
 ふむむ、なんだかすごいことですね。まったく私の発想にありませんでした。
 そして、ナチスが子どもたちをゲットーから強制収容所へ連れ出すとき、コルチャックだけは助かる機会があったのに(この本では脱走する方法があったとされています。当局も対象から除外しようとしたという説もあります)。ところが、コルチャックは、子どもたちの信頼を裏切るわけにはいかない、不安に陥れることはできないとして、自分だけ助かることは拒絶したのでした。そして、コルチャックは、子どもたちの命を救うことはできなかったが、最後の最後まで、子どもたちの不安や恐怖を少しでもやわらげようと、そばから離れなかった。
 いやあ、すごいことですよね。私には、とても出来ません。人間って、こんなことが出来る人もいるんですね。信じられません。涙が止まりませんでした…。
 大人は子どもが言葉で表現することができないと、何も分かっていないと決めつけてしまう。しかし、子どもは言葉による表現力がまだ十分に発達していないだけであって、分かっていないのとは違う。感覚的には、生きることや生命に関わる大事なことは分かっているのだ。
 孫たちに接していると、自分の子のときと違って、少し距離を置いて客観的に眺める(観察する)ことができますので、人間の発達過程がよく見えてきます。子どもは自分本位で、わがままな存在ですが、差別されることは敏感です。ちょっとした違いにもすぐに反応します。そのとき、年齢(とし)や男女の違いは問題になりません。あくまで一個(ひとり)の人間として、自分が大切にされていると感じられるか否かが判断基準になります。その鋭い感覚には呆れてしまうほどです。
 この本には、子どもをほめることの大切さが強調されています。大人だって、ほめられたらうれしいものです。子どもは大人以上でしょう。
 子どもなのだから、失敗するのは当たり前。それよりも、「ちょっとだけ」の成功を見落とさず、しっかりとほめてあげるのが大切。そのとおりです。
 子どもは叱られてばかりいると、どんどん自己肯定感をもてなくなり、粗暴になったり、逆に引きこもったりして、素直に自己表現することができなくなる。子どもを見ていると、その親の子への接し方が分かる。弁護士として、依頼者に接したとき、ああ、この人は子どものとき、人間は信頼できるという安心感をもつことができないまま大人になったんだなと実感させられる人が少なくありません。
 著者は「絵本は人生に三度」と言ってきた。一度目は、自分が子どものとき。二度目は、子どもを育てるとき。三度目は、とくに人生後半になったときや思い病気なったとき。三度目は、私のように幸いにも孫がいるときをふくむのでしょうね。
 絵本は子どもだけのためではなく、大人のためでもあることを気づかされる本でした。
(2014年1月刊。税込1650円)

空のみつけかた

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 武田 康男 、 出版 山と渓谷社
 今から30年以上も前、40代初めに南フランスへの語学研修のツアーに参加しました。もちろん夏休みを利用してのことです。学者のサバティカル休暇を真似た法律事務所があると聞いて(北九州第一)、早速とり入れ、実践したのです。
 夏の南フランスは雨が降らず、夜10時まで明るく、そして食事は美味しく、人々はワインを飲みながらたっぷり2時間かけるのです。人生を味わい尽くすというフランス人の生き方を私も身につけたいと思いました。
 午前中のフランス語教室が終わると、学生食堂で安くて美味しい食事をとります。なんと、ワインつきです。そのあとはまったくの自由時間。広々とした大学構内で空を見上げると抜けるような青空が広がっています。これこそが生命(いのち)の洗濯だと思いました。25歳で弁護士になって20年近くになっていましたから、気分転換が絶対に必要でした。南フランスの青空のすごさは今もくっきり思い出すことができます。
 この本は、たくさんの空の現象を長く観察してきた著者による集大成の写真集です。その一は、年に数回はみられそうな空。その二は、年に1度くらいは見られそうな空。その三は、一生のうちに見られたらラッキー、というレアな空。この3つのステージで空が紹介されています。それにしても笠雲というのは、すごいですね。まるで、UFOです。こんな奇妙な形の曇って、見たことがありません。
 線状降水帯というコトバを最近知りました。そこでは、にゅうどう雲(「入道雲」とは書いていません)が次々に生まれ成長していきます。にゅうどう雲は、真夏そのものの雲ですね…。
 秋空に天高く見えるのは、うろこ雲。これは、空に小さな細胞上の対流がたくさん出来ていて、対流の中に、この雲が発生する。これは私も子どものころから見たことが何回もあります。
 この本では、真っ赤な夕日というのは、実はあまりない、としています。空気の澄んだ場所では、橙(だいだい)色の眩(まぶ)しい太陽が沈んでいく。ハワイの夕日は、眩しくて、とても見ていられない。そうなんですか…。
 日本は湿気が多く、空はかすみがちなので、赤い夕日を見やすい。
 そして、夕日の赤い太陽は、実は丸くない。上下にややつぶれている。これは、上空ほど大器の密度が小さいため。太陽の光が低空ほど浮き上がって見えるからだ。なーるほど。
 太陽の左右に、色づいた輝きが見られることがある。まるで、太陽が他にもあるかのようなのに、幻日(げんじつ)と言われた。
 虹の色は、アメリカでは6色、ドイツでは5色、イギリスは「ニュートン」以来7色。日本では、7色ですよね。こんなに国によって違うものなんですね。
 いくつもの空の写真があって、楽しく眺めることができました。
(2022年8月刊。税込1700円)

