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2022年7月 の投稿

音が語る、日本映画の黄金時代

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 紅谷 愃一 、 出版 河出書房新社
私は以前から映画をみるのが大好きで、月に1回はみたい気分です。自宅でDVDでみるのではなく、映画館に行って、大画面でみるのが何よりです。最近は、パソコンのユーチューブで「ローマの休日」の断片を繰り返しみて、オードリー・ヘップバーンの笑顔の輝きに見とれています。
この本を読むと、映画製作にはカメラワークと同じく録音も大切だということがよく分かりました。でも、同時録音するとき、マイクを突き出して、カメラの視野に入ったら台なしですし、周囲が騒々しかったり、時代劇なのに現代音が入って台なしにならないような仕掛けと苦労も必要になります。
著者は映画録音技師として映画の撮影現場に60年いたので、たくさんの映画俳優をみていて、そのコメントも面白いものがあります。
著者は1931年に京都で生まれ、工学学校(洛陽高校)の電気科卒。
戦後まもなくの映画製作の現場では徹夜作業が続き、そんなときには、ヒロポンを注射していた(当時、ヒロポンは合法)。
映画「羅生門」のセリフは、ほとんど後でアフレコ。
戦後まもなくの大映の撮影現場は、ほとんどが軍隊帰りで、完全な軍隊調の縦社会。
溝口健二監督は、近づきがたい威厳を感じた。ある種の威圧感があった。
映画製作の現場は、週替わりで2本ずつ公開していたので、月に8本を製作しなくてはいけなかった。1本を4日でつくる。いやあ、これって、とんだペースですよね。セリフと効果音を別々に撮るようになったのは、かなりあとのこと。
今村昌平監督は、「鬼もイマヘイ」と呼ばれていた。著者も、すぐにそれを実感させられた。
石原裕次郎の出現で、日活撮影所の空気が一変。それまでの2年間、日活は赤字が続いていて、全然ダメだった。
著者は映画「にあんちゃん」も録音技師として担当した。
1970年ころ、日活はロマンポルノへ方向転換した。このとき、日活を支えてきたスターがほとんど辞めた。
沢田研二は、素直に注文を聞くし、わがままも言わない。いい男だった。天狗にもならなかった。高倉健は、本当に礼儀正しい。オーラがある。笠(りゅう)智衆は、テンポがゆったりとしていて、セリフを聞いていて、気持ちがよくなる人。
黒澤明監督は怖い。いきなり金物のバケツをけ飛ばして、いかりや長介を一喝した。
黒澤監督は、役者の段取りをもっとも嫌い、常に新しい芝居を見たがった。
黒澤監督は、ともかく発想がすごい。傑作した天才というほかない。「世界のクロサワ」だけのことはある。
映画「阿弥陀堂だより」(02年)もいい映画でしたね。南木佳士の原作です。長野県の飯山市あたりでロケをしています。もちろん、セットを現場に組み立てたのです。四季を表現するのに、一番目立つのは小鳥の鳴き声。なるほど、録音技師の出番です。北林谷栄は、当時90歳だったそうです。そして、北林谷栄は、セリフをアドリブで言う。直前のリハーサルとは全然違うことをしゃべった…。
まず脚本を読む。そして自分なりのアイデアを考える。しかし、現場へ行くと少し違うこともある。そして、編集の段階で、また考えが変わることがある。作品にとって何がいいのかを考え、どんなに気に行っていても捨てる勇気が必要なことがある。一つのやり方に凝り固まっていてはいけない…。
撮影の木村大作、録音の紅谷と並び称される映画づくりの巨匠の一人について、じっくり学ぶことができました。ああ、また早くいい映画をみたい…。
(2022年2月刊。税込2970円)

イワシとニシンの江戸時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 武井 弘一 、 出版 吉川弘文館
イワシとニシンは、江戸時代の社会を支える重要な自然だった。
えっ、ええっ、どういうこと…。イワシもニシンも大衆魚とは聞いていたけれど…。
江戸時代の後期、百姓にとって、肥料の確保は切実な悩みの種だった。江戸時代、中期以降は自給肥料が足りなかった。このころの自給肥料とは、人糞、厩肥(きゅうひ)、草肥などの総称。
イワシが生(ナマ)で食べられる時間は、きわめて短い。また、イワシは腐りやすいので、乾燥して干物になった。干されたイワシは値が安いうえに肥料として作物に与える効果が高かった。それに大量にとれるので、イワシの価格は安い。
干鰯(ほしか)は、水揚げされた生の鰯をそのまま海沿いに敷きつめて、天日で乾かすだけでつくった。
もうひとつは、〆粕(しめかす)。はじめにナマのイワシを窯で煮たあとに油を搾る。その脂を絞ったあとののこり滓(カス)が〆粕。こちらは、干鰯より価格が高い。
このように、イワシもニシンも江戸時代、日本の農業を支える肥料として活用されていたのですね。
近世の村むらが幕府に国を単位として連帯して訴えた運動を国訴(こくそ)という。肥料価格の高騰・菜種・木綿の自由取引を求めた。文政2(1819)年の幕府の物価引下げ令を契機として、摂津・河内の619ヵ村幕府領村むらの大坂町奉行所に干鰯値下げなどの訴願を起こし、この訴願が先導役となって、文政6~7年の木綿・菜種国訴につながっていった。
国訴というコトバを初めて聞きました。歴史も、まだまだ知らないことだらけです。世の中は未知なるものばかりなんですよね…。
(2022年2月刊。税込2640円)

