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2021年11月 の投稿

暁の宇品

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 堀川 惠子 、 出版 講談社
日本軍が兵站を無視して精神論ばかりで戦争をすすめていたのは有名ですが、それは兵員・物資の輸送の面でも顕著だったことを本書で知りました。
アメリカは原爆を日本に投下するにあたって、「目標検討委員会」を設置して、議論した。そこであがったのは17都市、それを4つにしぼった。京都・広島・横浜・小倉。
京都(古都)を破壊すると、日本人の反発が強まり、占領後の統治が難しくなるとの懸念から京都は外された。広島は一貫して目標の筆頭にあがり続けた。それは、広島の沖に日本軍最大の輸送基地・宇品があったことによる。
宇品は広島の軍港の名。宇品地区の中心にあったのは、陸軍船舶司令部。暁部隊として知られる。
太平洋戦争中に撃沈された輸送船は、小型船まで含めると7200隻以上。出征した船員の2人に1人が戦死している。
なぜ、広島の宇品が戦争の玄関口となったのか…。理由の一つは、鉄道。日清戦争(1894年)のころ、東京を起点とした鉄道は広島まで開通したばかりだった。全国から集めた兵隊や物資を戦場に運ぶには、出航する港に鉄道がつながっているのが好都合。
宇品港は岸壁の際まで最大10メートルの深さがあり、港のすぐ近くまで大型船をつけることができた。周辺の島々が風をさえぎってくれるため、波も穏やかで、使用できる海面も広い。港の周辺に最大200隻もの船舶を碇泊させて作業することができた。
陸軍は、宇品地区に陸軍糧秣支厰を置き、精米工場や缶詰工場、糧秣倉庫を建設した。
海上輸送なのに、陸軍が船を動かすことになったのは、海軍が陸軍の部隊を船で外地へ運ぶ輸送任務を拒絶したから。陸軍船舶司令部は、船と船員をもたない海運会社のようなもの。
陸軍は戦争が起きるたび民間から船と労働者を必死にかき集め、日清戦争のとき24万人、日露戦争では109万人の将兵を宇品から朝鮮半島や大陸へ運んだ。陸軍部隊の輸送業務、乗船、搭乗、陸上への携陸は、すべて陸軍が計画・遂行し、海軍はその護衛のみを担当することが法令上、明記された。
最初は工兵の一分科にすぎなかった船舶工兵は、次第に増大し、独立した工兵連隊となったあと、船舶兵という兵種として18万人を擁した。
宇品港(広島港)に陸軍船舶輸送司令部が置かれ、田尻昌次・陸軍中将が司令官となった。配下の軍人・軍属は10万人、年間予算は2億円。
ところが、圧倒的に船舶が足りなかった。遊覧観光に使われていた古いプロペラ船までひっぱってきた。このため船舶不足によって国内物流が停滞しはじめた。その結果の石炭不足から、非鉄金属の生産にまで影響が出はじめた。船が足りないので新造しようとしても、世界的に鋼材が値上がりしていたため、造船業に鋼材がまわされてこなかった。
島国から軍隊を運ぶのは船しかない。軍隊が外征すれば、そこへ軍需品や糧秣を届けるのも船。資源を入手するために南方に進出するために兵を送るにも船がいるし、資源を運んでくるのもまた船。一にも二にも船が必要。日本は、その船が圧倒的に不足した。
田尻中将は、57歳で司令官の座を追われた。諭旨免職だった。それは船舶不足の現実をふまえて中央に意見集中したことへの報復措置だった。残った司令部では、表面上の強気が支配した。弱音を吐いたら、最前線に飛ばされ、命の保障がなくなってしまう…。
陸海軍部も政府も、船舶の重要性は十分に知っていた。しかし、その脆弱性に真剣に向きあう誠意をもたなかった。圧倒的な船舶不足を証明する科学的データは排除され、脚色され、ねじ曲げられた。あらゆる疑問は保身のための沈黙のなかで、「ナントカナル」と封じ込められた。
いやはや、今はやりの忖度の世界ですよね、これって…。
よくぞ、ここまで調べあげたものだと驚嘆しながら、息を呑みつつ最後まで一気に読み通しました。
(2021年7月刊。税込2090円)