お白州から見る江戸時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版 NHK出版新書
 お白州(しらす)とは…、江戸時代のお裁きの場、いわば法廷のようなもの。ここで、法廷と断言せず、「ような」としているところに本書のミソがあります。
 実際のお白州は舞台とは違って「法廷」ではない。その構造、用途、本質、みんな現代日本の「法廷」とは異なる。江戸時代独特の何か、なのだ。
 江戸時代の裁判には出入物(でいりもの。出入筋)と吟味物(ぎんみもの。吟味筋)という二つの区別がある。出入物とは、原告による訴状の提出に始まる裁判で、「公事訴訟」のこと。原告を「訴訟人」といい、被告は「相手」、「相手方」といった。原被は、必ず、それぞれの所属する町や村の名主・家主・五人組らの同伴が必要条件で、彼らを「差添人(さしぞえにん)」と言った。江戸時代の公事訴訟は、必ず所属集団の承認や同伴を要し、個人の行為としては原則として行えないことになっている。
 出入物は、当事者間の示談、つまり「内済(ないさい)」の成立を第一の目的とした。内済不調のとき、奉行が御白州で判決(「裁許(さいきょ)」)を下すことはあったが、それは「百に一つ」と言われたほど少なかった。奉行は、お白州に最初と最後の2回だけだが、必ず登場した。
 吟味物は、訴状がなくても、公儀が必要と判断したときに始まる。
 訴状を出すと出入物として始まるが、内容次第では、吟味物に切り替えてすすめられることもあった。すなわち、「民事」と「刑事」という裁判の区分は近代以降のもので、江戸時代にはない。
 吟味物の判決は「落着(らくちゃく)」と呼ばれる。死罪のときに限って、下役が牢屋敷に出向いて本人に申し渡した。
 江戸時代のお白州とは、治者である公儀が被治者である庶民と公式に対面し、公儀による正当な判断を示す場所だと位置づけられた。
 奉行は、御白州にのぞむ段に居て、裁かれる者が入ってくるのを待った。
 裁かれる者が座る場所には、白い「小砂利」が敷かれた。この砂利の上に筵(むしろ)を敷くことはなかった。
 奉行所の門の中に入ると、必ず裸足(はだし)になっていた。
 砂利の席は、役人からみて、右が原告(訴訟人)、左の方が相手(被告)と決まっていた。
 公事訴訟が盛んになり、待合室(腰掛け)にお酒をもってくる者まであらわれた。
 18世紀初頭、御白州は、かつてない「活況」を生みつつあった。
 問題となったのは、御白州に、誰とどういう順席ですわらせるか…というもの。帯刀する身分でも、下級武士とされる徒士(かち)には、砂利が敷かれた。
 「熨斗目(のしめ)」とは、腰まわりに腰と袖下とに縞や格子の模様を緒りだしたもの。
 その犯罪が武士だったころの行為なら、士分の犯罪の勝負として厳罰にさらされた。
 江戸時代のお白州における「お裁き」は、治者による被治者への恩恵であり、権利という発想はまったくなかった。そして、お白州のどこに、どんな服装で座るのかは、本人にとって、その属する身分のもつ意味を具体的に示すものとして、大きな意味があった。このとき、先例は絶えず参照された。
明治5年10月10日、御白州に出廷する者への座席の区別は完全に撤廃された。
 こんな状況を、こと細かく調べ上げた新書です。いろいろ勉強になりました。
(2022年6月刊。税込1078円)

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