ボマーマフィアと東京大空襲

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 マルコム・グラッドウェル 、 出版 光文社
アメリカ軍による大空襲によって、東京では一夜にして10万人以上の罪なき市民が殺されました。B29が、大量の焼夷弾を投下したからです。
アメリカは、東京への無差別爆撃を世界で初めて敢行したのは日本。中国の重慶へ無差別爆撃を繰り返したのです。
大都市への無差別爆撃を敢行する前に、日本家屋をアメリカで再現して、ナパーム爆弾の効果を検証していたのです。本書を読んで、初めて知りました。
日本家屋は2戸ずつの棟が12棟、計24戸建設された。仕切りの障子、日本式の雨戸まで完璧に再現された。日本家屋に特徴的な厚さ5センチのわらの敷物(畳のこと)が重要。爆弾が階下に貫通するときの主な抵抗になるから。ナパーム弾を使うと、6分以内に制御不能になる等級Aの火災を日本家屋に68%の成功率でひきおこす。試算すると、ロンドン市内の可燃率が15%なのに対して、大阪中心部では80%、これは都市のほぼ全域。ナパーム弾は、燃えさかる粘着性ゲルの大きな塊をまき散らす爆弾。
粘着性のあるものを使うと、効果がずっと高い。何にでも付着して、輻射(ふくしゃ)熱を直接伝えるから。ナパーム弾は非常に威力が高い。カーチス・ルメイは、B29に最大限のナパームを搭載するため、防御手段は尾部機銃のみとし、余分な装備をすべて撤去した。要するに、日本人を効率よく殺戮することを最優先にしたのです。
3時間の攻撃のなかで1665トンものナパーム弾が投下され、41平方キロにわたって、すべてが焼き尽くされ、10万人をこえる人々が亡くなった。
作戦を遂行したB29の乗員は、基地に帰還したとき、ひどく動揺していた。地獄の入り口をのぞきこんでいる気がしたからだ。
この東京大空襲を敢行したカーチス・ルメイに対して、日本政府は1964年に勲一等旭日大緩章を授与した。よくぞ大量の「不要」な日本人を殺してくれました…というに等しい勲章の授与ではありませんか…。自民党政府が、ここまでアメリカに従属し、奴隷根性そのものであることに怒りとともに涙が抑えきれません。
この本は、精密爆撃が無差別爆撃かという論争が、アメリカとイギリス軍部であったことを明らかにしています。
精密爆撃は口でいうほど簡単なことではない。なにしろ、最大時速800キロで飛んでいて、高度9000メートルの飛行機から、爆弾を投下する。地上に落ちるまで30秒ほどかかる。これは大変な計算を必要とする。そこで、ノルデン爆撃照準器が開発された。
ナチス・ドイツのボールベアリング産業(工場)を連合軍の飛行機が爆撃した。ボールベアリンクは軍需産業の基礎をなしている。ところが、作戦に参加した乗員の4人に1人が帰らぬ人となった。あまりに高率が悪いとして中止された。ところが、ナチス・ドイツ側では、もし連合軍がボールベアリング工場への爆撃を続けていたら、まもなく、息の根が止まっただろうとみていた。いやあ、歴史では、そんなことも起こるのですね。
そこで市民の戦争意欲をくじくために都市への無差別爆撃が敢行された。しかし、攻撃が市民の士気をくじくことはなかった。かえって戦意を高めた。しかし、イギリスはそれを知っても、なお、ドイツは違うはずだと、ドイツの大都市への無差別爆撃を敢行した。
戦争というのが、いかに非人間的であり、非論理的なものであるが、今のロシアによるウクライナ侵略戦争のリアルな映像を見ても、つくづくそう思います。
(2022年5月刊。税込1870円)