奇跡の地図を作った男

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 下山 晃 、 出版 大修館書店
今から200年以上も前のカナダを歩いて地図をつくりあげたディヴィッド・トンプソンの生涯をたどった本です。日本にも江戸時代に伊能忠敬が日本全国を歩いて日本の精密な地図をつくりあげましたが、トンプソンは、スケールが違います。
伊能忠敬は10年かけて日本全国を歩いたのが3万3700キロメートル。トンプソンは生涯に10万キロほどを、マイナス40度のカナダの酷寒の山岳・森林地帯のなか、カヌーと馬と犬ゾリ、そして徒歩で歩きまわった。しかも、そこにいた先住民に敬意を払い、その言葉を習得し、生活と文化を理解し、白人と先住民の混血の女性を妻として、ときに一緒に調査旅行に出かけた。
トンプソンは1770年4月、イギリスはロンドンの貧民街で生まれた。ベートーベンと同じ年の生まれ、日本では江戸時代の中期、田沼意次のころ。
トンプソンは貧乏ながら、イギリスの慈善学校に学び、とりわけ数学に優秀であったため、カナダのハドソン湾会社に入社することができた。
当時は、毛皮やフェルト帽が大流行していた。毛皮を扱う商売はボロもうけができた。ビーヴァーが乱獲されていた。黒人奴隷も金もうけのタネとして取引されていた時代だ。
トンプソンは14歳でカナダに渡り、見習い奉公人(サーバント)として、安い賃金で働かされた。
この当時のカナダは、人種差別の激しい国でもあった。
トンプソンは、カナダの先住民であるクリー族やビーガン族などの言葉と文化を積極的に学び、またフランス語も学習した。
蚊やダニが多く、悩まされる土地なので、蚊にかまれる部位を少しでも減らすため、髪の毛は先住民のように肩まで伸ばし、ツバ広の帽子をかぶった。
トンプソンは、17歳のときキャンプ地に送られ、そこで上司からいろんな知識やノウハウを叩きこまれた。毛皮獣の棲息分布の調査の仕方、毛皮取引に必要な知識、カヌーの漕ぎ方、つくり方、保存食としての鳥や獣の肉の塩漬け方法、薪割り、土起こし、毛皮の圧縮、帳簿付け、報告書の作成方法、運搬・交易ルートのたどり方。
また、現地先住民の言葉、気質、特質についても教示された。
先住民の社会は、バッファローの狩猟を基盤とした「民主的な」社会で、女性の役割も尊重されていた。
ところが、トンプソンは滑落事故により右脚を複雑骨折し、その生涯、右脚を引きずりつつ歩行することになった。また望遠鏡を熱心に見ているうちに太陽光をまともに受けて右目を失明してしまった。厳しい天候・気候のなか、川からカヌーを引き上げて別の川や湖まで抱えて運んだり、峻険な崖を登ったり、健常者でも体力の限界をふりしぼるような作業を連日ともなうのが測量の仕事。これをトンプソンは、やり遂げた。
ハドソン湾会社も競争相手の北西会社も、先住民との毛皮取引にあたって、アルコール漬け戦略を用いていた。先住民を酔いつぶして、莫大な利益をむさぼった。
ヨーロッパにもビーヴァー皮を送り届けると、1枚で40万円から80万円もした。毛皮はステイタスを誇示する「柔らかな宝石」であり、「森の黄金」だった。
トンプソンは、カナダ森林地帯の探索・測量を続けるとき、アルコール(うん酒)を悪用しないと強く決心していた。それは、先住民のその豊かな文化に対する深い敬慕の念にもとづくものだった。
トンプソンは現地での測量を引退したあと、家族とともに悠々自適の生活を送るはずでしたが、勤めていた会社が破産してしまい、晩年は貧窮の生活を余儀なくされてしまった。
また、その成果の測量図も、他人の成果として世に紹介され、「測量日誌」をまとめても生前に刊行されることなく死蔵されてしまった。しかし、死後、その日誌は発掘され、測量図がトンプソンによるものということが確認されたあと、ついにトンプソンの偉業は正しく評価されるようになった。
トンプソンは、争乱もつきまとうカナダの山岳地帯を、零下40度という極寒の冬場に周回するなど、長年にわたって、ほかにはまったく前例・同類のない異色の「夢追い人」だった。
伊能忠敬の伝記にも圧倒されましたが、このカナダの測量探検家の偉業には思わず息を呑み声も出ないほどでした。
(2021年8月刊。税込2640円)

イルカと心は通じるか

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 村山 司 、 出版 新潮新書
著者は動物が苦手。船に弱い。船に乗ると、必ず船酔いする。飛行機だって怖い。それなのに、著者はイルカの研究者。なぜ…。高校1年生のとき、テレビでたまたま「イルカの日」(1973年)という映画をみてしまったことから…。
イルカの脳は大きくて重い。イルカの能はヒト並みの重さがある。ヒトの脳は1400グラム。バンドウイルカは1500グラム。イルカの脳の表面にあるシワは、ヒト並みくらい、たくさんある。イルカの神経細胞の数は、100~200億個。これは、ヒトのそれが140億個なのより多い。
イルカたちは、狩りをするとき互いに協力したり、別の場所で練習してから本番の狩りにのぞんだり、オトリを使ったり、待ち伏せのような行動もする。また、イルカ同士が同盟を結んだり、母イルカに代わって乳母役をするイルカもいる。
紀元前5000年前の壁画にクジラが描かれている(ノルウェー)。そして、紀元前3000年ころの壁画にイルカが描かれている(同じくノルウェー)。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスはイルカが哺乳類であること、温血動物であることを知っていた。いったい、どうやって知ったのでしょうか…。
クジラもイルカも俗称で定義も違い、明確ではない。いずれも、祖先は陸上で四足歩行をしていた肉食動物だった。そして、祖先は偶蹄類のカバに近いことが判明している。
サメは魚類で、尾ビレが縦になっている。イルカの胸ビレの中には5本の指の骨がある。後肢は退化してしまったが、その名残の骨は、今でもイルカの体内には存在している。そして、尾ビレは水平についている。この尾ビレは、皮膚が肥厚したもので、陸に棲んでいたころの尾が変化したもの。
イルカが水棲生活して得た強力な能力は聴覚。イルカは、エコーロケーションという能力をもっている。水中は陸上より速く、遠くまで音が届く。
イルカは遊びが好き。イルカだって、練習しているとき、分かればうれしいに違いない。イルカは笑わない。顔には神経が少ない。
イルカが、エサをくれたりケアしてくれるトレーナーを、シルエットだけでなく、歩き方、足音のパターン、そして声などを総合して認識している。
イルカは勉強したら賢くなるし、イルカは、ほめられたら伸びる。7ヶ月たっても、ほとんど間違えることなく、覚えている。
シロイルカのナックは、聞こえた音をマネすることができる。ナックは、こちらがナックに向かって音を発したり、語りかけたときだけマネして返してくる。つまり文脈を理解して模倣している。オウムや九官鳥のように、誰もいないところでスナックがコトバを発することはない。そこに違いがある。
シロイルカのナックは、1988年にカナダからやって来た。少し気が強いところもあるが、根がまじめで、曲がったことが嫌いな性格。
いやあ、根がまじめだとか、曲がったことが嫌いだなんて、どうして分かるのでしょうか…、不思議です。イルカの生態をさらに少し知ることができました。
(2021年9月刊。税込858円)

ちひろダイアリー

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 竹迫 祐子 ・ ちひろ美術館 、 出版 河出書房新社
東京のちひろ美術館には一度だけ行ったことがあります。コロナ禍がなければ、昨年は長野のちひろ美術館に出かけるはずでした。
コロナ禍がまだ完全終息しているとは言えないのに、政府はGoToトラベルに残る1兆円の予算を支出して再開するとのこと。まるで優先順位が間違っています。それより前に、PCR検査の充実、保健所の復活、そして「自宅療養」と称する入院拒絶の解消のほうが、よほど優先順位として政府は取り組むべきものです。
それはともかくとして、55歳で病死してしまった、いわさきちひろの生涯を豊富な写真とちひろの描いた絵で紹介している、心あたたまる本です。
何度と見ても、どんなに繰り返し見ても眺めても、ちひろの絵って、不思議なほど心が癒されますよね…。
子どもは、全部が未来だし…。
ちひろの実際の人生は、少しもふわふわ甘い人生ではなかった。あの溶けだしそうなパステルカラーの水彩画の世界は、ちひろのこの世にないものへの祈りであり、こうあってほしいものへの希望だった(上野千鶴子)。
ちひろは、幼いころから絵を見るのも書くのも大好きな女の子だった。
どこに行っても物おじしない子どもだった。
小学校入学記念のときのハカマを着たちひろの写真があります。いかにも知的で、精神(意思)力の強そうな子どもです。圧倒されます。
2人の妹のいる長女だったのですね。ハイカラな洋服を着た三姉妹の写真がありますが、きっとしっかり者のお姉ちゃんだったことでしょう。
戦前に結婚し、それに失敗して、ちひろは戦後、もう結婚なんて絶対しない。絵と結婚したと宣言…。ところが、ついに、年下の男性を愛するようになったのです。
30年来、私は、こんなに人を愛したことはないもの…。人は変わるものなんですよね。
ちひろは31歳、8歳も年下の松本善明23歳と結婚しました。まだ弁護士になる前だったでしょう。
神田のブリキ屋さんの2階の部屋は、千円の大金で花をいっぱい買って、結婚式。ぶどう酒1本とワイングラス2つだけ。二人だけの結婚式。
この情景を上條恒彦が歌っています。いい歌です。
そして、一人息子(猛)が生まれ、3人家族となりました。
ちひろの描いた絵のなかには、いつも自分の子(猛)を入れていた。うむむ、すごいですね。母の愛は、ここまで貫くのですね…。
ちひろの夫・松本善明は弁護士で、私が上京した1967年に衆議院議員になりました。中選挙区制でしたので、共産党の国会議員として連続当選を重ねました。その夫をちひろは支えました…。
いやあ、何度みても、いつ見てもちひろの絵っていいですよね。子どもたちのかわいらしいしぐさのひとつにハッとさせられます。
大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思う。うむむ、そ、そうなんでしょうか…。考え直させられます。
こんな才能あふれていた女性が55歳で亡くなるなんて、本当に残念でした。一刻も早く安曇野のちひろ美術館に行ってみたいです…。
(2021年7月刊。税込2145円)