学問と政治

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 芦名 貞通、・・・松宮 孝明 、 出版 岩波新書
日本学術会議の任命拒否問題は今なお未解決であること、その問題点を任命拒否された6人の学者が問いかけている本です。
杉田和博という警察官僚出身の内閣官房副長官が「外すべき者」としたことが政府の文書で明らかになっています。一体なぜ警察トップだった一官僚が学術会議の任命に介入できるのか、まるで私には理解できません。最近の自民・公明政権の恣意的行政運営、学術軽視はひどすぎます。コロナ禍対策は、その典型でした。PCR検査をきちんとせず、大阪を典型として保健所を削減するなど、市民の生命と生活を脅かすばかりです。
マスコミもNHKをはじめとして政府の言いなりで、問題点をえぐり出さずに「大本営発表」ばりの報道に終始しています。そして、政府に批判的なことを少しでも言うと「反日」というレッテルをはってネット上で攻撃する人がいます。それは、自分こそ日本であり、自分と違う考えの人はすべて「反日」だと決めつけるに等しい。いやあ、怖い世の中ですね…。
政府が自分に都合のよい人を審議会の委員として選ぶのは「当たり前」という「常識」は改める必要がある。まことにもっともです。福岡の裁判所にも、審議会がいくつかありますが、とんでもない委員が当局によって選ばれているのに何回もぶつかりました。当局に忖度する意見しか言わないのです。たまには自分の頭で考えてみたら…、と思いました。2人とも大学教授でした。こんな教授の下で学ばされる学生は気の毒だと思ったことです。
同じことが、法制審議会でも起きているようです。法務省から期待される学者ばかりが選ばれているというのです。学者という看板が泣きますよね。でも、そんな本人は「こりくつ」つまり「へりくつ」を弄するのに長(た)けていますし、「メシの種」とばかりに割り切っているようで、いかに批判されようと何の病痒も感じないようです。情けない現実です。
何を学問するかは現場にまかせるべき。今すぐ何かに役立つもの、という観点も捨てさるべき。
本当に私はそう思います。自由な発想、とらわれない発想、権力にあらがう発想、これこそが社会をいい方向に動かしていく発展させる原動力だと思います。みんなが同じことを言っている社会には未来がないのです。みんな違って、みんないい。これこそ、社会が平和で、発展していく基礎なのだと私は確信しています。
岸田首相は、本当に聞く耳をもっているというのなら、任命拒否はすぐに撤回すべきです。
(2022年5月刊。税込924円)
 先日うけたフランス語検定試験(1級)の結果が送られてきました。もちろん、不合格なのですが、64点でした(150点満点)。自己採点では61点、これは4割ということです。合格点は94点ですので、30点も不足しています。この道ははるかに遠く、険しい。まさしく実感します。それでも、めげず、くじけず、ボケ防止のためにも、毎朝、NHKフランス語の書き取りを続けます。

草原に生きる

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 アラタンホヤガ 、 出版 論創社
内モンゴル遊牧民の今日(いま)。これがサブタイトルの写真・エッセイです。
内モンゴルはモンゴル国ではなく、中国の一部。満蒙開拓そしてノモンハン事件の舞台。
内モンゴルは日本と同じく、四季がはっきりしている。冬と春は寒くて、風が強く、雪が降る。夏は暑く、朝晩の温度差が大きいけれど、乾燥しているので風が爽やかで、日本より過ごしやすい。秋は草刈りの忙しい時期で、家畜が一番太り、売買される、収穫の秋。
内モンゴルには遊牧の生活をしている人はほとんどいなくなり、定住しながら牧畜を営んでいる。定住牧民だ。
文化大革命のとき伝統文化が否定され、1980年代の土地改革によって牧草地が分配されて遊牧民は移動できなくなり、さらに政府が定住化を推進したことで、生活様式が遊牧から定住に変わってしまった。
カルピスは、内モンゴルの馬乳酒が本家。馬乳酒はお酒ではなく、馬の乳を発酵させた飲み物で、老若男女、誰もが飲む。ビタミンCの補給、胃腸や血液中の脂肪分を排除する働きがある。
内モンゴルの子どもは、小学1年生からモンゴル語と中国語を同時に学び始め、3年生からは英語の学習が加わる。
1980年代から内モンゴルでは土地改革は行われ、牧草地が各家庭に分配された。この分配は平等ではなく、お金持ちや権力者が土地を広く鉄条網で囲み始めた。早い者勝ちだった。弱い者も借金しながら、わずかな土地も残さず鉄条網で囲んだ。わずか5年もしないうちに、日本とほぼ同じ面積のシリンゴル草原は鉄条網に囲まれていない草原は存在しなくなった。この鉄条網によって、家畜が移動できず、同じ場所で放牧するため、育つ植物が貧弱になり、草原の草が食べ尽くされてしまった。
草原が貧弱になったため、春になると、少しの風でも砂嵐が起きるようになった。
以前は、季節ごとに家畜が食べる草が決まっていて、季節ごとに移動しながらのサイクルができていた。あるところの草を食べ尽くす前に次へ移動する。そこに新しい草が育ち、来年にはまた豊かな牧草地に生まれ変わっていた。このサイクルがなくなり、草原の砂漠化がすすんでいる。鉄条網は、草原を分断しただけでなく、モンゴル人の文化、地域コミュニティを分断し、心まで閉じさせた。
夏に雨が少なくなり、遊牧民は深刻な打撃を受けている。高利貸から高い利息で借金して牧草を買うしかない。
ラクダは、走り出すと速い。時速40キロ以上で走る。足が長いため歩幅が大きく、速く走ることができる。
内モンゴルの大草原が鉄条網によって、分割・分断されていること、その結果、砂漠化が進行していることを初めて知りました。日本に20年以上住んでいる著者による写真とエッセーです。知らない世界がそこにありました。
(2022年4月刊。税込2420円)

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