ブックセラーズ・ダイアリー

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ショーン・バイセル 、 出版 白水社
スコットランド最大の古書店の1年が語られている本です。私が町に出て入る店と言えば喫茶店のほかは本屋くらいのものです。「百均」とかデパートを目的もなくブラブラと歩いてみてまわるなんてことは、絶対にしません。私にとって、そんなことは貴重な人生の時間のムダでしかありません。そんな時間があったら、一冊でも多くの本を読みたいです。
この本は、本を買いに行ったはずが、なんと本屋を買ってしまったという、いかにも変わり者の店主が、古書店にやってくる変わり者の多い客との対応が率直かつ淡々と紹介されます。
切手収集家というのは風変りで寡黙な魚のような人種で、あらゆる年代がいるが、性別は男だけ。へーん、そうなんですか、女性は切手収集に魅力を感じないのですか…。
初版本マニアは鼻もちならない。しかし、初版本マニアは、残念ながら絶滅危惧種になりつつある。
つい先頃まで、本を再版するには、スキャンするか文字を入力しなおす必要があったので、採算を考えると、数百とか数千のオーダーが欠かせなかった。ところが、今や、PODプリンターをつかうと、絶版の本であっても1冊を比較的低コストで印刷できる技術が開発された。そうすると、かつての希少書の価格は暴落してしまった。
一般的には、小説を買うのは今でも大半が女性で、男性はまずノンフィクションしか買わない。
ハウツーものとかビジネス書も、買うのは男性のほうが多いのではないでしょうか。
本屋というものは、お金を使わずに長い時間、粘っていられる数少ない場所のひとつだ。頭のおかしな人間が多く町をうろついているが、磁力に引(惹)かれるように本屋に集まってくる。
なるほど、ですね。なので、最近の本屋にはイスとテーブルまで置いているのですね…。客の回転はすごく悪くなって、採算性は低下する一方になるでしょうね。
古本屋で働くようになって驚いたことは、本物の読書家なんて、ほとんど存在しないということ。本物の読書家はほとんどいないが、自分からそう思い込んでいる連中はごまんといる。
本の万引き。本を盗むのは、時計を盗むのより論理上の罪がいくらか軽いと思う。うむむ、そうなんでしょうか…。
本屋というのは、多くの人にとって、過酷な寒さとか現代社会の急激なデジタル化とかいったものから逃げ込める、平和で静かな休憩所みたいな役割を果たしているのではないか。
ある人にとって良い本が、他の人にとっては駄作ということも多い。
男が小説を読まないとうのは当たらないが、男が嫌う系統のフィクションがあるのは事実だろう。平凡、善悪がはっきりしたものは女性のためだけにあり、男が読む(好む)のは、一目おける高尚な小説か、探偵小説のどちらかだ。
私自身は、ノンフィクションは好んで読みます。日本と世界の動きをみて、私の日頃の疑問を解消し、今後を私なりに予測したいのです。
古書店と巨大資本アマゾンとのたたかいもレポートされていて、こちらにも興味と関心がありました…。
(2021年8月刊。税込3300円)

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